「お、おいおいおい! ストップ、ストップ!!」
晴臣は慌てて少女の腕を掴み、真琴から引きはがした。
小柄な身体をひょいと持ち上げるようにして距離を取る。
晴臣が振り返ると、そこには少女の首根っこを掴んだまま――空を掴むように腕を宙で止めた真琴の姿があった。
鮮やかな赤が鼻先から一筋、ぽたぽたと滴る。
それが白い胸元に落ち、花のような染みを広げていく。
その顔は笑ってもいなければ怒ってもいない。
ただ、目の下がぴくり、ぴくりと不規則に震えている。
「……」
虹色に揺れる瞳が、ほんのわずかに細まった。
晴臣の背筋に、冷たいものが走った。
「ぬがーっ! 放せぇ!」
少女が暴れ、後頭部を勢いよく振り上げた。
「――ぐっ!」
鈍い衝撃が晴臣の顎を直撃し、視界が一瞬白くはじける。
その隙に少女は腕をすり抜け、床を蹴って走り出した。
目指すは居間のドア――その向こうは玄関。
逃げ道まで、あと数歩。
その瞬間、背後から何かが閃いた。
ヒュッと耳元をかすめる風切り音、直後、ドア板に突き立つ細い金属音。
――ペン。
少女のこめかみを擦り、木の奥深くまで突き刺さっている。
思わず足が止まった。
その背後から、すっと腕が伸びる。
白い指がペンを握り、軋むような音を立てながら引き抜こうとしていた。
振り向くと、そこにいたのは――真琴だった。
怒りも、喜びすらもない。
ただ真顔のまま、鼻先から垂れる赤い筋が顎を伝い落ちていく。
突き刺さったままのペンに、真琴の白い指がそっとかかる。
その動きはゆっくりで、力みも焦りも感じられない。
――キィ、と芯が木を擦る音がして、少女の背筋に冷たいものが走る。
「……っ」
膝が勝手に折れ、少女はその場にへたり込んだ。
視線を上げれば、鼻血を流しながら無表情の真琴が見下ろしている。
瞳は虹色に揺れながらも、そこには怒りも喜びもなく、ただ底知れぬ空虚だけがあった。
少女の前に、ふらりと晴臣が割って入った。
片手で少女を庇い、もう片方の手を真琴へ向けて制する。
「……まこっ……ん、も……やめ、ろ……」
先程の衝撃で舌を噛んだらしく、晴臣の言葉は妙にしたっ足らずだ。
しかしその声音は弱々しくも真っ直ぐで、鼻血を垂らしたまま立ち尽くす真琴の腕を、そっと押し留めようとしていた。
真琴の手元で、引き抜かれかけたペンがわずかに軋む音を立てた。
真琴は、ふっと表情を変えた。
先ほどまでの無機質な真顔が、まるでスイッチを切り替えたように柔らかな笑顔へと変わる。
「……驚いた? そんな酷いこと、しないよ」
軽い調子でそう言いながら、鼻を押さえて後ろへ半歩下がる。
指の隙間から赤が滲み、ぽた、と床に落ちた。
「まこっ……だいじょぶか?」
晴臣のしたっ足らずな声が、心配そうに響く。
真琴は鼻を押さえたまま、少し困ったように笑って首を傾げる。
「慰めて欲しいかも」
そう言うや、ふわりと一歩踏み出し、晴臣の胸に抱きついた。
彼の肩口に頬を寄せると、甘えるように息を落とす。
晴臣は一瞬驚いたが、真琴の甘えるような態度に抗えず、されるがままになる。
彼の腕がゆっくりと真琴の背中を抱き寄せ、温もりを伝えた。
真琴は肩に顎をそっと乗せ、甘えた声で小さく息を吐く。
「……おひつくまへ(落ち着くまで)」
「…ありがとう」
晴臣は優しく告げると、真琴もほんの少し甘えた声で返した。
しかし真琴は、彼には見えない表情をしていた。
瞳は瞬きをせず、真顔のまま晴臣の背後の少女をずっと見つめ続けているのだった。
そして真琴は晴臣に抱きついたまま、指先をそっと空中に滑らせた。
まるで見えないペンで文字を書くように、軽やかに線を描いていく。
すると、少女の目の前に淡く光る文字が浮かび上がった。
「覚えとけよガキ」
その冷たくも凶暴な言葉が、宙に浮かんだままじっと輝きを放つ。
少女はその文字を見つめるや否や、恐怖に震え上がった。
目の焦点が合わなくなり、膝から力が抜けてその場にぐったりと倒れ込んだ。
──気絶。
静寂が戻る。
晴臣は驚きに声を上げかけたが、真琴が静かに制すように抱きつく力を強めた。