驀進王に憧れてトレセン学園に来たダメダメな私が3つの玉座の女主人と称えられるまで 作:八幡悠
トレセン学園、カフェテリア。
時刻は午後のおやつ時。
私はカフェテリア片隅のテーブル席で、まだ黒みの残った芦毛のウマ娘と相対していた。
先日のゲーム企画以来だから、顔を合わせるのはそう久しぶりでもない。
ただし、こうして私の方から呼び出したのは初めてだった。
「カレンさん、折り入ってお願いがあるのですが」
2人の間にあるのは、期間限定の抹茶ミルフィーユセット。
カレンさんはフォークを置き、カワイらしく小首をかしげた。
「どうしたんですか? カレンでよければ、なんでも言ってください♪」
「カワイイの真髄をご教授いただけないかと」
カレンさんの薄紫色の瞳が見開かれた。そのまま、ぴたりと動きが止まる。
意味が伝わらなかったのだろうか。
「カワイイを教えて──」
「あ、大丈夫ですっ。聞こえてます、聞こえてますっ」
あわわ、といった様子で両手を振り、すぐにいつもの笑顔へ戻る。
「えっと……何があったのか、聞いてもいいですか?」
確かに、少々唐突に過ぎたかもしれない。
「そうですね。先日のヴィクトリアマイルが関係しているのですが──」
トレセン学園、チームアダフェラ、チームルーム。
「昨日の敗因は明確です。府中の1600mでは、私よりウオッカのほうが強かった。これに尽きます」
昼過ぎ。トレーナーさんやバクシンオーさんらの目前で、私は昨日のヴィクトリアマイルの敗因をそう総括した。
誠に残念ながら、私自身の走りに瑕疵はなかった。
半バ身、0.1秒だけ、私のほうがウオッカより遅かったのだ。
「しかし、私ももうシニア2年目。まして中2週では実力の積み増しは不可能です」
ここまでは事実であり、覆せない。
「ですが、こうも考えられるでしょう。私がウオッカより速くなる必要はない。ウオッカが私へ追いつくまでの時間を、ほんの0.1秒延ばせばいい」
ヴィクトリアマイルのメンバーでは、私以外にウオッカの進出を阻める者がいなかった。だから、あれは仕方がない。
だが安田記念には違う。
ウオッカを掣肘し得る力量を持ったウマ娘が、何人もいる。
ただし当然、その人たちは私のためにウオッカを封じてくれるわけではない。
ならばどうすべきか。
「バ群の動きに、こちらから干渉します」
トレーナーさんが、わずかに眉を上げた。
「接触して進路を塞ぐ、という意味ではありません。後方の誰かを半歩でも動かせればいい。その結果としてウオッカの進路が一つ消えるのなら、それで0.1秒は奪えます」
そして、その手段には心当たりがあった。
私はバクシンオーさんへ顔を向ける。
「以前教えていただいた威圧について、お尋ねしたいことがあります」
あの威圧を、狙った相手へ任意に向けることはできるだろうか。
相手を怯ませるほど強くなくていい。こちらが望む方向へ半歩だけ動かせれば、それで十分だ。
そしてもし、それを後方の何人かへ順に使えるのなら──。
「あの威圧を、狙った相手へ飛ばすことはできますか?」
「もちろんですッ! というより、セミラミスさんはもう何度もレースでやっておられるではありませんか!」
……え?
「私、なにかやってましたか?」
「おや、無自覚でしたか? 流石は女王たるウマ娘ですね! はなまるですッ!」
バクシンオーさん曰く、毎レース番手から抜け出す際にうまく抜け出せていたのはそういうことだったらしい。
……なるほど、あれがそうだったのか。
「ただし! 勘違いしてはいけません! 今のセミラミスさんが自然に使えているのは、自分の進路を主張する時だけですッ!」
「……自分の進路を?」
「はい! 前へ出る意思があるからこそ、その気迫が伝わるのです! 後ろの誰かを狙って、しかも自分とは無関係な方向へ動かすとなれば話は別です!」
なるほど、出力は十二分にある、と。
だが今回欲しいのは進行方向への自動発動ではなく、任意の対象への手動指定である。
それも、単に退けと押しのけるのではなく、こちらへ寄れ、そこを保てといった繊細な制御だ。
トレーナーさんが口を挟む。
「つまり、羊の群れを御する牧羊犬のような?」
「そうですね。方向性としてはそのようなイメージです」
トレーナーさんはふむ、と頷くと、何やら端末を操作し始めた。
どうやら、この方面に心得のある誰かを探しているらしい。
「ですが、セミラミスさん! 威圧とはただ強く放てばよいものではありません!」
「と、申しますと?」
まあなんとなく言いたいことはわかる。
「私やセミラミスさんの威圧は、前へ進む意思そのものです! 私が行く、ゆえに道が開く! ですがセミラミスさんが望んでいるのは、相手に特定の方向を選ばせることなのでしょう?」
「はい」
「であれば、私だけでは少々不足かもしれません!」
……なるほど。力で退かせるのではなく、相手自身にそうしたいと思わせる。いわばハードパワーではなくソフトパワーか。
例えばファッションもそうだろう。装いそのものが人を押すわけではない。それでも、見た者へ一定の印象を与え、意識を向けさせる。
そう考えながらフライトさんの方を見るが、彼女は顎に手をあてて考え込んでいる。どうもなにか違うようだ。
相手に、こちらの意図したものを見せる。
こちらがどう見えるかを理解し、その印象を制御する、か。
……それについて、心当たりがあった。
春のファン感謝祭。
カレンさんは最後まで笑顔を崩さず、クルーメイトたちから疑いを逸らし続けた。
二人を切った直後ですら。
『カレンはカワイくやったから♪』
あの時は冗談だと思った。
……いや。
もし、あれが冗談ではなかったとしたら?
カワイイとは単なる容姿の問題ではなく、自分が他者からどう見えるかを理解し、その認識を望む方向へ導くための技術なのではないか。
ならば──。
「──というわけでして」
説明を終えると、カレンさんはしばらく瞬きをしたあと、困ったように笑った。
「……えっと。セミラミスさん。カレン、思ってたよりずっと本気の相談されてます?」
「はい。本気のマジです」
「そっかぁ……」
しばし上を向いて考えたあと、カレンさんはこちらへ視線を戻す。
「じゃあカレンも、本気のマジでちゃんと教えないとですね♪」
そう言って笑ってから、ふと思い出したように人差し指を立てる。
「あ、でも。その前にひとつだけ」
にっこり。
「セミラミスさん。カワイイって、そんな怖い使い方するものじゃないですよ?」
アッハイ。
笑顔である。声も柔らかい。
にもかかわらず、反論するという選択肢が自然と消えていた。
……なるほど。
やはり、彼女を見込んだ私の目に狂いはなかったらしい。
翌日放課後、トレセン学園本校舎。
「今日は、カレンと一緒に普通に過ごしてください♪」
見取り稽古初日。
そう言われ、私はカレンさんの半歩後ろを歩いていた。
「普通に、ですか」
「あと、カレンを観察するのに夢中になって、ずーっと“観察してます”って顔するのは禁止ですよ?」
「その程度は隠せますが」
「そういう意味じゃないんですけどね~。分析するのはいいですけど、カレンにバレないようにしてくださいね♪」
ほどなく、廊下の向こうから見慣れた鹿毛が歩いてくる。
「おや。セミラミスとカレンチャンさん。これは新ユニット結成の気配でしょうか」
「違いますよ。私がカレンさんに教えを請うているところです」
アストンマーチャンだ。一時期に比べて頬がふっくらとした様子に、本当に良かったと思う。
「ほうほう。G1・14勝のセミラミスを弟子にするとは。カレンチャンさん、将来有望です」
「もう、マーちゃんってば~♪」
「否定するところはそこなのですか?」
だが彼女は相変わらずの調子だ。普通科に転属してもその柔らかな雰囲気は変わらない。
二言三言交わして別れると、カレンさんがじっとこちらを見ていた。
「……なんでしょう」
「セミラミスさん、マーちゃんと話す時、ちょっと違いますね」
そう、だろうか。
「うん。声も柔らかかったし、立つ位置も近かったです」
「友人ですから、当然では?」
「ふふ。そういうの、ちゃんとできてるんですね♪」
何を褒められたのかわからないまま歩き続ける。
私にだって友人の十人や二十人は居るのだが。
今度は中庭脇でビリーヴさんと行き会った。手元には見慣れない金属細工。
「ビリーヴさん。その留め具、新しいものですか?」
「ええ。少し形を変えてみました」
そう言って彼女はこちらに見やすいよう向きを変えて持ち替える。
「拝見しても?」
「どうぞ」
受け取って裏返す。
「……なるほど。ここを薄くしたんですね。しかし、この厚みでは強度が」
「内側にリブを入れています」
「ああ。それなら荷重はこちらへ逃がせますね。加工は削り出しですか?」
「いえ、鋳造してから仕上げを」
気がつけば数分ほど話し込んでいた。
「はい。今のもです♪」
不意にカレンさんが割って入る。
「今の?」
「セミラミスさん、すっごく楽しそうでした」
「そうですか?」
「……僕も、ですか?」
「ビリーヴさんもです☆」
二人して首を傾げると、カレンさんはなぜか満足げに頷いた。
「じゃあセミラミスさん。今度は、その留め具を一晩貸してもらってください」
「先ほど拝見しましたが」
「お願いの練習です♪」
なるほど。
「ビリーヴさん。差し支えなければ、こちらを一晩お借りできませんか。構造を参考にしたいので。明日の放課後までにはお返ししますし、表面を傷つけないよう保護して扱います」
「構いません。セミラミスなら扱いもわかっているでしょうし」
「ありがとうございます」
問題なく成立した。
「どうでしょう」
「うん。100点満点のお願いでした」
「では」
「カワイイは30点です♪」
「なぜですか」
意味がわからない。
「……僕には、十分わかりやすいお願いでしたが」
「ほら」
「ビリーヴさんはちょっと黙っててくださいっ♪」
「……?」
カレンさんは困ったように笑ってから、私へ向き直った。
「セミラミスさん、相手を見るのも、合わせるのも、お願いを通すのもすっごく上手です。でもお願いしようとした途端、お仕事になっちゃうんですよね」
「目的を達成する以上、当然では?」
「それです、それ。ちゃんと笑ってるし、声も柔らかいんですよ? たぶん普通の人なら気づきません。でも、お仕事の笑顔なんです」
何がいけないのだろう。
「……そこまで違いますか?」
「全然違います♪」
「自覚はありませんでした」
「さっきビリーヴさんに向けてた笑顔と、今お願いした時の笑顔。全然違いましたよ?」
……そう、なのだろうか。
「さっきビリーヴさんとお話ししてた時のセミラミスさんのほうが、ずっとカワイかったですよ♪」
「……何もしていませんでしたが」
「だからですよ?」
カレンさんはそう言って、楽しそうに笑った。
「お願いって、正しいことを言えば通るわけじゃないんですよ?」
「ですが、先ほどは通りました」
「はい。でも、それだけじゃないです」
カレンさんはそう言って、ビリーヴさんの手元へ視線を向けた。
「ビリーヴさんが貸してくれたのって、セミラミスさんの説明が完璧だったからだけじゃないですよね?」
「……そうですね」
急に話を振られたビリーヴさんは、少し考えてから頷いた。
「構造に興味を持ってくれていたのは、見ていてわかりましたから。セミラミスになら貸してもいいと思いました」
「ほら♪」
「……なるほど」
返却期限を明示したことでも、破損防止策を提示したことでもない。
その前から、すでに結果へ傾いていたということか。
「セミラミスさんって、相手を見るのはすっごく上手なんです。でも、自分が何かしてほしいって思った瞬間、相手を説得しようとしちゃうんですよね」
「説得してはいけないのですか?」
「ダメじゃないですよ? 必要な時もあります。でも──」
カレンさんは、人差し指を立てる。
「相手に右へ行ってほしいなら、右へ行ってくださいって伝えるだけじゃなくて、右へ行きたくなるように見せるんです♪」
右へ行きたくなるように、見せる。
その言葉を頭の中で反芻する。
威圧で退かせるのではない。理屈で選ばせるのでもない。
こちらを見て、相手自身がそうしたいと思うように仕向ける。
「……つまり、お願いする前に勝負が始まっている?」
「はいっ。そういうことです♪」
なるほど。
カワイイとは、思っていたよりもずっと恐ろしい技術なのかもしれない。
「理解しました」
「本当ですか?」
「はい。相手の認識へ事前に介入し、選択肢の評価そのものを──」
「はいストップ♪」
両手でばつ印を作られた。
「今またお仕事になりました」
「……難しいですね」
「でしょう?」
カレンさんはくすくす笑った。
「なので、次はもっと実践的にやりましょうか」
「実践的に?」
「今週末、空いてますよね?」
突然予定を確認され、頭の中でスケジュールを呼び出す。
安田記念へ向けた調整はあるが、午後ならば時間は取れるはずだ。
「はい。午後であれば」
「じゃあ決まりです♪」
カレンさんは嬉しそうに両手を合わせた。
「今度はカレンと、お出かけしましょう」
「……お出かけ、ですか」
レースのための技術を学んでいたはずなのだが。
どういうわけか、次の稽古場所はターフではなく街中になるらしい。