隕石の残骸が点在する灰色の荒野。
そこに集うのは、異様な形状をした虫たち。三つの口を持ち、それぞれが微かに異なる音をギチギチと鳴らし合っていた。
まるで、会話をしているかのように――その甲高く、意味不明な音の波が空気を歪ませる。
だが次の瞬間、空気が裂けた。
斬撃――鋭利で、正確無比な一閃が空を舞い、集団を一気に切り裂く。
「――。」
無音のまま踏み込む影。その中心に立つのは、鋭い眼差しの女――カミエ。
銀に煌めく刀を片手に、一閃。
次の瞬間、虫たちはまとめて真横に両断されていた。
空を裂くような鋭い音がいくつも重なり、断末魔すら発する暇もなく、あらゆる方向から襲い来る剣閃により――全てが、止まった。
やがて残るは静寂のみ。
カミエは最後の一閃を終えた姿勢のまま静止し、僅かに呼吸を整えた。
残心――刀の余韻と殺意の波がゆっくりと消えていく。
そのまま彼女は血飛沫を払うように刀を一振りし、すっと鞘へと収めた。
視線を下へ向けると、一匹だけが息を残していた。
両の羽は断ち落とされ、足もすでに砕かれている。
虫はのたうつこともできず、ただわずかに三つの口をピクピクと震わせていた。
――まるで何かを、まだ語ろうとしているかのように。
「……想像以上にしぶといわね」
そう呟くカミエの背後に、黒服の構成員たちがワームホールから次々と姿を現した。
手慣れた様子で散らばり、虫の亡骸を慎重に回収していく。
血液の成分、組織片、口の構造、羽の切断面――すべてが調査対象だった。
そして生かされた一匹は、特殊な拘束装置と気密ケースに封じ込められ、丁重に隔離されていく。
「始めるわよ。ここでこれだけいるってことは、あそこにはもっといるってこと」
カミエは背を向け、構成員達が現れたワームホールへと消えていく。
彼女はすでに次の戦いを見据えていた。
* * *
ミイナの前に、白衣を着た構成員がひとつの透明なケースを差し出した。
中には、カミエに羽も足も断たれ、今にも息絶えそうな虫が――
それでも、3つの口をギチギチと動かし続けている。
ミイナはその虫を見るなり、顔をぐしゃっと歪めて、ベーッと舌を突き出した。
「バーカ!」
両手で顔の横に指を立てて変顔をしながら、虫をあざけるように笑う。
「鬼ババにボッコボコにされたんでしょ? ざまぁみろ〜!」
けらけらと笑いながら、ミイナは容赦なくケースに蹴りを入れた。
しかし、ケースは頑丈に作られておりビクともしない。
その反動でミイナのつま先が跳ね返され、「いったぁ〜〜〜いっ!」と床に座り込んで足を押さえる。
その様子を、虫はギチ……ギチギチ……と、どこか嘲笑うような音で鳴いた。
ミイナはぴたりと動きを止め、そのギチギチ音に眉をひくつかせる。
「……なに? 今笑った? 笑ったよね!?」
ムキーッ!!と叫んだミイナは、ケースを両手でわし掴みにし、そのままブンブンと振り回す。
「笑うなーっ! このバカ虫ーっ!!」
構成員たちは呆れたような、それでいて慣れきったような表情でその光景を見守っていた。
「ほーらほら、お前もここに来るってことは終わりだぞ~。あっちこっち切られて、輪切りにされて──」
ミイナはケースの中の虫を覗き込みながら、まるで幼い妹をいじめる姉のような口ぶりで脅し文句を並べる。
しかし虫は反応しない。静かに、まばたきもなく、ただその黒い複眼を彼女に向け続けている。
「……なに? 怖くて黙っちゃった? それとも、わたしの声、もう聞こえなくなった?」
虫に向かってそう囁くミイナの声には、かすかな期待と寂しさが混じっていた。
その様子を、一枚ガラス越しに数名の構成員たちが観察していた。
「……あの子、あんなにハキハキ喋ってるの、初めて見たよな?」
若い構成員が、手元のメモに鉛筆を走らせながら、ぼそっと漏らす。
「うん。いつもはもっと……眠たそうな感じだった。なんか、別人みたい」
横で書き込みながら頷く別の構成員。
「でも、あれ足ぶつけてたよね? けっこう痛そうだったし……誰か、医療品持ってきてあげて」
もう一人の女性構成員が立ち上がりかけて、ガラス越しに様子を窺いながら呟く。
「見てくるけど……あの子、今かなり集中してる。ヘタに近づいたらこっちが噛まれそう」
「まじでありえるから怖いよな、ミイナ。あいつ、『治療は許可しない』とか言いそうだし」
そんな気の抜けた雑談を交えながらも、彼らの手は止まらない。
ミイナの表情、口調、目線の動き。虫との距離感。虫の微細な反応。──一つ残らず記録されていく。
* * *
なんとか自宅に戻った晴臣はふらつく足取りで寝室へ向かった。
シャツのボタンは半分しか外せておらず、肩のラインに皺が寄っている。
「……今日、休もうかな」
その一言が、体の奥から絞り出した限界のサインだった。
ベッドに倒れ込むと同時に、まぶたが勝手に重くなり、視界の端がじわじわと黒く染まっていく。
意識の糸が緩んでいく、その最後の瞬間、
──ぴしゃっという軽い閃光が、瞼の裏を緑に染めた。
問いかける暇もなく、彼は意識の底へと滑り落ちていった。
水の中に引きずり込まれるような、あるいは掃除機のノズルに吸い込まれるような。
身体の輪郭が千切れて、何かに絡め取られていくような感覚。
それは夢ではなく、しかし現実でもなかった。
晴臣の眠るベッドの下から、
ぬるり、ぬるりと這い上がってくるものがあった。
まるで海底から伸びてきた深海の触手のような、
黒紫色の、ぬめった管が何本も、静かに、だが確実に──
彼の足元、指先、肩先へと、無数の手を伸ばしてくる。
ベッドシーツに染みを作りながら、それは音もなく、彼を捕えようと迫っていた。
──しかし。
空間が、ぱちんと弾けたような気配とともに、再び緑の光が現れた。
まるで蛍の群れが一つに束ねられたような、粒子状の光。
それは触手の目前で旋回し、激しく点滅を繰り返す。
ひとつ、またひとつと光の帯が広がり、触手の間をすり抜けて──
あたかも威嚇する獣のように、触手の先端へ鋭くぶつかっては、彼らを弾き返していく。
どこか電子音にも似た音が混ざり、光は晴臣の周囲を守るように回転を始めた。
緑の軌跡が彼の体を囲む結界のように編まれていく。
それを前にして、触手たちはわずかにたじろぎ、
……だが、引こうとはしない。
明滅する光と、蠢く闇の触手。
ざわ……と空気が逆巻いたような気配がしたかと思うと、
晴臣を取り囲んでいた触手たちが、不意にピタリと動きを止めた。
緑の光は、なおも彼の周囲を旋回していたが、
敵の動きが止まったのを確かめるように、その軌道をゆっくりと緩め──
まるでため息でもついたかのように、緑の粒子が一瞬だけ、淡く光った。
静寂。
その間隙を縫うように、触手たちは音もなく後退しはじめる。
ぬるり、と粘ついた動きでベッドの下へ。
壁の影へ。
床の隙間へと溶けるように消え、
ついには痕跡すら残さず、その場から姿を消していった。
緑の光だけが取り残され、静かに晴臣の上でホバリングを続けていた。
……だが、事態は終わってはいなかった。
今度は少し離れた部屋の隅。
床にうっすらと影が差し、そこから束ねられた触手が音もなく現れる。
先程までの細く絡みつくようなものとは違い、
より太く、密に、「入り口」のように垂れ下がったそれは──
まるで舞台の暖簾のように、中央で静かに開かれていく。
くぐり抜けるように、人影がひとつ現れた。
目に刺さる赤いチェック柄のポロシャツを着たトオル。
整った顔立ちを台無しにする瓶底メガネに、首に巻いた「汐見市LOVE」のタオル。
「ちょっと誰?晴臣たそをきちんと寝かせようと思ったの、に?」
トオルはため息をついて話なすと、晴臣を囲う緑の光に言葉を失う。
緑の光が彼の出現に反応し、わずかに明滅を早める。
しかしそれは警戒というよりも、迷いに近い色だった。
彼は脂汗を流し、慌てつつも晴臣を指で指す。
「じ、邪魔しないから。晴臣たそがそのまま寝るとかわいそうじゃん?だから仰向けにして、タオルケット被せて、ちょと頬擦りして…」
部屋の空気が少しだけ冷たくなった気がした。