驀進王に憧れてトレセン学園に来たダメダメな私が3つの玉座の女主人と称えられるまで 作:八幡悠
英国アスコット、コンドミニアム、リビングルーム。
この部屋で、私は予定されていた2人と予定外の1人を迎えていた。
予定されていた方はすなわち、本番を目前にしてチームをヤマニンゼファーさんと助っ人できてくれたキングヘイローさんに任せて渡英してきてくださったトレーナーさんと、それを空港まで迎えに行った椿さん。
そして予定外の方は、緑のジャケット、URA海外事業部チーフのスピードシンボリだ。
彼女は差し入れだと言って1つの小箱を差し出している。
黒地に黄色いイナズマ模様の入ったそれは、トレセン学園の購買でも売られている一般的なチョコ菓子だった。箱で買っても1000円かそこらの代物だ。
まず浮かんだのは疑問。シンボリ家のスピードシンボリともあろうものが持ち出してくるにはあまりにも安っぽい代物だからだ。
思わずトレーナーさんの方を確認する。返ってきたのは微笑み、そしてそれを食べて待っていてください、との言葉。
どういうことかと考える前に箱が開けられて、小袋が差し出される。
甘い、匂い。
そのまま私は考えることもなく袋を開け、チョコバーにかじりついた。
「……ああ」
ある種ジャンクな甘味と食感が口に広がる。食べ慣れた味に緊張が解けた様な気がした。
なるほど、高級チョコレートではいけなかった。こんなそのへんで売っている準チョコレートでなければ。
流石は“
「ありがとう、ございます」
礼は言った。だが声はわずかに硬い。
彼女は気づかないふりをして肩をすくめた。
「どういたしまして。海外事業部の人間としては遠征するウマ娘への激励も仕事のうちでね」
名目はあくまでロイヤルアスコットミーティングの視察、としているが、君しか遠征しないのだから一緒だよ、と彼女は言う。
あくまで海外事業部、と肩書きを先に置くのは意図してのことだろう。如才がない。
「視察、ですか」
「半分はね。もう半分は……懐古だと思ってくれていい」
窓の外、白く滲んだ空を一瞥する。
「私が凱旋門に行った頃はこうではなかった……いや、こういってしまうと私も年を食ったな」
苦笑いして続ける。
「情報も、人員も、サポートも、なにもかも足りなかった。遠征するだけで消耗した」
結果は知っての通り、凱旋門では勝負にならなかった。グランプリを3連覇するウマ娘が、だ。
「当時、ジャパンカップの設立案が出たことがある。だが反対された。『海外馬の草刈り場になるだけだ』とね。……まあ、間違ってはいなかっただろう」
自嘲の気配はない。ただ事実を置く声音。
そのジャパンカップで世界に勝った最初のウマ娘が、彼女の後輩である三冠ウマ娘でなかった、というのは皮肉だろうか。
「だから今は、隔世の感がある。海外遠征が“冒険”ではなく“挑戦”になった」
もしかしたらもっと先には、“挑戦”ではなく“計画”に、ローテーションの選択肢の一部となる時代が来るのかもね。そうなったらいいのに、という言外の意をのせて彼女は言った。
私は3袋目のチョコを飲み込む。甘さがまだ舌に残る。
「環境は整っています。あとは芝への適応だけです」
「そうだ。明石椿トレーナーも居るし、近頃は遠征支援委員会なんて便利な組織もあるそうじゃないか。だが──」
一拍。
「──脚を、掬われるなよ」
窓の外を見たまま、彼女は言った。
「肉体も精神も、気付かずとも消耗しているものだ。忘れるなよ、たくさんの人が、君を支えてくれている。応援している。もちろん俺だってその一人だ」
ずるい人だ。
私は答えず、4枚目のチョコの甘味を噛み砕く。
「私は走るだけです」
反射に近い言葉だった。
「うん。それでいい。……今はね」
視線がこちらへ戻る。
「速さというのはある種の真理だ。勝てば話は早いのだから」
一拍。
「だが、勝てば勝つほど、周りは勝手に意味をつける」
「意味など必要ありません」
「必要かどうかは、君が決められることではない」
残念ながら、と彼女は続ける。穏やかだが、曖昧さのない声音だ。
きっと、彼女もまたそうだったのだろう。
キッチンの方から味噌と出汁の良い匂いが漂い始めた。
日本の匂いだ。
「私の頃は、挑んで負けた。それで終わりだった」
そう言いながら彼女はソファから腰を上げる。
「君は違う。勝てると思われている」
それは励ましではない。事実だ。
「……勝ちます」
言い切ると、彼女は小さく息を漏らした。
「そうだな」
軽く肩をすくめる。
その仕草に、ほんのわずか、緊張がほどけた。
「ぜひともそうしてくれ」
そう言い残して彼女は去っていた。
……彼女への土産はコーンパイプとグラサンにしよう。英国で売ってるかは知らないが。
彼女が去ると、部屋に残ったのは味噌の香りだけだった。
一応引き留めはしたが、これ以上お邪魔をする訳にはいかないと固辞されてしまったのだ。
「……できましたよ」
トレーナーが椀を並べる。
味噌汁かと思ったが、たっぷりのにんじんに根菜類と共に豚肉と油が浮いている。
──豚汁だ。
味覚を刺激する芳醇な香りと共に、白い湯気が立ちのぼった。
ガチャリ。
寝室の扉が細く開く。
マルシャンドールさんがドアから顔を覗かせた。
顔色自体は悪くないが、目の下にはクマが出ている。
「(……今の、誰?)」
「(海外事業部の人です。URAの)」
「(貴女、よほど期待されてるのね)」
欧州では遠征なんて普通なのに大袈裟なのね、といった感情だろうか。いや、少々性格が悪いか?
ともかく私は頷いて椀の1つを取り、もう1つをマルシャンドールの前へ押し出した。
「(どうぞ)」
一瞬だけ彼女の顔に迷いが浮かぶ。
「(……いいの?)」
「(ええ)」
「(そちらのサブトレーナーさんにも伝えてありますよ)」
椿さんの言葉に、それなら、とマルシャンドールさんは席についた。
彼女はおそらく嗅いだことのないであろう香りに面食らいつつも、両手で椀を包み一口すする。
「(……あたたかい)」
短い吐息。さっきより深い。
私も椀に口をつけた。
味噌と出汁の香りが湿った空気を押し返す。
英国の水っぽさとは違う、輪郭のある味。
箸を取って具をかき込む。にんじんと根菜の甘みが遅れてやってきた。
椿さんがおにぎりを差し出してくれる。大きな三角に黒々とした海苔。
マルシャンドールさんが目を細める。
「(これ、アニメで見た……本物だ……)」
なるほど、そういう感想になるのか。
そう思いながらかぶりつくと、ぱり、と海苔が鳴る。
「(……塩気、きいてる)」
けれどもう一口。
噛めば噛むほど米の甘みが広がる。
指を舐める仕草は、少しだけ子どもっぽい。
私は黙って食べる。温度が胃に落ちていく。
さっきまで頭の奥に溜まっていた霧が、ゆっくりと薄れていくような気がした。
満たされる。
隣で椀が置かれる音。
「得難い縁をつないでいますね」
豚汁を拵えてくださったトレーナーさんがしみじみという。
どういうことかと視線で尋ねると、わざわざ出発前に税関で没収されかねない物品のリストを渡してくれた人がいたらしい。
トレーナーさんは名前を言わなかったが、良き旅路を、と送り出してくれた小柄な先輩の顔が思い出される。
「それに
短く頷く。
なるほど。皆が応援してくれている、というのはそういうことか。
確かに得難い縁を得たというものだ。
しばし経って。
キッチンにあった寸胴鍋と業務用炊飯器は見事に空っぽとなった。
本格化を迎えたウマ娘2人にかかればこんなものだろう。
ごちそうさまでした、で、お腹がこんなに大きくなりました、というやつだ。
寝て起きたら全部エネルギーに変わってるから心配は要らない。
隣のベッドで同じくボテ腹晒してヘソ天しているマルシャンドールさんもまた幸せそうな吐息を漏らす。
「(貴女のトレーナー、料理もできるのね。辞めても店出せるんじゃないかしら)」
半ばお世辞だろうが彼女もそう手放しで褒める。
確かに、奈瀬トレーナーは京都レース場でコラボカレー売ってるし、トレーナーさんも中山レース場の食堂で豚汁売ってもいいんじゃないだろうか。
そう返すと、えぇ、と呆れたような声音が返ってきた。
「(冗談だったのに、貴女のところはトップトレーナーに何させてるのよ)」
Why Japanese people、と呟くマルシャンドールさん。
なんというか、前から薄々思ってたが日本の文化にずいぶん詳しいな。
もしかして、実は日本語多少わかるのだろうか。
そんなとりとめのないことを思いながら、心地よい睡魔に身を任せて目を閉じる。
今日はもう休もう。
翌日にはキングズスタンドステークスを前にした記者会見が控えている。日本からの報道陣も入ると聞いた。
英国の空気の中で、まずは言葉をでもって示さねばならないのだから。
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感想くれって言ってみるもんだな。評価入れてくれた人も含めてありがとうね。
お礼代わりにオリウマ娘の設定画を更新しときました。
ネタバレがちょっとでも嫌とかイメージが既にある人は避けてください。
活動報告:設定画ギャラリー
某レジェンドがカレー売り出した時は意味がわからなかったが、相談役監修豚汁もだいぶん意味わからん。
こうなったらイン突きおじさんも牛丼とかロールケーキとか売り出せばいいのに。