驀進王に憧れてトレセン学園に来たダメダメな私が3つの玉座の女主人と称えられるまで   作:八幡悠

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120 八冠の女主人とキングズスタンドSの後(前編)

 アスコットレース場、スタンド前。

 

 ゴール板を過ぎ、脚を緩める。

 左はラチとすぐそばに観客席、右にはコースが広がっている。

 日本よりは幾分上品だが、距離が近い分歓声は横殴りに打ち付けてくる。

 

 目算、先頭集団を半バ身程度差し切った自覚はある。だがコースの反対端の集団がどうだったかまでは見えなかった。

 日本のレース場と違い巨大なターフビジョンは見えない

 そのため、息を整えつつ少しきょろきょろしながら着順のわかる掲示板を探す。

 

 

 

RESULT            

 

6.17 Royal Ascot

 

King's Stand Stakes

 

1st Norden Semiramis (JP)

 

 

2nd Equiano (ES)

 

 

3rd Takeover Target (AU)

 

 

4th Fleeting Spirit (GB)

 

 

 

 一番上に書かれているのは私の名前。

 

 ──勝った。

 

 世界で。勝った。

 

 実況の声が耳を打つ。

 

「(日本ウマ娘初のロイヤルアスコットデー勝利! 世界最速の5ハロンを制したのはノルデンセミラミス!)」

 

 世界最速。

 

 そうかもしれない。でも。

 胸の奥が、妙に静かだった。

 

 

「(おい、日本人。いい脚だったな)」

 

 横から声が飛んできた。

 

 振り向くと笑っていたのはエキアノ。

 そのまま軽く肩を叩いてくる。

 ……近い。

 

「あー……(アリガトウ)」

 

 どうしようか。

 喋れないふりをしたがために逆に面倒なことになってきた。

 

 エキアノが一瞬固まる。それから吹き出した。

 

「(まあ通じてるならいいか)」

 

 後ろから笑い声がする。テイクオーバーターゲットだ。

 

「(良い走りだったぞ)」

 

 そう言って手を差し出してきたのは案の定彼女だった。

 とりあえず握る。迷いなくしっかりと、目を見て。

 彼女の眉が、ほんの少しだけ動いた。

 

「(アナタもネ)」

「(ハハッ、参ったな)」

 

 そう言いあって手を離して彼女と別れた。

 URAの制服より濃いグリーンの制服を着た職員を伴って、赤い騎兵服の上に金モールの胸当てを付けた誘導ウマ娘がこちらにやってきていたからだ。

 

「どうぞウィナーズエンクロージャーへ。インタビューがございます」

 

 職員が一礼する。

 あまりに流暢な日本語に、思わず呆気にとられる。

 日本からの遠征や観光客に備えてスタッフを用意しているのか。流石はロイヤルアスコットと言うべきだった。

 

 

 誘導に従って柵に囲まれた小さな広場に入る。

 ウィナーズエンクロージャー。日本で言うウィナーズサークルに近いが、雰囲気はかなり違った。

 

 まずわかりやすいのが視線の向きだ。

 日本なら勝ったウマ娘のところへ一斉に人が集まる。だがここでは違う。

 

 カメラも記者も、すでに一か所を取り囲んでいた。

 輪の中心にいるのは──トレーナーさんたちだ。

 

 吉富トレーナーが少し困ったような顔で立っている。あの人あんまり英語は得意じゃないと言ってたからなぁ。

 その横で椿さんが一歩前に出ていた。地元記者の質問に英語で落ち着いて答えている。

 普段は少し頼りない人だが、こうしているとキャリアウーマンのように見えてくるから不思議だ。

 

 どうやらインタビューはすでに始まっているらしい。

 

 少し離れた位置で立ち止まり、その様子を眺める。

 

 記者たちは、まず陣営に話を聞いている。

 日本とは順番が逆だ。

 もっとも、誰も不自然そうにはしていない。ここではそれが普通なのだろう。

 

「(レースは想定通りでしたか?)」

「(はい。ほぼ想定通りです。スタートも良く、道中もとても良い手応えでした)」

 

 基本的にトレーナーさんが日本語で答え、椿さんが英訳する形式のようだ。

 手持ち無沙汰になったとおぼしき乙名史(慶)通訳がこちらへススっと寄り添ってくれる。

 

「(このレースに自信はありましたか?)」

「(彼女が速いことは分かっていました。問題は、それをここで示せるかどうかでした)」

 

 ……速い、か。

 確かに、問題はそれをこの深い洋芝で示せるかが最大の懸念であった。

 そう、今や過去形である。

 

「(欧州初戦にキングズスタンドステークスを選んだ理由は?)」

「(世界最高のスプリンターが集まる場所だからです)」

 

 実際はグローバル・スプリント・チャレンジを効率よく勝つためで、今回のレースは半ば追い切りに近いのだが言わぬが華というやつだろう。

 もちろん、決して手を抜いていたわけではないのだから。

 

「(日本のスプリンターのレベルはどうですか?)」

「(彼女は、それを証明するためにここへ来ました)」

 

 椿さんがトレーナーさんの返答を待たずに答えた。

 そう、私はかつて憧れた背中を越えるためにここへ来たのだ。

 

 ……越えるために。

 

「(次走は? 欧州で走り続けますか?)」

「(はい。次はゴールデンジュビリーステークス、その後ジュライカップに出走予定です)」

 

 そう再び椿さんが答えると地元の記者がざわめく。随分野心的だ、そういう反応だった。

 面白いのが、予め知っているはずの日本の記者も少し驚いていることだ。本気にされていなかったのだろうか。

 

 少しして、インタビューの輪がわずかにほどけた。

 椿トレーナーが最後の質問に答え、記者たちが頷く。カメラが位置を変え、視線がこちらへ流れてきた。

 

 先陣を切るのは先程からこちらに視線を送ってきていた日本人記者だ。

 日本語で質問されたものを乙名史(悦)が英語に訳し、乙名史(慶)が日本語に戻すという茶番は省略する。

 

「おめでとうございます。まずはレースに勝って一言お願いします」

 

 一言、一言か。

 時間を稼ぐように空を眺める。

 

 自然に手が襷の結び目に取り付けられたメダルに伸びた。僅かな重み。

 そうだ、一言というならふさわしいものがあるじゃないか。ちょうどここはアスコットでもあるのだから。

 

「We won」

 

 我ら、勝てり。

 

 意味の解釈は自由だ。全員が全部を理解する必要はない。

 

 一瞬だけ沈黙が落ちた。私たち? というつぶやきが聞こえる。

 英国の記者たちは顔を見合わせ、それから何人かがメモを取った。

 逆に手帳にペンを走らせる乙名史(妹)記者や何人かのベテラン記者は三段重ねの意図を理解してくれたようだ。

 

 

 次に手を挙げたのは、痩せた男だった。

 明るいグレーのスーツ。整えすぎた金茶の髪。

 銀縁眼鏡の奥で、細い目だけが笑っている。

 

 彼はペンを指で弄びながら口を開いた。

 

 その質問は、英語が話せないという設定を忘れさせるのに十分だった。




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