驀進王に憧れてトレセン学園に来たダメダメな私が3つの玉座の女主人と称えられるまで 作:八幡悠
4コーナー半ば。
外からの圧力がついに臨界へ達した。
後方勢が押し上げてくる。
カンパニーの進出を合図に流れは崩れ、隊列の呼吸が変わっていた。
もう少し粘りたかったが……仕方あるまい。
ここでローレルゲレイロの外を回らされても面白くない。
ならば、ここだ。
左脚を踏み込み、前との差を詰める。
ローレルゲレイロの背中へ並びかけ、そのまま外から抜け出しにかかった。
まだ脚は残っている。呼吸も乱れていない。
このまま直線までに後続に外を回らせればいい。
ローレルゲレイロではもう届かない。
カンパニーはほんの少し仕掛けが早かった。
そう判断した、その時だった。
後方外。
鋭く風を裂く脚音。
曲線を利用して視線を流す。
外を回ってきたのは、私と同じ赤服に白襷の勝負服。
ノルデンレヨネット。
その脚色は明らかに違った。外から一気に伸びてくる。
ただ流れに乗っているだけではない。
隊列の綻びを読み切り、最も勢いを乗せられる形で上がってきている。
……ここまで迫ってきたか。
ほんの僅か。
胸の奥で、何かが熱を帯びる。
よろしい、ならば────その瞬間、後方の気配が膨れ上がった。
秋晴れの淀のスタンドが消え、世界が塗り替わる。
冷たい風が吹き抜ける。
灰色の空の下に広がるのは踏み荒らされた戦場。
霜混じりの草原、遠くたなびく黒煙。
戦の気配だけが世界を満たしている。
戦場の中央に立つは赤服に白襷のウマ娘。
その姿を認めた私の胸中深くから湧き上がるは歓喜。
ついにここまで、よくぞここまで。
ここ1年国内では、マーチャンもスカーレットも、ウオッカでさえも来てはくれなかったというのに!
口角が上がるのを抑えきれない。
辺りを見渡す。これが貴女の世界。これが貴女の”領域”か。
素晴らしい。素晴らしいぞノルデンレヨネット。
ようやくここまで来てくれた。
その強さに敬意を表して礼を捧げ──全身全霊をもって叩き潰そうではないか。
私は刀礼の形に振り下ろした
それに応じるように暗雲を吹き払うように柔らかな風が吹きおろし、三条の光が差し込んで戦場をを彩りで染め上げていく。
最終直線、戻ってきた観客の歓声が耳を打つ。
残りは400を切っている。
内ではローレルゲレイロが懸命に粘っていた。
だがその脚色では到底持つまい。
脚を前へ。さらに前へ。
蹄鉄がターフを掴み、後ろへ蹴り出す。
身体が軽い。背中を押されているかのように加速する。
視界の端。
外から並びかけんと迫っていたノルデンレヨネットの気配がわずかずつ退いてゆく。
おそらく“領域”が砕けた反動だろう。初めてなら尚更……いや、ローレルゲレイロの初回に比べればよく持っている。
だが、それでも追従してきている。
まだ来るのか、と胸の奥が熱を帯び、口元が緩む。
ローレルゲレイロを突き放す。
海老色の胸甲が力尽きたように後ろへと沈んでいく。
風が頬を打ち、歓声が膨れ上がる。
けれどまだ終わらない。
後方。
まだ食らいついてくる気配がある。
ノルデンレヨネット。
脚色は落ちている。
それでもなお、こちらへ届こうとするように前へ出てくる。
──いい。
本当に、いい走りだ。
ならば応えよう。持てる全てをもって。
さらに一段、重心を落とす。
左脚に力を込めて蹴り出す。
野芝の反発を最大限に使って加速、景色が後ろへと流れる。
後ろの気配が離れていく。
残り200。
残り100。
ゴール板が迫る。
そして。私は先頭で、決勝線を駆け抜けた。
『ノルデンセミラミス史上5人目の連覇達成! 先日のスプリンターズステークスに続いて、2つの距離の女主人の治世は盤石だ!』
歓声が降り注ぐ。
荒い呼吸を整えながら速度を落とし、コーナー付近でゆるやかに反転する。
背後から後続のウマ娘たちが流れ込んでくる。
海老色の胸甲姿の同期、ローレルゲレイロ。
差し込んできた、このレースでの引退を宣言していたスーパーホーネットとブルーメンブラット。
そして──。
赤服に白襷の勝負服、ノルデンレヨネット。
ほんの一瞬だけ視線が合った気がした。だが、その表情までは読み取れなかった。
そのまま常歩へ落とし、スタンド前へ引き返していく。
観客席から降り注ぐ歓声が耳に心地いい。
ふとターフビジョンへ視線を向ける。
| 京都 | 11R | 確定 |
| ||
| Ⅰ | 15 |
| |||
| > | X 1 X |
| |||
| Ⅱ | 6X |
| |||
| > | XアタマX |
| |||
| Ⅲ | 7X |
| |||
| > | 1/2 |
| |||
| Ⅳ | 16 |
| |||
| > | 3/4 |
| |||
| Ⅴ | 17 |
電光掲示板に表示された着差は1バ身。
前でレースをしていたウマ娘たちは全員掲示板外。
……後方決着でしたか。
カンパニーの仕掛けから流れは確かに変わっていた。
展開だけを見れば、むしろ後ろの方が向いたはずだった。
それでも届いてきたのは、まくって上がってきたレヨネットだけ。
口元が自然と緩む。
本当に、良い走りだった。
ざわめくスタンドを横目に、私はウィナーズサークルへと歩みを進めた。
ウィナーズサークル。
歓声とフラッシュの中、フライトさんが微笑みながら私の胸元へ略綬を取り付ける。
マイルCSの優勝レイの色のリボンには、連覇を表すⅡのピンが輝く。
「おめでとう。これで連覇だね」
彼女の指先が銘板を整え、マイルCS連覇を示す色が胸元へ加わった。
続いて椿さんが小箱を開く。
中に収められていたのは、今週の水曜日に発表されたカルティエ賞最優秀短距離ウマ娘受賞記念章。
その品のある箱に小さく刻印された獅子の紋章は見なかったことにしたい。代理で受賞会場の英国まで行ってもらった椿さんの手が微妙に震えている。
脳裏に浮かんだいたずらっぽく笑うご婦人の顔を、軽く頭を振って振り払う。
『カルティエ賞の受賞は日本ウマ娘初、さらに欧州以外所属ウマ娘でも初となる快挙です!』
胸元へ留められた新たな記章が、秋空の陽光を反射して静かに輝いた。
欧州を征し、スプリンターズステークスを連覇し、いよいよ次は香港へ。
これで、あの日の誓いに届くはずなのだ。
そのまま記者によるインタビューに移る。
「連覇達成、おめでとうございます。まずは今のお気持ちをお聞かせください」
「ありがとうございます。皆さん本当に強敵でしたので、まずは無事勝てて安心しています。今日は久々に最後まで気の抜けない、とても良いレースでした」
やはりレースとはこうでなくては。
「直線ではノルデンレヨネットさんが外から迫りました。姉妹対決となりましたが?」
「ええ。本当に強くなりましたね。あの位置から最も勢いを乗せて上がってきましたし、非常に良い判断だったと思います」
実際、あれより早くても遅くてもブルーメンブラットさんに差されていたことだろう。
レヨの判断はベストなものだった。
「4コーナーからかなり早めに動かれました。あれは予定通りだったのでしょうか?」
「いえ、ある程度流動的でした。カンパニーさんが動かれてから全体の流れが変わりましたので。あのまま待つより、自分から動いた方が良いと判断しました」
実際、あれが一番嫌な動きだった。
トレーナーさんも言っていたが、老練なウマ娘と何をやってくるか分からない竪川トレーナーのコンビは本当に怖い。
「最後の直線、さらに一段加速したように見えました」
「今日は調子が良かったものですから。最後まで脚を使い切る意識で走っていました」
記者さんに“領域”の話をしても仕方がない。
私たちウマ娘だってあれが何なのか分かっていないのだから。
「カルティエ賞最優秀短距離ウマ娘受賞おめでとうございます。日本所属として、さらに欧州所属以外としても初受賞となります」
「大変光栄に思います。欧州遠征では多くの方々に支えていただきましたので、その結果だと思っています。ですが、まだシーズンは終わっていません。次のレースへ向けてしっかり準備したいです」
まだジャパンカップも香港国際競走もある時期に、自分たちの開催が終わったからとさっさと授賞式をやってしまうのが欧州らしいと言えばらしい。
「次走は香港スプリントでしょうか?」
「はい。その予定です」
「香港へ向けての意気込みをお願いします」
「必ず勝ちたいと思っています」
歓声と拍手が上がる。
軽く頭を下げながら、ふと視線を感じてそちらへ目を向ける。
レヨがいた。
ちょうど隣でカンパニーさんが何か話しかけているところだったが、レヨはこちらを見たまま、どこか上の空に見える。
表情が薄い。
普段のレヨなら、年長者相手にあんな態度は取らないだろう。
……悔しさが残っているのだろうか。
ライブ後に改めて声を掛けることにしよう。
今日は本当に、良い走りだったのだから。