驀進王に憧れてトレセン学園に来たダメダメな私が3つの玉座の女主人と称えられるまで   作:八幡悠

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168 2つの距離の女主人と中山記念へ

 トレセン学園、練習コース。

 

 

 コースを単独で走る私に、耳にはめたイヤホンからトレーナーさんの指示が飛ぶ。

 

『まだです』

 

 上空からペースを監視されながらターフを駆ける。

 私は、来たるべき中距離向けの練習をこなしていた。

 

 距離を延ばすことは、単に遅く走ることではない。

 

 スプリンターが道中を抑えれば中距離を走れる、というほど話は単純ではなかった。

 速く走るために作られた身体は、ゆっくり走っている間も速く走ろうとする。前へ出られるところで前へ出ようとし、踏めるところで踏もうとし、相手を射程に入れた瞬間に勝ち筋を選ぼうとする。

 

 抑えているつもりでも、内側では少しずつ脚を使っている。

 我慢しているつもりでも、その我慢そのものが消耗になる。

 

 そして、勝つためにはただ後ろで休んでいればいいわけでもない。

 位置を取り、流れに乗り、勝負どころで相手を射程に入れなければならない。

 そのすべてが、短距離とマイルで磨いてきた私の走りにとっては少しずつ遅い。

 

 逆もまた同じだ。

 

 ステイヤーが最初から仕掛ければ短距離で勝てるわけではない。

 短距離は待ってはくれない。

 相手が止まる前にゴールが来る。こちらが長く使える脚を広げる前に、相手はすでに必要な速度へ達している。

 

 長く走れることと、短い距離で勝てることは違う。

 速く走れることと、長い距離を勝ち切れることも違う。

 

 距離適性とは、単にスタミナのあるなしで決まるわけではない。

 どの速度で、どれだけ無駄なく、勝つための形を保てるかだといえよう。

 

 サクラバクシンオーが前半2000mを散歩すれば春天を勝てるだろうか。もちろん否だ。

 ライスシャワーが最初からぶっ飛ばせばスプリンターズステークスを勝てるだろうか。これもまた否だ。

 そもそも、それができないからこそ、それぞれの距離がある。

 それぞれの距離に、それぞれの勝ち方がある。

 

 だから私がこれから試みるのは、短距離の脚を薄めて中距離へ伸ばすことではない。

 短距離とマイルで磨いてきた勝ち方を壊さず、その形のまま、ほんの少しだけ先へ届かせることだった。

 

 だからトレーナーさんが求めているのは、私を中距離仕様に作り替えることではなかった。

 椿さんが警戒しているのも、走る距離が伸びることそのものではない。

 短距離とマイルで勝つために研ぎ澄ませてきた刃を、鈍らせず、折らず、ただ届く場所だけを少し先へずらす。

 

 言葉にすれば簡単だ。だが、それはひどく繊細で、少しでも誤れば、私が私でなくなる調整だった。

 

 

 4コーナー出口、いつもならここで仕掛ける。

 仕掛けどころ自体は距離が伸びてもそう変わらない。変わるのは、踏み込みの強さ、とでも言うべきか。

 

『スパート!』

 

 指示に従い巡航から加速を開始する。だがその加速は短距離のそれとは異なる。

 全開ではなく、その手前で止めているような座りの悪さ。

 そのまま物足りないもどかしい思いを抱えながらゴール板を超える。

 

 単走なら問題ない。一昨年暮れのメジャーさんやゼファーさんとの並走練習でもできていた。

 だが本番で、十数人が走るレースでできるか、と言われればまだまだ自信はない。

 精進、あるのみだった。

 

 

 練習終わり、トレーナーさんたちと練習後の振り返りをおこなう。

 

「悪くはありません。勘も戻ってきたようですし、そろそろ並走に移って構わないでしょう」

 

 トレーナーさんの評価は、とりあえずは及第点といったところだった。

 

 冷静に考えれば無茶な目標である3階級制覇。

 応援してくださっている皆さんのためにも、まだマイルに近い1800mという領域で足踏みしているわけにはいかなかった。

 

 


 

 

 2月に入ると、各陣営の春の予定が少しずつ明らかになっていった。

 

 ウオッカはドバイへ向かい、その後はヴィクトリアマイルから安田記念へ。

 スカーレットはフェブラリーSをステップにダートのドバイWC、その後は英国プリンスオブウェールズSへと向かう。

 ジャーニーさんは中山記念、大阪杯、天皇賞(春)、そして宝塚記念。

 レヨはウオッカと同じくジュベルハッタからドバイDF、帰国せずに香港のチャンピオンズマイルへ転戦、その後は宝塚記念を視野に入れるという。

 

 そして、私の予定も発表された。

 

 始動は中山記念。そして高松宮記念、ヴィクトリアマイル。

 その後は状態と内容を見て、宝塚記念を視野に入れる。

 

 発表文は、トレーナーさんらしく慎重だった。

 宝塚記念へ向かうとは書かれていない。あくまで視野に入れるというだけ。

 中山記念、そして春の2戦を終えてから判断する。そういう意味の文言だった。

 だが、メディアのフィルターを通るとそこにあった慎重さはほとんど削ぎ落とされていた。

 

 2つの距離の女主人、宝塚へ。

 3階級制覇へ始動。

 ノルデンセミラミス、王道侵攻。

 

 都合よく大きくされた言葉を見ながら、私は画面を伏せた。

 ブンヤという人種はいつもこうだ。

 

 中山記念は試金石。

 そして連覇のかかる高松宮記念とヴィクトリアマイルは、3階級制覇にあたって私が守らなければならない場所。

 中距離制覇は、宝塚記念は、そこまでの内容が許した時に初めて口にできるというのに。

 

 ローテーションが発表されてから、学園の中は少しだけ騒がしくなった。

 

 短距離マイル女王、宝塚へ。

 3階級制覇へ始動。

 

 すごい、見たい、無茶だ、やめておけ。

 そんな声が、廊下でも食堂でも練習コース脇でも聞こえるようになった。

 

 

 学園、カフェテリア。

 

 

「…………宝塚、ねぇ」

 

 発表されたローテーションを見て、ウオッカが妙な顔をした。

 

「まだ決定ではありません。中山記念と春の内容を見てからです」

「はいはい。そういう発表な」

 

 ウオッカは肩を竦める。

 

「で、ヴィクトリアマイルは出るんだろ」

「ええ」

「去年はそこから海外で、今年はそこから中距離か。忙しい奴だな、お前」

 

 冗談めかした口調だったが、声音にほんの少しだけ引っかかる響きがあった。

 それが何なのかはわからない。

 

「ヴィクトリアマイルを軽く見ているわけではありません」

「分かってるよ。お前がそういうとこ手ぇ抜くわけないしな」

 

 もちろんレースには全力で当たる。

 そう返答すると、ウオッカはあっさり答えた。

 それだけで終わるかと思ったところで、隣にいたスカーレットが口を挟む。

 

「ウオッカ、アンタ最近ずっと左回りばっかりよね」

「いいだろ別に。走りやすいんだから」

 

 この2人はいつもそうだ。もう4年近い付き合いと思えば日常風景だった。

 

「うるせぇな。そっちこそ海外だの秋天だの、予定だけなら派手じゃねぇか」

「当然でしょ。去年のまま終わらせるつもりはないもの」

 

 秋天、ハナ差2cm差。

 彼女にとっては2度目の僅差決着、彼女の気性からしてこのまま終われるはずもないだろう。

 そのもう一方の当事者として余計なことはいえなかったが。

 

「どっちにしろ東京レース場だ。府中では、マイルでは負けねぇからな」

「ふんっ」

「はい」

 

 鼻を鳴らすスカーレットと私の返事に、ウオッカは笑う。

 

「その余裕、ヴィクトリアマイルまで残しとけよ」

 

 ウオッカは私がいなかったとはいえ安田記念を勝っている。

 府中のマイルでは、当然警戒すべき対象の一人だった。

 

 スカーレットは、春シーズンは海外へ向かうので宝塚記念で当たることはない。

 だが、昨年の秋天でウオッカとほとんど差のない走りをした彼女が出てくるなら、府中では最重要の相手になる。

 

 ハイペースを刻む逃げのスカーレット、大外から差し込んでくるウオッカ。

 どちらも府中2000では警戒すべき相手だ。

 

 ただ、それは今ではない。

 

 今の私が見るべきなのは、中山記念。

 高松宮記念、ヴィクトリアマイル。

 そして、その先にあるかもしれない宝塚記念だった。

 

 


 

 

 旧校舎、理科準備室。

 

 ファンシーな内装にあふれたカフェさんの趣味の部屋に、私はまた招かれていた。

 スペシャリティブレンドの芳醇な香りに包まれ、カフェさんの体温を左側に感じながら、コーヒーをごちそうになる。

 この部屋の半分を占拠するマッドサイエンティストはどうやら不在のようだった。

 

 カフェさんは何も言わずただ隣でカップを傾けている。

 お誘いの文句も、新しい豆が手に入りましたので、とか、ユキノさんにお菓子をいただきましたので、とか、そういったものだった。

 

 いくら私でも、あのマイルCSのすぐ後から週一ペースで、香港の後からは週二ペースでお誘いを受ければ察するものがある。

 でも、カフェさんはなにもお尋ねにならなかった。一度として。

 ただコーヒーを淹れて、横に座る。ただそれだけだった。

 

「なにも、お尋ねにならないのですか」

 

 主語を省く。我ながら卑怯な問いかただ。

 トレーナーさんか、あるいは他の誰かか、私のケアのためにカフェさんに依頼した人がいることぐらいは察しが付く。

 今になって尋ねたのは、3階級制覇についてだと誤魔化すこともできるタイミングだからだ。

 

「……何に、ついてでしょう」

 

 そんなずるい私の浅知恵などお見通しであった。

 私は答えることができず、コーヒーをすする。

 

「……話したくなった時に、話してくだされば……それで」

 

 そのまま彼女もまたカップを傾ける。

 責める言葉ではない。だからこそ逃げ場がなかった。

 

 しばし、コーヒーの香りだけが沈黙を満たす。

 

「今頃、ドバイでしょうか」

「……はい」

 

 レヨは、今ドバイデューティーフリー出走のためドバイにいる。ウオッカとともに前哨戦を使うために早めに現地入りしているはずだった。

 ドバイには他にもレヨの同期のカジノドライヴやスカーレットなど多くのウマ娘が遠征を予定している。

 

 ……いや、他人の心配をしている場合か。

 レヨにはレヨの遠征があり、私には私の試金石がある。

 私自身の中山記念も、翌週に迫っているのだから。




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ところで、実は感想に追記しても作者側には通知は特に来ないので注意。無視してるわけではないのよ。
反応して欲しかったら新しく書いたほうがわかりやすいから。私は連投とか1つや2つレベルなら気にしないのでよろしゅう。

予約投稿1日ミスった。
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