驀進王に憧れてトレセン学園に来たダメダメな私が3つの玉座の女主人と称えられるまで 作:八幡悠
チームハウス、食堂棟、食堂。
こちらに到着して数日、フランスでの生活リズムにも大分慣れてきた。
夕食の時間になっても窓の外にはまだ青空が広がっているというのも、慣れてしまえば乙なものだった。
食事の形式は日本の食堂と同じで、トレイを持っておかずを取るセルフ形式。
違うことといえば、米の飯が詰まった特大炊飯器の代わりに各テーブルに大量のバゲットなりライ麦パンなりが盛られた籠があることぐらいだった。
厨房前でおかずを受け取る。今日のメニューは白身魚のムニエルに夏野菜のラタトゥイユ、コーンポタージュ。
皆が席に着くと、年長者のBon appétitという言葉とともに食事が始まる。
直訳すると『良い食欲を』。意訳するなら『召し上がれ』『さあ食べましょう』あたりだろうか。
私も日本式に「いただきます」と応じて食べ始める。
「(こちらの生活には、もう慣れた?)」
向かいに座ったマルシャンドールが、スープを口に運びながら尋ねた。
「(はい。時差ボケもほぼ抜けました。芝も……思ったよりは扱いやすいです)」
「(思ったより、ね)」
そう、事前に伝え聞いていたほど洋芝はどうしようもない敵ではなかった。
思ったほどは沈まない。だがスピードの出し方が日本の野芝と異なるのもまた実感していた。
そう答えると彼女はわずかに笑う。
口元は笑っているのに、視線はまっすぐこちらを測っている。
「(
「(そうですね、パンがおいしいので食べ過ぎてしまいそうです)」
隣のジュニア級のウマ娘にそう答えると、テーブルから笑いが起こる。
実際、香ばしくて噛むと小麦の風味が広がり、口当たりも軽いのでいくらでも食べられてしまいそうだった。
「(それなら週末は覚悟をすべきね)」
「(どうしてですか?)」
「(クロワッサンが出るもの)」
確かにそれは危険そうだった。
太り気味には注意なさい、などというやりとりにテーブルのあちこちから小さな笑いがこぼれる。
そんな和やかな空気のなか食事を終え、食後のコーヒータイムとなる。
食堂の隅には、日本でいう給茶機のような顔でエスプレッソメーカーが陣取っている。
そこで各々の設定でコーヒーを淹れるのがここの流儀のようだ。
そうして席に戻ると、椅子の脚が床を擦る音がした。
鹿毛のティアラのウマ娘──ゴルディコヴァが立ち上がる。
「(先に失礼するわ)」
それだけ言って踵を返す。声は冷静だったが、皿の触れ合う音がわずかに強い。返却台へ向かう背は、まっすぐで早い。
扉が閉まる。
私はコーヒーを飲む手を止めた。
「(……どうにも避けられている気がします。何か気に障るようなことをしたでしょうか)」
マルシャンドールさんはすぐには答えない。
カップに口をつけ、視線を私に戻す。
「(彼女、今週末
それでナーバスになっているのか。
だけど、雰囲気はナーバスというよりは私を避けているように思える。
「(……あなたが
ああ、確かに勝ったし初日にそんな話もしたが。それがなんだというのだろうか。
「(ゴルディコヴァは今年の
なるほど、と心の中で呟く。
クラシックの敗北。そして次の大舞台。
悪意ではないわ。ただ、今は少し余裕がないの、と彼女は続ける。
その気持ちはわからないではない。自分自身にも覚えがある。なんにせよ、なにか失礼を働いた、といった風でなくてよかった。
「(お、アタシのかわいい妹分の話か?)」
そう胸をなでおろしていると、奥のテーブルからこちらにずかずかと歩いてくる褐色のウマ娘が1人。
みずからを指導ウマ娘のアナバーと名乗った鹿毛の彼女は、マルシャンドールさんによれば比較的短い距離の指導を担当しており、今は先ほどのゴルディコヴァについているらしい。
いかにも地中海というかラテンな雰囲気だ。
「(明日、初めての併せの時に改めてご紹介しようと思っていたのですが)」
「(細かいことは気にすんなよ。日本から強いスプリンターが来るって聞いて楽しみにしてたんだ)」
なるほど。聞けば彼女も現役時代はスプリンターだったらしい。
貴女も出走する予定のジュライカップとモーリスドゲスト賞を勝ったのだ、と彼女は胸を張る。
どうにも彼女は薄着なうえに豊満な胸元の谷間が強調されて、目のやり場に困る。
しばらく日本の短距離レースやらについてしゃべった後、アナバーは席を立つ。
「(じゃ、明日からよろしくな!)」
私のところまで回ってきて肩を抱き寄せると、肩に温かいハリのあるものが当たってぐにょんと形を変える。
彼女は私の耳元で、楽しみにしてるわね、と囁いて去っていた。
「(はは、ずいぶん気にいられたな。最近はゴルディにかかりっきりだったのに)」
マルシャンドールさんはそう笑っているが……嫌われるよりはいいとしても、なんとも嫌な予感がする。
そして早速その予感は現実のものとなった。
チームハウス、宿舎棟、談話室。
私はシャワーを浴びて、寝る前に授業免除の代わりの課題を片付けようとノートに向かっていた。
窓の外はまだ薄明るい。六月のフランスは、夜の訪れが遅い。
「(……随分、気に入られたみたいね)」
振り返ると、フランス人形のような端正な顔立ちの金色のティアラを被ったウマ娘、ゴルディコヴァが立っていた。
いつの間に。
「(……そうでしょうか)」
なんとなくラテン系の外人ってあんなもんでは、と思いながら答えると、彼女の眉がわずかに寄る。
「(あの人はね、簡単に褒めたりしないの)」
早口だった。
少し噛み気味に、言葉が続く。
「(短距離のことになると、特に。あなたのレース、何度も見返してた。ラストの伸びがどうとか、踏み込みがどうとか……)」
そこまで言って、彼女は視線を逸らす。
「(だからって、すぐ隣に立てると思わないで)」
言い切ると、ほんのわずかに頬が赤い。
「(そんなつもりはありませんよ)」
私が言うと、彼女はぎゅっと拳を握った。
「(ディアヌ賞のあと、マイルで勝負しなさい!)」
唐突に本題が投げられる。
「(あの人があなたを見るのは構わない。でも、軽い気まぐれじゃないの。あの人は、走りでしか人を選ばない)」
アナバーの名は出さない。けれど誰のことかは明白だった。
「(だから──)」
彼女は一歩、こちらに近づく。
「(奪うつもりなら、走りで奪いなさい)」
その声は強いが、どこか焦れている。
「(あの人の視線を引くなら、それに見合う走りを見せてみなさい。私から、正面から)」
まっすぐな瞳。
一息に言い切ると、踵を返す。
「(……不甲斐ない走りなら、興味なんてすぐ失せるわ)」
最後の一言は、ほとんど独り言のようだった。
足音が遠ざかる。
残された静寂の中、私は息を吐く。
私はノートを閉じ、ゆっくり息を吐いた。
──面白い。