驀進王に憧れてトレセン学園に来たダメダメな私が3つの玉座の女主人と称えられるまで 作:八幡悠
英国アスコットレース場、メディアルーム。
会見が終わると、椅子の擦れる音と共に空気がゆるむ。
フラッシュが止み、記者たちは立ち上がって移動を始めた。
私も席を立ち壇を降りる。
周囲ではまだ何人かの記者がこちらを見ていた。その中には乙名史記者もいる。
さてトレーナーさん達と合流して帰ろうと思っていると、後ろから声がかかった。
「(速さ、か。ずいぶん大きく出たじゃないか、チャンピオン)」
見ると、赤い勝負服のウマ娘がこちらへ歩いてきた。キングスゲートネイティヴだ。
近くで見るとやはり勝負服の色がよく似ている。
私は彼女の白襷に一瞬視線を落とし、それから顔を上げた。
「チャンピオン? ……レース後にそう呼んでもらえますか」
乙名史(通訳)さんが一瞬躊躇う。
すみませんね、普通に訳すと喧嘩売ってる言い方して。
「(彼女は、レース後にその呼び名にふさわしい走りをしたいと言っています)」
「前半は、速さ、とはずいぶん大きくでたな、と言っていました」
うんそれはわかってる。
わかってるが、バレるまではまだ黙ってたほうがいいので申し訳ないが通訳してもらおう。
敵を騙すならまずは味方からだ。
とはいえ乙名史さんの“配慮”が入らなかった時はスルーさせてもらうけど。
「(ロイヤルアスコットで走るのは、私にとって特別なの)」
「それはそうでしょうね」
英国ウマ娘なら自然な話だ。
ロイヤルアスコットミーティングは日本で言えば天覧レースウイークのようなものである。
キングスゲイトネイティヴは続ける。
「(あなたは強い。でも──ここでは負けない)」
誓いのような声音だった。私は少し考えてから答える。
「それなら、いいレースになりそうですね」
彼女の眉がわずかに動く。小さく息を吸った。
「(……そうじゃない)」
乙名史さんが少し困った顔をする。
「(私は──あなたを倒すために走るの)」
倒す。
誰かを倒すために走る。
そういう走り方もあるのだろう。けれど私にとって走る理由は、もう少し単純だった。
もちろんその発想自体は珍しくない。ただ、それが主目的になる理由はあまり理解できない。
なるほど、と私は頷いた。
「いい目標だと思いますよ」
乙名史さんがそれを訳した瞬間、キングスゲイトネイティヴの表情が少し固まる。
その時だった。
「(おやおや)」
横から声が落ちた。
いつの間にか、もう一人のウマ娘が近くに立っていた。
テイクオーバーターゲット。
年長のお姉さんといった容貌の彼女は、腕を組んで少し楽しそうにこちらを見ている。
「(若い子はいいねぇ。熱い。速さ、だったか? 私はいいと思うがね)」
キングスゲイトネイティヴが振り向く。
「(……テイクオーバーターゲット)」
「(聞こえちゃったよ。倒す、って)」
彼女は豪州訛の英語のまま軽く笑う。
「(いいじゃないか。私もそれで来たんだ)」
「(あなたも?)」
テイクオーバーターゲットは肩をすくめる。
「(もちろん)」
それから顎をこちらに向ける。
「(この子──いや、日本の王者を倒しにね)」
その言葉に怪訝な顔をするキングスゲイトネイティヴ。
「(王者? 確かにG1・7勝は素晴らしい戦績ですが……それで王者ですか?)」
「(おいおいバカ言っちゃいけないよ。日本の短距離マイルG1がいくつあると思ってるんだい)」
やれやれ、といった風にテイクオーバーターゲットは手のひらを上にする。
キングスゲイトネイティヴはすこしムッとした表情を作って答えた。
「(……12個ぐらいですか)」
「(7つだよ。クラシック限定2、混合3、シニア限定2。これだけだ。そして彼女はシニア1年目。この意味が解らないかね?)」
一転、真剣な表情のテイクオーバーターゲットに、キングスゲイトネイティヴからサッと表情が消える。
まあ確かにオーストラリアとかヨーロッパの基準だとあんまりG1の数が無いんだよな日本って。
だから、欧米基準でG1の数だけそろえようと思えばできなくもないとでも思われていたのだろうか。
「(……そう)」
キングスゲイトネイティヴはしばらく黙り込む。
「(いいわ)」
そして静かに言う。
「(なら、倒す価値がある。ここはアスコットよ)」
こちらを見てキメたところ悪いが、で、というのが本音だった。
乙名史さんも一応訳してはくれているが、ここがアスコットだろうとニューマーケットだろうとやることは変わらない。
私は少し考えてから答えた。
「そうですか。ならいいレースになりそうですね」
二人の視線が揃ってこちらに向く。
「速い相手がいる方が、良いレースになります」
沈黙。
キングスゲイトネイティヴは一瞬だけ目を細める。
テイクオーバーターゲットはくくっと喉で笑った。
「(……なるほどね)」
「(面白い子だ)」
それからキングスゲイトネイティヴの肩を軽く叩く。
「(ほら、気合い入れすぎるなよ。レースはまだ先だ)」
「(……分かってる)」
キングスゲイトネイティヴは小さく息を吐いた。彼女はもう一度だけ私を見る。
「(……そういえば)」
彼女は言う。
「(その服)」
キングスゲイトネイティヴは自分の赤い上着を軽くつまんだ。
視線が私の肩口の白襷に落ちる。
「(似てると思わない?)」
確かに似ている。
赤い軍服。
白いサッシュ。
私は頷いた。
キングスゲイトネイティヴの目が少し鋭くなる。
「(これは
それは分かる。
帽子の形も、配色も、確かにそれだ。
私は素直に答える。
「良いデザインだと思いますよ」
一瞬だけ言葉を詰まらせて、彼女は続ける。
「(あなたも同じ理由?)」
そうだろうか。まあそうと言えるかもしれない。
「似ていますね。これは
乙名史さんが訳すと彼女の眉が上がる。
「これは幼い頃に憧れた強さの象徴」
私は肩の襷に触れる。
「誇り高き赤い軍服と勝利を誓う白襷。そうありたいという理想の一つの形です」
沈黙。
彼女の目が少し丸くなる。
その横でテイクオーバーターゲットが小さく吹き出した。
「(くくっ……)」
腕を組んだまま、楽しそうにこちらを見る。
「(擲弾兵と騎兵か。気を抜くなよ、崩れたら突っ込んでくるぞ)」
キングスゲイトネイティヴは少しだけ口元を引き結ぶ。
「(……レースで分かることよ)」
「(違いない)」
そして私の目を見て一言。
「(アスコットは私の庭よ)」
「そうですか。楽しみにしていますよ」
「(そうだな、いいレースにしよう。だが──最初の200でだいたい決まるんだ)」
テイクオーバーターゲットが軽く手を挙げて踵を返す。
スプリントとはそういうものだろうが、この場所をよく知るベテランのいうことだ。少し心に留めておこう。
「(じゃあ、レースで)」
キングスゲイトネイティヴはそう言って背を向けた。
テイクオーバーターゲットは去り際に軽く手を振る。周囲からカメラのシャッター音が響く。
「(楽しみにしてるよ、日本の王者)」
二人が離れていく。
私はその背中を見送りながら少し考える。
逃げの強豪に、あっちは先行脚質だったはず。展開は速くなりそうだ。
アスコットらしいレースになる。少し楽しみだった。
こうして前夜祭の夜は過ぎていった。
いよいよロイヤルアスコットミーティングが始まる。
私が出走するキングズスタンドステークスはその1日目、第2レースの予定だった。