冬の午後、冷たい潮風に押されるようにして、虹川真琴は立っていた。
目の前にあるのは、白壁に青い窓枠の目立つ建物――Cafe Lune(カフェ・リュンヌ)。
汐見市では知らぬ者のない、オシャレで居心地の良い人気店である。
ガラン――
ベルの音が響いた瞬間、店内にいた客たちが一瞬だけ静まり、次の瞬間にはまた温かな談笑とカップの触れ合う音が戻った。
店の奥でコーヒーを淹れていた姫野ルイが、その音に振り向く。
「いらっしゃ…来るとは思わなかったわ」
明るい声から店内に入った者の正体を見るとやや低いトーンで言いながらも、その顔には微笑みが浮かんでいる。
しかしその笑みの裏側には、明らかな探りと警戒が滲んでいた。
「……暖かそうだったから、入ってみただけ」
真琴はコートの襟に指をかけたまま、店内を見渡した。
照明は柔らかく、天井から吊るされたランプが波のようにゆらゆらと揺れている。客たちの会話の中に、時折笑い声が混じっていた。
「そう。……あんたが、暖を取るために人間の店に入るなんて、珍しいわね」
「あなたの顔が見たくて来た……って言えば、喜ぶ?」
「逆に警戒するわね」
ピシッ、と火花のような空気が交錯する。
ふたりの間に漂うのは、決して火花を散らすほど激しくはないが、温度の低い静かな敵意。
ただしそれは、どこかで興味と好奇心を孕んだ、少女たちの“余裕”を伴っていた。
姫野はひとつまばたきをしてから、淡々とした声で問う。
「一応、確認しておくけど――あなた、“客”として来たの?」
その問いに、真琴は少しだけ目を丸くして、ほんの一瞬、考える素振りを見せる。
「……ふふっ。どうかしら。敵情視察、もしくは冷やかし……」
姫野は小さくため息をついた。
「注文があるかどうか、って話なんだけど」
「――あら。それなら」
真琴は一歩前に出て、指を立てて言った。
「カフェモカと、あと。甘くてやたら映えそうなケーキ。……それを、客っぽくお願いするわ」
「はいはい。……“お客様”のご要望、たしかに承りました」
姫野は、小さく笑ってカウンターの奥へと戻る。その背中を見ながら、真琴もまた、どこか満足そうに席に向かった。
この冬の日、戦火は交わされず――ひとまず、コーヒーの香りの中に収まることとなった。
* * *
真琴は店内の片隅、窓際の席で注文を待っていた。
外の風景はぼんやりと白く、ガラスに映る灯りがやさしく揺れている。店内は相変わらず穏やかに賑わい、鼻をくすぐる香ばしい香りと、マグカップの触れ合う音が心地よい。
やがて――
「お待たせ」
トレイにカフェモカをふたつ乗せて、姫野ルイがやってきた。
ここに来るまでの間、常連らしい女子高生グループと化粧品の話をして、年配客に丁寧に微笑み、軽やかに受け答えをしながら、最後に真琴のテーブルに辿り着く。
「カフェモカひとつって言ってたけど」
そう言って、トレイの上のひとつを真琴の前に、もうひとつを自分の前に置く。
そして、当然のように反対側の席に腰を下ろした。
「ちょっとだけ休憩もらったの……あんたと、したくもないお話でもしようかと思って」
姫野はそう言いながら、唇に笑みを乗せた。
けれどそれは牽制のようなもので、柔らかい氷のように滑らかで、すぐに刺さる。
真琴は数秒、カップの湯気を見つめてから――ぽつりと言った。
「……あなた、綺麗よね。髪とか、肌とか。喋り方も、笑い方も。すごく誰かのためって感じらしくて、羨ましいって思うの」
姫野の眉が、一瞬だけ動いた。
「……なに? 病気? 風邪でもひいた?」
「違うわ。ただ、私もそうなりたいと思ってるだけ」
真琴の声には、どこか素直な響きがあった。
冗談ではなく、皮肉でもなく。真剣な“学習”の姿勢で。
人間の形を模して、人間の感情を知り、人間の言葉を学びながら――彼女は「それっぽく」なろうとしていた。
「今、私は“人間らしく”振る舞ってるつもりなの」
姫野は息をつき、手の中のマグをひとまわししてから、静かに言った。
「……ねえ、アホ邪神」
その声音は、少しだけ低く、穏やかだった。
「あんた言う“人間”って、ハルくんひとりのことだけじゃないのよ」
真琴は、ゆっくりと瞬きをした。
「……そうかしら?」
「そうよ。あんたはハルくんしか見てない。だから、やることなすこと全部、ハルくんの模倣に見えるの」
それは厳しさというよりも、呆れと、少しだけ――寂しさを含んだ言葉だった。
でも、真琴は否定しなかった。ただ、少し肩を竦めるようにして言う。
「だって彼、素敵なんだもの。……参考資料としても、一級品よ?」
「それ、ストーカーが言うやつだからね」
ふたりの間に、カフェモカの湯気が立ちのぼる。
真琴は口元をゆるめた。
「そう思うなら、私が本当に“人間”になったときには、あなたにも褒めてもらいたいわ」
「……あー、ハイハイ、目指すなら勝手に頑張って。応援はしないけど、止めもしない」
姫野は再びため息をついてから、マグカップに口をつけた。
店の窓の外には、ちらちらと雪が降り始めていた。
その中で、2人の影が静かに寄り添っていた。
ねえ、どうしてそんなに余裕そうなのかしら?
さぁ?それよりあんたの注文した映えケーキ、持ってきてくれたわよ?
…これは
ふっ、これぞあたしの力作!「ラブラブハルキュンデストロイ!」
ダサいし、パッションピンクで目が痛いわ
ダサくないし!