驀進王に憧れてトレセン学園に来たダメダメな私が3つの玉座の女主人と称えられるまで   作:八幡悠

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この物語はフィクションです。登場人物は全て架空の人物です。
なんか見覚えあっても気の所為です。


125 短距離の女主人とランカスター公

 ウイニングライブ終了後、アスコットレース場。

 

 

 フリーエージェントの案内で通されたのは、スタンドの喧騒から切り離された一室だった。

 照明は落とされ、室内は柔らかな橙に包まれている。開け放たれた窓の向こうには、まだ淡い光を残した芝が広がっていた。

 

 壁は深い色合いの木で整えられ、調度は控えめながら隙がない。

 

 そして、その一角。

 

 見覚えのある獅子の紋章が、静かに掲げられていた。

 扉の脇に立つ男は微動だにせず、ただそこにいる。

 

 部屋の中央、背の高い椅子に一人の老婦人が腰掛けていた。

 白髪は整えられ、姿勢は崩れていない。

 御年82歳にもなる年齢を感じさせるのはその手元だけで、細く、しかしわずかな揺らぎがあった。

 穏やかな笑みは、どこにでもいる老婦人のものに見える。

 

 だが、視線は違う。

 柔らかく、それでいて逸らされることのない目。

 

 長く、歴史を見てきた者の目だ。

 

「(来てくださって、ありがとう)」

 

 そう言って、御婦人はわずかに微笑んだ。

 柔らかな声だった。

 

 一礼する。

 

「(お時間をいただき、ありがとうございます)」

 

 傍らで吉富トレーナーも同じように頭を下げた。

 

「(どうぞ、楽にしてください)」

 

 そう言って、御婦人は向かいの椅子を軽く示す。

 一瞬だけ間を置き、セミラミスは頷いた。

 

「(では、失礼します)」

 

 勧められるままに腰を下ろした。椅子は深く、わずかに沈む。

 向かい合う形。改めて、視線が合った。

 

 逃げ場のない、しかし圧迫感のない目。

 

 わずかに姿勢を整え、呼びかけようとしてふと迷う。

 なんとお呼びすれば? 陛下……でいいのだろうか。

 

「(失礼ですが、どのようにお呼びすれば)」

 

 御婦人は、ほんの少しだけ楽しげに目を細めた。

 

「(好きに呼んでくださって構いませんよ。今日は、ただの観戦者ですから)」

 

 いやそれはいくらなんでも無理があろうかと存じますが。

 そもそもロイヤルエンクロージャーにも居たし、両レースの記念撮影のときも主催者枠で居ましたよね貴女。

 せめてちりめん問屋の隠居とか名乗ってはくれまいか。貧乏旗本の三男坊とかでもいいが。

 

 まあ、要するにそういう扱いがお望みということであればそうしよう。

 

「(ではそういたします)」

 

 御婦人も満足気に一つ頷く。

 それで結構、ということだろう。言葉を続ける。

 

「(見事なレースでした)」

 

 開口一番、笑顔とともにレースをそう総括した。

 

「(最後の伸び──あそこまでとは、予想していませんでした)」

 

 こちらの芝には完全に適応したようですね、と御婦人は続ける。

 

「(はい。私の持ち味を活かすことができました)」

 

 御婦人は小さく頷いた。

 

「(特に最後1ハロンの叩き合いが良かったわね。あの競り合いは見応えがありました)」

「(光栄です)」

 

 長年欠かさずレースを見てきた御婦人がそういうならそうなのだろう。

 

 トレーナーさんにも、良い調整でした、と言葉をかけておられた。

 話を振られたトレーナーさんも恐縮しきりでとりあえず頭を下げている。通じているかは微妙なところだ。

 

 レースが良かったのはいいが、地元英国のクラシック級、キングスゲイトネィティヴを蹴散らしてしまったのは良かったのだろうか。

 

 そういえば彼女とは同じ近衛モチーフだったな、と思っていると、御婦人もそれに思い至ったか私の勝負服を眺めやる。

 ウイニングライブの後なので私も当然勝負服のままだ。

 

「(その装い、少し近くで拝見しても?)」

「(はい、構いません)」

 

 お付の紳士にちらりと目配せをして席を立ち、一歩前へ。

 

 御婦人も席を立つ。身長の関係でほんの少しだけ見下ろす形だ。

 視線を胸元に落とし、ゆっくりと眺めた。

 

「(美しいですね)」

 

 そのままリボンバーのところで目線が止まる。

 

「(まあ、これだけのレースを?)」

「(はい、G1のみですが)」

 

 これまで勝った7回分の優勝レイと同じ色のリボンを金具に止めている。

 そう、7つ。調べたところ、英国のレースには日本のような優勝レイがないようなのでつくらなかったのだ。

 

「(……7つ、ですか。新しいものは、まだ見当たりませんね)」

「(作製しておりません)」

 

 重ねて理由を問われたので、前述の理由と、アスコットの場でそういった勲章を付けるパフォーマンスをするのは謹んだ、と答える。

 一瞬、御婦人がほんのわずかに目を細めたような気がした。

 

 しばし無言の時間が流れる。

 御婦人は襷に取り付けたメダルに少しの間注目していたが、特にそれについて言及することはなかった。

 

 そのまま言葉を交わしていると、どうやらお開きの時間となったようだ。

 背後で気配が僅かに動く。御婦人の眉がほんの僅かに不満そうな形を作った。

 

「(ああ、年を取ると話が長くなっていけないわね)」

 

 御婦人は静かに笑って席を立った。

 私もそれに倣う。

 

「(また貴女の走りを拝見したいものね)」

「(無事に行けば、来月のニューマーケットで)」

「(それは楽しみです)」

 

 御婦人自ら入口の扉まで送られた。

 

「(本日は、ありがとうございました)」

「(こちらこそ)」

 

 御婦人に一礼してこの場を辞する。

 それだけのやり取りで、会話は終わった。

 

 

⏰️ ⏰️ ⏰️

 

 

 この時の謁見自体は何事もなかったのだが、後日談が2つあった。

 

 

 まず1つ目。

 ロイヤルアスコットミーティングの翌朝のことだった。

 

 宿舎の扉が叩かれる。

 やや強めに。

 

 姿を表したのはスピードシンボリ。URA海外事業部チーフだ。

 

「やってくれたな」

 

 後で聞かせなさいよ、と面白がるようにフランス語で耳打ちして退出するマルシャンドールを半ば睨みつけるようにしながら彼女は言う。

 

「何を話した。それも通訳無しで」

「何って、レースの話ですよ。“フリーエージェントの後援のおばあちゃん”とそれ以外の話をするとでも」

 

 そう返事をするとスピードシンボリは大きくため息をつき、ミネラルウォーターをあおった。

 

「ああそうだろうな。だがURAはそうは見ていない。君には前科があるからな。なんでホイホイ着いていくかね」

「逆にお尋ねしますが、断れるとでも?」

「俺だってそれぐらいわかってるさ。だが夜中にこんな話を聞かされた身にもなってくれ」

 

 疲れたような表情でそう髪をかきむしる。

 どうやら先方からURAの方に情報が入り、現地に居たスピードシンボリに連絡が入り、といった流れが時差の関係で双方の夜中の時間帯だったらしい。

 それはお気の毒に。だが私は謝らない。

 

「まあいい。記者の件はあちらが悪いことだし、見境なく喧嘩を売るタイプではないのは承知している」

「ではどうして」

「私個人と組織の考えは同じではない、ということさ」

 

 なるほど、中間管理職の悲しさ、といったところか。

 要件はそれだけだ、あんまり派手なことはしてくれるなよ、と言い残して彼女は去っていった。

 

 

 そして2つ目。

 日本に帰国したトレーナーさんと別れてフランスに一旦戻った後、シャンティの宿舎に私を尋ねてくる者が居た。

 

 隣の駐車場に黒い高級セダンが入ってきた時点でなんとなく嫌な予感はしていたのだ。

 なにせその車のナンバープレートは白や黄色地に黒文字ではなく、明るい緑地にオレンジ文字とかいう明らかに普通じゃないデザインだったからだ。

 

 車から降りてきたスーツ姿のウマ娘は駐仏英国大使館の者だと名乗った。

 そして高級感のある手のひら大の箱を、さるお方からお預かりしています、と恭しく差し出す。

 

 その箱には見覚えのある紋章が刻印されている。

 いやもうどう考えてもあの人じゃない……とさる御婦人のいたずらっぽい笑顔が思い浮かぶ。

 

 その外交官のウマ娘は、確かにお渡ししました、と踵を返す。

 どうやら反応的にこういうことには慣れているとでもいった雰囲気だった。お疲れ様です……。

 

 すぐに本館の椿さんのもとに向かい、箱を開ける。

 

 箱に収められていたのはリボンバー。

 藍と黒の地に白抜きでキングズスタンドSとゴールデンジュビリーSの刺繍の入ったものだった。

 

「わぁ……」

「椿さん、正気を保ってください」

 

 事の次第を察した椿さんの表情が某ちいさくてかわいい生き物のようになっているのを尻目に、勝負服のリボンバーと見比べる。

 

 ……サイズも質感も規格に合っている。なんの修正もなく取り付けられるだろう。

 一体どうやって私の勝負服の構造を入手したのだろうか。

 まさか、こんなことのために007が動員されたのだろうか。流石にMI6もそこまで暇ではなかろうが。

 

 そんなしょうもないことを思いながらバーの位置をずらして新しい2つを取り付ける。

 

「え、着けるの!?」

「着けないわけにもいかないでしょう。折角頂いたのにがっかりさせても悪いですし」

 

 ……これで、9つ。

 いよいよ来月には英国最終戦、ジュライカップが迫っていた。




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右手を御覧ください。度重なる供給で燃え尽きたバクフー村の跡地です。
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