驀進王に憧れてトレセン学園に来たダメダメな私が3つの玉座の女主人と称えられるまで 作:八幡悠
中山レース場、向正面、ゲート前。
ファンファーレが鳴り響く。半年ぶりに聞く関東のファンファーレ。
ウォームアップのためにウマ娘が屯っていたゲート前に、緑の制服の職員が集まってくる。
観客席は遠く、ウマ娘の耳にも歓声は大きくは聞こえない。
ゲート入り。
1枠1番の私は真っ先にゲートに入る。身長をはるかに超える鋼鉄の檻。
ウマ娘によってはゲート入りを渋ったり、極度にゲート内を嫌がるパターンもある。
私はといえば……そこまで嫌ではない。
適度に忌避感がある方がゲートの出がいいとも聞くが、どうなのだろうか。
そんなことを思いながらも、意識は研ぎ澄まされてゆく。
枠入りは順調に進んでいき、最後の後扉が閉まった。
スターターを乗せたリフトが持ち上がるのを視界におさめ、呼吸を整える。
ゲートが開く、その直前の軋み。それを合図に左脚に力を込めた。
ガコン。
開いたゲートとほぼ同時に飛び出す。
ぐんぐんと加速して前に入ってきたのは黄色の勝負服。そのまま強引にハナを取ってくる。
行きたいなら行かせてやろう。私はその後、番手に着ける。
外の動きはすでに把握している。
有力ウマ娘は切り込んできていない。半バ身差で1人並びかけてきているが問題はない。
すぐ後方には3人。ここに有力なウマ娘が何人か居る。
そのまま隊列は3コーナーへ。
カーブの曲率を利用して後ろを確かめる。
内からファイングレイン、ビービーガルダン、そして外にスリープレスナイト。
この3人が私の直後、1バ身ほどあけて追走してきている。
3コーナーを回って4コーナーへ。
まもなくスタンドが見えてくる頃だ。
さあ、行こうか。
4コーナー半ばで左脚を強く蹴り出し、進出を開始する。
400mの標識を横目に見ながら、わずかに外に振って前の風よけにしていた逃げウマ娘をかわす。
そのまま先頭に立つ。
直線に向いて、スタンドからの歓声が押し寄せる。
残り300。
後方、外寄りから1人のウマ娘が接近。
来ている。力強い踏み込みの音。
だが、差は変わらない。
そのままのリズムで脚を運ぶ。
外の蹄音は消えない。だが、近づいてもこない。
残り200。
加速はもういらない。維持で十分だ。
おおよそ1バ身。
だが、それ以上は来ない。
残り100。
横殴りの歓声がさらに大きくなる。
それでも状況は変わらない。
このままでいい。
そのままの速度でゴール板を通過した。
脚を緩めながらコーナー半ばまで走り抜け、ゆっくりと転回して戻ってくる。
確定した電光掲示板に表示されているのは私の番号。
| 中山 | 11R | 確定 |
| ||
| Ⅰ | 1X |
| |||
| > | X1X |
| |||
| Ⅱ | 14 |
| |||
| > | X1 1/4X |
| |||
| Ⅲ | 15 |
| |||
| > | ハナ |
| |||
| Ⅳ | 13 |
| |||
| > | 1/4 |
| |||
| Ⅴ | 11 |
……勝った、のか。
遅れて実感が追いつく。
サクラバクシンオー以来のスプリンターズステークス連覇。
スタンドを埋める観客の歓声が、遅れて押し寄せる。
それに手を挙げて応える。
そう。これで──あの日の背中に、手が届いた。
届いた。
……そのはずだ。それでも。
何かが、足りない。
ウイナーズサークル。
息を整えながら、脚を緩めてスタンドへ向けて手を挙げる。
歓声は先ほどよりも大きい。
観客の声援に応える。
それは、いつも通りの動作だ。
ウィナーズサークルへと足を向ける。敷かれた導線の先には、見慣れた顔が待っていた。
「おかえりなさい。まずはおめでとう」
トレーナーさんの声は、あくまで静かだった。
「見事にやり切りましたね。あの形まで持ち込めたなら、もう文句はありません」
「……はい」
「よくやりました」
トレーナーさんはにこやかな表情で一つ頷く。
「……どうですか」
柔らかな問い。急かすものではない。
「問題ありません。想定通りです」
「そうですか」
それ以上は踏み込んでこない。ただ、視線だけがわずかに含みを残した。
「お見事です!!」
弾む声にそちらを振り向く。
バクシンオーさんだ。
「完璧でした!! 位置取り、仕掛け──まさに理想形です!! 連覇達成、本当におめでとうございます!!」
「ありがとうございます。想定通りに運べました」
「ええ! それで十分ですとも!!」
迷いのない肯定。バクシンオーさんらしい。
「勝つべきレースを勝ち切る──それこそが、最も難しいことなのですから!!」
ほんのわずかに、声が落ちる。
「……その先は。走り続ける者だけが知る領域ですね」
──その先。
バクシンオーさんの言葉を胸の内で反芻する。
これで国内スプリントは制した。……それで? 私は、あの日の背中に──。
「……今日はここまでです」
トレーナーさんの声に我に返る。
「余計なことは考えなくて結構。今は勝った──それでいいではありませんか」
肩に触れる手。
軽く、だが確かな重み。
「今日は、ゆっくり休みなさい」
私は、頷く。
促されるままに足を止めると、トレーナーさんが胸元へ手を伸ばした。
胸元に金属のパーツでまとめられている略綬のリボン。それが慣れた手つきで外される。
代わりに取り付けられるのは、スプリンターズステークスのレイを模したリボンにⅡのピンが付いたもの。
スプリンターズステークス、連覇。
指先が離れる。
視界の端でカメラの放列からフラッシュが瞬き、シャッター音が重なる。
記録される。この結果が、この形で。
──連覇。
証として、胸に残る。
手を挙げ、歓声が応える。
それもまた、いつも通りのことだった。
そして、メディアが入っての勝利者インタビューに移る。
「スプリンターズステークス連覇達成です。今のお気持ちをお聞かせください」
「予定通りの結果です。連覇は目標の一つでしたので」
なんとも陳腐な質問だ。
短く答える。言葉に淀みはない。
「サクラバクシンオーに並ぶ連覇となりました。この記録についてはどう受け止めていますか?」
「並んだ、という評価になるのであれば光栄です」
そう、並んだ。
事実として処理する。それ以上でも、それ以下でもない。
「今日のレースですが、どのあたりが勝因だったとお考えですか?」
「自分のレースができました。それに尽きます」
ここは明確に答えられる。再現性のある領域だ。
番手追走からの4コーナーでの抜け出し。それは短距離における勝利の方程式にほかならない。
「これで現役最強スプリンターという声も高まると思いますが、その点についてはいかがでしょうか?」
「評価は他者が決めるものです。私は、次のレースに向けて調整を続けるだけです」
フラッシュが瞬いた。
そっと拳を握りしめる。私は、あの日の栄光に手が届いたのだろうか。
「今後のローテーションについて教えてください」
「マイルチャンピオンシップ、年末は香港スプリントを予定しています」
次は既に決まっている。
英国で問題なく勝利した以上、当初の予定を崩す必要はない。
ここまでは特に問題なく質問をさばくことができた。
次に順番が回ったのは、白いスーツを着た女性
「月間トゥインクル、乙名史です。連覇達成、お見事です」
乙名史悦子記者だ。
彼女はまあまあの確率で核心を突いてくるので、油断ならない。
「目の前に、連覇という同じ記録に到達された方がいらっしゃいますが。その上で──ご自身としては、どこまで来たと感じておられますか」
──どこまで来たか。
問いの形をしているが、実質は確認だ。
連覇。記録。評価。事実は揃っている。
ならば、どこまで来たか。
……どこまで、来た?
一瞬だけ、思考が空転する。
あの日の背中。届いたはずの距離。
だが、そこにあるはずのものが、見当たらない。
「……」
わずかに視線を動かし、間を置いて答える。
「結果としては、同一の記録に到達しています。ですので、到達したという評価になるのでしょう」
そこで一度、言葉を切る。
「──ただ」
続けかけて、止まる。
「現時点で、それ以上のことは」
そう答えると、乙名史記者は一礼して下がった。
それ以上、問われることはなかった。
──助かった。
……何が?
「最後に、ファンの皆様へ一言お願いします」
「ご声援、ありがとうございました。今後も結果でお応えできるよう努めます」
最後の質問はお決まりのもの。
返すべきは形式に沿った言葉。それも必要な分だけでいい。
こうして囲み取材は終わり、記念撮影に移る。
今日も観戦に来てくれていた両親と末妹、優勝トロフィーを持つトレーナーさんの間で、真紅の優勝レイを肩にかけてカメラの前に立つ。
……確かに勝った。勝ちはした。
だが、思っていたほどには……満たされなかった。
中山レース場、重賞用控室。
明かりの点いた控室は、静かだった。
ウイニングライブへ向かったセミラミスの気配だけがわずかに残っている。
「……あの娘は幸いです」
サクラバクシンオーがぽつりと呟いた。
いつもの明るい調子ではない、平坦な声。
「まだ、勝つべきレースがあるのですから」
吉富トレーナーが何事か口を開こうとしたその時。
扉をノックする音。明石椿トレーナーだ。
「すみません、少々父に捕まりまして」
そう軽く頭を下げて、吉富トレーナーに報告する。
「セミラミスの脚部ですが、問題ありません。ケアも完了しています。消耗は想定以下です」
「流石ですね、椿さん。アルケス流の脚部ケア術は伊達ではありません」
バクシンオーの声だけが場違いに明るい。が、吉富トレーナーは応じない。
──問題は、そこではない。
「……予定通りのローテで行きましょう。彼女の望むように」
脚に問題がないなら止める理由はない。小さくそう言った。
椿トレーナーも頷く。
「承知いたしました」
「さあ、ライブの応援に行かなくてはなりませんね!!」
バクシンオーが立ち上がる。
それに続いて椿トレーナーと吉富トレーナーも相次いで席を立った。
扉が閉まり、明かりが消える。
誰もいなくなった控室に、静けさだけが残った。