驀進王に憧れてトレセン学園に来たダメダメな私が3つの玉座の女主人と称えられるまで   作:八幡悠

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164 実質的保護者会(2週間ぶり3回目)(前編)

 アダフェラ、チームルーム。

 

 

 デブリーフィングを終えてセミラミスが退出し、ドアが閉まった後。

 

 数秒の沈黙を経て、最初に口を開いたのはサブトレーナーである明石椿だった。

 彼女は吉富トレーナーとバクシンオーに向きなおる。

 

「……どうして、止めなかったんですか。お二人とも」

「椿さん」

「責めているわけではありません。ですが、確認させてください。あれは本当に今日決めていい話だったんですか」

 

 私にはそうは思えません。と椿は言外に続ける。

 

「ですから、今日は休むよう言いました」

「それは聞きました。でも、それだけです」

 

 彼女は、むしろ追認したに等しいではありませんか、とでも言いたげだ。

 実際、あの顔を見るにセミラミスはそのつもりだろう。

 

「確かに脚は問題ありません。精密検査の結果も悪くない。三月まで休ませれば、身体だけなら来季も走れるでしょう」

 

 椿はそこで一度言葉を切った。

 問題は身体ではない。まして距離延長そのものでもない。

 今の彼女に、新しい目標を背負わせていい精神状態なのか。それが問題だった。

 

「昨日まで、あの子は空っぽでした。香港を勝って、妹さんともまだ言葉を尽くせていない。なのに今日になって、目を輝かせて3階級制覇を語った」

 

 誰もすぐには返さなかった。

 湯気の立つティーカップだけが静かに揺れ、部屋には時計の秒針だけが響いている。

 椿はその沈黙を肯定と受け取った。その精神、メンタルこそを椿は問題だと見ていたのだ。

 

「……新しい目標が見つかった、とは見ませんか」

「見えなくはありません。だから厄介なんです」

 

 椿は、初めて面談した日のことを思い出す。

 理想を否定された瞬間、耳を伏せ表情も曇らせた少女。

 一見強靭に見える。だがあの子は、自分自身ではなく"理想"を支えに立っている。

 だから理想が揺らぐたび、新しい理想へ飛び移ろうとする。

 

「本当に立ち直ったのか。立ち直ったように見える目標を見つけただけなのか。私には、後者に見えました」

 

 今回もまたそうではなかったか。

 トレーナー契約の時もそうだった。クラシック級、チューリップ賞前もそうだったと聞いている。今回もまた、3階級制覇という新たな理想に逃げ込んだのではないか。

 彼女の問いに、誰もすぐには答えなかった。

 

「3階級制覇そのものを否定しているわけではありません。あの子なら、あるいは成し遂げるのではと思えるだけのものはあります」

 

 彼女とて、担当ウマ娘の夢は叶えてやりたいのだ。

 それがどんなに無謀な、例えば凱旋門制覇や世界一といった一見不可能とも言えるようなものであってもだ。

 

「ですが、今の3階級制覇は、夢というより、自分を立たせる新たな依代に見えます」

 

 ここで椿は考えをまとめるように口を湿らせる。そのまま机の上で組んだ両手へ一度だけ視線を落とした。

 言葉を選び損ねれば、ただ夢を否定するだけになる。それだけは避けたかった。

 

「ええ。あの子は理想を支えに立つ子です。だから理想が折れれば崩れる。妹さんの件で、それはもう見たはずです」

「レヨネットさんの方は、持ち直しつつあると聞いています」

 

 彼女らがデブリーフィングにギリギリの時間となったのは、その前にレヨネット陣営の猿田トレーナーらとのミーティングがあったためだった。

 それによれば、レヨネットの方は色々と吹っ切れたのかずいぶんと前向きになれているという。

 実際、香港カップも勝った。感情を吐き出せたこと自体が、良い方向へ働いたのだろう。

 妹は大丈夫なのだ。妹は。

 

「はい。だからこそ時間を置けばいい。今すぐ次の理想へ飛びつかせる必要はないでしょう」

 

 幸い、レヨネットとの和解自体は時間が解決してくれる段階に入りつつある。

 しかし、今のセミラミスは、あの様子はレヨネットと向き合うことよりも次を優先したようにしか見えない。

 それが彼女の主張だった。

 

「今日、あの場で必要だったのは、東京二千の話ではありません。まず休ませること。次に、妹さんと向き合わせること。その後で、それでもまだ望むなら、改めて聞けばよかった」

 

 今、決めてしまうべきではないだろう。彼女はそう言いたかったのだ。

 

「椿さん……」

「分かっています。私はサブトレーナーです。ローテーションを決める立場ではありません」

 

 椿は静かに息を吐いた。

 

「だからこそ聞いています。主担当である貴女と、あの子の原点である貴女が、どうして止めなかったのかを」

 

 

 そう結んだ彼女に、途中から黙って目を閉じて聞いていた吉富トレーナーが口を開く。

 

「本心を言えば、止めたかったですよ。……ですが、止めるわけにはいきませんでいた」

 

 溜めていた息を吐き、若干の後悔を滲ませるように吉富トレーナーは続ける。

 

「椿さんの言うとおり、彼女の本心からの望みかは疑わしかった。しばらく、せめて一晩寝かせてからもう一度聞こうと思いました」

「でしたら」

「ですが、です」

 

 吉富トレーナーは首を横に振る。

 

「あの子のあれは確認でも相談でもありませんでした。私に契約の履行を求めていたのです」

 

 契約、と言われても詳細を知らない椿は首を傾げる。

 

「契約、ですか?」

「ええ──」

 

 吉富トレーナーから語られた、椿の知らない契約の内容。

 

 椿自身との面談のすぐ後に行われていたスカウト面接時のそれ。

 ──貴女がそう望む限り、共に征きましょう。

 ──勝つ方法、そのヒントでしたら教えてさしあげられるでしょう。

 

 チューリップ賞の直前、2人で多摩川で釣り糸を垂れながら誓約。

 ──2つだけは貴女が決めなくてはなりません。すなわち、進むか、諦めるかです。

 ──貴女は、何を望みますか? 

 ──貴女が望む限りにおいて、私は貴女と共に歩みましょう。

 ──それがいかなる相手であっても、いかなる場所であっても共に征きましょう。

 ──たとえ世界が貴女の勝利を望まずとも、私は貴女の隣で真っ先に歓びましょう。

 

 あるいは日常のふとした会話。

 ──貴女は走りたいだけ走って結構ですからね、脚が折れる兆候があれば手段を選ばず止めますので。

 

 指折り数えて数え上げられる言葉に、椿は額へ手を当て天を仰ぐ。

 何ということだろうか。この人は最初から止める余地などなかったではないか。

 

 ──貴女がそう望む限り、共に征きましょう。

 これはいい。いたいけな中学生にぶつけていい熱量ではないし、彼女が男だったら掛かったウマ娘にどうにかされていてもおかしくないがまあいい。

 

 ──2つだけは貴女が決めなくてはなりません。貴女は、何を望みますか? 

 確かにあれは目標の表明などという生易しいものではなかった。契約の履行要求だったのだ。

 椿としては一気に血の気が引くような思いだった。

 

 ──たとえ世界が貴女の勝利を望まずとも。

 極めつけはこれだ。他人の評価ではなく、貴女自身の意思を最後まで尊重する。

 あの日、吉富トレーナーはそう誓ったのだ。

 ならば、ここで、やめなさい、と言うことは、その誓いを吉富トレーナー自身に破らせることになる。

 

 なるほど、これは止めるわけにはいかない。いかなる無茶に見えたとしても、この人は今は止められない。

 

「それでも、本当に本人の覚悟だったかどうかを……だから、本当に貴女の望みですか、と問うたわけですね」

 

 それでも、と椿は重ねて問おうとしたが、あの迷いない様子に言葉を翻す。

 

「はい。私の望みです、私は進むと決めました、と言われた以上、私は彼女と共に往かねばなりません」

 

 吉富トレーナーは少しだけ目を閉じる。あの時のセミラミスの瞳を思い返すように。

 あの問いは形だけではなかった。本当に最後の確認だったのだ。

 そしてそれにはいと答えられた時点で、単に否と答えることは約束を違えることにほかならない。

 

「競技上危険だと判断すれば当然止めます。ですが、まだそうではない、と判断しました」

「セミラミスさんがそうするとは思えませんが、指導が合わないので移籍するから推薦状を書いてくれ、と言う権利すらトレーナーさんは示しましたから」

 

 黙ってそばで聞いていたゼファーが補足する。

 吉富トレーナーはそこまで言わなかったが、セミラミスは信義が崩れたとみれば駆け引きなどせず即移籍に動くことすらあり得た。

 そして、今やG1・13勝のウマ娘がフリーになればそれこそ相手はよりどりみどり。

 その関係性はセミラミスが極めて優位なものとなるだろう。誰も止められまい。

 

 そうなるぐらいであれば、まだそばに置いておいたほうがいい。例えそれが修羅の道だろうとも。

 もしかしたらそれは吉富まつりのエゴだったのかもしれない。だが止めることは出来なかったという結果は変わらない。

 

 

 なら、と椿はバクシンオーのほうを向いた。

 吉富トレーナーが込められなかった理由はよくわかった。だがその制約にウマ娘は関係ないはずだった。

 




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