「……『この枕を使うと、他人と同じ夢を見ることができる』、と」
生活課の執務室で、晴臣が眉間に皺を寄せながら一枚の紙を見つめていた。
それは市民から寄せられた情報提供書──生活課では珍しくない「不思議系の噂通報」である。
「購入場所は……『汐見市内のとある雑貨屋』? 通販不可、流通経路不明……。夢の内容が共通していた例が複数ある……と」
手元の書類には、いくつかの例が並んでいる。
・同じ日に枕を購入したカップルが、全く同じ“街”の夢を見た。
・ネット掲示板で報告された夢の内容に一致が多数確認される。
・夢の中で出会った見知らぬ人と、現実の喫茶店で鉢合わせ、互いを「夢で会った」と認識した。
「怪異か、仕掛けか……あるいはただの偶然か……?」
思わず呟いた晴臣の横で──
「それ、気になる?晴臣くんも、誰かと夢で逢ってみたいのかい?」
机に肘をつきながら、虹川真琴が口元を隠して笑っていた。その表情はいつものように妖しく、意味深で、そしてどこか無邪気だった。
「……いや、そういう話ではなくてですね。これは市民の安全に関わるかもしれない問題です。共有夢が広がれば精神汚染も……」
「ふぅん……」
真琴はにっこりと笑う。
「でも“同じ夢を見る”って、ちょっとロマンチックじゃない? そういうの」
「……真琴くんがそういうことを言うと、余計に警戒すべきだと感じるんですが」
「まあまあぁ。どうせなら、晴臣くんも一緒に試してみる? 夢の中で、ふたりっきり」
「絶対に嫌です。夢でまで気を抜けないのはごめんです」
苦々しく言い返す晴臣に、真琴は楽しそうにまたくすくすと笑う。
晴臣は真琴を無視して回収された枕を取り出す。そひてビニール袋越しに、怪訝な表情でそれを見つめていた。
「それで、これが問題の“枕”ですが…別に、なんの変哲もない。ただの、ちょっといい枕にしか見えませんが」
やや警戒しながらも、触れてふむふむと手触りを確認する。そして晴臣はおもむろに袋の口を開け、手を差し入れる。
指先がふわりとしたファブリックに触れた瞬間──
パタリ。
呆気なく、力が抜けるようにその場に倒れ込んだ晴臣。横で座っていた真琴が、反射的に身を乗り出す。
「……え!?晴臣くん!!」
肩を揺さぶる。脈拍、呼吸、瞳孔……反応なし。しかし。
「ね、寝てる……?」
頬に触れてみれば、柔らかな寝息。
ぐっすりと、まるで何年も疲れがたまっていた人間のように。
「……うっわ、マジで?」
真琴はあからさまに呆れた顔で、枕と晴臣を見比べる。
「普通の人間は、“そうやってそこ”には入れないんだけどなぁ……」
呟く声には、困惑と──ほんの少しの不安が混じっていた。
「まったく。ほんと、どこまで私を魅了してくるんだよ。晴臣くん」
小さくため息をつきながらも、真琴は指先で寝ている晴臣の髪を撫でる。その目には、晴臣の中に何かを見たような、そんな光が揺れていた。
* * *
──夜か、夕方か、あるいは概念の果てか。
晴臣が目を開けたそこは、どこかぼんやりとした紫がかった空の下。
歪んだ建物、空中に浮かぶ街路灯、うねるような地面。生きているかのような店構えが連なり、角という角に怪異の姿が見える。
蛇の首を七つも持った巨人。
水でできた女性の形をした者。
体がねじれたまま笑い続ける仮面の影。
触手と羽根が入り混じった、名状しがたい“住民”たち。
そしてなにより奇妙だったのは、そのどれもが──楽しげに生活していた。
出店が並び、取引が行われ、三本腕のバイオリン弾きが通りを賑やかにしている。
人間の姿もちらほらとあり、怯えている様子はない。どうやら招かれた“客人”として歓待されているようだった。
「……なるほど、これが“同じ夢を見る”というやつですか」
街の入り口で目をこすりながら立ち上がった晴臣は、自分の腕や足、胸元に触れる。
傷もなし、服もそのまま。何かが“変わっている”感覚もない。
「……普通の夢とは、やはり違う」
彼は何の警戒もなく、すたすたと街へ入っていった。
──その瞬間。
通りを歩いていた怪異たちが、ぴたりと動きを止めた。
バイオリンが止まり、八眼の老婆が声を詰まらせ、影のような生き物が一斉に顔を上げる。
そして次の瞬間──
「……変態だ!!!」
叫びが街中に木霊した。
「ひっ、あいつだ!あの“恐れを知らない”男だ!!」
「見た目だけ人間の、“人間じゃないやつ”!!」
「いつもこっちの世界に興味津々でヘンな質問ばっかり──!」
「“お気に入り”だ!やべえやつだ!!」
「近づいてくる!!逃げろ!!」
阿鼻叫喚の大パニック。
叫びながら、ありとあらゆる異形が晴臣を避けて逃げていく。
壁をよじ登るやつ、霧になって溶けるやつ、ポータルを開いて逃げるやつ。
取り残された晴臣がぽつんと一人、商店街の中央に立ち尽くしていた。
「……いや、失礼では?」
心底困ったように眉を下げる晴臣。
「私はただ、調査のために……あの、迷惑はかけないつもりなんですが」
返答なし。誰も近づかない。
ただ、どこかの高所から誰かがこちらを眺めているような──そんな、妙な気配があった。