驀進王に憧れてトレセン学園に来たダメダメな私が3つの玉座の女主人と称えられるまで 作:八幡悠
『(それでは続いて1番人気をご紹介しましょう。14番、
ひときわ大きな歓声。
壇上に上がった赤い勝負服のウマ娘が周囲を睥睨する。
G1・12勝。
短距離11戦無敗。
カルティエ賞最優秀短距離ウマ娘。
既に短距離最強の呼び声も高い彼女は、それを誇るでもなく今日もステージに立っている。
柔らかな微笑を浮かべ、歓声に軽く手を挙げて答える様はまさしく理想的な女王。
あまりに理想的過ぎるほどに。
関係者出入口からそれを眺める彼女よく似た顔立ちのウマ娘は、それが仮面に過ぎない事を知る数少ない者だった。
ノルデンレヨネット。
レヨネットの出走する香港カップは香港スプリントの3レース後。
本来であれば、悠長にこんなところにいるのは不自然な部類だ。
だがレヨネットを担当する猿田トレーナーは敢えて彼女をこの場に送り出していた。
「……どうして」
そう彼女は呟く。
「どうして、それを、言ってくれなかったの」
虚空に消えるかに思われたその呟きを、拾った者が居た。
「……そうだね。私もね、不思議だったんだ」
穏やかな声。
振り返ると、そこには明るい鹿毛をボブカットにしたトレセン制服姿のオシャレなウマ娘が立っていた。
ノースフライト。
春秋マイル制覇を成し遂げたマイル女王にして、セミラミスが最も慕う先輩の一人。
それはこのレヨネットにとっても同様であった。
「フライトさん……」
フライトはレヨネットの隣まで歩いてくると、そのままパドックへ視線を向けた。
壇上ではセミラミスが変わらぬ微笑みを浮かべている。
「ご存知、だったんですか」
レヨネットはパドックから視線を逸らさないまま問う。
「……ノルデンセミラミスが、あたしのこと見てたの」
「全部じゃないよ」
その呼び方に心のなかで苦笑しながらも、フライトは即座に答えた。
「でも、見てないとは思わなかったかな」
少しだけ間が空く。
パドックから歓声が響いた。
「去年のマイルCSの日ね。あの日、セミラミスちゃん、自分がレヨネットちゃんの邪魔をしたと思ったんだよ」
「……は?」
レヨネットは目を開いて片眉を上げる。
何言ってるんですか、とその表情は雄弁に語っていた。
「うん。私もそう思った」
今度の苦笑は態度にまで表す。
「でもあの子、本気だったよ。メイクデビューなのに人が集まったのも、実況で自分の名前が出たのも、レヨネットちゃんが余計なプレッシャーを背負ったのも」
フライトはそこで一度言葉を切る。
「全部、自分のせいだって」
レヨネットはわずかに下を向いて黙りこむ。
パドックではセミラミスが壇上から降りようとしていた。
「だったら──」
見てたなら。
心配してたなら。
嬉しかったのなら。
誇らしかったのなら。
「──どうして、言ってくれなかったの」
絞り出されるようなその問いに、答えられる者はいなかった。
「こちらにいらっしゃいましたか!」
パドックから観客席へ移動したレヨネットとフライトを見つけるなり、元気な声が飛んできた。
サクラバクシンオーだ。
「そちらへ伺ったのですが、どうやら入れ違いになってしまったようですね!」
そう手をぶんぶこ振り振りやってきて、フライトの隣へと座る。
眼下の一般席は鈴なりの大観衆だが、スタンド上部のここは比較的ゆとりがあった。
「バクシンオーちゃん、パドックは見たの?」
フライトの問いに、バクシンオーは迷いなく頷いた。
「もちろんです! あの娘は勝ちます!」
その即答に、レヨネットは思わず視線を向ける。
あまりにも断定的な返答だった。迷いも躊躇も一切ない。
「
その言葉に、レヨネットの眉がぴくりと動いた。
「……この程度って」
レヨネットの口から思わずといったように言葉が零れる。
フライトもどこか困ったような顔をしていた。
「バクシンオーちゃん、それはさすがに」
フライトが焦ったように言う。
だがバクシンオーは不思議そうに首を傾げた。
「そうでしょうか?」
そして彼女は少しだけその桜模様の目を細める。
「お二人とも、随分傷付いてしまいましたね」
レヨネットは反駁しようとして開いた口を閉じた。
それは軽く流されるものかと思っていた話の流れがそうではなかったためでもあり、いつになく真剣なバクシンオーの表情のためでもあった。
「ですが、お二人は大丈夫です」
断言だった。レヨネットは眉をひそめる。
「なんで、そう言い切れるんですか。……親でもないくせに」
「お互いを大切に思っているからです」
意表を突かれたとでもいうように、しばし黙り込んだ後にレヨネットは続けた。
「……それだけですか」
「十分です!」
むしろ何が不足なのかと言わんばかりだった。
レヨネットは思わず天を仰ぐ。
この人は昔からこうだった。
理屈を積み上げるより先に、本質だと思ったものを信じる。
「いずれ落ち着くべきところへ落ち着きます」
バクシンオーは穏やかに笑った。
「お二人とも賢いですからね」
レヨネットは返す言葉を失う。
賢かったらこうはなっていない。そう思ったが、口にはしなかった。
たぶん言っても無駄だ。この人は本気でそう信じているから。
そしてその話は、そこで終わりだった。
「それより」
バクシンオーがこちらへ向き直る。
その声色が少しだけ変わった。
「レヨネットさん」
「……はい」
「貴女はどうして香港へ来たのですか?」
一瞬、意味が分からなかった。
どうして、だと。
そんなもの決まっている。
だがここ数日、その当たり前の答えを考えていなかったことに気付く。
姉のこと。
マイルCSのこと。
あの日の言葉。
そんなものばかり考えていた。
視線の先では香港スプリント出走者たちが本バ場へ向かっている。
歓声が波のように広がる。その中にひときわ注目を浴びる赤い勝負服の姿もあった。
出走ウマ娘の視線が突き刺さるが、セミラミスは毛先ほども意に介さない。
まるで何事もないかのように。なかったかのように。
ノルデンセミラミス。
彼女の姉。
17戦16勝。
G1・12勝。
短距離無敗。
URA年度代表ウマ娘。
カルティエ賞最優秀短距離ウマ娘。
2つの国を征し、2つの距離を統べる女主人。
たった一人のお姉ちゃん。
きっと、今日もあの人は勝つのだろう。
そう彼女は思った。
今朝まであんな顔をしていたというのに、理想的な表情をして。
それで。
……いや、だからといって、自分が香港へ来た理由まで変わるわけではない。
レヨネットは拳を握る。
「……勝ちたいから」
小さく呟く。
だが、それだけでは足りなかった。
誰が?
「私が」
胸の奥から言葉が湧き上がる。
「私が、勝ちたいから」
その瞬間だった。
宣言を聞いたバクシンオーの顔がにぱっと明るくなる。
「大変結構です!」
ばん、と膝を叩いた。
「ならば話は簡単ですね!」
その笑顔につられるように、レヨネットは少しだけ口元を緩める。
「簡単、ですか」
「はい!」
力強い返答。
「姉妹のお話は後でもできます!」
さらりと言ってのける。
「ですが香港カップは今日なのですから!」
あまりにも当たり前のことだった。当たり前すぎて、少しだけ可笑しいようにレヨネットは思う。
小さく息を吐く。
わだかまりが消えたわけではない。
言いたいことも山ほどある。
それでも。
今日は香港カップの日だった。
今日の香港カップ走るのは、ノルデンセミラミスではない。
自分だ。
ノルデンレヨネットだ。
ならば、勝つのだ。私が。私のために。
『さあ日本ウマ娘悲願の香港スプリント制覇はなるのか。各ウマ娘態勢整いました!』
誰かが持っていたラジオから日本語の中継が聞こえる。
いつの間にかゲート入りも完了していたらしい。
ゲートが開いた。