冬の汐見市は容赦がない。
冷たい海風が街を吹き抜け、軒並み屋根に雪が積もり、地面はガチガチに凍っている。
生活課の業務に市民宅や要請がある施設の雪かきが含まれているという事実から晴臣は目を背けたかった。
「今年は雪かき出動多いな…怪異よりマシか」
そうぼやきながら、晴臣はスコップを肩に担いで、人気のない海沿いの坂道を黙々と雪かきしていた。
海が見える絶景ポイントでもあるが、冬の観光客などいない。
ようやく作業を終え、息を吐くと白く曇った。
手袋の中の指先はもう感覚がない。帰ったら風呂だ、即風呂。
……と、思った矢先だった。
坂道の端、ちょうど防波堤の影になっている場所に、何かが蹲っていた。
人影。いや――何かが震えている。
「おい、大丈夫か!?」
駆け寄ると、相手もこちらを見上げた。
その顔は――魚だった。
うろこに覆われた両頬、ぬらりと濡れた目玉、ヒレのような耳、ぴくぴく動くエラ。
――魚人(ぎょじん)だった。
「ぎょ!?」
「ぎょ!?」
お互い、見事なシンクロで目を見開いた。
そのまま数秒、凍った空気の中で静止する二人。
「だ、大丈夫ですか?寒さで死にそうな顔してますけど……」
晴臣が恐る恐る尋ねると、魚人は震える体で小さくうなずいた。
「さむい、さむすぎて死にそう……ぎょ」
「いや、なんでそんなとこで凍えてるんですか!魚なんだから、海に戻れば……」
晴臣が当然のようにそう言うと、魚人の表情がみるみる怒りに染まった。
「固定概念ぎょ!!」
「へっ?」
「俺たち魚人が全員、海にしかいられないと思ってるのか!?それは偏見ぎょ!共生ぎょ! 多様性の時代ぎょ!!」
突然の社会的メッセージ。
思わず晴臣は姿勢を正した。
「えっ、は?す、すみません。なんか今すごく叱られた気がする……」
「人間だって全員が陸上生活得意なわけじゃないぎょ! 俺たち魚人だって、冬はストーブが恋しいぎょ! ついでにWi-Fiも!」
「急に要求が高い!?」
震える魚人は、冷えた体でスマホを取り出し、ぽちぽちとSNSらしき画面を開く。
「#魚人にも人権を #ヒレが寒さに弱い件について #生活課はもっと毛布を」
「ちょっと待て!?」
「毛布とストーブとおでん、あとネットがあれば、たぶん春まで我慢できるぎょ……」
晴臣はため息をつき、雪かき用のスコップを横に置いた。
「……とりあえず、俺のコート貸しますから、生活課まで。事情は上司に説明します。ヒレが寒いのは……想定外ですけど」
「人間、理解ある……感謝ぎょ……!」
こうして一人と一匹(?)の奇妙な関係は、雪とともに始まった。
* * *
生活課の庁舎は、冬でも変わらずぬるくて騒がしい。
雪かきの業務後に魚人を庁舎まで連れてきた晴臣は、課長の机の前で直立していた。
隣ではコートを借りた魚人が、ヒレをストーブに向けてぬくぬくと暖を取っている。
「課長、この方は、路上で凍えていたところを保護しました。種族を問わず、市民の生命の保護は我々生活課の義務だと考えます」
晴臣はいつも通り真面目に言った。
「ふむ……まあ、その通りだな」
課長は椅子にもたれたまま、あくび混じりに返事をする。
その横では、カップ麺の湯が冷めていく音がしていた。
「要求通りおでんでも出してやれ。寒がってるならそれが一番だろ」
「はい、本人もおでんを希望してました。人間の食文化に関心があるようで」
すると、課長が小さく、しかし確実に聞こえる声でつぶやいた。
「魚人がおでん……出汁になるつもりか……?」
――その瞬間、ストーブ前にいた魚人の肩が、ビクッと跳ねた。
「聞こえてんだけど!?」
反応早ッ!と内心ツッコミながらも、晴臣は魚人の目線の先にいる課長に目を向ける。
魚人は、うろこ顔を怒りで真っ赤にし、スマホを取り出すとものすごい速さで画面をスクロールした。
「今の、完全にアウト発言ぎょ! #魚人差別 #おでんじゃなくて人権よこせ #生活課炎上案件 #魚出汁ネタは昭和!」
「なんだそのタグラッシュ!?」
「こっちは真剣に生きてるぎょ! 寒さでヒレちぎれそうだったんだからな!」
課長は眉をひそめながら、ようやく椅子から体を起こす。
「いや、違うんだよ。これはその、ジョークというか……」
「ユーモアに見せかけた構造的差別! #笑えない #それ今どきアウト!」
「言葉狩りじゃねえか!?」
晴臣は、こめかみに手を当てて頭を抱えた。
「課長……相手、ネット世代です。下手すりゃ“魚人の権利活動家”ってタグ付けてSNSで拡散されます」
「俺がバズってどうすんだよ……」
すっかり言葉を失った課長の横で、魚人は再びスマホをいじりながらひとこと。
「まあ、謝ってくれるなら許すぎょ。俺、寛容だから」
「なんか逆に申し訳なくなってきたな……」
「じゃあ、代わりにフリーWi-Fi設置で和解ってことで」
「急に態度デカくなった」
生活課、今日も平和である。