驀進王に憧れてトレセン学園に来たダメダメな私が3つの玉座の女主人と称えられるまで 作:八幡悠
ホテル高層階のラウンジは、ガラス張りの壁一面に香港の夜景を映していた。
ヴィクトリア・ハーバーを挟んで立ち並ぶ摩天楼。
色とりどりのネオンが水面へ反射し、黒い海を宝石箱のように輝かせている。
これがかの有名な香港100万ドルの夜景だった。
天井は高く、照明は落とされていた。
代わりに窓の外の光が室内を淡く照らしている。
壁際には立食形式の料理が並び、飲み物を片手に談笑するウマ娘たちの姿があった。
先程の公式レセプションとは違い、出走ウマ娘と関係者のみが集まっていた。
だが、それでも200人……まではいかないが少なくとも100名以上が出席しているのだろう。
「ヤアヤアよく来テくれたね。セミラミス、レヨネット」
二人とも安田記念ぶりだね、とニコニコしながら近づいてきたのは黒いドレスの胸元に大きな赤いリボンをあしらった勝負服のウマ娘、グッドババさん。
おそらく現地香港勢としてホスト役をかって出ているのだろう。
「(いやはや、去年の時点でも十分すごかったが。まさか負け知らずのG1・12勝とは! それも英国すら制して無敗でここに乗り込んでくるとはね)」
「(恐縮です)」
「(過度な謙遜は美徳ではないよ。マイルで戦えないのは残念だが、いずれにせよ君は注目の的なんだからね)」
そう言ってバシバシと私の肩を叩く。いたい。
そのまま彼女はレヨの方に向き直った。
「(君もだよ。私もアルマダも、地元香港のマイルで君と戦うことを楽しみにしていたのだが。残念だね)」
アルマダ、今年の安田記念にも出ていた香港のウマ娘だ。
番手からレースを進めたものの直線半ばで先行したウオッカに抜かれ、ゴール直前でレヨにも差されたが香港勢では最先着の3着だった。
「(遠征先の府中ならともかく、そちらのホームの
レヨはそうある意味臆したような返答をするが、決して臆病ゆえとは言えまい。
遠征先で僅差3着のアルマダが強いのはもちろん、それに地元であればシルバーコレクターを強いてマイルG1を4連勝したのがこのグッドババというウマ娘だ。
安田記念での着外は単純に遠征✕なだけだろう。
「(私が唯一勝ったことのある2000mで勝負させていだだきます)」
「(……まったく、君たちは姉妹揃って謙遜が過ぎる。結果的にそうであるというだけで、姉君がいつも言うとおり君にはいつでもG1を勝つだけの実力があるのだから、胸を張り給えよ)」
な、というようにグッドババさんがこちらを見たので、頷きを返しておく。
当然だ。レヨの実力はこんな1勝程度のものではないはずなのだから。
胸の奥に響く痛みをそのまま封じ込める。私に、それを顔に出す資格などあるものか。
その話題に上がった、提督風のサーコートのような勝負服のアルマダも加わって談笑が続く中、私を認めたか新たなウマ娘が近づいてきた。
オレンジ色の上着に金刺繍の飾りの入った黄緑色のマント。マルシャンドールさん。そして海老色の胸甲と具足をガチャつかせたローレルゲレイロさんだ。
どうやらスプリンター2人で話していたようだ。
よく話せるな、と思ったが、マルシャンドールさんは日本の文化にも造詣が深く日本語も喋れたのだった。
「(相変わらず君は遠征先でも元気そうで何よりだよ。食べ物は英国と比べることすら失礼だろうからね)」
そう言われてよく見てみれば、化粧で補われているがあまり肌艶が良くない。
グッドババさんが、わかるー、と言わんばかりに頷いているあたり、彼女らはやはり遠征✕だったのだろう。
「(ええ、それはもう。彼らがその統治の間に飲茶文化を破壊しなかったことは僥倖でしょう。せめて1割でも持ち帰っていてくれればよかったのですが)」
「(相変わらずだね。それより、愛しの妹さんを紹介してはくれないのかい?)」
一瞬、空気が止まる。
何か、何か言わねばと口を開きかけたところで、目を輝かせたグッドババさんと目があった。
「(愛しの妹!?)」
「(ええ、フランスや遠征中にはしょっちゅう聞かされましたよ。妹が可愛い、頑張っている、私なんかよりよほど将来有望だとね)」
あの数週間でこれだけ聞かされたのだから、普段から一緒にいると大変だろう、とローレルゲレイロさんに振るが、彼女は困惑の表情を隠さない。
「(いいえ。彼女が彼女の妹に対して“愛する”と形容したことはありません。それどころか、彼女が彼女の妹をそのように評価したこともありません。少なくとも私は知らない)」
「(おや、ローレルゲレイロは聞いたことがなかったかい。ウチのゴルディなんかは辟易してたものだが)」
ようやく頭が回りだす。
いや待って、そんなこと言いましたか? ……多分、言ってない。はずだ。
「(マルシャンドールさん。……その、誤解を招くような表現は控えていただけると……)」
「おやおやおやぁ? 愛しの妹ちゃんに知られるのは恥ずかしいのかい? 残念ながら君に弱点があるとすればメンタルだけなのは重々わかってるからね、存分に突かせてもらうよ?」
にまにまと悪徳商人の如く笑みを浮かべるマルシャンドール。
これで香港勢が有利になるなら聞かないわけにはいかないねぇ、と野次ウマモードのグッドババ。ローレルゲレイロも興味津々といった様子だ。
……終わった。
「(そうそう、ゴルディ……ゴルディコヴァがトリプルティアラで勝ちきれなくて悩んでいた時にもねぇ──)」
そう言って彼女はグラスを回す。
「(最初は王道路線だけがレースではないと普通に慰めていたようなんだが、途中から様子が変わってきてねぇ。妹もクラシック路線は諦めざるを得なかったが今にいくつもG1を勝つ、君だって妹ほどではないが才能はあるのだから頑張れ、と励ましだか妹自慢だか分からないことを延々聞かされたと愚痴っていたよ)」
そんなこと言っただろうか。……言ったかもしれない。
「(事ある事にそんな調子でね。好き嫌いだの放っておくと甘いものばかり食べるだの勉強はできるのに部屋を片付けないだのと、すぐに妹の話をする。お陰で初めてあった気がしないくらいだよ)」
……心当たりは、ある。
「(そうだ、レヨネットさん。ディープスカイさんとの仲は大丈夫かな? 友人だったようだがNHKマイルで負けて彼女がダービーを取ったものだから、2人の仲がギクシャクしていないか大層お姉さんが心配していたよ)」
……あー。
「(姉バカここに極まれり、というやつか)」
「お前、そんなシスコンだったんだな」
グッドババさんとローレルゲレイロの呟きに反応する気力もない。
「(だから私は言ってやったのさ)」
「(どういうふうに?)」
「(そんなに思っているなら私にじゃなくて直接いいなよ、って。そうしたらなんて帰ってきたと思う?」
……待ってくれ。それは。
「(レヨがノルデンレヨネットではなく、私の妹として消費されることに私は耐えられない、だとさ)」
マルシャンドールさんは肩を竦める。
「(なるほど立派な理屈だと思ったよ。だから私は聞いたんだ。それは本人に言ったのか、と)」
心臓が止まりそうになる。
「(そしたら君は黙った。だから決めたんだ。本人に会ったら全部話してやろう、とね)」
マルシャンドールさんは悪戯っぽく笑った。
その後この会話をどうやって切り抜けたのか、どうやって宿泊所まで戻ってきたのかは定かではない。
ただ一つ、消灯した室内にポツリと落とされたレヨの言葉だけが耳に残っている。
「……なんで、それを」