食後の団欒が一段落した頃。
咲が立ち上がり、テーブルにあったコップの水を飲み干すと、ふと晴臣の方を見た。
「ちょっと、二人で外行こっか」
何気ない軽い口調だったが、食卓にいた課長の肩がビクリと跳ねる。
「……ッ!?おい、咲!?ま、待て待て待て待て、父さんも……!」
咲は無言で手を上げ、父の言葉を無慈悲に遮る。
「いいから、父さんは……そこで黙ってて」
咲の言葉に、課長は「おおおおぉお……」と、もはや人語でもない呻きを漏らす。
だが、くすくす笑う花子に「ほら、食器片付けて」と言われると素直に従い、泣きながら箸と茶碗を片付け始めた。
晴臣は一瞬だけ、その惨状から目を逸らし……咲の後を追った。
家の裏手にある、小さな庭。
盆栽と灯篭、咲の祖父が置いたという古びた木製のベンチ。
夏の夜風がゆっくりと吹き、虫の声がそこかしこに混じる。
咲はそのベンチに腰掛けると、足を組み、スマホをポケットに仕舞った。
「……でさ、うちの父親さ」
「……はい」
「普段、あたしのこと……どんな風に話してんの?」
晴臣は少し戸惑った。
不意に問いかけられたその内容は、妙に率直で、どこか咲の中の“素”を垣間見るようだった。晴臣はそっと視線を逸らしながら、記憶をたどる。
「……ええと、ですね……」
(課長……いつも、娘さんの話になると急に声のトーンが柔らかくなるんだよな『うちの咲は頭が悪いけど顔は可愛い』とか、『この前プリン作ってくれてな、それがまた焦げてたけど最高だったんだ』とか……)
「……いつも、他愛もない話ばかりですよ」
咲が晴臣を見る。彼は少し微笑んで続けた。
「“可愛い”とか、“元気があっていい”とか、“今日も咲は咲だ”とか……」
「……はぁ?」
咲が噛みつくように眉をひそめる。だがそれは怒りというより、照れ隠しのようだった。
「なにそれ……ただの親バカじゃん」
「ええ。間違いなく、親バカです」
「…………っは、だっさ……」
咲はそう言って鼻で笑ったが、どこかその顔は緩んでいた。
目元には、うっすらとした笑み――クールな白ギャルの殻から、少しだけ柔らかな「娘」が覗いていた。
「……ふーん。ま、別に嫌じゃないけど」
「そうですか」
「ま、ちょっと……嬉しいかも?」
その一言に、晴臣は少し目を見開く。
咲はそのまま、視線を夜空へ投げた。
庭の隅で鳴くコオロギの声だけが、二人の間に響いていた。
そんな中で咲はおもむろに、雑誌を差し出す。
咲が取り出した一冊の雑誌は、思ったよりもカラフルで、ポップな誌面構成だった。
晴臣は眉をひそめつつ受け取ると、咲が貼った付箋を開く。
《特集:海辺の街の注目カフェ店主!
“インフルエンサー男の娘店長”姫野ルイの魅力とは?》
「あの……咲さん。これ……カフェの特集……?」
「そう」
晴臣が困惑したように目を細めると、咲は思いのほか真剣なトーンでうなずいた。
「……見た目に騙されないで。内容、ちゃんと読んで?」
誌面には姫野のインタビューがあり、オシャレなカフェの外観写真や、映えるスイーツの数々、そして姫野自身がドアップで写っていた。
「“男の娘”と“海沿いカフェ”のギャップが話題」
「SNSフォロワー5万人」
「“一番好きな時間は、常連のお客さんとお喋りしてる時”」
そんな文字が踊る中、晴臣はとある一文で手を止めた。
「最近、恋してるんですよ」
「すっごく優しくて、何考えてるかわかんなくて、でも時々変なことしてて……」
「なんか、真面目そうに見えて、めちゃくちゃぶっ飛んでて……超タイプです♡」
咲が、じっと晴臣の顔を見つめていた。
「……それ、絶対、あんたのことだと思った」
「…………」
「だってさ……これ、父親がよく職場で話してる“変な部下”の特徴と、ほぼ一致してんのよ」
晴臣がうっすら頬を引きつらせる。
「いや、その、“変な”って、課長そんな風に……」
「うん、“頭のおかしい奴”って言ってた」
「うわ……」
咲はそのまま勢いを緩めず、晴臣の目を見据える。
「でも、あたし、この記事見てさ。ちょっと感動しちゃった」
「感動?」
「うん。恋してるって言葉、すごくまっすぐだったし、“変な人”に惹かれてるのが、わかる気がして」
「…………」
「だから、あたしも会ってみたいなって思ったの。あんたと話してみたいなって。それに姫野さんにも」
そこまで言うと、咲はやや照れくさそうに小さく笑った。
「……まあ、ちょっとミーハーっぽいけど、ほんとに、ちゃんと会いたいと思ってるんだ」
晴臣は雑誌を閉じながら、どこか戸惑ったような、それでいて悪くないような、不思議な気持ちで咲を見つめ返した。
「姫野は……気まぐれですけど、話せば、きっと会ってくれると思いますよ」
咲の表情がぱっと明るくなる。
「マジ!?やったー!ありがとっ!」
その瞬間だけ、咲の“白ギャルのテンション”が完全復活した。
そして晴臣は――「恋?誰に?そんな女の人見た事ないけど」と相変わらず暢気に考えていた。