驀進王に憧れてトレセン学園に来たダメダメな私が3つの玉座の女主人と称えられるまで   作:八幡悠

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111 ウマさんぽ(パリ)お洒落なカフェ編

 フランス、パリ、セーヌ川沿いのカフェ。

 

 石畳の上に小さな丸テーブルが並ぶテラス席に、3人のウマ娘が座っていた。

 テーブルの上には白く滑らかな白いチーズ(フロマージュブラン)のチーズケーキと、苺の赤が鮮やかな苺とピスタチオのケーキ(フレジエ)、黒いガトーショコラ(オペラ)

 

 鹿毛のフランス人形のようなウマ娘──ゴルディコヴァは自分の皿をつつきながら、ちらりと隣を見る。

 

「(……そっち、どんな味?)」

 

 そう言った直後、話しかけられた栗毛のミディアムロングヘアのウマ娘──ノルデンセミラミスは何の躊躇もなくフォークを差し出した。

 

「(試しますか)」

 

 あまりに自然な仕草だった。

 ゴルディコヴァは一瞬だけ固まり、耳を揺らす。

 

「(べ、別に……いいけど)」

 

 結局、素直に口を開けた。

 白いケーキが運ばれる。

 舌に乗せた瞬間、彼女の目がわずかに丸くなる。

 

「(……思ったより、好きかも)」

「(でしょう)」

 

 淡々と返すセミラミスの声には、得意げな色はない。ただ事実を述べただけの調子だった。

 そのやり取りを、隣のテーブルから椿とアナバーが見ている。

 視線を交わし、どちらともなく微笑む。

 

「(今よ)」

 

 小声とともに、シャッター音が鳴った。

 写真の中で、ゴルディコヴァはまだフォークをくわえたまま、隣のセミラミスを見上げている。

 セミラミスは気づかないまま、次はどちらを食べるべきかと皿を眺めていた。

 

 

⏰️ ⏰️ ⏰️

 

 

 英国へ発つ前、最後の休養日。

 椿さんが車を出してくれるというので、私たち──引率のアナバーさん椿さん、ゴルディコヴァ、私とマルシャンドールさん──は5人でパリへ向かった。

 

 運転席の椿さんは淡々とハンドルを握っている。

 助手席にはアナバーさん。後部座席に私とゴルディコヴァ、その向こうにマルシャンドールさん。

 並び順は偶然のはずだが、なぜかゴルディコヴァは私の隣を選んだ。

 

「(今日は案内してあげるわ。別に、暇だからだけど)」

 

 窓の外を見ながら言う。声はそっけない。

 

「(助かります)」

 

 素直に返すと、彼女は一瞬だけこちらを見て、すぐにふいと視線を逸らした。

 

 

 パリ市内に入ると空気が変わる。

 かのナポレオン3世による大改造によって形成された日本ではあまり見られない放射状の街並み。

 薄く高い青空のもと、ゲームでは何度となく燃やし、軍靴や履帯で踏みつけ、更地にすらしたこの街に私は初めて現実に降り立った。

 

 

 石畳、テラス席、路肩に並ぶ小さなカフェ。人々の距離が近い。

 内容までは聞き取れないが声が大きい。笑い声が軽い。

 スーツ姿の会社員、サングラスの観光客に本を読む老人や犬を連れた女性。

 平日の昼過ぎだと言うのに、雑多な人々がそれぞれの時間を思い思いに過ごしている。

 

 最初に入ったのはセーヌ川沿いのカフェだった。

 フランス語を話す人間が4人もいるからか、思ったよりスムーズにテラス席に案内される。

 陽射しは柔らかいが、セーヌ川の水面を渡る風はまだ少し冷たい。

 建物の間からはエッフェル塔が見える。建設当初は散々な言われようだったという鉄の貴婦人も、完成から100年以上経った今では風景に溶け込んでいる。

 

 メニューを渡され、私は一通り目を通す。

 さすが本場と言うべきか、ケーキだけでも種類が多い。

 

 ゴルディコヴァが唸る。

 

「(多すぎない?)」

「(では私はこれで)」

 

 私はチーズケーキの欄にあったフロマージュを指差す。

 慣れればフランス語の表記は難しくない。パリっ子の性根よりは随分素直だ。

 耳が良いというのも良いことばかりではない。

 

「(へぇ、そんな地味なの選ぶんだ)」

 

 それに比べればゴルディコヴァのツンケンした態度など可愛らしいものだ。

 少なくとも悪意は感じられない。少しからかいたくもなってしまう。

 

「(大人の味、というやつですよ。お嬢さん)」

 

 そう言うとゴルディコヴァは少しむっとする。

 

「(じゃあ私は甘いのにするもん)」

 

 別れて座った向かいのテーブルではアナバーさんが嬉しそうに微笑んでいる。

 既にガトーショコラ(オペラ)を頼んだマルシャンドールさんは黙ってコーヒーカップに口をつけた。

 

 

 出されたケーキをシェアしあってしばし、ゴルディコヴァが私に唐突に尋ねる。

 

「(あなた、日本ではどうやってウイニングライブの練習してたの?)」

 

 こっちの楽曲もできる講師がいるわけ、と。

 どうやって、と言われても……。

 

「(映像を見てです。何度も)」

「(それだけで、あそこまで?)」

 

 端正な表情を歪めて目を丸くするゴルディコヴァ。その後ろのマルシャンドールも片眉を上げている。

 それ以外にどうしろというのだ。英国短距離を走ったことのあるウマ娘はトレセン学園に片手で数えられるだけしか居ないのに。当然インストラクターなど居るはずがない。

 

「(それしかありませんでしたので)」

 

 そう答えると、彼女は少しだけ笑った。

 

「(変なの)」

 

 その背後で唇に指を当てて、考え込むようにしている芦毛のすだれに半ば隠れたマルシャンドールの横顔がなんとなく印象に残った。

 

 

 食後、マレ地区の石畳を歩く。

 コンコルド広場、ルーブル美術館、ノートルダム大聖堂。

 セーヌ川沿いには名前をよく聞く観光地が立ち並んでいる。

 この先をもう少し行けばバスティーユ監獄の跡地である広場があるはずだった。

 

 

 途中、アナバーさんが立ち止まる。

 

「(写真撮るわよ!)」

 

 椿さんもウマホを構える。

 公式SNS用らしい。

 管理は完全にトレーナーさんに任せていて、私的なアカウントとは完全に分けているので椿さんが運用しているのすら知らなかった。

 

「(もっと寄って!)」

 

 ウマホのインカメラを構えたアナバーさんに言われるままに並ぶ。ゴルディコヴァが肩を寄せる。マルシャンドールさんは半歩引いた位置。

 

 シャッター音。

 

「いいですね」

 

 椿さんはそれだけ言う。

 撮られた写真をその場で見せてもらった。4人の背後に石造りの建物。私の隣で、アナバーさんに肩を抱かれたゴルディコヴァがこちらを見て笑っている。

 

「(いいじゃない)」

 

 アナバーさんが満足げに言う。

 

 その後は小さな雑貨店を覗き、川沿いを歩き、再びカフェに入った。特別なことは何もない。

 

 だが会話は途切れなかった。

 

 ゴルディコヴァは日本のレースやウマ娘の話を聞きたがった。

 私は聞かれるがままに答える。桜花賞、同期でしのぎを削ったダブルティアラウマ娘のこと、ダービーウマ娘のこと、そして──

 

「(……ふぅん、貴女一人で遠征してきた訳じゃないのね)」

「(ええ、その通りです)」

 

 すこししんみりとした空気になってしまう。

 それを割くように、マルシャンドールさんが口を開く。

 

「(6月、本当に間に合うと思う?)」

 

 不意の問い。だが答えは決まっている。

 

「(間に合わせます)」

 

 迷いなく答えると、彼女は目を細めた。

 

 夕方、車に戻る。少しだけ疲労が残る。だが不思議と重くない。

 窓の外を流れるパリの街並みを見ながら、ゴルディコヴァが呟く。

 

「(今日は……悪くなかったわ)」

「(ええ)」

 

 私も頷く。

 

 悪くなかった。

 いや、楽しかった。

 

 走ることとは別の時間。だが無駄ではない。互いの距離がわずかに縮んだ気がした。

 隣でゴルディコヴァが眠そうに目を閉じる。肩が触れるが、振り払おうとは思わない。

 

 前方でハンドルを握る椿さんがミラー越しにこちらを見る。

 

 英国へ向かう前に、私は一つ知った。

 

 勝つために走る。

 だが、その前に──

 

 こういう時間も、悪くない。

 

 いや、楽しかったのだと思う。

 

 

 


 

 

 日本、美浦寮。

 

 夜の2人部屋は驚くほど静かだった。

 

 もう一つのベッドは整えられたまま、主の帰りを待っている。

 窓の外には街灯の淡い光。枕の横に置いたウマホだけが小さく画面を灯していた。

 

 何気なく開いた公式SNS。

 そこに映っていたのは、石畳の街並みと、白いチーズケーキ。それを差し出す姉の横顔だった。

 視線は隣のウマ娘へ向けられている。フォークを受け取るその子は、少し照れたように笑っていた。

 

 指先が止まる。

 

 写真を拡大する。

 

 姉の表情は、レース後に見るものとも、家で見るものとも違っていた。

 柔らかい。どこか、安心している顔。

 

「……そういう顔、するんだ」

 

 呟きは部屋の空気に吸い込まれ、すぐに消えた。

 

 見に来れば、偉大な姉の妹として扱われる。

 だからお姉ちゃんはあたしのレースを見に来ない。それぐらいは分かっている。

 分かっている。

 

 それでも。

 

 ウマホを伏せる。

 画面の光が消えると、部屋はまた静かになった。

 整えられたままの隣のベッドを一度だけ見てから、彼女は天井へと視線を向けた。

 

 ただ、胸の奥が少しだけ、冷えていた。




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