驀進王に憧れてトレセン学園に来たダメダメな私が3つの玉座の女主人と称えられるまで   作:八幡悠

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150 京都レース場 マイルチャンピオンシップ(G1) 芝 1600m 晴 良

 

 本日のメインレースマイルCSの発走時刻が迫っていた。

 ゲート裏で最後の調整に余念がない出走ウマ娘たち。

 中でも注目を集めているのはやはり圧倒的1番人気、ノルデンセミラミスだった。

 

 

U U U

 

 

 落ち着いた様子で目を閉じて精神を集中させているように見える彼女の胸中に去来するのは、控室での吉富トレーナーとの会話。

 

「外枠の15番を引いた以上、自分から突っ込まない限りは包囲の可能性はないでしょう」

 

 端末に表示された昨年のマイルCS、京都芝1600mのコース図。吉富トレーナーは4コーナーの出口付近を指でなぞる。

 

「問題はそこではありません。今年はこちらが動かされる側です」

 

 昨年のマイルCS。ダイワメジャーを相手に、セミラミスは4コーナー半ばから早めに進出した。直線で競り合えば押し返される。ならば、その前に脚を使わせる。

 

 あれは正解だった。

 だが。

 

「今年の相手は、当然あのレースを見ています」

 

 ローレルゲレイロ。カンパニー。スーパーホーネット。

 そして。

 

「レヨネットも、でしょうね」

 

 セミラミスが静かに応じる。

 

「ええ。だからこそ重要なのは一つ。自分のタイミングで仕掛けること。これに尽きます」

 

 彼女は大きく息を吐き、目を開いた。

 ただ自分のレースを、貫くのみ。

 

 

U U U

 

 

 ゲート裏。大きく息を吐くいつものルーティンを終えたノルデンセミラミスに注目しているウマ娘は多い。

 そのうちの一人、ノルデンレヨネットは耳を撫でる秋風に小さく息を吐いた。

 

 視線の先。

 肩口まで伸びた栗毛のウマ娘が静かに立っている。

 

 ノルデンセミラミス。

 

 こちらを見てはいない。

 お姉ちゃん……姉さんは、あたしに限らず他人を見ない。

 

 去年のマイルCS。あたしのデビュー戦の日。

 四角半ばから早めに進出し、昨年覇者のダイワメジャーを削り切った姉の走りは、嫌になるほど映像を見返した。

 

 でも今年は違う。

 姉さんは、あんな風には動かない。

 

 根拠なんてなかった。

 それでも、そう思った。

 

 NHKマイルカップ。安田記念。そしてマイルCS。

 気づけば、あたしはずっと姉さんの背中を追っていた。

 

 姉さんが走った舞台。姉さんが見ていた景色。

 

 追いつきたかった。

 そのはずなのに。

 

 いつからだろう。

 “ノルデンレヨネット”ではなく、“ノルデンセミラミスの妹”として見られることが増えたのは。

 

 姉さんの妹。

 怪物の妹。

 

 姉さんがあたしの名前を口にしてから、周囲の空気はさらに変わった。

 

 記者。観客。他陣営。

 皆、妙にこちらを見る。

 

 まるで最初から、自分も“あちら側”であるみたいに。

 

「自分のレースだけ考えとけ」

 

 ふいに猿田トレーナーの言葉が蘇る。

 

「お前はまだ姉ちゃん見ながら走っとる」

 

 反論はできなかった。

 

 15番枠。

 

 姉さんは静かに目を閉じていた。

 その横顔を見た瞬間、胸の奥がざわつく。

 なんなのか、自分でもよく分からない。

 

 ただ。

 

 負けたくない、と思った。

 追いつきたい、と願った。

 

 ファンファーレが鳴る。

 

 ノルデンレヨネットは小さく息を吸い込み、ゲートへ向かった。

 

 

 

11月23日 京都レース場 第11レース

マイルチャンピオンシップ(G1) 芝 1600m 曇 良

 

 

 

 全員がゲートに収まり、静寂が訪れる。

 秋晴れの京都レース場。張り詰めた空気の中、スターターが旗を振った。

 

『第25回マイルチャンピオンシップ、スタートしました!』

 

 一斉に飛び出すウマ娘たち。

 

『まず内からマイネルレーニア! 外からサイレントプライド! コンゴウリキシオーも前へ行く! ローレルゲレイロ好位!』

 

 先頭争いは激しい。

 マイネルレーニアが押し切るようにハナへ立ち、その外へサイレントプライド。さらにコンゴウリキシオーが並びかける。

 その直後、ローレルゲレイロがぴたりと好位へ収まった。

 

『ローレルゲレイロは4、5番手! 理想的な位置取りか!』

 

 さらにその後ろ、外目。

 15番、ノルデンセミラミス。無理に前へ行かない。かといって下げもしない。

 外に進路を確保したまま、自然体で流れへ乗っていく。

 

『ノルデンセミラミスは中団前寄り! 外目で折り合っています!』

『包まれない位置を選びましたね。去年同様、自分で仕掛けのタイミングを決めたいのでしょう』

 

 そのさらに後ろ。ノルデンレヨネットは外目でじっと前を見ていた。

 

 姉の背中。

 遠いわけではない。手の届かない距離でもない。

 だが、近いとも思えなかった。

 

『レヨネットは中団後方! 姉を見るような位置です!』

 

 隊列が定まり、そのまま3コーナーへ向かっていく。

 ペースは流れていた。

 

『前半3ハロンは34秒台前半! やや速い流れになっています!』

『ただ極端ではありません。前も簡単には止まらないでしょう』

 

 マイネルレーニアが引っ張る。サイレントプライド、コンゴウリキシオー。

 その直後でローレルゲレイロが脚を溜めている。

 

 外。

 セミラミスは変わらず静かだった。無駄がない。

 呼吸も、脚運びも、位置取りも。

 まるで最初から、この場所へ収まることが決まっていたかのように。

 

『ノルデンセミラミス、実に落ち着いています』

『ええ。よい位置を占めていますよ』

 

 3コーナー半ば、まず動いたのは青と水色の勝負服、シニア4年目カンパニーだった。

 

 

U U U

 

 

 大外へ持ち出す。

 じわり、とだ。急激な加速ではない。

 だがその動きは、淀みなく流れていた隊列へ確かな圧力を生む。

 

『カンパニーが外から進出開始!』

 

 前を行くウマ娘たちの背中を見据える。

 ローレルゲレイロ。そして、その外。ノルデンセミラミス。

 

 静かだ、とカンパニーは思う。

 これだけ流れてなお、呼吸が乱れていない。位置も、折り合いも、まるで崩れない。

 

 怪物。

 

 誰もがそう呼ぶ理由が、よく分かった。

 だが。

 だからこそ。

 短い距離で、一瞬の切れ味だけを競えば分が悪い。

 

 ならば削るしかない。長く、早く、息を入れさせずに。

 ここからの京都外回りは、惰性で走れるほど甘くない。

 脚を使わせ続ければ、最後に必ず綻びは出る。

 

 カンパニーはさらに半歩、外から押し上げる。

 

『後方勢も動き始めた! 3コーナーからレースが動きます!』

 

 その気配に、前の隊列がわずかに揺れた。

 

 

U U U

 

 

 ──来やがった。

 

 海老色の胸当てを着込んだローレルゲレイロは、カーブの曲率に合わせるようにわずかに後方へ視線を流す。

 

 来た。

 外。

 

 カンパニーが押し上げている。

 しかもただの進出ではない。じわじわと脚を使わせるような上がり方。

 

 嫌な動きだった。

 このまま外が動けば、前も動かされる。息を入れる暇が消える。

 

 だが。

 ──まだだ。

 

 ローレルゲレイロは前を向き直る。

 マイネルレーニア。サイレントプライド。コンゴウリキシオー。

 先頭集団はまだ止まっていない。

 ここで焦って動けば、自分から苦しくなるだけだ。

 

『ローレルゲレイロはまだ動かない! 好位で我慢しています!』

 

 その外。

 栗毛をなびかせたウマ娘が変わらず静かに走っていた。

 

 ノルデンセミラミス。

 表情一つ変わらない。

 

 だが、気づいていないはずがない。

 カンパニーの圧力も。後方勢の気配も。

 

 それでも動かない。

 ローレルゲレイロは無意識に奥歯を噛み締めた。

 

 ──来るな。

 まだ、来るな。

 

 

U U U

 

 

 その後方外。

 赤服に白襷の勝負服、ノルデンセミラミスもまた、カーブに合わせて後方へ視線を流していた。

 

 カンパニーが動き始めている。

 長く脚を使わせる進出。このまま外が連動すれば、4コーナー終わりを待たずに消耗戦になる。

 

 だが、まだだ。

 

 彼女の栗毛の耳がわずかに揺れる。

 前は止まっていない。ローレルゲレイロも動かない。

 

 ここで反応すれば、自分から脚を使うことになる。

 

『セミラミスも依然として我慢! 動きません!』

 

 去年とは違う。

 今年は、自分が動かされる側だ。

 

 だからこそ、他人の呼吸では走らない。

 

 自分のタイミングは今ではない。

 セミラミスは静かに前を向き直った。

 

 

U U U

 

 

 さらに後方外。

 同じく赤服に白襷の勝負服、ノルデンレヨネットはじっと前を見据えていた。

 

 後方からカンパニーがじわりと押し上げてくる。

 急激ではない。だが確実に、レースの流れが変わり始めていた。

 

 前が揺れる。

 

 ローレルゲレイロはまだ我慢している。

 姉さんも動かない。

 

 けれど。

 

 カンパニーが外へ出た瞬間、空気が変わったのが分かった。

 隊列の呼吸。脚音。淀み始める流れ。

 

 このまま待てば、たぶん姉さんは正しいタイミングで動く。

 

 それは分かる。

 分かってしまう。

 

 去年のマイルCSも。

 NHKマイルも。

 安田記念も。

 

 ずっとそうだった。

 

 姉さん走った舞台を追いかけて。

 姉さん背中を見て。

 その後ろから、正しい答えをなぞるみたいに走ってきた。

 

 それで勝てると思っていた。

 

 でも。

 

 ──また、後ろから見るのか。

 

 胸の奥がざわつく。

 

 悔しいのか。

 焦っているのか。

 寂しいのか。

 

 自分でも、よく分からない。

 

 ただ。

 

 置いていかれる、と思った。

 

 このまま待てば。

 また姉さんは前へ行く。

 自分だけが知っている景色へ。

 自分だけが届く場所へ。

 

 嫌だった。

 

 勝ちたい。

 追いつきたい。

 隣へ行きたい。

 

 何に対する感情なのかも分からないまま、ノルデンレヨネットは外へ持ち出す。

 

『おっとここでレヨネットが動いた! コーナーの中間から外を進出!!』

 

 風が変わる。

 

 その瞬間。

 

 ノルデンセミラミス(姉さん)の耳が、わずかにこちらを向いた。




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