驀進王に憧れてトレセン学園に来たダメダメな私が3つの玉座の女主人と称えられるまで 作:八幡悠
チームアダフェラ、チームルーム。
練習終わり、室内に移動してきた私たちは、そのまま安田記念想定の図上演習に移った。
「彼女を止める必要はありません。私より0.2秒、余計に使わせればいい」
勝利条件は明確だ。
ヴィクトリアマイルでは、お互いに好位から妨害なく全力で走って半バ身、0.1秒差。ならばマージンを取っても、ウオッカに1バ身、0.2秒余計に使わせればいい。
テーブルの上に東京レース場のコース図を広げ、想定出走予定者の名前を書いた駒を並べる。
まさしく私の慣れ親しんだ
図の周りにはいつものメンバーに加え、タイキさんとカレンさんもいる。
「まず、ウオッカの位置取りを3つに分けます」
私はウオッカと書かれた駒を摘まむ。
「逃げ、先行、差し。追込は可能性が低いので差しに含めます」
そのまま駒を先頭へ置く。
可能性は低いが、昨年の毎日王冠で逃げて2着に入っている。検討は必要だ。
「逃げた場合は、私が直後につきます。単独では走らせません。以前のようなマーク戦法、威圧、加減速への追随。可能な限り彼女にこちらを意識させ、リズムを乱します」
「ずっとプレッシャーを掛けるデスね。安田記念のダイワメジャー相手みたいに」
「はい。逃げ切るための自分のレースではなく、私への対応を混ぜさせます」
とはいえ、得意な差しを捨てて逃げるならこちらとしてはむしろ対処しやすい。細部まで詰める優先度は低い。
次にウオッカの駒を前方集団へ戻した。
「先日のヴィクトリアマイルのように先行なら、私も近い位置を取ります。ただし、直接付き合い続ける必要はありません。ここで役に立つのがカレンさんから学んだことの応用です」
「カワイイの?」
「概念だけですが」
周囲へいくつか駒を寄せる。
「私たちの近くへ入りたいと思わせます。位置を取り合う理由を作り、周囲に集まってもらう。その中で私は抜け出す経路を先に確保します」
「自分も囲まれるじゃない?」
「最後までいれば、です」
カレンチャンがにっこり笑った。
そう、ここがカワイイの応用だ。私自身がウオッカを押さえ込む必要はない。周囲にその役目をしてもらい、私は一番ロスの少ない場所を走ればいい。
最後に、ウオッカの駒を中団へ置く。
「そして本命。差し」
その前へ自分の駒を置き、左右にも駒を並べた。
「私が前を取り、周囲を壁として使います。直線まで自由な進路を与えない。前が崩れる瞬間だけ私が抜けます」
トレーナーさんが盤面を見下ろす。
「つまり、どこにいてもやることは同じ、ということですか」
「はい」
私はウオッカの駒に指を置いた。
「ウオッカを自由に走らせない。それが作戦の根幹です」
盤面を囲む面々がしばし黙り込む。
そう、作戦には必ず粗があるはずだ。今のうちに潰しておかねば。
作戦から伸ばした枝は、いざという時に迷わず掴めるようあらかじめ剪定しておく必要がある。
最初に手を伸ばしたのはタイキさんだった。中団に置かれたウオッカの駒を摘まみ、そのままバ群の外側へ大きく動かす。
「じゃあ、ウオッカが最初からアウトサイドを走ったらどうするデスカ? 『ココにいたら囲まれる!』って思って、みんなの外をビューンって」
「追いません」
「オー?」
「外を回った時点で、彼女は余計な距離を走っています。囲い込むことそのものが目的ではありません」
駒をその場に残す。
東京の長い直線。外へ持ち出せば前は開く。好きなだけ加速できるだろう。
だが、無料ではない。
「1バ身外を回らせても、積み重なれば十分な損失になります。私から離れるために自分からそれを払ってくださるなら、むしろ歓迎です」
「ナルホド! 逃げられたんじゃなくて、自分から遠回りしてくれたデスね!」
「はい」
タイキさんは今度はその駒を3、4コーナーの途中から前方へ大きく動かした。
「じゃあコッチ! 囲われる前に早めにゴー! これならどうデス?」
「同じです。追いません」
「また?」
「早く仕掛ければ、その分だけ早く脚を使います。こちらが動かしたかった時刻より前に自分から動いてくれるなら、それも0.2秒を奪う方法の1つです」
タイキさんがしばらく盤面を見つめ、それからにっと笑った。
「オーケー。セミラミス、囲いたいんじゃないデスね」
「ええ。余計に走らせたいだけです」
言葉にすると随分と性格が悪い。
だが、作戦とは、レースとは、そういうものだろう。
「では」
ゼファーさんが静かに手を伸ばした。
「こちらの風道が、塞がれてしまった場合はいかがでしょう」
私の駒の前へ、白い駒を二つ置く。
「前の方々が想定以上に粘り、退くはずの風が凪がなかったなら……ウオッカさんだけでなく、セミラミスさん自身もバ群に包まれます」
「その場合は捨てます」
「捨てる?」
「ウオッカへの拘束を、です」
私は自分の駒を横へずらす。
「出口を一つに決めるつもりはありません。ウオッカに0.2秒使わせるために私が0.3秒使えば、本末転倒ですから」
「……己の風路を、最優先に」
「はい。私が最もロスなく抜けられる場所を選びます。その結果ウオッカまで抜けるのであれば、それは仕方ありません」
ゼファーさんは小さく頷いた。
「では、もう一つ」
今度は後方から駒を一つ、勢いよく前へ押し込む。
「例えばディープスカイさんのような烈風が、後方から一気に吹き込んできたなら。せっかく整えたバ群そのものが、崩れてしまうこともあるでしょう」
「崩れて構いません」
「構わないのですか?」
「配置を維持することにも意味はありません」
押し込まれた駒によって、白い駒が左右へ散る。
私はその動きをしばらく眺め、一つだけ指先で位置を直した。
「重要なのは、変化した結果として誰が判断を迫られるかです。バ群が崩れて全員の進路が開くなら失敗ですが、ウオッカだけが進路を選び直す必要があるなら、それで十分です」
「風を止めるのではなく……乱れた風さえ利用する」
「そのようなものです」
「ふふ。ずいぶん、あなたらしい風ですね」
次にフライトさんが駒へ手を伸ばした。
「でも、ウオッカちゃんだってバカじゃないよね」
「当然です」
「これだけ露骨に対策されたら、途中で気づくかもしれない。最初からセミラミスちゃんの近くに来ないようにしたら?」
「それも構いません」
即答すると、フライトさんが少し眉を上げた。
「私を避けるために、本来取りたかった位置を捨てるのでしょう?」
「あ」
カレンさんが先に気づいたらしい。
「そっか。避けさせた時点でもう動かしてるんですね♪」
「はい。最良の位置が私の近くにあるにもかかわらず、警戒して別の位置を選ぶ。十分なロスです」
「それに」
トレーナーさんが盤面へ視線を落とす。
「安田記念で、セミラミスさんの挙動を気にしない出走者が何人いるでしょうね」
先日の練習を思い出した。
未デビューのカレンさんまで交え、何をしているのかとコース脇から向けられていた幾つもの視線。
当然その中には出走者の関係者もいたことだろう。
「……警戒してこちらを見るなら、それ自体が都合がいい」
「見てほしいって思わせるところから始めなくていいんですね♪」
「はい。こちらの挙動へ意味を見出そうとしてくれるなら、伝えるのはむしろ容易になります」
フライトさんが苦笑する。
「マークされることまで利用するんだ」
「使えるものは使います」
「なら……」
フライトさんは前方集団に白い駒をいくつか集め、その少し外側へウオッカを置いた。
「周りをセミラミスちゃんの近くに集めても、ウオッカちゃんだけ別の場所を選んだら?」
「ウオッカをこちらへ誘導する必要はありません」
私は白い駒を1つ摘まんだ。
「彼女が行きたい場所を先に埋めます」
2つ目。
「あるいは、入りたくないと思わせる程度に狭くする」
3つ目。
「本人を動かせなくても、彼女が選べる場所を変えれば同じことです」
「……カワイイって、そんな使い方するものだったかなぁ」
「概念だけです」
「その言い方、便利だね?」
フライトさんが苦笑した。
そこで、それまで黙って盤面を眺めていたトレーナーさんが口を開いた。
「セミラミスさん」
「はい」
「最初の話に戻ります。ウオッカさんに0.2秒余計に使わせる。そのためにあなた自身も0.2秒使ってしまったら?」
それでは意味がない。
「失敗です」
「では?」
「直接潰しには行きません」
自分の駒を、ウオッカから少し離す。
「私は可能な限り最短を走ります。そのうえで、周囲の人たちが自分の判断で動いた結果を利用する。私自身のロスが大きくなるなら、その手は切ります」
「つまり、ウオッカさんへの妨害効果より、自分の走りを優先する」
「当然です。私はウオッカに嫌がらせをするために安田記念へ出るわけではありません」
何故かタイキさんが吹き出した。
「言い方がスゴいデース!」
事実なのだが。
トレーナーさんは小さく笑っただけだった。
代わりに、バクシンオーさんが最後の駒を一つ取り出す。
ディープスカイ。
昨年のダービーウマ娘にして、NHKマイルでレヨネットを下した強豪。
それを私たちの横から、一気に前へ出した。
「……セミラミスさん」
先ほどまでの威勢のいい声ではなかった。
「ウオッカさんに夢中になっている間に、この人が勝ちに来たら?」
盤面の全員の視線が、その駒へ集まる。
そこで私は少しだけ手を止めた。最も重要な問いだった。
「……その時は、ウオッカを捨てます」
「即答ですか」
「はい。ウオッカを封じることは、勝つための手段です」
私はウオッカの駒から指を離し、前へ出たディープスカイへ自分の駒を向ける。
「別の人が勝ち筋に入ったなら、そちらへ対応します。ウオッカに勝って2着では意味がありません」
バクシンオーさんはしばらく盤面を見つめ、それから大きく頷いた。
「──よろしい! それならば存分にやりなさいッ!」
「はい」
その声には、もういつもの調子が戻っていた。
改めて盤面を見下ろす。
逃げてもいい。
外へ逃げてもいい。
早く動いてもいい。
こちらから離れてもいい。
バ群が崩れてもいい。
予定した形にする必要など、最初からなかった。
ただ一つ。
「つまり──」
カレンさんが盤面を覗き込みながら笑う。
「ウオッカさんを思い通りに動かす作戦じゃないんですね♪」
「はい」
私は赤い駒を指先で軽く弾いた。
「何を選んでも、少しずつ高くつくようにするだけです」
かつて英国で共に走った彼女の“領域”、金貨の載った天秤を思い出す。
通さないのではない。対価を支払わせるのだ。
どのような過程でも構わない。最終的な収支さえこちらに傾けば、それが良い取引なのだから。
そう考えると、自然と口元が緩んだ。
あらゆる状況を想定し、あらゆる動きに対応し、そのうえですべての脚を使って。
そのうえで勝ってみせようではないか。
あとは、それを本番で確かめるだけだ。