驀進王に憧れてトレセン学園に来たダメダメな私が3つの玉座の女主人と称えられるまで   作:八幡悠

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116 統一女王と約束の地

 英国アスコット、コンドミニアム。

 

 

 朝の空気は思ったより冷たかった。

 

 宿舎にしているコンドミニアムの窓を開けると薄い霧の残る街路が目に入る。

 遠くの空は白く雲が低い。日本の初夏とは違う、湿り気の少ない光だった。

 

 英国の朝。

 

 まだ実感は薄い。

 最近やっと眠れるようになってきたマルシャンドールさんを残して身支度を整え、コンドミニアムの玄関を出る。

 

 外へ出ると、風が少し強い。

 頬に触れる空気は涼しいのに、街の様子は妙に華やいでいた。通りを歩く人たちの服装が、どう見てもレース場へ行く格好には見えない。

 

 ドレス、ジャケット。そして、やたらと大きな帽子。

 色も形もばらばらで、花のように目立つものばかりだ。

 

「今日は特別だから」

 

 椿さんはそう言うが、まだ実感はわかない。レース場へ向かう人間が、どうしてこんな格好をしているのか。

 レースが日常の延長にある日本とは何もかもが違うのだ。

 

 

 ロイヤルアスコットミーティング。

 英国王室の後援のもと、毎年6月に開かれるレースイベントだ。

 

 世界中のウマ娘がここを目指す。

 格式の高さでは間違いなく世界でも指折りだろう。

 

 開催は5日間。

 そのあいだにいくつものG1レースが行われ、欧州だけでなく世界各地から一流のウマ娘が集まる。

 

 ただ、ここは単なるレース開催ではない。

 

 社交の場でもある。

 

 観客には厳格なドレスコードがあり、男はジャケット、女はドレス。そして何より、帽子。

 花のように華やかなそれが観客席を埋め尽くす光景は、この開催の名物になっている。

 

 さらに毎日の開幕前には、王族が乗ったバ車がコースを一周する「王室行列」が行われる。

 それを見るために立ち上がる観客の姿は、まるで儀式のようだと聞いた。

 

 競技としてのレベルの高さ。

 そして英国の伝統と社交文化。

 

 その両方が混ざり合って、この開催は特別な舞台になる。

 

 ──ロイヤルアスコット。

 

 世界のレース界で、そう呼ばれる場所だ。

 

 

 

 その中心にあるのが──アスコットレース場。

 

 かつて300年前、王家の狩猟地だったこの丘を訪れた女王が「ここはウマ娘が駆けるのに良い土地だ」と言ったのが始まりだと言われている。

 広く、緩やかで、見渡す限りの芝生。確かにここなら、どこまでも走れそうだった。

 

 

 白いスタンド、横に長く伸びたガラスの壁。

 そして、その周囲を埋めるように広がる観客の群れ。色とりどりの帽子が、芝生の上で揺れている。

 まるで花畑だった。

 歓声は思ったより大きくない。ざわめきが、静かに広がっているだけだ。

 けれど人の数は明らかに多い。レースというより、何か別の催しに来たような雰囲気だった。

 

 車がゲートをくぐる。建物の影に入ると、さっきまでの華やかさが嘘のように静かになった。

 空気が変わった。ここから先は、もう客席ではない。

 

 私は小さく息を吐く。

 

 ──さて。

 

 いつも通り、やろう。

 

 

 控室の空気は日本とそう変わることはない。むしろ、作戦会議などはもうコンドミニアムで済ませたのでやることがないぐらいだ。

 いつも通りの勝負服に着替えながらその内容を思い出す。

 

 キングズスタンドステークス5ハロンの特徴は、日本の短距離戦と違い集団が横に分裂する直線スプリントになることだ。

 スタート直後はコーナーがない直線であるため位置取り争いが生じず、バ群が内と中央、外に分裂することが多い。

 中盤では先頭が息を入れ始め、後ろも脚をためるので一旦ペースが落ち着く。

 そして後半では後ろが仕掛け始め、あたかも3つのレースが並行して起きるような様相になる。

 最後に残り200mの坂。ここでいかに勢いを維持するかが勝負を決めるだろう。

 

 私の枠は2枠、外側──マイルまでの直線コースには内も外もないが、実はコース自体は三角おにぎり型なので内外がある──だ。

 レース展開にもよるが、基本は外有利ではある。風向きにもよるらしいが。

 おそらくテイクオーバーターゲットが飛ばすだろうから、そこに潜り込めれば最良だろう。

 

 

 目線をあげる。

 

 鏡に映るは譽高き赤い軍服、必勝を誓う白襷。

 幼い頃見た近衛騎兵(ライフガード)、理想としていた強さの象徴、そうありたいという思いをこめたデザイン。

 バクシンオーさんのエポレット、フライトさんの靴のリボン。

 理想と憧れを象徴する勝負服。

 

 

 思えば最初に比べて様々なものが増えた。背負うものと言い換えてもいいかも知れない。

 

 胸元には7つのG1を象徴する略綬を模したリボン。これまで砕いてきた夢の数。

 年度代表ウマ娘を表す勲章。この時代数千のウマ娘の頂点たる証。

 

 腰には“領域”のイメージでしかなかった儀礼用の騎兵刀(サーベル)とそれを吊るための剣帯。

 

 これらは年度代表表彰の際に褒章として追加されたものだ。

 

 

 そして、襷にぶら下がったメダル。

 

 

 ──マーちゃんもアスコットレース場には一度行ってみたいので、機会があったらご一緒しましょう。

 

 ──連れて行って、欲しいのです。

 

 

 主なき勝負服の最後の一欠片を握りしめる。

 

 私は連れてきたぞ。

 麗しのアスコットに、近代レース発祥の地に。

 約束通り。

 

 さあ、征こうじゃないか。

 パレードリングへ、アスコットの丘へ、その先の栄光へ。

 

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