驀進王に憧れてトレセン学園に来たダメダメな私が3つの玉座の女主人と称えられるまで 作:八幡悠
トレセン学園、芝コース。
私以外に誰もいないターフを駆ける。
頬を撫でる風が心地よい。この時間が近頃は一番落ち着く。
もっと速く、もっと速くと訴えかける本能を押し殺し、私は走る。
スピードが出すぎないように、しかしてフォームを崩さないように。
『11.9、フォームを意識してそのまま保ちなさい』
12と書かれたハロン棒を通過。
右耳に差し込んだイヤホンから吉富トレーナーの指示が飛ぶ。
最初は上々、問題は疲れの出る後半からだ。そう気を引き締め直して次のハロンへと踏み出した。
ここ数週間、私の練習のメインはこのラップ走であった。
メイクデビュー、紅梅Sと勝利して計1400人のファン数を稼いだ私は、当面の目標であるテイアラ1つ目の桜花賞へと出走する目処がついた。
正確に言えばファン数1400人というのはそこまで余裕のある数字ではないが、よほどファン数の少ないウマ娘がトライアルの優先出走枠を埋めなければそうそう除外されることはないはずだった。
そういうわけで、目下の課題は初挑戦となるマイルにどのように適応するかとなった。
デビュー戦と紅梅Sはいずれも1400mの短距離であり、200mの距離延長となる。
たかが200mと侮るなかれ、あえて単純に言えばスピードのゴリ押しが効いた1400m以下とは異なり、マイル戦ではある程度のスタミナ管理も必要になってくる。
そのために私は、クラシックマイル戦の標準ラップであるハロンあたり12秒を身体に叩き込む必要があった。
ところがどうやら私は根っからのスプリンターのようで、周りに誰もいないと11秒台前半相当でラップを刻んでしまう癖があることが判明した。
当然それで1600mも走ろうものならラスト1ハロンはもうバテバテで、末脚なんて逆さに振っても出てこない有り様だ。当然ラップも後半はガタガタだった。
ただ速く走るのと、ペースを刻み続けるのとはまったく別物であるということを初めて実感した。
そういうわけで、ラップ走で効率的なスタミナ配分と時間感覚とを身につけつつ、空いた時間はスタミナの絶対値を高めるべく水泳部という練習メニューを課されていた。
『11.6、速くなってますよ』
のこり2ハロン、レースで言えばそろそろ最終直線。
まだだ、抑えろという心に反して脚は速くなる。どうしてもこのあたりで集中が途切れがちだ。
そして近頃はペースを乱す別の要因も加わっていた。
「せんぱーい! がんばってくださーい!」
「桜花賞、応援してまーす!」
例の雑誌に記事が掲載されて以来、妙に声をかけられることが増えた。
クラシックティアラ戦線の注目株として認知されてきたということだろう。覚えのない相手からも応援されることもままある。
だが、その声援が後押しとなってしまいペースが乱れがちだ。
とはいえさっきの娘などはコースが空くのを待っている後輩だろうし、邪険に扱うわけにもいかない。
いけない、集中、集中……。
『12.4、終了です。クールダウンの後戻ってきなさい』
そのままコースをゆっくり半周して吉富トレーナーの待つピストへと戻った。
このコースの片隅に建つ2畳かそこらの小さな高床式の小屋は、走るウマ娘に指示を出す無線機や自動でラップを測定してくれるシステムなどの機器が詰め込まれた管制塔である。
「いいですね。着実に良くなっています。この調子です」
開口、吉富トレーナーは今日のラップをそう評価した。
もう少し安定するようになれば実戦形式の練習を始めても良いでしょうね、と続ける。
……本当に、良くなっているのだろうか。
今回の練習でも至らない点は多々あった。
例えば中盤はラップこそ刻めていたものの気が散ってフォームまで意識がまわっていなかったし、後半は声援にかかってしまってラップが乱高下してしまった。
吉富トレーナーは何もおっしゃらないが、どうも最近集中を欠いてしまっている気がする。
反省しなくては。
今日の練習は本番形式のラップ走であったため、少し早めに上がりとなった。
まだできるのに、と不満に思ったこともあったが、疲れて崩れたフォームでやっても意味がないばかりか却って危険だとのこと。
走っているときのほうが余計なことを考えなくていいのになと思いながら、寮への帰路についた。
美浦寮、廊下。
今日は練習のない休養日であったので、私はまだ日が高いうちに寮に帰ってきた。
トレーナー曰く、ラップ走と水泳という疲労の溜まりやすい練習が続いているから今日はゆっくり体を休めなさい、とのことだった。
なら先輩の練習を補助したり、見学したりさせてください、と訴えたが、きちんと休むべき時に休むのも練習です、とすげなく断られた。
「貴女も趣味の1つや2つあるでしょう。たまには他のことを忘れて趣味に打ち込むのも悪くないですよ」
あんまり打ち込みすぎると私のように趣味の合間に人生やることになりますが、と笑うトレーナーに押し切られて帰されてしまったのだ。
誰もいない自室に戻る。
当たり前だが、メジャーさんは練習に出ていて居ない。
窓の外からは練習に励むウマ娘たちの喧騒が聞こえてくる。
……こんなふうに休んでいていいのだろうか。
もっと練習して、もっと速くなって、もっと頑張らないと……。
こんなに休んでちゃ、置いていかれてしまう。
いけない。トレーナーは休めとおっしゃったんだ。
休まなくては。
そのまま椅子に腰掛けた。
机の引き出しを開けて、作りかけのネックレスを取り出す。
葡萄をモチーフにした、ビーズと小さな宝石を組み合わせたもの。
クイーンスプマンテの誕生日のためにコツコツと作り上げていたものだ。
せっかくメジャーさんがいないのだから、石を磨いてもいいか。
そう思ったが、どうにもハンドピースを引っ張り出すのが億劫で仕方がない。
ではチェーンを編むかとペンチを手にとって細工しだすが、1つ2つ曲げたところで放り出してしまう。
幼い頃から細かい作業が好きで、性もあっていると思っていたのに近頃はちっとも進まないのだ。
スペースも限られ、音や匂いも気にしなければならないのだから仕方ないと理解はしているが、寮暮らしで本格的な細工ができないからだろうか。
あまりに集中できないので、道具や材料をケースに放り込んで引き出しにしまう。
そのまましばし虚空を見つめる。なにも、する気になれない。
──どれだけ時間が経っただろうか、気がつけば窓からは西日が差し込んでいる。
ふと喉の渇きを覚えた私は、なにか飲もうと財布だけを手に取り立ち上がる。
コンセントから繋がる充電ケーブルを目でたどる。ウマホは……まあいいか。
そうして自室を出て自販機コーナーへと歩いていると、階段からくる青毛のウマ娘とばったり行き会った。
相手の娘が私の顔を見て、あっ、という表情をする。
「もしかしてノルデンセミラミス先輩ですか!? 」
「!?」
突然の言葉に面食らう。
あらためて相手の顔を眺める。艷やかな長い髪、桃色の丸い瞳、左側の耳飾り。誰かに似ている気がするが覚えがない。
「私、レヨネットの友人でサクラカスケードっていいます! 応援してます! 桜花賞頑張ってください!」
「あ、ありがとう。頑張りますね」
どうやら妹の友人らしかった。
聞けば、紅梅Sの後クラスに雑誌を持ってきて、お姉ちゃんが雑誌に乗った、と自慢して回っていたらしい。
そんなに思ってくれていたんだ、と嬉しくなりそうだった心が一転、重く沈み込んでいく。
あの娘も、私に期待しているんだ。
そして、新たに湧き上がってきたのは、恐怖。
──もし、負けてしまったら? もし、桜花賞に出られなかったら?
笑われてしまうかもしれない。がっかりされてしまうかもしれない。あの娘が、私のせいで。
暗い表情のレヨネットを思わず幻視する。
ダメだ。想像であってもあの娘が悲しむなどあってはいけない。
そう思うといたたまれなくなって、自販機の方へ向かう彼女と別れ階下の食堂へと行き先を変えた。
美浦寮、談話室。
なんとなく人の多いところには行きたくなかったがやむを得ない。
この時間帯なら皆練習に出ていてそこまで人はいないだろうと踏んで、知り合いがいませんようにと願いながら足早に通り抜けようとした。
「あれ、セミラミスちゃん? 今日はお休み?」
聞き慣れた声、ノースフライトさんだった。
談話室のソファに腰掛け、テーブルには紙コップとペットボトルのお茶。お茶会の準備だろうか。
なぜまた美浦寮に、とは思いつつも招かれるままに座る。ちょっとのどが渇いて、と答えてしまった手前、断ることなどできない。
「今日は休養を命じられましたので」
「最近セミラミスちゃん、頑張ってたもの。ゆっくり休まないと」
そう言ってお茶を注いでくださる。
やはり話題は練習のこと、そしてきたるクラシックのこととなってしまう。
コップに口をつけながら、私はつい弱音を吐いてしまった。
「最近、なんだか皆さんから応援されることが多くなって……それが、ちょっと、どうしていいか分からなくて……」
「ふふ、貴女の走りがみんなの心に届いたということね。ちょっとうらやましいかも。だって私は──」
フライトさんは静かに微笑みながらそう続ける。
ドクン、と心臓が大きく跳ねたような気がした。それは、それ以上は──
「──デビューがクラシックには間に合わなかった。だから……だから余計に、あなたの走りを楽しみにしてるの」
フラッシュバックするカフェテリアでの会話。スプマンテの声が、フライトさんと重なる。
「ううん。間に合わないの。メイクデビューは3月だから」
「だからね、あたしの分もクラシックを走ってほしいの」
どうして、みんな、私なんかに……。
期待が、思いが、重く肩にのしかかる。
そんなに期待されたって、私は──。
思わず俯いた私の視界に、影が落ちる。
「フライトさん、お待たせしました! ……と、そちらは!?」
先ほどとは別の意味で心臓が跳ねた。
慌てて顔をあげる。この声はサクラバクシンオーさん!
「ああ、ノルデンセミラミスさん! ご活躍は私の耳にも聞こえておりますよ!」
お菓子の袋を抱えたサクラバクシンオーさんの姿が目に入り、息が止まりそうになる。
思いがけずあこがれの人に会ってしまったことに、あまつさえ私のことを認知されていたことに。
いや、そんなはずは。私なんかのことをサクラバクシンオーさんほどの人が一々見ているはずが……。
「先日の紅梅Sでの走りは見事でした! このままなら重賞どころかG1の1つや2つは間違いないでしょう!」
見られていた。
呵々と笑うサクラバクシンオーさんと対象的に、私はもういっぱいいっぱいだった。笑顔すらうまく作れているかわからない。
頭がグラグラする。呼吸すらどうするのかあやしい。
「あ、ありがとうございます。すみません、少々お手洗いに……」
「おや、お引き止めして申し訳ありません!」
ソファから立ち上がり歩き出す。まるで夢の中にいるようにすべてがふわふわして現実感がない。
とにかく、どこかへ。
誰もいないところへ。