汐見市生活課!   作:ケン3ヴァルデン

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恐怖!

 

 

「お、おいおいおい! ストップ、ストップ!!」

 

 晴臣は慌てて少女の腕を掴み、真琴から引きはがした。

 小柄な身体をひょいと持ち上げるようにして距離を取る。

 

 晴臣が振り返ると、そこには少女の首根っこを掴んだまま――空を掴むように腕を宙で止めた真琴の姿があった。

 

 鮮やかな赤が鼻先から一筋、ぽたぽたと滴る。

 それが白い胸元に落ち、花のような染みを広げていく。

 その顔は笑ってもいなければ怒ってもいない。

 ただ、目の下がぴくり、ぴくりと不規則に震えている。

 

「……」

 

 虹色に揺れる瞳が、ほんのわずかに細まった。

 晴臣の背筋に、冷たいものが走った。

 

「ぬがーっ! 放せぇ!」

 

 少女が暴れ、後頭部を勢いよく振り上げた。

 

「――ぐっ!」

 

 鈍い衝撃が晴臣の顎を直撃し、視界が一瞬白くはじける。

 その隙に少女は腕をすり抜け、床を蹴って走り出した。

 

 目指すは居間のドア――その向こうは玄関。

 逃げ道まで、あと数歩。

 

 その瞬間、背後から何かが閃いた。

 ヒュッと耳元をかすめる風切り音、直後、ドア板に突き立つ細い金属音。

 ――ペン。

 少女のこめかみを擦り、木の奥深くまで突き刺さっている。

 

 思わず足が止まった。

 その背後から、すっと腕が伸びる。

 白い指がペンを握り、軋むような音を立てながら引き抜こうとしていた。

 

 振り向くと、そこにいたのは――真琴だった。

 怒りも、喜びすらもない。

 ただ真顔のまま、鼻先から垂れる赤い筋が顎を伝い落ちていく。

 

突き刺さったままのペンに、真琴の白い指がそっとかかる。

 

その動きはゆっくりで、力みも焦りも感じられない。

 

――キィ、と芯が木を擦る音がして、少女の背筋に冷たいものが走る。

 

「……っ」

 

膝が勝手に折れ、少女はその場にへたり込んだ。

 

視線を上げれば、鼻血を流しながら無表情の真琴が見下ろしている。

瞳は虹色に揺れながらも、そこには怒りも喜びもなく、ただ底知れぬ空虚だけがあった。

 

少女の前に、ふらりと晴臣が割って入った。

片手で少女を庇い、もう片方の手を真琴へ向けて制する。

 

「……まこっ……ん、も……やめ、ろ……」

 

先程の衝撃で舌を噛んだらしく、晴臣の言葉は妙にしたっ足らずだ。

しかしその声音は弱々しくも真っ直ぐで、鼻血を垂らしたまま立ち尽くす真琴の腕を、そっと押し留めようとしていた。

 

真琴の手元で、引き抜かれかけたペンがわずかに軋む音を立てた。

 

真琴は、ふっと表情を変えた。

先ほどまでの無機質な真顔が、まるでスイッチを切り替えたように柔らかな笑顔へと変わる。

 

「……驚いた? そんな酷いこと、しないよ」

 

軽い調子でそう言いながら、鼻を押さえて後ろへ半歩下がる。

指の隙間から赤が滲み、ぽた、と床に落ちた。

 

「まこっ……だいじょぶか?」

 

晴臣のしたっ足らずな声が、心配そうに響く。

 

真琴は鼻を押さえたまま、少し困ったように笑って首を傾げる。

 

「慰めて欲しいかも」

 

そう言うや、ふわりと一歩踏み出し、晴臣の胸に抱きついた。

彼の肩口に頬を寄せると、甘えるように息を落とす。

 

晴臣は一瞬驚いたが、真琴の甘えるような態度に抗えず、されるがままになる。

彼の腕がゆっくりと真琴の背中を抱き寄せ、温もりを伝えた。

 

真琴は肩に顎をそっと乗せ、甘えた声で小さく息を吐く。

 

「……おひつくまへ(落ち着くまで)」

「…ありがとう」

 

晴臣は優しく告げると、真琴もほんの少し甘えた声で返した。

 

しかし真琴は、彼には見えない表情をしていた。

 

瞳は瞬きをせず、真顔のまま晴臣の背後の少女をずっと見つめ続けているのだった。

そして真琴は晴臣に抱きついたまま、指先をそっと空中に滑らせた。

まるで見えないペンで文字を書くように、軽やかに線を描いていく。

 

すると、少女の目の前に淡く光る文字が浮かび上がった。

 

「覚えとけよガキ」

 

その冷たくも凶暴な言葉が、宙に浮かんだままじっと輝きを放つ。

 

少女はその文字を見つめるや否や、恐怖に震え上がった。

目の焦点が合わなくなり、膝から力が抜けてその場にぐったりと倒れ込んだ。

 

──気絶。

 

静寂が戻る。

 

晴臣は驚きに声を上げかけたが、真琴が静かに制すように抱きつく力を強めた。

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