驀進王に憧れてトレセン学園に来たダメダメな私が3つの玉座の女主人と称えられるまで 作:八幡悠
阪神レース場、重賞用控室。
春の阪急杯以来半年ぶりの阪神レース場。
こちらも半年ぶりのゼッケンと体操着でのレース出走となった。
姿見に映るゼッケンに刺繍された星は、以前までの5つ星に代わって大きな星1つに変わっている。
練習着や重賞出走時のゼッケンにはG1勝数に合わせた数の星を刺繍する事になっているが、あまりに多すぎてスペースが無くなってしまうため夏の裁定委員会で急遽G1・10勝で大星を刺繍するよう規則が追加されたらしい。
そんなことをわざわざ決めるなんてURAは暇なのだろう。どうせ20も30もG1を勝つウマ娘なんていないのだから、2列にしとけばいいのに。
カーテンを開けて戻った控室の空気は、静かに整っている。
「芝の感触はいかがでしたか?」
昼休みに確認した芝についてのトレーナーさんからの問い。
悩むものでもない。
「問題ありません。ニューマーケットとは差異がありますが、十分補正できています」
芝への再適応は手間取るかと思ったが、帰国直後が夏合宿だったというのも大きいだろう。
ホームである慣れ親しんだ日本の芝の感触に違和感はもうない。
「……そうですか」
簡潔な確認。それで十分だ。
今回の目的は、日本芝への再適応を本番環境で確認すること。
そして、その上での勝利。
条件は整理されている。
「つまり勝てばいいんですッ!!」
横から弾ける声。
「適応も確認も全部まとめてバクシーンと解決です!!」
サクラバクシンオーさんが背を反らして胸を張る。
「……ええ、その通りです」
実際、間違ってはいない。
勝利という結果が得られれば、検証も完了する。
「でも、それだけかな?」
軽やかな声が重なる。
ノースフライトさんが、こちらを覗き込むように首を傾げた。
「せっかく帰ってきたんだし、日本で走る感じとか、ちょっと楽しみじゃない?」
「楽しむ、ですか?」
それがレースに必要だろうか。
「目的は確認と勝利です」
一瞬の間。
フライトさんは小さく笑ったが、それ以上は何も言わなかった。
楽しむ、という要素は不要だ。
条件を満たし、結果を得る。
それで十分である。
「……確認、ね」
トレーナーさんの声。
視線を向けると、彼女はわずかに片眉を上げていた。
「そういう整理になりますか」
短い言葉。
意味を考える必要はない。
今回の条件において、その前提は崩れない。
必要な項目は、すべて満たす。
それだけだ。
「では、行ってまいります」
パドックへの集合を知らせる放送ともに、私は控室を後にした。
阪神レース場、パドック。
本日の出走者は14名。重賞にしては珍しくフルゲート割れを起こしている。
私の番号、13の横に表示されたオッズは1.6。勝つだろうとは思われているが、絶対ではない、といったところか。
人気の出走メンバーは丸1年半勝ちのないスズカフェニックス、先の高松宮記念で下したファイングレイン。厚いメンバーではないが、英国遠征帰りという点で割り引かれた、といったところか。
「本命は決まりだな」
「まあな。でも相手どうする?」
「スズカフェニックスはもう厳しいだろうし、ファイングレインか……?」
今しがたお立ち台に上がったスズカフェニックスの調子はそこまで良くなさそうだ。
とはいえ、本命は3週後のスプリンターズステークス。一杯の仕上げをしてこないのは当然だった。
それと対照的に目に見えて仕上げてきているのがカノヤザクラだった。
「ここメイチっぽいな」
「いい出来だ」
「相手ならこの娘だろ」
全5戦で争われるサマースプリントシリーズ、現在総合3位の彼女が勝利するにはこのレースで3位以上が条件となる。
優勝すればトロフィーと重賞1回勝つぐらいの報奨金が得られるとあらばさもありなんといったところか。
そうこうしているうちにステージに上がったのはスプリングソング。
ファン数不足で、回避が相次いだことで滑り込んだこともあって2桁人気に甘んじている。
が、合宿での成長分とクラシック級ゆえの軽斤量を考えれば過小評価だ。
「お姉ちゃん頑張ってー!」
彼女を応援する声の方を見ると、『響け! 春の詩』と書かれた横断幕を掲げた一団が居た。
その中央で手を振る、トレセンの制服姿のウマ娘。スプリングソングと同じ青鹿毛……いや、あの髪質は芦毛か。
一瞬だけ、壇上の彼女の視線が揺れた。
口元がわずかに緩み、引き締まる。彼女は応援を力にできる質なのかもしれない。
……一段脅威度判定を引き上げるべきか。
壇を降りる彼女と入れ違いに私はステージへと登る。
いつも通りに一礼。ぐるりとパドックを囲む観客席に小さく手を振る。いつも通りに。
地下バ道。
パドックでのアピールを終え、暗い地下道を進む。
響くのは蹄鉄の音だけ。観衆のざわめきははるかに遠く、明かりの向こう。
夏空へと続く出口にて、半歩後ろに気配。
「……1年ぶりね」
カノヤザクラだ。
「今年こそは差し切る。届かせてみせる」
去年、2着のサンアディユから大きく離された3着だった彼女の声からは強い意志を感じる。
それだけの研鑽を積んできたのだろう。それは夏合宿でも見てきたし、今日のトモの張り具合もまたそれを表していた。
私の返答を待たず、彼女は光の中へと歩みを進める。
「そうですか」
──だが、それを計算に入れてもなお。
足りない。
『2枠4番カノヤザクラ! 千直に咲いた桜が仁川の地でも咲き誇るか! サマースプリント制覇を賭けて4番人気です!』
アナウンスと共にウマ娘が飛び出してゆく。
そんな中横に並ぶ気配。視線だけをそちらに向ける。
スプリングソングだ。
「……あの。覚えてますか。合宿で言ったこと」
もちろん覚えている。
「どこまで通用するか、確かめたい──」
「ええ」
スプリングソングの言葉は最後まで待たない。
彼女は一歩前へ踏み出し、こちらを振り向いた。青鹿毛が揺れ、ピンクの瞳がこちらを覗く。
「それは変わっていません。──ここで、全部分かると思うので」
彼女の視線は揺れない。
迷いはない。つまり、判断は完了しているということだ。
「そうですか」
それだけ返す。
能力水準はこの一ヶ月で解っていた。このメンバーなら上位には入る。
だがそこまでだ。
おそらく彼女のトレーナー、合宿前まで妹の担当だった奈瀬菊代トレーナーは出走に良い顔をしなかったことだろう。
重賞とはいえ2着までに入らなければ出走条件のファン数を積むことがでいないからだ。
それでも出てきた、すなわちそれだけの覚悟の現れだといえよう。
「……はい。それでも」
勝率は低い。
条件も実力も不足している。
……それでも、勝つつもりで出てきたのだ。
彼女は視線を切り、一歩前へと踏み出した。
『6枠12番スプリングソング、クラシック級よりの参戦。夏を超えての成長を見せられるか、10番人気です』
──そのまま走り続ける事ができるのならば、いずれは重賞にも手が届くことだろう。
さて、そうこうしているうちに地下バ道に残っているのは私ともう一人、クラシック級のマルブツイースターのみとなっていた。
そろそろ行くか、と首を回したところで彼女と目が合う。だがその目は一瞬で逸らされた。
そのまま陽光のもとに一歩踏み出した。
『6枠13番ノルデンセミラミス! G1・10勝、世界を制したスプリンターの凱旋。昨年のレコードに続き連覇なるか。1番人気です!』
セントウルステークスがいよいよ発走となる。