驀進王に憧れてトレセン学園に来たダメダメな私が3つの玉座の女主人と称えられるまで 作:八幡悠
英国アスコットレース場、メディアルーム。
天井は高く、壁は淡いクリーム色。室内には開催者である王室の紋章が掲げられている。
華やかというより、整然としている空間だった。
光が当てられ、壇上を見上げる報道陣席には静かなざわめきがある。
椅子の脚が床を擦る音、紙を捲る音、シャッターの試し切り。どれも遠慮がちで、誰もが場の格式を壊さぬようにしている。
壇上には長机が一列に並び、出走各ウマ娘の前には名札が立っている。
集まっているのは全出走者ではない。人気上位の5名だけが招集され登壇していた。こちらではそれが普通らしい。
長机の中央に座るのは地元英国のクラシック級、キングスゲイトネイティヴ。
その右に日本の私。
更に右にオーストラリアのテイクオーバーターゲット。
逆側には地元勢2人。
私以外が英語圏のウマ娘なので、後ろに通訳が控えているのは私だけだ。
英語は理解できるし喋れるが、広報的な都合でつけられている。
まあ楽でいいし、英語ができないと周りに思われていたほうがポロっと本音を出してくれそうだ。
なのでありがたく甘えることにした。
そして、全員が勝負服を着込んでの登壇となる。
──のだが。
赤が視界の端で揺れた。
隣に座るキングズゲイトネィティヴの軍装風ジャケットが目に入る。
深い赤に白の襷。黒いベアスキン帽が高く影を落とす。赤いラインの入った黒いズボンの上で、白手袋の拳が固く握られている。
そう、勝負服のモチーフがダダ被りなのである。
私も資料で出走者リストをみたときは驚いた。レヨネットのようにお姉ちゃんと一緒がいいと寄せてきたならともかく、こんな偶然があろうとは。
……いや、ある意味で被せにいったのは私なのかもしれないが。
勝負服を決めた時には英国で走るとは思っていなかったのだから許してほしい。
私を挟んで逆側に座るテイクオーバーターゲットは椅子に浅く腰掛け、腕を組まずに膝に置いている。
鹿毛をテールヘアーにした彼女は、黒のハイネックジャケットに赤と黒の市松模様のアシンメトリーなデザインの勝負服をまとっている。
オーストラリアのスプリンターで盛んに国外へ遠征していて、日本にも来たことがある。
目の前に視線を向けると、報道陣がずらりと詰めかけている。見慣れた顔もある日本からの記者団。地元英国の記者。さらに奥にオーストラリアのメディア。
長机のない方にある司会席で、進行役がマイクを整える音が小さく響いた。
記者会見そのものの流れはそう日本と変わることはない。
まずは各々短い意気込み、そして個別質問といった流れだ。
「(ロイヤルアスコットミーティングで走れることを誇りに思います。ここは特別な場所ですし、最高の状態で臨みます。応援に応えたい)」
実直そうな顔つきに違わず、ザ・生真面目といった様子で話すのはキングスゲイトネィティヴ。
「(ここに来るのは3度目です。良いレースになればいい。あとはスタート次第だ)」
年上の余裕というか、自身で言った通り3度目で慣れているのか、クールな態度を崩さないテイクオーバーターゲット。
この2人に続いて私に順番が回ってくる。
「調整は順調です。芝の状態にも慣れてきました。全力で走ります」
回答は日本語だ。
後ろに控えていた、乙名史記者によく似た通訳の女性が私の言葉を英語に訳す。
事前にもらった名刺によれば、彼女の名前は乙名史慶子。肩書はURA海外事業部嘱託通訳、すなわちスピードシンボリさんの部署で雇われているフリーの通訳だ。
乙名史記者の名前は確か悦子だったので、顔もバンブーメモリーとヤエノムテキぐらい似てる以上十中八九姉妹だろう。
そんなとりとめもないことを考えながら他の2人の意気込みを聞き流す。
そうこうしているうちに、プログラムは各自への個別質問へと移っていた。
まず質問が集中したのはテイクオーバーターゲット。
彼女はキングズスタンドステークス3度目の参戦ということもあり、記者にとっても顔なじみなのだろう。
「(このレースでは逃げが決まりにくいと言われますが、今回も前に行くつもりですか?)」
「(若いスプリンターが多いレースですが、経験はどこで生きると思いますか?)」
地元英国の記者の質問を淀みなくさばいていく。
テイクオーバーターゲットといえば、一昨年のスプリンターズステークスに見られるように絶対先頭を譲らない逃げが特徴だ。
「(海外G1を勝ってきたあなたにとって、このレースはどんな意味を持ちますか?)」
「(遠征を重ねてきたキャリアですが、まだ進化していると感じますか?)」
「(日本のノルデンセミラミスや英国の若いスプリンターとの対戦をどう見ていますか?)」
最後の質問にだけは興味がそそられた。果たして彼女の答えは。
「(速い相手が来るのは歓迎だよ。このレースはそういう場所だからね)」
ふむ、そりゃ4回走って1勝、掲示板を外したことがないコース。自信があって当たり前だ。
そしてあの様子なら今回もいつも通り前に行くことだろう。
むこうが7番でこちらは2番枠だからできるかは不明だが、展開が許せば番手につけて風よけにしたいところだった。
質問の矛先は、例の勝負服が被ってるキングスゲイトネイティヴに移る。
「(ロイヤルアスコットで地元の期待を背負うことをどう感じていますか?)」
「(ノルデンセミラミスと勝負服の色が似ていますが、意識していますか?)」
「(日本の短距離王者が来ています。迎え撃つ立場としてどう思いますか?)」
「(まだ若いキャリアですが、この舞台で勝つ準備はできていますか?)」
もうちょっとマシなことは聞けないのだろうか。壇上でなければ欠伸を噛み殺していたところだ。
だが彼女にとってはそうではないらしい。彼女はこちらをちらりと見てから答える。
「(意識しないわけがないでしょう。ここは英国なのですから)」
「(強いと聞いています。でも、ここはアスコットです)」
ずいぶんと意識されているようだ。一応1番人気らしいから無理もないか。
だが、ここがどこであろうと短距離であるならば勝たねばならない。それが憧れを超えることになるのだから。
続いて日本の記者団から質問が飛ぶ。
英語はどうするのかと思えば、乙名史記者が通訳をするらしい。姉妹揃ってきれいな英語を操っている。
「(セミラミスのレースは映像で見ていますか? 印象は?)」
「(日本の短距離レベルについてどう思いますか?)」
「(彼女を意識する場面はありますか?)」
まあ日本の記者ならそういう質問になるか。悪くはないが。
キングスゲイトネィティヴはあくまで真面目な表情を崩さない。
「(ええ、見ています。加速が鋭いですね。無駄がない走りだと思います)」
「(直接走ったことはありません。でも速いと聞いています。今回それが分かると思います)」
「(ええ。強い相手ですから)」
どうやら油断はしていないらしい。
この様子だと英国でもそれなりに私のことは警戒されていると見ていいだろう。
続いて私への質問に移る。
記者が日本語で言ったのを乙名史記者が英語でマイクに吹き込み、それを後ろで乙名史通訳が日本語に訳す。
茶番以外の何物でもないが、質問は原則英語で行うのがルールなので仕方ない。
「(日本の短距離ウマ娘として大きな挑戦になりますが、どう感じていますか?)」
「(現地入りしてからの調整は順調ですか?)」
「(このレースを勝てば日本短距離史に残る結果になりますが?)」
「(フランスから英国への移動の影響はありますか?)」
これまた陳腐な質問だった。陳腐でない質問とは、と聞かれると困ってしまうが。
流石にそんなことを答えるわけにはいかないので適当に答えておく。
「(最後に、日本のファンへメッセージをお願いします)」
さて、お決まりの質問だ。言ってしまえば別にファンのために走っているわけではないのだが、それは言わないのが大人というものだろう。
「応援ありがとうございます。精一杯走ります」
そうして日本の報道陣を捌き終えると、次は英国メディアの記者だった。
「(アスコットの芝の印象はどうですか?)」
「(直線の坂をどう攻略するつもりですか?)」
「(ロイヤルアスコットという舞台をどう感じていますか?)」
「(英国の若いスプリンターとの対戦についてどう思いますか?)」
「(ここではスピードだけでなく持続力が必要です。その点については?)」
芝も坂も相手も、全てこのコースの一部だろう。それを分けて扱う意味は感じられない。
必要かつ十分な事前対策はしてきたつもりだ。あとはいつも通り走るだけだった。
そして最後の方にされた質問に、おや、と思う。
「(ロイヤルアスコットはレース界でも最も格式の高い開催の一つですが、あなたは自分がこの舞台で走る資格を得ていると本当に思いますか?)」
なんとも回りくどい挑発じみた言い方だ。小さい頃遊んでくれていたお姉さんが、こんな言い方をしてはよく母親に叱られていたのを思い出す。
どう答えてやろうかと考えはじめたところで、通訳の乙名史さんが日本語に訳してくれる。
「このような歴史ある舞台に出走することについて、ご自身ではどう評価していますか?」
……だいぶん意訳が入ったな。なるほど、このために一旦通訳を噛ましているのか。
ちらりと乙名史さんを見ると、彼女は涼しい顔でマイクを構えていた。
だが、資格。資格、ねぇ。
それを決めるのは少なくとも記者ではない。……そうだな。
「本番の走りで返答とさせていただきます」
乙名史通訳的にはOKだったとみえてそのまま英語に直された。
「(では貴女の走り、その強みとはなんですか)」
マイクの前で、ほんの一瞬だけ言葉を探すふりをする。
本当は探す必要などないのだけれど。
私の答えは、最初から決まっているからだ。
「速さです」
それ以外に真理がありましょうか、私はそう答えて口角を上げた。
特に地元の記者席のあちこちで小さく笑いが漏れた。
面白そうだ、といった顔でメモを取る者。腕を組んだまま無表情の者。
日本の記者席では、数人が顔を見合わせている。
その後もいくつかの質問が続いたが、やがて司会が手を上げた。
「(本日の会見はここまでとさせていただきます)」
こうして合同記者会見は終了したが、解散となったところで後ろから話しかけられた。
「(速さ、か。ずいぶん大きく出たじゃないか、チャンピオン)」