驀進王に憧れてトレセン学園に来たダメダメな私が3つの玉座の女主人と称えられるまで   作:八幡悠

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143 短距離の女主人と北の獅子

 美浦寮、自室。

 

 

 夕食後の部屋には甘い香りが漂っていた。

 

「毎日王冠お疲れさん、レヨネット。ほら差し入れ」

「わぁ、ありがとうございますアネキ!」

 

 室内には私たち姉妹の他にもう一人。ダイワメジャーさんだ。なぜかレヨは彼女のことをアネキと呼ぶ。正直気持ちはわかる。

 片手には紙袋、もう片方には銀色の缶ジュースが入ったコンビニ袋という姿で現れた彼女は、去年末まで自分の部屋だった室内をぐるりと見渡す。

 

 テーブルへ並べられるのは小分けされた焼き菓子と、少し高級そうなにんじんジュースの缶だった。

 

「これ結構うまいんだぞ。濃縮還元じゃなくて搾り汁そのまま使ってるんだ」

「へぇ……」

 

 レヨが興味深そうに缶を持ち上げる。

 

 毎日王冠3着。

 

 先日、スプリンターズSの翌週に行われた重賞の結果だ。

 重賞、それもシニア混合戦と考えると十分好走の部類だが、レヨ本人としては悔しい内容だったのだろう。

 だからこそ、メジャーさんもこうして来たのだと思う。

 

「うぅー……せめてホーネットさんには届きたかったなぁ……」

 

 レヨがベッドでクッションを抱えてぼやく。

 

「まあでも、あの展開じゃなぁ。ウオッカの逃げは流石に読めねぇよ」

 

 メジャーさんは缶ジュースを傾けながら、そう苦笑した。

 まあ確かに、ウオッカが逃げもできるとは想定外だった。だが……。

 

「いえ、レヨネットの内容自体は悪くありませんでした」

 

 私がそう言うと、二人の視線がこちらへ向く。

 

「直線の反応も良好でしたし、最後まで脚色も鈍っていません。あの位置からホーネットさんへ2馬身差なら十分です」

「……でも負けたし」

「勝敗自体はそうですが、今回の敗因は展開要素が大きいでしょう。ウオッカさんが逃げたことで隊列が前寄りになりましたし、ホーネットさんもあの形なら簡単には止まりません」

 

 そこまで言ったところで、メジャーさんが割って入った。

 

「お前さぁ……まあいいや」

 

 なぜかジト目でこちらを見て、そこまで言いかけたところで机の上へと視線が滑る。

 

「……ん?」

 

 そこには一冊の雑誌。

 月刊トゥインクル別冊だ。

 

 表紙には勝負服姿の私が大写しになっていた。

 

「あっ、アネキも買ってきてたんですか?」

「購買で見かけてな。ネタになるかなと思って」

 

 そう言って紙袋からもう一冊取り出す。

 同じ雑誌が二冊並んだ。

 少し気まずい沈黙。

 

 そしてレヨが吹き出した。

 

「ふふっ、被ってる……」

「いやだってお前んとこのねーちゃん、今月完全に特集じゃねーか」

 

 メジャーさんが苦笑しながらソファへ腰掛ける。

 

「“短距離の女主人”か。いや盛られてんなぁ」

「……実績自体は事実でしょう」

「本人が真顔で肯定すんな、怖ぇよ」

 

 缶を開ける音。炭酸ではない、濃いにんじんの香りが広がる。

 レヨは嬉しそうに雑誌を広げた。

 先日撮影した写真だ。自然に立ってくださいと言われて撮られたもの。

 もっと動きのある写真の方が良かったのでは、と尋ねたが、これでいいらしい。

 

「でもほんとすごいよねぇ。表紙だよ、お姉ちゃん」

「ただ立っているだけですが」

「その“ただ立ってるだけ”で表紙になるから怖ぇんだよ」

 

 そんなものだろうか。黒背景の表紙を再び眺める。

 

 短距離の女主人、ノルデンセミラミス ──スプリントの到達点

 

「“スプリントの到達点”だって」

 

 レヨネットがどこか誇らしげに読み上げる。  メジャーさんも横から誌面を覗き込み、小さく口笛を吹いた。

 

「まあ実際、今の短距離界だと誰も文句言えねーよな。英国三冠にスプリンターズS連覇。しかもマイル含めG1無敗って、改めて並べると意味わかんねぇ」

「むしろ本人が一番普通にしてるのなんなんだろ……」

「それな」

 

 二人の視線がこちらへ向く。

 そう言われても困る。

 

「マイルチャンピオンシップはまだありますし、香港スプリントも残っていますから」

 

 数秒、沈黙。

 

「……お前さぁ」

 

 メジャーさんが呆れたように缶を揺らす。

 

「普通そこ、“いやそんなことないですよ”とか言う場面なんだよ」

 

 少しだけ返答に詰まる。

 

 そんなことはない。

 ──その言葉は、どこか違う気がした。

 

 スプリンターズステークスを連覇した。  英国でも勝った。

 だが、それでサクラバクシンオーさんへ届いたなどとは、まだ到底思えない。

 だからといって、否定するのも違う。

 

 結局、私は軽く視線を落とした。

 

「……レヨネット、秋は天皇賞でしたか」

「あ、うん。今のところは」

 

 レヨネットが少し姿勢を正す。

 

「毎日王冠を見る限り、2000m自体は問題なさそうでした。ウオッカの逃げで流れがかなり特殊になりましたし、あの展開で最後まで脚勢が鈍っていないなら十分通用するはずです」

「……でも、ホーネットさんには届かなかったしなぁ」

 

 少しだけ悔しそうに、レヨネットが缶を両手で包む。

 

「スーパーホーネットさんも、あの形なら簡単には止まりません。先行勢の中では最も理想的な位置でしたし」

 

 そう返したところで、メジャーさんが深く息を吐いた。

 

「お前、ほんとそういうとこだぞ……」

 

 何について言われたのかは、分からないほどではなかった。

 ただ、どう返せばいいのかは分からない。

 結局私は誌面へ視線を戻す。

 

 数字以上の支配力 ノルデンセミラミスというレースの終わらせ方

 

 そこに書かれている分析を追いながら、無意識に口を開く。

 

「ただ、この部分は少々違いますね」

「ん?」

「4コーナーの時点で勝負が決していた、という記述です。スリープレスナイトさんがもう半拍早く仕掛けていれば、直線で追い比べになった可能性はありました」

 

 部屋が静かになる。

 メジャーさんがなんとも言えない顔でこちらを見た。

 レヨネットは苦笑しながら肩を竦める。

 

「……お姉ちゃん、ほんとレースの話になると止まらないよね」

「悪いことじゃねーんだけどなぁ……」

 

 メジャーさんがぼそりと零し、缶を煽った。

 めしょ、と小気味いい音を立ててスチール缶が握りつぶされる。

 

「おっと、もうこんな時間か」

 

 見ると、確かに消灯時間まで間がない。

 彼女は立ち上がり、テーブルの空き缶をまとめて掴んだ。

 

「セミラミス、ゴミ箱どこだっけ」

「廊下の突き当たりですが」

「じゃ、ついでに持ってけ」

「分かりました」

 

 私が頷いて立ち上がると、レヨネットが少し笑う。

 

「お姉ちゃん完全にパシり扱いされてる」

「先輩の特権って奴だ。んじゃな、レヨネット、おやすみ」

「おやすみなさい」

 

 メジャーさんが悪びれもなく返し、扉を開けた。

 メジャーさんに渡された空き缶をまとめて持ち、私も部屋を出る。

 

 

 夜の美浦寮は昼間よりずっと静かだった。

 廊下に響くのは、自分たちの足音くらい。

 

 自販機コーナーへ着くと、メジャーさんが一塊になった空き缶をゴミ箱へ放る。

 がらん、と落ち込む音。

 

 そのまま戻るのかと思ったが、彼女は自販機の前に立ったまま動かなかった。

 

「……飲み物、いるか?」

「いえ、さっきいただきましたので」

「そっか」

 

 がこん、と自販機へ背中を預ける。

 しばらく無言。

 静かな機械音だけが小さく響いていた。

 私はこの沈黙を嫌いではない。

 

 メジャーさんは昔からこういう人だった。

 無理に踏み込んではこない。

 けれど、気づけば隣にいる。

 

 入学したばかりの頃。

 実家を離れた寮生活にうまく馴染めず、気を張っていた私の背中を、何も言わず撫でてくれたことを今でも覚えている。

 

「……なあ」

 

 ぽつり、とメジャーさんが口を開いた。

 

「妹とちゃんと話せてんのか?」

 

 予想外の問いに、少しだけ瞬きをする。

 

「話してはいますが」

「そういう意味じゃなくてだな」

 

 頭を掻きながら、言葉を探すように続ける。

 

「なんつーか、お前ら妙に距離あんだよ」

 

 自販機の白い光が、ぼんやり横顔を照らしていた。

 私は少し考えて答える。

 

「……同じ競走ウマ娘ですし」

 

 その先をどう言葉にすべきか、自分でもよく分からなかった。

 

「レヨネットは、私の妹として見られることも多いですから。あまり私が踏み込みすぎるのも、本人のためにならない気がして」

 

 メジャーさんは少し黙った。

 

「まあ、お前の言いたいことも分からなくはねーけど」

 

 そう前置きしてから、小さく息を吐く。

 

「でもさ、お前ちょっと極端なんだよ」

「極端、ですか」

「最近、あのスプリングソングとかいう後輩に懐かれてんだろ」

「……懐かれている、のでしょうか」

「否定しねぇんだな」

 

 思わず少しだけ口元が緩む。

 合宿中、妙にまとわりつかれていた記憶は確かにある。

 

「まあ、面倒は見ていますが」

「その感じでいいんだよ」

 

 メジャーさんが缶コーヒーのボタンを押す。

 落ちてきた缶を取り出しながら、続けた。

 

「合宿中もあいつ、寂しがってたぞ」

 

 がこん、と缶が鳴る。

 私は思わず視線を落とす。

 レヨネットが、寂しがる。

 その発想自体は、初めてではなかった。

 

 ただ。

 脳裏に浮かぶのは一年前、マイルCSの日の光景。

 

 ──見て! 入口のとこ、セミラミスよ! 

 ──一番人気だし、これはノルデンレヨネットも負けられないね! 

 

 ──やはり血は争えません! G1 4連勝中ノルデンセミラミスの妹、ノルデンレヨネットがここで初勝利! 

 

 もし私が“姉”として踏み込みすぎれば。

 レヨはますます、“ノルデンセミラミスの妹”になってしまうのではないか。

 

 そんな考えが、どうしても拭えない。

 

「……ですが」

「競走ウマ娘だから、とか言うなよ」

 

 先回りするように遮られた。

 

「お前、頭良いくせにそういうとこ不器用なんだよなぁ」

 

 呆れたような声。

 けれど責める響きではない。

 

「妹って、もうちょい雑でいいんだよ」

 

 私は返答に詰まる。

 

 雑。

 

 その言葉が妙に引っかかった。

 自販機の光だけが、静かに明滅していた。




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