驀進王に憧れてトレセン学園に来たダメダメな私が3つの玉座の女主人と称えられるまで   作:八幡悠

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プロローグ
001 おわりとはじまり


 ──94年マイルチャンピオンシップのパドックにて

 

「この2頭の産駒はどう?」  ──サクラバクシンオー号 調教師

「いいですね、ぜひお願いしますよ」  ──ノースフライト号 調教師

 

 


 

 

 

 秋の終わり、暦の上では初冬の頃。

 窓の外では木々の葉が紅く色づき散り始めているなか、二人のウマ娘がテーブルを挟んで座っていた。

 

「──結局、私の乾きを癒やしてくれるウマ娘は現れませんでした」

 

 テールヘアーのウマ娘がそう絞り出すように呟く。

 卓に置かれた湯呑に目を落としながらそう言う彼女の表情に、普段のような快活明朗さはみられない。

 対面に座るカールしたボブヘアのオシャレなウマ娘にとってはそれが何よりも信じられないものだった。

 

「私じゃ、ダメだったの? 私じゃライバルにはなれなかったの?」

「いえ、貴女が不足というわけでは。ただ、マイルとスプリントではやはり距離が違いました」

 

 スワンステークス1400m、0.2秒差。マイルチャンピオンシップ1600m、0.2秒差。

 200mの差で入れ替わる2人の順位は、そのまま短距離と一括にされがちだったスプリントとマイルの違いを表している。

 彼女らの間にある200mという距離は、0.2秒という差は、あまりに大きかった。

 

「貴女と走るのは楽しかった。私たちはライバル、それは今もこの先も変わりません」

 

 このスプリント王者とマイル女王の激闘により、以降スプリントとマイルという区分分けが一般的となる。

 まぎれもなく、彼女らはライバルであった。だが、対等ではなかったのだ。

 

「……でも」

「理由はそれだけではありません」

 

 そういってぬるくなりつつある緑茶を一口すすって続ける。

 

「私は全生徒の範たらんとして走り続けてきました。しかし今やどうでしょうか」

 

 まだ、後を追う者たちの目には光が残っている。まだ、今は。

 だがもうそれも長くはない。

 彼女のレースに関しては明晰な頭脳は、本格化の絶頂期を迎えた自らの走りについて来れるものなどいまのトゥインクルシリーズに存在しないという冷徹な結果を弾き出していた。

 

「それは……」

「私はあまりに勝ちすぎました。このままでは後進のためにならない。ですから次を最後にしようかと」

 

 次、すなわち年末のスプリンターズステークスを最後に引退するつもりだというのだ。

 正直、だましだまししてきましたが脚も限界ですしね、と力なく笑う姿が痛々しい。

 

 二人の間ではまだ手をつけられていない季節外れの桜餅が乾き始めている。

 

「もはや今の私の望みは、いつか私を越えるウマ娘が現れてくれることだけですよ」

 

 その美しかった桜色の瞳には諦観の澱みが色濃く張り付いていた。

 

「……引退する、ってのは後に続くウマ娘のため、なんだよね?」

「ええ。もちろん全力で、アットー的なレコードを最後の愛の鞭として……」

 

 この(ひと)を孤独な王にしてはいけない。

 そうは思っても私には切れる脚はあっても手札はない。少なくとも今は。

 

「その後は? しばらくは後輩の指導もやるんだよね?」

「ええ、それがG1ウマ娘のならいですからね。精一杯務めますとも」

 

 ああ三女神様、どうかお願いします。

 

「じゃあ、私たち2人で育てる、ってのはどう?」

「……2人で?」

 

 何を突然、と相手が端正な眉を片側だけあげるのに構わずまくしたてる。

 

「トレーナーさんも言ってたじゃない、こっちは日本一速いウマ娘だがあっちは日本一切れるウマ娘だ、って。私たちの走りを全部受け継いで、日本一、ううん世界一速くて切れるウマ娘ならきっと──」

 

 どうか、どうか彼女の才を受け継ぐに足る大器とお引き合わせください。

 その娘なら、きっとその乾きを鎮めてくれる。

 

「……なるほど、育てる」

「うん」

「それも貴女と、私とで」

「うん!」

 

 彼女の双眸には、かなり早い春が再び訪れていた。

 

「いいですね、ぜひお願いしますよ」

 

 そして、その願いは聞き届けられた。

 

 

 


 

 

 

 懐かしい、夢を見た。

 

 冬枯れの中山レース場、年に一度の短距離グレード1競争に集まった14名の快速自慢たち。

 その勇姿をひと目見ようとレース場に集まった人々の熱気で12月の半ばだというのに寒さも感じない。

 

 スタンドに詰めかけた人々の目当ては本日の圧倒的1番人気。

 父親の頭にしがみつく私の目当ても同じウマ娘だ。

 かつてテレビ画面越しに見たその比類なきスピードに、幼い私は魅せられていた。

 

 ゲートが開く。向正面のゲートから一斉に飛び出した14名が激しいポジション争いを繰り広げる。

 全力で駆けるウマ娘にとって1200mはあっという間だ。スタートからはや数十秒。日本のみならず米英からも優駿の集まった電撃戦はいよいよ佳境を迎えていた。

 スタンドに地鳴りのような蹄音が近づいてくる。

 400mの標識を超えて最終コーナー、ついに桜色の勝負服が進出を開始した。

 

『サクラバクシンオーがここで先頭に立った! バクシンオーが先頭に立った! バクシンオーが先頭に立った!』

 

 最終コーナーを抜けて中山の短い直線、ただ一人のウマ娘だけがバ群から抜け出し猛然と加速する。

 このシーンはテープが擦り切れるほど見返した。

 

『さあ、これが最後の愛のムチ! これが最後の愛のムチ! 引退レース、バクシンオーが先頭でゴール!』

 

 鳴り物入りの米国ウマ娘は遥か後方、後方から翼を広げ追いすがるウマ娘も2着争いがやっと。

 掲示板に表示された着差は奇しくも今年の三冠ウマ娘のダービーと同じバ身。

 クラシックには怪物がいたが、短距離には王がいたのだ。

 

『サクラバクシンオーこれで引退レースです! これで最後です! 予想通りのレコードの決着、1分6秒9!』

 

 昨年の自らの記録を1秒縮め、前人未到の1分7秒の壁を超え、史上初のG1スプリンターズステークス連覇を成し遂げて短距離の王はトゥインクルシリーズを去った。

 

 大きな歓声が止むことなく続く中山レース場、大きく左手を挙げながら彼女はウイニングランを続ける。

 これは中継の映像の記憶だろうか。このとき私は父親を振り切ってあの人だかりの何処かにいたはずだ。

 

 ウィナーズサークルで歓呼に手を振って応える短距離の絶対王者のもとに、一人の若き栗毛のウマ娘が人垣をくぐり抜けて現れ、高らかに宣言した。

 

「あたしは、バクシンオーさんを超えるウマ娘に、ぜったいなります!」

 

 微笑ましいが無謀極まりない宣言だ。

 当時の私は人混みとレースの余韻と憧れのサクラバクシンオーさんに会えた喜びに酔っておかしくなってしまっていたに違いない。

 そうでなければ小心者の当時の私がこんな大胆なことを言えるはずがない。夢だと言うのに顔から火が吹きそうだ。なんと不躾なことだろうか。

 

 だが寛大なことに、赤い優勝レイをまとったウマ娘は破顔してこう答えてくれた。

 

「ええ、大変結構です。このサクラバクシンオー、いつでもお待ちしておりますよ」

 

 

 

 ────────

 ──────

 ────

 ──

 

 

 枕元の目覚まし時計が鳴り響く寸前にスイッチを切った。

 

 本当に懐かしい夢だ。

 あの日のスプリンターズステークスこそが私の原点。

 あのときは高揚のままに柄にもなくとんでもないことを言ってしまったが。

 

 ここは日本ウマ娘トレーニングセンター学園、通称トレセン学園の美浦寮。

 あの日の憧れを原動力に、努力を重ねてここまでたどり着いた。だがまだ私はスタートラインにすらまだ立っていないのだ。

 

 

 すでにもぬけの殻になった隣のベッドを横目に、ウマ娘の体温で温められた布団の誘惑に抗いベッドから降りる。バクシンオーさんなら二度寝なんてしない。

 

 シーツのシワを伸ばし、掛け布団を折り目正しく畳んで手早くベッドメイクをする。バクシンオーさんなら布団を起きたまま散らかしたりしない。

 

 洗面台に移動して顔を洗い、鏡の前で栗毛のボブヘアーを梳かしてから左耳に王冠をかぶった獅子とハートをあしらった耳飾りをつける。バクシンオーさんなら髪や尻尾に寝癖を残したりしない。

 

 制服のボタンを一つひとつ、確かめるように留める。袖の長さは、スカートのラインは、ポケットに余計なものは入っていないか。バクシンオーさんならだらしない着こなしは絶対しない。

 

 寮の食堂で朝食を取り、食後に歯を磨いて、リップクリームを塗る。肌の乾燥には保湿を欠かさない。指先まで、細部まで、整えてから人前に出る。バクシンオーさんなら身なりをおろそかにしない。

 

 前日に今日の用意を済ませた通学カバンをもう一度確認してから肩にかける。バクシンオーさんなら忘れ物をしたりなんてしない。

 

 廊下を静かに走って寮の玄関に向かい、きちんと磨かれた靴を履いて美浦寮から出る。

 校門前にははたして今日もサクラバクシンオーさんがいらっしゃった。

 

「おはようございます!」

 

 声を張って先にご挨拶、一瞬立ち止まってきっちり10度の会釈をする。バクシンオーさんなら礼儀を欠いたりしない。

 

「ノルデンセミラミスさん、おはようございますッ! 」

 

 こんなグズでダメダメな私の名前を呼んでくださった。それだけで嬉しさに顔が歪みそうになるが、必死に堪える。バクシンオーさんなら朝っぱらから気持ち悪い顔を晒したりしない。

 

 日々の挨拶のおかげもあってサクラバクシンオーさんに名前を覚えていただけるまでになった。

 引退レースの際の不躾な宣言まで覚えておられなかったのは幸いだった。もし初対面のときにあの時の、と声をかけられていたら羞恥のあまり自裁していたことだろう。

 

 喜びのあまりうるさく走り出しそうになる脚を抑えて静かに走って教室へ向かう。バクシンオーさんなら廊下を静かに走るという校則を破ったりしない。

 

 私は私のことは信じられないが、バクシンオーさんのことなら信じることができるのだ。

 

 


 

 

「バクシンオーちゃんおはよう」

「おやフライトさん、おはようございますッ!」

「さっきのセミラミスちゃんが例の超えてくれる娘なんだよね?」

「ええ、そうなのですが……随分見違えましたね。最初は気づかなかったぐらいです」




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