驀進王に憧れてトレセン学園に来たダメダメな私が3つの玉座の女主人と称えられるまで 作:八幡悠
チームアダフェラ、トレーナー室。
高松宮記念も目前に迫ったこの日、発表された枠順を確認しながらトレーナーさんと本番前の最終確認を行っていた。
URAから発表された枠順は、1枠2番。
まあ悪くない。
そもそも、短距離であればどこでも勝てるのだから枠順で一喜一憂することはないのだ。
「内枠なら番手を取りに行っていいでしょうね」
「そうですね。それでいいでしょう」
短距離での内外など大した違いではない。
せいぜい、外目を引いた際にはスタート後の並びを見て番手に入るか中団まで下げるかを選ぶぐらいだった。
「4番がスリープレスナイト、ローレルゲレイロは13番ですか。おそらく前が厚くなるでしょうね」
「承知しています。ですが、番手につけられれば直接相対する相手は逃げと外のせいぜい2人で済みます」
今回の高松宮記念は有力ウマ娘に前方脚質が多い。
ローレルゲレイロ、スリープレスナイト、キンシャサノキセキ……自然と先団は密集するだろう。
しかも、先日ジャーニーさんから聞いた通り出走ウマ娘たちがよく合同トレーニングをしている。
「なるほど、勝ち続ければ全てが敵になる、とはこのことですか」
テイエムオペラオーの有馬記念。
年間無敗で迎えた年の暮れ、そのウマ娘は完全に包囲された。道は消えた、はずだった。
当時のレース場では、そこまでするか、と怒号が飛んだとも聞く。
まあ普通に走ったら私が勝つ以上、手段を選んではいられないということだろう。
レース規則上も、最終的に勝利のために最善を尽くしさえすれば、針路カットなどの危険行為以外はかなり露骨な包囲も問題はない。
「とはいえ、各ウマ娘が結託して勝ちに来るというのは穿った見方ではないでしょう」
そう言ってトレーナーさんはホワイトボードの前に立つ。
ふむ、合同トレーニングまでしておいて結託するのが本質ではない、とはどういうことだろうか。
「あくまで合同トレーニングの目的は練度向上と見たほうがいい、ということです」
……なるほど、テイエムオペラオーの有馬とは条件が違う、ということか。
4度コーナーを回る2500mでは各自の仕掛けどころをずらし、包囲を長く保つことができた。
だが、今回はワンターンの1200m。
勝つ気があるなら、誰もが四角出口で前へ出なければならない。
「ええ、そういうことですね。ただ、今回は外を回すのは厳しいでしょう」
各ウマ娘の前走までの傾向からして、前が厚くなるのは明白。外を回しても勝てると言っても限度はある。
それこそオペラオーの有馬で末脚に全てを賭けたキングヘイローとは違うのだ。
「ですので、やはり番手、逃げるローレルゲレイロのすぐ後ろにつけようと思います」
「となると囲まれますね。作戦によってというより、各々が勝ちを目指した結果として」
「その場合、隊列が崩れるのは……」
そういう視点で改めてホワイトボードを眺める。
「各々が勝つために動いたとすれば──」
4コーナーを出て直線に向いたところ、残り300m、遅くとも200付近。
その頃には私をフリーにせざるを得ないはずだった。
「そうでしょうね。だからこそ、その後の形まで合同トレーニングで確かめていたのでしょう」
トレーナーさんが言うことには、合同トレーニングは対セミラミス同盟ではない。
「あれはノルデンセミラミスというウマ娘を囲む練習ではないでしょう」
「……各自の勝ち筋を失わないため、つまり、私を少しでも楽に勝たせない。その隙に誰かが勝てればいい、と」
そこが海外のラビットやチーム戦とは違うところなのであろう。
といっても、欧州でも短距離でチーム戦は聞いたことがないしされたこともないので、短距離でチーミングはそもそも無理なのかもしれないが。
こうしてレース前のブリーフィングは終了した。
結局のところ、普段通り走る。それが最善という実に身も蓋もない結論だった。
トレセン学園、メディアルーム。
恒例となったG1前の合同記者会見。
壇上にはローレルゲレイロさん、スリープレスナイトさんらが並ぶ。正面の記者席はほぼ埋まっていた。
「それでは、昨年の覇者ノルデンセミラミスさんからお願いします。連覇のかかる一戦となりますが、現在の心境をお聞かせください」
「普段と変わりません。高松宮記念は国内春季短距離路線の頂点です。今年も勝つために参りました」
何度かシャッターが切られる。別段、意外な答えでもないだろうに。
私は前年の優勝者であり、短距離の女王としてここにいる。連覇を目指すことに、改めて気負う理由はなかった。
たとえどんな状況であろうと、出走する以上は勝利以外に目標などない。
「中山記念では中距離へ挑戦されました。そこから1200mへ戻ることに難しさはありませんか」
「ありません。距離が短くなるのですから、要求されるものは既に身につけています」
会場の一角から小さな笑いが漏れた。冗談のつもりはなかったのだが。
「今回は1枠2番です。内で包まれる可能性については」
「あるでしょうね」
即答すると、質問した記者がわずかに身を乗り出した。
「では、警戒を?」
「当然しています。ただ、特に問題にはならないかと」
言い終えると、隣でローレルゲレイロさんが鼻を鳴らした。
「ずいぶん余裕だな」
「事実を申し上げただけですよ」
猫目の彼女は肉食獣のような好戦的な笑みを浮かべる。
「じゃあ、その前をあたしが走り切ればいいわけだ」
「れば」
その
彼女は一瞬鼻白んだようだったが、すぐに視線を鋭くしてこちらを見返した。
いつも以上に気配が鋭い。毛艶もトモのハリも良さそうだ。仕上がりはよいのだろう。
次の記者が手を挙げた。
「年度代表表彰で新しい勝負服が披露されましたが、今回は従来の勝負服なのですね。どうしてですか?」
「新しい勝負服は中距離用ですので」
室内が一瞬静まった。
勝負服の名前や中距離挑戦の表明などを見ていれば想像がつくはずだが……難しかっただろうか。
「つまり、高松宮記念では使用されないと」
「はい。今回は短距離ですから」
それ以上に何を説明すればよいのか分からず、私は首を傾げる。
緑の勝負服は3階級制覇挑戦への思いを込めた、新たな舞台へと侵攻するためのものだ。
ホームである短距離で、長く纏ってきた赤の勝負服を替える理由はない。
「連覇への重圧はありませんか」
「ありません」
続いての質問はやや月並みなものだった。
「断言されるのですね」
「重圧を感じたところで何も変わりません。それより、今年もこの場に立てたことを誇りに思っています」
これは嘘ではない。挑む者がいて、守るべき座がある。だからこそ競走は成立する。
そして、もはやターフに立つことができないものもいる、ということを改めて思い知らされた直後だったのだから。
「最後に、ファンへ一言お願いします」
「皆様の期待に相応しい走りをお見せします。結果については、レースでお答えします」
中京レース場、地下バ道。
レース当日。
パドックでの周回を終え、誘導に従って出走者たちが三々五々地下バ道を進んでいた。
周囲には他の出走ウマ娘もいるのだが、不自然なほど私の近くには誰もいない。
視線だけが探るように背中を撫でる。
「よお、孤高の女王サマ」
胸甲をガチャガチャと鳴らしながら歩み寄ってきたのは、ローレルゲレイロさんだった。
相変わらず、あれでよく走れるものだと思うほど物々しい海老色の胸甲姿だった。フィットしていれば意外と動きやすいのだろうか。
猫目は鋭く、口元には獰猛な笑み。
パドックの陽光の下で見た以上に身体が軽く見える。
踏み出すたび、全身の筋肉が過不足なく連動していた。仕上がっている。こちらの想定より幾分上かもしれない。
「皆さん、集中されているのでしょう」
「そういうことにしといてやるよ」
彼女は私の隣で足を止め、光の差す出口を見上げた。
「今日は、あたしが最後まで前にいるからな」
会見でも聞いた言葉だった。だが、今は記者もカメラもいない。
不要な気負いがあるようには聞こえない。それだけの自信があるのだろうか。
「承知しました」
「それだけか?」
それだけもなにも、それはこれから決まるのだ。
「もはや言葉は不要かと」
「違いねぇや」
その声を背中に受けて歩き出す。
最初のウマ娘が飛び出していったのに続き、光の下へと進み出た。
『1枠2番、ノルデンセミラミス。昨年の覇者、2つの距離の女主人が今年も春のスプリント王決定戦へ堂々の登場です』