サガイと名乗った男は、にこにこと穏やかな笑みを崩さぬまま、まっすぐ晴臣へ歩み寄ってくる。
その足取りはゆったりしているのに、距離が縮まる速度だけが異様に速く感じられた。
晴臣は反射的に半身を引き、両腕を軽く上げて構える。
「ご用件はなんですか?」
しかしサガイはまったく怯む様子もなく、むしろ嬉しそうに声を弾ませた。
「ああ、そう警戒しないで。ぼくはただ、君に“会いたかった”だけなんだ。できれば――握手と、許されるならハグも。とても、嬉しい」
「きんも!オカマと一緒かよ!」
シイコに自然と罵倒されたも姫野も引きつった顔で低く呟く。
「ハルくん、いつのまにこんなの引っ掛けたの?」
だが晴臣はそんな二人の声を気にも留めず、サガイを注視したまま微動だにしない。
サガイの瞳に映る自分が、妙に深く、底が見えない。
こうしてほぼ睨んでいるというのにサガイの笑顔は揺らがない。むしろ温度を増したように見える。
「“何者か”なんて、そんな難しい話じゃないよ。ただ、君という存在に感謝を」
その一言に、明確な気味の悪さが走る。
シイコは晴臣の背中に張りつきながら、震え混じりの声をもらした。
「アホ、なんでこんな危機感ねぇのよ」
だが晴臣は逃げも剣呑な動きもせず、ただ冷静にサガイの手元と足運びを読み続ける。
サガイの異様なテンションと平熱の視線が噛み合わず、危険の輪郭だけが濃くなっていく。
サガイはさらに一歩近付いた。
「晴臣くん。君に触れることは、ぼくの願いなんだ。拒まれるのは、ちょっと悲しいよ」
その声音が、初めてほんの少し“感情”を帯びた。
それが喜びなのか怒りなのか、判断できない淡さだった。
「…握手だけです。」
「もちろん。ぼくはね、ずっと君と“触れ合いたかった”んだ」
その言い方が、どこか体温のない声で言われた気がして、シイコも姫野も同時に眉をひそめて身構えた。
だが晴臣は覚悟を決めると、静かに手を差し出した。
サガイは心底嬉しそうに目を細め、その手を包み込むように握った――瞬間。
バチィッ!
「――ッ!!」
鋭い電撃が腕を駆け上がり、背骨を通って体の芯を焼く。
晴臣は堪えきれず膝を折りかけたが、なんとか踏みとどまりつつ、必死にサガイの手を振りほどこうとする。
だがサガイは離さない。
むしろ握る指先に力をこめ、反対の手で自分の膝をパシッと叩いた。
「あはっ、あははっ」
それはまるで、いたずらが完璧に決まってテンションが上がった子供の笑い方。
目を細め、肩を揺らして本当に楽しそうに笑う。
晴臣は歯を食いしばりながら後ろへ下がろうとするが、サガイの握力は人間離れしていて振りほどけない。
「ねえ晴臣くん、すっごく面白いね! やっぱり“君の中”は特別だよ!」
「……離せ……ッ!」
サガイの笑顔が、ようやく「ただの気さくな男ではない」ことを明確に示し始めていた。
背後でシイコと姫野が同時に動こうとするが、サガイが晴臣の手を握ったまま軽く首だけ振ると、空気が一瞬ひやりと凍りつく。
ただの握手のはずだった。
だが、これは――明らかに“狙って触れた”接触。
サガイは無邪気さすら感じる笑顔のまま、手のひらに装着された“簡易スタンガン”のような器具を得意げに見せつけた。
「ほら、これ。握手のときに使うんでしょ? ここに来たときに見たよ。」
その言葉に、晴臣・姫野・シイコの三人は一瞬、同じ顔になった。
――なに言ってんだコイツ、という顔。
姫野が眉を吊り上げ、怪訝を通り越して呆れに変わった声で問いただす。
「いやアンタ、それドッキリ番組でしょ。一般的な“あいさつ”じゃないからね? ていうかなんで初対面の人間に使ってんのよ!」
晴臣はまだ痺れ残る腕を押さえながら、ふらつく足で体勢を立て直す。
「……サガイさん。ここはテレビの現場じゃありません。普通、握手に電撃は使いません。というか犯罪です」
しかしサガイは本当に心底不思議そうに首をかしげる。
「え? 違うの? ほら、初対面の人と握手して、ビリッてやってみんなで笑ってたじゃないか。面白かったよ? この街の文化だと思ってたんだけど」
その純粋さとも無知ともつかない態度が、逆にじわじわと恐怖を呼び起こす。
シイコは晴臣の背中から半身だけ顔を出し、引きつった笑顔でぼそりとつぶやく。
「……いるんだね、本物のバカって……」
姫野は「わかる」と小さく頷きつつ、サガイへと鋭い目を向けた。
「……で? アンタ、なんの用でハルくんに近付いてきたの。遊びで電撃握手かまして帰る気だったなら、今すぐ帰りなさい。大人としてアウトだから」
するとサガイは「おっと」とばかりに肩をすくめ、急に真面目な顔つきになる。
「もちろん用があるよ。晴臣くんに、ずっと会いたかったんだ。君について知りたいことが山ほどある。いや、もしかすると“確かめたい”と言ったほうが正しいかな?」
先ほどまでの無邪気さは嘘のように消え、その目だけがじわりと深さを増す。
しかし次の瞬間、サガイは興奮したように両手を胸の前で握りしめる。
「──ぼく、すっごく嬉しいんだよ」
晴臣は眉をひそめる。
「……何がだ?」
サガイは一歩近づき、目を輝かせた。
「だって、ぼくの“神様”がね……君を見初めたんだ。いやあ、本当に光栄だよ。そんな晴臣くんに直接こうして会えて……最ッ高だ!」
姫野が低く呟く。
「……アンタ、何を言ってんの?」
しかしサガイは姫野の声など耳に入っていない。
ただ晴臣だけを見つめ、底抜けの笑顔で続けた。
「ねえ晴臣くん。ぼくと君が会うのは、きっと神様の采配なんだよ。
ああ……やっと会えた。やっと、だ」
サガイの声には喜びと、常識から逸脱した狂信が同時に混ざっていた。
シイコは晴臣の背中に隠れながら戦慄する。
「…ゲロやば」
晴臣も姫野も言葉が出ない。
ただサガイだけが──
“神の意志”とやらを信じ、心の底から祝福する者のように笑っていた。