銀河で賞金稼ぎやっていたら、謎のヤンデレ宇宙生物に体を寄生された男の話   作:モーフ

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ニル

 意識を無くしたアゼルは不思議な夢を見ていた。

 ひたひたと裸足で漆黒の神殿を登っている。稲光が轟く漆黒の空、神殿の周りを囲む海は荒れに荒れまくっていた。まさにこれから訪れる苦難を予感させるような、不吉なものを全身に感じていたアゼルは、目の前から誰かが迫って来ているのが見えた。

 

 骨で出来た仮面を被り、鉛色の艶やかな肌を惜しげもなく晒した衣装を身に纏った女は、そのままゆっくりと近くまで顔を寄せて言った。

 

 ――供物を献上せよ――

 

「はい、祭司様」

 

 アゼルは自分の口が勝手に動くのを感じていた。

 だが口から吐き出された声はアゼル自身の低い声じゃない。

 年若い少女のような声だ。

 

 ――いずれ我々が最後の形ある者になるのだから――

 

 意味はわからなかったが、それが不吉なものだという確信はあった。アゼルはこの不気味な夢が一体なんなのかと疑問に思う前に、意識が段々と蘇っていった。

 

 ◆◆◆

 

「――くはぁ!?」

 

 まるで溺死しかけた人が寸前で息を吹き返すように、アゼルは飛び起きた。よくわからない夢を見た直後は地獄にで落ちたのかと思ったが、どうやら違うらしい。

 

「……はぁ……はぁ……」

 

 アゼルはまだ息の感覚を確かめるように荒く呼吸しながら、ぐるりと周囲を見渡した。空気はある。肺は上下している。だが、五感で捉える世界は、どうにも現実とは思えない。

 

「死んだ……んじゃ、なかったのか……?」

 

 あの忌まわしい賞金首(ゼルド)との戦闘の光景が、脳裏に蘇る。閃光、銃声、焼け付くような痛み。最後に確か胸を貫かれて――。

 

 胸へと手を伸ばした瞬間。

 

 ――声がした。

 

 透き通るように清らかで、それでいて氷の刃を突きつけられるような冷ややかさを孕んだ声。女の声だった。

 

『……目覚めたみたいね』

「っ……!?」

 

 アゼルは反射的に振り返った。だが誰もいない。灰色の世界は不気味な沈黙に閉ざされている。風すら吹かない。声の主の姿は見えない。

 

 心臓が早鐘を打つ。戦場で幾度も死線を潜ってきた彼でさえ、この不可解な声に全身が凍り付くような恐怖を覚えた。

 

「……幻聴……? 俺の頭、ついに壊れたのか……?」

 

 アゼルは自嘲めいた笑みを浮かべ、額を押さえた。その時――胸の内側で、何かが蠢いた。ぞわりと肉の奥底で粘りつくものが動く感触に、アゼルは思わず胸をかきむしる。

 

「う、ぐ……ぁぁぁ!!」

 

 皮膚の表面が盛り上がり、裂け目が走った。そこから、灰色に濁った粘液質の塊が、ゆるりと這い出してきた。ぬらりとした質感、重力を無視するかのように揺らめきながら形を変える。まるで生きた影が肉体を侵食しているかのようだった。

 

 その物体は胸元から伸び、アゼルの視界に入り込むと、裂けた口のような亀裂を形作り――声を発した。

 

『あぁぁ、感謝するわ……貴方という新鮮な肉体を持つ有機生命体がこんな場所に放り込まれてくれたおかげで、私はこうして存在出来るのだから』

 

 なんだこれは――アゼルの頭の中は今度こそ真っ白になった。これまで数々の仕事を引き受けてきては、様々な生物を見て来たのだが、こんな生物(?)は見たことがない。

 ましてやコミュニケーションを図って来る寄生体となれば、見たことも聞いたこともない存在だ。

 

「お前は……何だ……!」

『私の名はニル、貴様の身体はこれより私の物になった』

 

 ぞくり、と背筋を冷気が走る。

 良く聞いたらその声は先ほどの女の声と同じだった。

 

 (自分の口から勝手に紡がれてしまったあの少女の声と同じ……、ならさっきの夢は……)

 

 恐らくこの寄生生物の記憶か何かだろうか――そう考えていると、ニルと名乗る生物がまた話し出す。

 

『言っておくが私と貴様は一心同体、お互いに生きるためには無くてはならない存在となった。変なことは考えない事だ』

「……お前が死ねば俺も死ぬと」

『くふふ、同じ肉体を持つのだから当たり前でしょう?』

 

 ニルはゆっくりとアゼルの頬に伸び、まるで愛おしむように撫でた。ぞるりと冷たく、ぬめりが残る感触に嫌悪感が込み上げる。

 

「何故……寄生したんだ、この俺に」

『私も訳ありでな、危うく死にかけてここに逃げたのはいいが、弱り果てていた。それこそ他者の肉体を依代にしないと、存在を保てなくなるほどに』

 

 ニルは意外にもさらりと答えた。

 

『この場所は私が何とか逃げ込んだ領域だ、本来なら貴様のような生命体が入れないはずだが、何故か()が空いていた。私は一抹の希望にかけて獲物がやってこないか待ち伏せていた』

「……なるほど、だから何かやって来ないか待っていたら俺がやってきたと……」

『ああ、しかも知的生命体と来た! これほど運命が私に味方するとは思わなかったぞ……くふふ』

 

 ニルは艶やかな笑い声をあげて、アゼルの身体をさらに侵食する。身体の中を這いずり回るような感覚に、アゼルは鳥肌がたった。

 

「俺を……どうする気だ……!」

『なーに、置かれた状況は同じだ。貴様の肉体は今は私が寄生しているから塞がっているが、本来なら死んでる傷だ。内臓も潰れているし、私が出ていけば貴様は死ぬ。今は私が貴様の肉体の機能を補完しているから何とか生きているのだ』

 

 アゼルは何となく彼女が言わんとしている事を理解した。

 つまり……死にたくなかったら大人しくしろという事だろう。アゼルは当然こんな場所でくたばるつもりはないため、拒否することは出来なかった。

 

『どうだ?』

「……断るって言ったら?」

『この身体の所有者は貴様だけじゃないぞ?』

 

 ニルはそう言うと、勝手にアゼルの右手を動かして自らの喉を締める。

 

「ぐ……!!」

 

 あり得ないほど強い力にアゼルはもがいていると、ニルはくすくす笑いながら言った。

 

『貴様を脳死させ、残った肉体を好きに使っていいなら断ってもいいぞ? どの道……拒否権はないと思うけどなぁ……』

「化け物が……!!」

『くふふ、化け物で結構。この広い宇宙を生き残るためには、残虐さも必要だ――そうだろう?』

 

 アゼルは顔を顰める。

 一体何をさせる気なのだろうか――と。

 

『そんなに身構えなくていい、やるべきことは単純なのだから……』

 

 ◆◆◆

 

 足元が、ふらつく。

 

 意識こそはっきりしているのだが、身体が自分のものではなくなったような奇妙な感覚に苛まれていた。自分の足が勝手に動く。膝が勝手に上がり、筋肉が勝手に収縮し、身体全体が機械仕掛けの人形のように歩かされていく。

 

「……っ、勝手に……操りやがって……!」

 

 歯を食いしばっても、声は虚空に吸い込まれるだけだった。返答の代わりに、胸の奥から響く女の声が楽しげに囁く。

 

『抵抗しても無駄よアゼル。今は私が舵を取っている。あなたは黙って私の人形でいればいいの』

 

 くすくすと笑う声が、脳髄を撫で回すように響く。その響きに、吐き気を催すほどの嫌悪感が込み上げてくる。

 

 周囲を見れば、どこまでも青白い大地が広がっている。地表は滑らかな岩盤のようでいて、時折じくじくとした脈動を感じる。まるで生物の皮膚を巨大化させたものの上を歩いているかのようだ。空は灰色、光源のないはずの世界なのに、かすかに蒼白い光に満たされている。

 

 アゼルは呻きながら問いかけた。

 

「一体どこへ向かってる……?」

『ふふ、すぐにわかるわ。着いてからのお楽しみ……』

「ふざけるなッ! 俺の身体を勝手に操っておいて!」

『落ち着きなさい。もうすぐよ。――ほら、見えてきた』

 

 ニルの声と同時に、視界の先に“それ”が現れた。

 

「……何だこれは、森……なのか?」

 

 無数の触手が地面から天へと伸び、絡み合い、うねり、無理矢理「森」を形作っていた。一本一本が巨木ほどの太さを持ち、表面は濡れた皮膚のように光沢を帯びている。まるで巨大な生物の内臓の中を歩いているようだ。

 

 しかも触手が微かに震えて蠢いているせいで、定期的にぬちゃりと湿った音が響き渡り、吐き気を催す悪臭が鼻を突いてくる。

 

「……クソ……ここは地獄か……」

 

 アゼルは顔をしかめたが、その表情すらニルの支配下に置かれているのか、うまく作れない。

 そのままニルはアゼルの身体を操り、森の前に立たせた。

 

『さて……準備をしましょうか』

 

 嫌な予感がした。

 

「……準備……?」

 

 ニルは答えの代わりに、アゼルの左腕を勝手に変形させた。骨と筋肉がごりり、と音を立てて捻じ曲がり、肉が裂け、液体金属のように姿を変える。

 

「なっ……お、おい、やめろ――!」

 

 アゼルが叫ぶ間もなく、変形した左手の刃が右手を深々と切り裂いた。

 

 鮮血が飛び散り、青白い大地に滴り落ちる。血は地面に吸い込まれることなく、表面を染めてゆっくりと広がっていった。

 

「っ……が、あああああっ!!」

 

 痛みが神経を灼く。だがアゼル自身は身体を止められない。強制的に傷口を開かされ、鮮血がだらだらと垂れ流されていく。

 

「何しやがるっ……!」

『まあまあ……黙って。――もうすぐ獲物がやってくるわ』

 

 ニルは甘ったるい声で囁くと、アゼルの顎を操ってその口をぎゅうっと閉ざした。叫び声さえ封じられる。

 

 血の匂いが漂った。青白い大地の上に濃い赤が広がり、じわじわと森の方へと流れていく。

 

 その瞬間だった。

 

「――――――――!!!」

 

 森がざわめいた。

 

 数百もの触手が一斉に身じろぎをし、ぞるりと音を立てて揺れる。まるで血の臭いに反応したかのようだった。アゼルの背筋に悪寒が走る。

 

(……まさか何かを呼び寄せたのか!?)

 

 嫌な予感はすぐに現実となった。

 

「ギギギギ……」

 

 不気味な金切り声と共にぐちゃ、ぐちゃ、ぐちゃ、と地響きのような音が近づいてくる。そいつは触手をかき分けながら這い出て来た。

 

「ギィアアアア!!」

 

 最初に見えたのは脚だった。

 細いのに異様に長い。まるで蜘蛛のような節を持ち、だが数が異様に多い。十本、二十本ではない。三十、四十、いや数えきれないほどの脚が、ぞろぞろと地面を踏みしめながら現れる。

 

 青白い大地を叩くたび、粘液が飛び散る。

 やがて胴体が現れた。甲殻に覆われてはいるが、どこか有機的でぬめりを帯び、脈動している。節ごとに眼球のような器官が埋め込まれており、その全てがぎょろりとアゼルの方を見た。

 

「……な……んだ……こいつ……!」

 

 何だこの化け物はと言いたかったが、衝撃がデカいせいでアゼルは何も言えなかった。

 

 何せ常軌を逸した足の数と、口にあたる部分からは幾重もの触腕を伸ばす虫とも、軟体動物もつかない姿をしている上に異様な臭気を放っているのだ。

 

 血生臭い現場に慣れているアゼルでも気分が悪くなる。

 しかも森の奥から、まだ別の同種が蠢く気配がする。血の匂いに釣られ、この不気味な虫の群れが集まってくるのだ。

 

 ニルの声が、甘美に震えた。

 

『ほら、来たわ! これがこの森の住人よ、暫くは世話になりそうね』

「何のために呼び寄せた!」

『食べるのよ、こいつらを』

 

 アゼルは怒鳴り付けるとニルはさらりと言った。

 

「た、食べる……?」

『今の私たちはまだまだ弱っている。私とてずっとこの場にいるつもりはないわ。出るためには力をつけなきゃいけない』

 

 アゼルの顔は見たことないぐらい歪んでいく。

 食べる、あんな臭くて気持ち悪い生き物を、嘘だと言ってくれ――みたいな顔だ。

 

「あんなん誰が食え――」

『くふふ……! さあ、ここからが本番よ。よく見てなさい、アゼル。どの道この世界で生き残るには……こういう連中を“狩る”しかないのだから』

 

 虫のような怪物が、何十本もの足で地響きを立てながらアゼルの前に迫ってくる。

 

 血の臭いに飢えたその眼球の群れが、ぎょろりと輝いた。

 

 ――獲物を見つけた。

 

 そう言っているような気がした。

 

「「ギィシャアアア!!!」」

 

 虫たちが一気に突撃するとニルは楽しそうに笑い出す。

 

『あはは!! さぁ暴れましょ……!!』

「――ふざけ――」

 

 怒鳴り声をあげようとした瞬間、アゼルの喉から音が途切れた。視界がぐにゃりと歪む。白目を剥いた彼の顔に血管が浮き上がり、全身の筋肉が痙攣する。

 胸の奥から、あの冷たい女の笑い声が響いた。

 

『抵抗は無駄と言ったでしょう? 今は私が必要なの。だから……少し借りるわね』

 

 次の瞬間、アゼルの身体が異様に脈動し始めた。

 皮膚が盛り上がり、裂け目から黒ずんだ硬質の棘が突き破る。両腕はぐにゃりと歪み、骨と肉が再構築され、鈍く光る鉤爪を備えた異形の腕へと変貌する。

 額を突き破るように鋭利な角がいくつも伸び、背中からは槍のような棘が次々と生え出した。口元の歯はことごとく鋭く尖り、肉を引き裂く猛獣の顎そのものに変化していく。

 

「……ガァァアアアアッ!!」

 

 獣じみた咆哮が、アゼルの口からほとばしった。

 人の姿をわずかに残したまま、怪物と化したアゼルは、一直線に眼前の虫型の化け物へと突撃する。

 

 「ギィシャアアア!!」

 

 先に動いたのは虫の怪物だった。

 無数の脚がうねり、鞭のようにアゼルの身体を打ち据える。一本一本が鉄骨のように硬く、叩きつけられれば人間など即座に肉塊と化すだろう。

 

 だが――。

 

「ガァッ!!」

 

 アゼルは跳躍した。

 地を蹴った瞬間、青白い大地がひび割れる。異常な膂力で宙を舞い上がったアゼルは、迫る脚を正面から鉤爪で掴み、捻り潰した。

 

 ぐしゃり、と骨とも殻ともつかぬ硬質な組織が砕け、黒い体液が飛び散る。怪物が絶叫を上げて暴れた。

 しかしアゼルは怯むどころか、むしろ快楽を覚えたように顔を歪め、さらに爪を振るう。

 

「オオオオオオッ!!」

 

 連撃。

 鉤爪が脚を引き裂き、肉を抉り、甲殻を打ち砕く。引きちぎられた脚が地に叩きつけられ、ばらばらと落ちる度に青白い大地に血の花が咲く。

 

「ギギギギィィ!!」

 

 虫の怪物は、内臓を守ろうと腹部を持ち上げて突撃する。

 だが次の瞬間、アゼルは跳躍してその胴に拳を叩き込んだ。

 

 ――ドグンッ!!

 

 衝撃が肉を震わせた。

 怪物の甲殻がひび割れ、その内部からどろりとした臓物が飛び出す。アゼルは迷わず爪を突っ込み、内臓を掴み出して引き裂いた。

 

「ギィイアアアアア!!」

 

 断末魔の悲鳴が森に響き渡り、怪物はばたりと倒れ込む。

 その巨体が痙攣し、やがて動かなくなった。

 

『んー……やっぱり雑魚は味気ないわね……』

 

 たった一瞬で一体めの怪物を仕留めてしまったニルは、不満気に声を漏らすも、すぐに気分を良くした。

 

 だってまだ沢山獲物がいるのだ。

 現に森の奥から、ぞろぞろと同種の虫の群れが這い出してくる。数は十、二十……いや、もっとだ。血の臭いに飢えた群れが、脚を打ち鳴らしながらこちらへと殺到している。

 

『ふふ……いいわ、そのまま暴れなさい! もっと、もっと血を、肉を!! 私に献上して!!』

 

 ニルの声が甘美に震える。

 アゼルの理性は白濁した霧に覆われ、ただ本能と怒りだけが残る。操られているはずなのに、彼自身の中にも確かに殺戮の快感が芽生えつつあった。

 

 「ガアアアアアアッ!!」

 

 咆哮。

 次の瞬間、アゼルは群れの中に飛び込んだ。

 

 爪が閃き、脚を薙ぎ払う。

 骨が砕け、体液が飛び散る。叩き潰された虫の胴体が爆ぜ、臓物がまき散らされる。

 一体がアゼルに噛みつこうと顎を開けたが、逆に爪で口を裂かれ、顎を真っ二つに引き千切られた。

 

「ギィイイイ!!」

 

 別の一体が触腕を振り回す。アゼルはそれを避けずに掴み取り、力任せに引きちぎった。根元から千切られた触腕が地面に叩きつけられ、怪物は狂ったように暴れるが、すでに遅い。

 アゼルは腹に膝蹴りを叩き込み、甲殻を粉砕。砕けた隙間に両手を突っ込み、引き裂いた。

 中身がぶちまけられ、怪物は地に沈んだ。

 

 だが次から次へと押し寄せる。

 数体が一斉に飛びかかり、アゼルの身体を押さえつけようとする。数十本の脚が絡みつき、まるで網のように拘束してくる。

 だが――。

 

「オオオオオオッ!!」

 

 背中の棘が一斉に隆起し、外へと弾け飛んだ。

 鋭利な突起が四方に伸び、絡みついた脚を串刺しにする。悲鳴が重なり、血飛沫が霧となって舞う。

 拘束が緩んだ瞬間、アゼルは跳ね起き、拳で虫の頭部を粉砕した。

 

 ――ズシャアッ!!

 

 潰れた頭から体液と脳漿が弾け飛び、怪物は地に転がる。

 他の虫たちも臆することなく突撃を繰り返すが、そのたびにアゼルの爪が閃き、拳が打ち砕き、脚が蹴り飛ばす。

 

 一体、また一体。

 青白い大地は次第に黒い血で染まっていく。

 

 「ガアアアアアッ!!」

 

 叫びながら、アゼルはまた一体を捕らえ、両腕を引き裂くように力を込めた。

 筋肉と甲殻が引き剥がされ、怪物の身体は二つに割れて地に落ちる。

 

『素晴らしいわ! これよ!! これが私たちの力! もっと狩りなさい、アゼル! 殺して、食らって、存在としての価値を高めるの!』

 

 ニルの声が脳内で歓喜に満ちて響き渡る。

 もはやアゼルの耳には、それすら遠くなりつつあった。

 彼の理性は溶け、ただ暴力と破壊の衝動が全身を支配していた。

 

 こうして、青白い大地の上で――。

 アゼルという名の人間は、人でありながら怪物となり、怪物の群れを屠り尽くす殺戮者へと変貌していった。

 

 その光景はまるで地獄そのものだった。

 

 ◆◆◆

 

「はぁ……はぁ……何だ、この力は」

 

 群れを壊滅させた後、アゼルは肩で荒く息をしていた。

 両腕からは黒ずんだ体液が飛び散り、足元には数え切れないほどの巨大な虫の死骸が散乱している。外殻が砕け、内臓じみた液体が溢れ出し、あたり一帯には甘ったるいような、しかし強烈に鼻を刺す臭気が立ち込めていた。

 

(本当にこれをニルが? なんて力だよ)

 

 武器も使わず、ただ殴る蹴るでこれとは。

 ただニルの力よりも、目の前に広がる光景の方がショッキングだった。

 

「……っくそ……鼻が曲がりそうだ」

 

 思わず顔をしかめ、腕で口元を覆う。鉄錆びと腐肉が混じり合ったようなにおいは胃の底を揺さぶり、意識を保つことすら難しい。アゼルはぐらりと膝をつき、吐き気を堪えるようにうつむいた。

 

 だがその彼の耳の奥にどこか楽しげで艶めいた声が響いた。

 

『ああ、久々の肉の匂い……! いいわね、これだわ。これよ、私が欲しかったのは』

「お前……楽しそうだな」

『当然じゃない。ここまで新鮮な肉! そうそう巡り会えるものじゃないもの』

 

 ニルの声音は心底うれしそうで、アゼルはぞっとした。血と死骸の山の中で浮かべるその快楽めいた響きが、背筋を冷たく撫で上げてくる。

 

「勝手に食えばいいだろ……俺を巻き込むな、さっきみたいに這い出て――」

『あら、なにを言ってるの? 私たちはもう一つなんだから。あなたの口で食べてもらわないと』

 

 しばし沈黙してからアゼルは慌てて吠えた。

 

「はあ!? 冗談じゃねえ!」

 

 アゼルが立ち上がろうとした瞬間、身体は意志に反して固まった。肩、腕、指先まで、すべてが他人のもののように動かなくなる。まるで見えない糸で操られているかのように、彼の手が死骸のひとつに伸びていった。

 

『ほら、そこの部位!! おいしそうでしょう?』

「やめろ、やめろって言ってんだろ!」

『嫌よ嫌よも好きのうちって何か聞いたわ』

「誰からだよ!!」

 

 叫んでも無駄だった。彼の指は甲殻をこじ開け、ぐちゃりと嫌な音を立てて内側の肉を抉り出す。その感触は生暖かく、粘り気を帯びていた。アゼルの背筋を悪寒が這い上がる。

 

「う、うわぁ……これ口に入れるとか、絶対吐くぞ俺!」

『ふふ……大丈夫。信じなさい?』

「もがっ!?」

 

 言葉と同時に、抉り取った肉塊がアゼルの口へと押し込まれた。抵抗する暇すら与えられず、強制的に咀嚼を始めさせられる。

 

 ――ぐちゃ、ぐちゃり。

 

 嫌な音が頭蓋に響く。血肉の温もりが舌を覆い、唾液と混ざり合う。想像するだけで吐き気が込み上げるはずだった。だが――。

 

「……え?」

 

 アゼルは目を見開いた。不味いと身構えていた舌に広がったのは、意外にも濃厚な旨味。獣肉に似た味わいだが、それよりも深く、どこか甘やかでコクのある滋味が舌をとろかす。

 

 恐怖と嫌悪が一瞬にして困惑へと変わる。

 

『どう? ね、悪くないでしょう?』

「……嘘だろ。虫の肉なんて絶対マズいと思ったのに……」

『私がまずいものなんて食べるわけないじゃない』

「……自分の姿と振る舞い方を見直してみろ」

 

 ニルの声には艶やかな笑みが混じっていた。その自信満々な響きに、アゼルは毒気を抜かれたようにため息をつく。

 

「……お前ってやつは、本当に……」

 

 身体はまだ自由にならず、次々と肉片を口に放り込まされる。咀嚼するたびに芳醇な風味が広がり、喉を通ると胃にじんわりと力が満ちていく感覚があった。

 

 しかし、しばらくしてから――。

 

「……ん? なんだこれ……」

 

 遅れて訪れたのは、舌にまとわりつく妙な苦みと、鉄錆びのような後味だった。最初の濃厚な旨味とは裏腹に、尾を引く味はどうしようもなく不快だ。

 

「……ぇ、後味わっっる」

 

 思わず呻き、地面に唾を吐く。しかし不快感は消えず、舌の奥にじっとりと貼り付いて離れない。胃の中でもざらりとした感触が広がり、喉が焼けるようだ。

 

『あら、後味くらい我慢なさいな。命を繋ぐ糧なんだから』

「糧って……お前、楽しそうにしてた割に、俺には地獄なんだぞ!」

『ふふ、慣れればきっとやみつきになるわ』

「なるか!!!」

 

 憔悴しきった顔で叫ぶアゼルの声は、虚しく死骸の山に反響するばかりだった。

 

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