驀進王に憧れてトレセン学園に来たダメダメな私が3つの玉座の女主人と称えられるまで   作:八幡悠

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163 2つの距離の女主人と3階級制覇へ

 アダフェラ、チームルーム。

 

 

 紅茶のかぐわしい香りが満たされた室内には、想像していたより多くが集まっていた。

 

 トレーナーさん、椿さん。私のメインとサブのトレーナーにあたる2人。

 指導ウマ娘がゼファーさん、バクシンオーさん。そしてあまりこういう重要な方針を決定する場には来ないフライトさんも今日はいる。

 

「それにしても、昨日よりずいぶん顔色が良くなったね」

 

 湯気の出るティーカップを手に取ったフライトさんがこちらを見てそう言う。

 

「そうでしょうか」

「そうだよ。レース後は心配したんだから」

 

 彼女はそう微笑んでカップに口をつけた。

 

 なるほど、ならそれは疲労と一時的な虚脱感によるものだろう。

 久方ぶりにレースで3バ身差という差をつけたのだから、疲労が残って当然だ。

 そして香港の直後には胸の中に満たされないものがあった。

 だが今やそうではない。もう、私は新たな目標を見つけたのだから。だから、問題はない。

 

「すみません、ご心配をおかけしました。体力も気力も十分回復しておりますので」

「まだ無理しちゃダメだよ? 脚の状態は問題ないとはいえ、ダメージは確実にあるんだからね」

 

 そう忠告したのは椿さん。

 昨年夏から私の脚のケアをお任せしている彼女のお陰で、今年一年のハードなローテーションを走り抜けられたと言っても過言ではない。

 バクシンオーさんの現役時代も支えた彼女の手腕は流石というべきものだった。

 

「精密検査結果には問題なかったし、3月まで休めばまだ当分は問題なく走れると思うけどね」

 

 香港では出走ウマ娘に精密検査が義務付けられている。

 普段のデータとそれを合わせての見立てだろう。もとより日本では3月末までG1はないのでそのつもりだったが。

 いや確かにフェブラリーSは2月だが、今のところダートに用はないので関係ない。

 

 そんな雑談をしつつ温かいお茶で一息入れたところで、本日の議題は香港遠征の総括と聞いている。

 そして当然、その次についてもだ。

 

「香港遠征については、文句のつけようがない結果として良いでしょう」

 

 トレーナーさんが口火を切る。

 まずは香港遠征の総括からだった。まあそういう話だったから仕方あるまい。

 

 大外14番から想定通り中団外目を確保。

 4角からの進出判断と早仕掛けへの対応。

 3バ身差の完勝。

 

 何もかも想定通り、特筆すべきことはない。

 

「そういえば、先日はなんとも強麁風(ごうそふう)でしたね。どういった吹き回しだったのでしょうか」

 

 強麁風、すなわち力強く荒々しい走り、といったところか。荒削り、というニュアンスもありそうだ。

 大外を回したことというのもありそうだが、どちらかといえば普段はつけない3バ身差の方だろう。

 

 ……そういえば、何故だろうか。まあいいだろう。

 

「いえ、特に意味はありません」

「……そうですか」

 

 そう答えると、ゼファーさんはその幼さの残る顔をわずかに曇らせる。

 なにか、まずいことでも言っただろうか。

 

「さて、改めまして今年初めに立てた目標について確認いたしましょう」

 

 トレーナーさんがいよいよ総決算だというように切り出した。

 今年の私のウマ柱には1着の文字しか並んでいないことはよくご存知だろうに。ファン数などもう数えてもいない。

 今更だと思わなくもないが、節目には節目なりの作法というものがあるのだろう。

 

「今年の目標はグローバルスプリントチャレンジ制覇でしたが、結果は対象レースを含む10戦全勝、合計100ポイントを達成し文句なくシリーズ優勝となりました。おめでとうございます」

 

 その言葉を音頭に、おめでとうという祝福と拍手が私に向けられた。

 

「ありがとうございます」

 

 機を見てそう頭を下げる。

 もちろん嬉しくないはずもない。グローバルスプリントチャレンジ制覇は、今年一年の中心に置いていた目標だからだ。

 だが不思議なことに、達成した今となっては随分昔のことのように思えたのもまた事実だった。

 ちなみにファン数は累計13万人ちょいらしい。ちょっとイメージできない。

 

「あらためまして、おめでとうございます。そして、ありがとうございます」

 

 バクシンオーさんの意外な言葉に、思わずそちらに耳を向ける。

 改まって一体どういうことだろうか。

 彼女の桜色の瞳は私を見ているようで、今の私を見ていなかった。

 

「セミラミスさん、貴女はあの日の言葉を真としてくださいました」

 

 あの日、冬の中山レース場。私の、原点。

 

 ──あたしは、バクシンオーさんを超えるウマ娘に、ぜったいなります! 

 

 背筋が伸び、居住まいを正す。

 

「私の望みを叶えてくださり、ありがとうございます」

 

 バクシンオーさんの、望み。初めて聞いたが何だったのだろうか。

 胸が熱くなる。何にせよ、これほど光栄なことはない。

 あの日あの時以来、バクシンオーさんは私の目標であり、理想だったのだから。

 

「私からもお礼を言わせてほしいな」

 

 そうフライトさんが言葉を継ぐ。

 

「セミラミスちゃんは、日本一、いや世界一速くて切れるウマ娘になってくれたよ。本当に、本当にありがとう」

 

 彼女の大きな目には、若干潤んだものがある。

 

 なぜだろう、フライトさんも私を見ているようでそうではないような、少しだけ座りの悪いような感じがする。

 二人とも、まるで長い旅路の終わりを見届けたような顔をしているような。

 

 だが、バクシンオーさんもフライトさんも本格化前からずっと何かと目をかけてくださったのだ。

 自分で言うのも何だが、愛弟子が世界一になったとなれば感慨深いのも当然だろう。

 

 そうと思い直して、私は再びティーカップを手に取った。

 

 

 トレーナーさんによると、どうやら、それらグローバルスプリントチャレンジ制覇に加えてスプリンターズステークスとマイルCS連覇などの功績で、私は有記念を待たずに年度代表ウマ娘に内々定しているとのことだった。

 ……ちょっと嫌な顔を思い出して良い気分に水をさされてしまった。急いで思考を切り替える。

 

「それと香港カップですが。ノルデンレヨネットさん、初G1制覇。こちらも見事でした」

 

 姉妹同日国際G1制覇ですからね。歴史的な快挙ですよ、とトレーナーさんは続ける。

 歴史的快挙、 たしかにそうだろう。それは間違いない。

 だが、私の脳裏に浮かぶのは記事の見出しではなく、レヨとウィナーズサークルで交わした短い会話だった。

 

 ──おめでとうございます。よく頑張りました。

 ──ありがと。

 

 たったあれだけしか、私は言えなかったのだ。

 ぐるぐると、舵を失った船のように後悔が一処を回り続ける。

 

「──さて、今後の件ですが」

 

 トレーナーさんの言葉に、深海へと沈んでいきそうな思考を浮上させた。

 これこそが、先程から私が最もしたかった話だった。

 

 香港スプリントを勝った。グローバルスプリントチャレンジも制した。名実ともに世界一だ。

 短距離とマイルで出来ることは、ほとんどやり尽くした。ここに勝つべきレースは、もうない。

 ならば、次に向かう場所は、もう決まっている。

 

「来季についてですが──」

 

 トレーナーさんが言葉を続けようとして、気付けば私は口を開いていた。

 

「その前に」

 

 全員の視線が集まる。

 少々性急だっただろうか。だが、この機会を逃したくなかった。

 

「まず、私からお話ししたいことがあります」

 

 誰も口を挟まない。

 私は一度だけ息を吸った。

 

「私はこの最初の3年間で、マイルを制しました。スプリントも同様です」

 

 安田記念、スプリンターズステークス、マイルCS、高松宮記念、ヴィクトリアマイル。

 国内スプリントマイルのタイトルは全て獲った。スプリンターズステークスとマイルCSのについては連覇もした。

 

「今年は目標としていたグローバルスプリントチャレンジも優勝し、世界をも征したといえるでしょう」

 

 固く閉ざされていた短距離の凱旋門、香港すら陥落せしめた。

 

「では、もはや私に勝つべきレースはないのでしょうか。蹄鉄を外す時が来たのでしょうか」

 

 そこで言葉を切り、目を閉じて息を継ぐ。

 

「答えは、否です。まだ私の前にはその先がある」

 

 スプリントを、マイルを制し、世界を征したその先。すなわち──。

 

「3階級制覇を。スプリント、マイル、中距離の3階級制覇を来年の目標とします」

 

 そしてそれは、かつてゼファーさんが挑み、あと一歩で成し遂げられなかったものでもある。

 驚いたような、目をほんの少し見開いた表情のゼファーさんと、トレーナーさんの方にに目線を向ける。

 

「かつて、初めてお会いしたときにトレーナーさんがおっしゃったように、ゼファーさんの跡風たる3階級制覇を、今こそ成し遂げたいと思っております」

 

 そこまで言い切って、口をつぐむ。

 

 トレーナーさんの表情から読み取れるのは、驚き、困惑。そして──。

 しばらく何も言わず、言葉を探すように何度か唇を舐めて、やがて静かに口を開く。

 

「……それは、本当に貴女の望みですか」

 

 その問いに、思わず目を瞬かせた。

 何を言っているのだろう。当然ではないか。

 

 ──そうか、もう得られる栄誉は得たというのに、ここからさらに群雄割拠する中距離へと挑戦する覚悟を問われているのだろう。

 かつて、クラシック級の初めに私が迷っていたときのように。

 では答えは決まっている。

 

「はい、私が望みました」

 

 それは誰かに託された夢ではない。

 誰かに期待された役割でもない。

 

「私は、進むと決めました。ですから、東京二千の勝ち方を、教えてください」

 

 だから、私はトレーナーさんを真っ直ぐ見る。

 

「共に、往ってくださいますね」

 

 しばし沈黙が部屋を満たす。

 

 長い沈黙だった。

 やがて、トレーナーさんは小さく目を伏せる。

 

「……ええ。貴女が望む限りにおいて。そういう、お約束でしたからね」

 

 静かな声だった。

 その言葉に、来年進むべき道が決まった。

 

 春のグランプリ宝塚記念、阪神2200m。

 秋の天皇賞、府中2000m。

 本命は秋天として、そのどちらかの勝利を。

 

 3階級制覇。未だ誰も成したことのない、前人未到の目標へ。

 

 


 

 

「では、失礼します」

 

 デブリーフィングを終えて、今日はよく休むよう命じられたセミラミスが退出し、ドアが閉まる。

 

 数秒の沈黙。

 誰も、すぐには口を開かなかった。

 

 やがて、最初に沈黙を破ったのは椿だった。

 彼女は吉富トレーナーとバクシンオーに向きなおる。

 

「……どうして、止めなかったんですか。お二人とも」

 




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