驀進王に憧れてトレセン学園に来たダメダメな私が3つの玉座の女主人と称えられるまで 作:八幡悠
誤字報告ありがとうございます。
016 京都レース場 ジュニア級メイクデビュー 芝 1400m 晴 良 右
京都レース場、出走者控室。
廊下にずらりと並んだ平場出走者用の小さな部屋の1つに、2人の体操服をまとった出走者の人影があった。
1人はこの部屋の主、ノルデンセミラミス。本日の第5レースでメイクデビューを迎える未出走ウマ娘。
もう1人はウオッカ。同じく本日の第8レース黄菊賞に出走する1勝クラスウマ娘だ。
「いよいよだな、セミラミス」
「はい、ようやくです」
彼女らは同期同路線のライバルであると同時に、それぞれあこがれの先輩を持つ者同士ある種の同志である。
それもあって、ウオッカは本来は自身の準備に費やすべき時間をぬって激励に訪れていた。
「ウオッカさんも出走前なのに、ありがとうございます」
「いいってことよ。俺のメイクデビューのときも応援に来てくれたじゃねーか。その礼だと思ってくれたらいいさ」
実際、ウオッカのメイクデビューのとき彼女は現地で応援していた。
もっともそれは、
「大丈夫さ、お前なら勝てるよ。俺だって楽勝だったんだ、俺と
「……ありがとうございます」
「もっとも、俺はすぐオープンクラスに行って、次はジュニアG1の阪神ジュベナイルフィリーズだがな」
早く追いついてこいよ、とニヤリと笑ってウオッカは拳を突き出す。
ノルデンセミラミスも一瞬戸惑ったが苦笑して拳をあわせた。
「よっしゃ、じゃあな。次は阪神レース場で、だ」
「……はい、阪神レース場で」
そう言い残してウオッカは控室を辞した。
そして、入れ替わるように入ってきた初老の女性は吉富トレーナー。彼女の担当トレーナーである。
「得難い友人を持ちましたね」
開口一番、出口を見やりながらトレーナーは言う。
自分のレースもあるというのに、直前まで友人のもとに来てくれるウマ娘は珍しい。まして同期同路線のライバルならなおさらだ。
同じトレーナーとして、よく八木トレーナーを説得できたものだと彼女は思う。
「ええ、私などには過ぎた友人です」
「……そう己を卑下するのは良くない癖ですよ。まあ、時間もないことですしブリーフィングを始めましょう」
そう言ってトレーナーはタブレットを取り出し、京都レース場の鳥瞰図を映し出した。
京都は右回りのコースで、第3コーナーを頂点とする坂があるのが特徴だ。3から4コーナーには内回りコースと外回りコースがあるが、メイクデビューでは内回りを使用する。
「最も気になっていたバ場ですが、先程芝については稍重から良となったと発表がありました。この意味がわかりますね?」
「はい。唯一の懸案が消えました」
ノルデンセミラミスの現状での欠点はただ1つ。重バ場では走法の関係で実力を発揮しきれないこと。
デビュー前に行った改善はあくまで合わなくなった走法を身体に合わせるための矯正であり、走法の系統まで変えたわけではない。
重バ場が苦手というのは、走法がサクラバクシンオーと同系統である時点で避けられない欠点であった。
それを克服すべく荒れたバ場用の走法の練習も進めていたが、それはいまだものになってはいない。今は持っている手札で戦うより他にない。
そういう意味で、天気が唯一の懸案であった。そして、今それはなくなった。
「そのとおりです。本来はコース取りなどを復習すべきですが今回はもういいでしょう。枠順については覚えていますね?」
「京都内回りは内枠有利、今回は12人立て4枠4番ですので不利ではありません」
「大変結構です」
そこへ、スピーカーから雑音が響きチャイムが鳴る。
『──第4レース出走20分前です。第5レース出走者はパドック前通路に集合してください』
トレーナーが慌ててタブレットを鞄にしまう。
なにしろ第4レースにも彼女の教え子は出走している。今はパドックでのパフォーマンス中だろうが、レース直前に地下バ道で会おうと思えばそろそろ移動しなければならない。
「何かいうとするなら、ゲートを出ること、そして走ること。以上です。パドックで怪我などしないよう」
「はい、気をつけます」
そう言ってトレーナーは部屋を出る。
そして前に駐車してあった1輪タイプのセグウェイに飛び乗ると地下バ道へと走り去っていった。
「すごい体幹……っと、私もいかなきゃ」
パドックでのパフォーマンスはつつがなく終わった。
たしかにパドックには人が多い。だがこれは本日がG1エリザベス女王杯の日だからであって、彼女らのメイクデビューが注目されているわけではない。
彼女ら自体のファンといえば、せいぜい何組かの家族と思しきこじんまりとした応援団がいる程度。あとはデビュー戦で原石を発掘することを趣味とする奇特な人が多少いるぐらいだった。
ノルデンセミラミスにしても両親と小学校の同級生などからなる応援団で、それでも他に比べれば個人への応援では最大級なぐらいだった。
「セミラミスー! がんばれー!」
「絶対勝てるよ!」
パドック前にある電光掲示板によれば1番人気はスズカコーズウェイ、僅差でキープユアアイズが続き、ノルデンセミラミスは3番人気だった。
『──第5レース出走20分前です。第6レース出走者はパドック前通路に集合してください』
アナウンスと同時に緑の制服を着たレース場の職員がパドックに現れ、出走者を地下バ道へと誘導する。
その入口のところに各々のトレーナーが最後の激励のために待ち構えていた。
「……吉富トレーナー、私、3番人気でした」
「新バ戦の人気など半分はトレーナーの人気投票ですよ。勝つのは貴女です」
吉富トレーナーは不安げな顔で報告するノルデンセミラミスをそう鼓舞する。
隣でスズカコーズウェイについていた奈瀬文乃トレーナーが端正な顔のまま睨んでいるのについては、気付いているのかいないのか華麗にスルーした。
「大丈夫、あたしが勝ってみせるから」
それに気付いたスズカコーズウェイが、奈瀬トレーナーの袖を引いて静かに宣言する。
奈瀬トレーナーも黙ったまま頷き、そっと彼女の背を押した。
一方で吉富トレーナーも最後の仕上げとして両手でノルデンセミラミスの肩から腕を撫で、彼女を送り出した。
「とにかく、楽しんでいらっしゃい」
「はいっ!」
ぞろぞろと地下バ道を進む一団。その先にはコースにつながる明かりが見える。
暗い地下バ道から出ると、揃いの赤い正装と黒い制帽に身を包んだ誘導ウマ娘の誘導のもと、芝のコースを1/3周してゲート前へと集合する。
もっと上のクラスやクラシック級以降であれば芝の状況を確かめるために走るものもいるが、このクラスだと皆誘導に素直に従う。
各ウマ娘ゲートイン、発走の準備が整った。
11月12日 京都レース場 第5レース
ジュニア級メイクデビュー 芝 1400m 良
『さあ各ウマ娘一斉に飛び出しました、なかでも4番ノルデンセミラミス、いいスタート』
栗毛のウマ娘がゲートをポーンと飛び出し加速、そのまま内側へ切り込んでいく。
『──番トウケイサイレンス、ここまで先行集団を形成。1番スズカコーズウェイ、7番マルイチキセキ──』
実況が隊列を読み上げている間にもじわじわと差を広げる。
3コーナーに入る頃には後続から3バ身近い差となっていた。
そのまま京都内回りの急なコーナーをものともせず経済航路を進んでゆく。
そしてあっという間に最終コーナーへとさしかかった。
『400の標識を通過、逃げを打つ先頭から最後尾まで12バ身といったところ。後ろの娘たちは間に合うのか!?』
「なんなのアレ……」
「嘘だろ?」
「……これは決まったわね」
ウマ娘のプロであるトレーナーたちの見立ては実況とは違った。
あれは逃げているのではない。巡行速度がそもそも違うのだ。カーブの途中で前傾を深くしてスパート体勢に入ったのがその証拠だ。
現に、後続との差はさらに広がりつつある。
『328mの直線、おおっとこれはセーフティリードか4番ノルデンセミラミス!? 10番トットンメ、1番スズカコーズウェイ追い上げてくるがどうだ!』
後方脚質の娘が追い込んでくるが、あの中山なみに短い直線で捉えきれるはずもない。
「すげぇぞあの4番の娘、なんて名前だ?」
「これは来年のクラシックが楽しみね」
「やった! ノルちゃんが勝った!」
「よくやったぞセミラミスー!」
『勝ったのは4番ノルデンセミラミス、2着は微妙ですが6番トットンメ、10番キープユアアイズ──』
観客は沸いているし、地元なこともあってそれなりの数がいる応援団も歓声をあげている。
その声を受けたノルデンセミラミスも勝利した安堵の表情を浮かべて控えめに手を振っている。
だがその後ろでは、2着以下で入線したウマ娘の大半が化け物を見るような目つきで彼女を見ていた。
何人かに至っては心が折れてしまったような表情をしている。
無理もない。逃げていると思っていたウマ娘の背中が、こちらもスパートしているのに遠ざかっていく光景ほど心に来るものはない。
そして電光掲示板に表示された着差は3と1/2。それも最後は後ろをちらりと窺って流す余裕を見せてのそれだった。
「畜生ッ……いつかもう一度……!」
その中で唯一闘志を燃やしていたのが4着のスズカコーズウェイ。
後の話となるが、彼女の誓いは数年後に果たされることになる。
ウイニングランを終えてウィナーズサークルへと戻ってきたノルデンセミラミスは、両親や小学校の同級生に取り囲まれて祝福を受けている。
ゴールからしばらく経ってようやく勝利の実感がわいてきたのか、彼女も笑顔で対応できるようになったようだ。
そんななか、遠巻きにそれを眺めていた吉富トレーナーの口元には抑えきれない笑みが浮かんでいた。
「これはもしかしたら、もしかするかもしれませんね……」
ウマ娘第一を旨とする彼女にも人並みの野心はある。
抽選を潜り抜ける必要があるとはいえ阪神ジュベナイルフィリーズ、そしてティアラ初戦たる桜花賞。
もしかしたら、彼女なら届くかもしれない。ジュニアクイーンに、自身の教え子初のクラシックの栄光に。
「トレーナーさん! こっちですよ! 早く来てください!」
トレーナーが気づけば、カメラを携えた職員の前でノルデンセミラミスが手を振っている。
いつのまにか家族や友人が隣に並んでおり、記念撮影の準備が整っていたようだ。
「すみません、お待たせいたしました」
トレーナーはいつもの柔和な笑みを意識して作ると、ラチをくぐって自身の愛バのもとへと歩き出した。
なお、この後行われた黄菊賞でウオッカは惜しくも2着。メインのエリザベス女王杯は1位入選のカワカミプリンセスの降着によりフサイチパンドラが優勝、アサヒライジングは繰り上がり4着であった。