驀進王に憧れてトレセン学園に来たダメダメな私が3つの玉座の女主人と称えられるまで   作:八幡悠

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100 驀進王と輝きのフーちゃん

 美浦寮、サクラバクシンオーの部屋。

 

 1人部屋を使っている彼女の部屋は、2人部屋では相方のベッドと勉強机となっているスペースが簡易応接と本棚になっている。

 

 壁際の本棚には、分厚さも背表紙の色もまちまちな本が並んでいる。

 トレーニング理論、身体操作、メンタルケアといった書籍が並び、読み込まれた跡はあるが、扱いは丁寧だ。

 コルクボードには、走り書きの紙片が無造作に留められている。

 誰かの癖、誰かの伸びどころ、短い注意書き。どれも自分用というよりは教え子のため。

 

 彼女の私室は、普段はあまり表に見せない指導者としての顔をうかがわせる雰囲気だった。

 

 そんな部屋の主は、部屋を訪ねてきたノースフライトと並んでベッドに腰掛けている。

 ラフな格好で肩を寄せ合いタブレット端末の画面を覗き込む姿は、それが日常的な風景であることを伺わせた。

 

 画面の中を左向きに疾走するのは赤地に白襷の勝負服。

 後続を1バ身以上離してゴール板を踏み越えたそのウマ娘は言わずと知れた彼女らの教え子だ。

 

「強くなったね」

「ええ、本当に」

 

 画面は巻き戻ってコーナー出口、詰まっていた先行集団が横に広がったタイミングで内側からバ群を割って突出してくる様子が映し出される。

 

「速さだけじゃない。考えて走ってる」

「明らかに狙ってやっているというのが末恐ろしいですね」

 

 そう口では言いつつも、彼女の頬は笑みの形に釣り上がっている。

 まるで出来上がりつつある料理が待ちきれない子供のように。

 

「ダメだよバクちゃん。まだ“待て”だよ」

「おっと失礼、わかっておりますとも。あの娘はまだ走っている途中。私たちが往けなかった道を、切り拓いてきた道を、そして思いもよらなかった道を」

 

 外ではやらないでよ、と嗜めるフライトに慌てて口元を拭うバクシンオー。

 そう、セミラミスはまだ現役。2人が走れなかったクラシックを獲り、高松宮記念とヴィクトリアマイルを勝ち、今や海外へとはばたこうとしている。

 

「ただ、一つだけ懸念があるとするなら……」

「ええわかりますよ。あの娘が最も得意とするのは私と同じく中山、逆に最も苦手なのは直線の長い府中」

「あれだけ展開に恵まれて、完璧なレースができて、1バ身しか離せなかった。何かが違えば、それこそペースがもっと速ければ」

 

 結果はわからなかった。

 それが彼女らの結論だった。

 

「それにしてもライバルですか。正直、羨ましいですよ」

「あら、私じゃ不満だった?」

 

 いえいえそんなことは、ただ……とお互い少し寂しげに笑いあう。

 それは過ぎたこと、というように彼女は話題を変えた。

 

「ま、安田は出ませんし、淀なら負けはしないでしょうから最短でも当たるのは来年です」

「流石に鬼が笑っちゃうよね。……それより、ねえ、海外だよ」

「……ええ」

 

 2人はどちらともなしに顔を上げて、カレンダーを見つめる。

 出国予定日は着々と迫っていた。

 

「……時代も変わったものですね」

「ついて行ってあげるわけにもいかないもの、ね」

 

 なにせ彼女らの頃はようやく海外ウマ娘の出走が始まるか始まらないかの頃。

 盛んに海外遠征が行われるようになった昨今とはまったく事情が異なる。

 そして指導ウマ娘としての職務がある以上、それを放り出してセミラミスのためだけに現地に向かうわけにはいかなかった。

 

「あの人、ちょっと頼りなさそうだけど大丈夫なの?」

「椿さんはあれでもフランス帰りです。大丈夫ですよ」

 

 他にも教え子がいる2人は同行できず、吉富トレーナーも全期間はついていけない。

 帯同ウマ娘もいない以上、椿トレーナーが頼りだった。

 

「近頃は遠征支援委員会なるものもあるようですし、心配するようなことはありませんよ」

「うん……だよね……」

 

 どうしても不安が拭えないといった様子のフライトに、バクシンオーは話題を変えるように尋ねた。

 

「そういえばレヨネットの様子はどうです? 辛い決断だったと思いますが……」

「うん……。あの子は、強いよ。わかっていても、夢を諦めるってのはなかなかできる決断じゃない」

 

 セミラミスの妹、ノルデンレヨネットは先日行われた日本ダービーを距離不安により回避、姉に続いてクラシック級での制覇を目指して安田記念への参戦を表明していた。

 

「皐月賞の跛行(はこう)での直前回避といい、惜しいレースが続くことといい、どうにも運に恵まれませんね……」

「それでも、腐らず走れてる。判断も間違ってない。ただ……」

 

 フライトが少しだけ言い淀んだ。

 言い方、あるいは言葉を選んでいるのだ。

 

「ただ。走る理由は、まだ軽い」

 

 要するに、問題は脚ではなく心の方だった。

 それでもノルデンレヨネットは、セミラミスを除けばサクラバクシンオーの教え子の中でも指折りの存在だった。

 バクシンオーも思い当たる節があるのか、黙って頷くだけだった。

 だからこそ、問題なのだともいえる。

 

「それともう一つ。気づいてる? 中継に映るところでは表情が違う」

「ええ……ご両親のためかと思いましたが、違うようですし……。と、なると」

「……うん。きっと、勝つ理由が自分の中にない」

 

 彼女が走る理由は、きっと姉に見てもらいたいからだ。それは走り出すには十分だったし、腐らずに続ける理由にもなった。

 けれど、勝つ理由としてはまだ足りない。

 セミラミスもまた、憧れから走り出した。だが彼女は、それを、私が勝つんだ、と昇華させた。

 レヨネットは、まだそこには至っていない。

 

「そのあたり、セミラミスちゃんが気づかせてあげられたら良かったんだけど」

「あの子、意外と不器用ですから」

「むしろ、あえて競技者として線を引いてるような……」

 

 とはいっても、私たちが立ち入るわけにもいかない。

 例え将来の衝突が目に見えていようとも、その機会を奪ってしまう方が、きっと、もっと根深い問題になる。

 2人はどちらともなしにため息をついた。

 ただ見守る、というのも、なかなかどうして難しい。

 

「なにがいけなかったんでしょうね……」

「めぐり合わせ、かな」

 

 誰が悪いというものではなく、年齢差、性格、才能。ただ全部が揃ってしまっただけなのだろう

 それ以上、言葉は続かなかった。

 

 難しい話はこれで終わり、とでも言うようにフライトはそっと身を寄せ、バクシンオーの肩に軽く額を預けた。

 バクシンオーは小さく息をついて、そのまま彼女の腰を軽く抱き寄せる。

 お互いの尻尾が触れて、絡みあう。

 どちらもそれを解こうとはしなかった。




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記念すべき100話はバクフー回。
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