驀進王に憧れてトレセン学園に来たダメダメな私が3つの玉座の女主人と称えられるまで 作:八幡悠
美浦寮、自室。
「ねぇ、楽しかった?」
手荷物を取り落とす、どさり、という音がひどく大きく聞こえた。
どうしたの、そんなところに立ってないで入っておいでよ、というレヨの声はあくまで平静で、耳も尻尾も普段のままだ。
だが、部屋の真ん中で腕を組んだ姿勢は崩さない。
言われるまま私はレヨへと歩み寄る。
何か聞き間違いだったという線は──
「それで、楽しかったの?」
──なさそうだった。
答えは決まっている。
楽しかった。
ディープスカイを追い、ウオッカに追いつかれ、最後までどちらが勝ったかも分からないまま駆け抜けた。
あれほど胸が高鳴ったレースは、そう多くない。
なのに。
「…………」
口が開かなかった。
いや、口は開けど漏れるのは声にならない呻きだけ。
レヨは急かさない。 ただ腕を組んだまま、私の答えを待っている。
その沈黙が、ひどく重かった。
「すごく楽しかったよね」
やがて、レヨの方から答えを口にした。
「分かるよ。お姉ちゃん、ああいうの大好きだもんね」
そうだ。
きっと、ずっと前からそうだった。
強い相手を前に、考えられることを全部考えて、使えるものを全部使って、それでも最後まで勝敗が分からない。
そんなレースが、私は好きだったのだ。
けれど、それを今、この子の前で素直に肯定していいのだろうか。
次があるとは限らないと思い知った今、それでも切ってしまったレヨの前で。
こちらを見つめるレヨの目をうかがいながら、そう逡巡していると、一つ息を吐いてレヨは続けた。
「良い走りだったよ。バ群にウオッカさんを封じ込めて、自分だけスパートして抜け出した」
レヨはそこで少しだけ目を細めた。
責めるでもなく、むしろレースを思い返しているようだった。
「あの動き、仕込んだんでしょ? 全部思い通りにいった」
ほんの少し、口元が緩む。
「すごかったよ。完璧なレースだったね」
その声には、確かな称賛があった。
けれど次の言葉だけは、妙に静かだった。
「ノルデンセミラミスの走りは、何一つ間違ってないよ。自信持っていい」
半年前、秋のマイル王者決定戦の記憶がフラッシュバックする。
──良い走りでした。あの時点での進出は最良のタイミングだったでしょう。あなたの走りは間違っていない、自信を持っていい。
──そんな話、聞きたくない。
──良い走りだったとか! 強くなったとか! 判断は間違ってないとか!
──そんな話ばっかりして!
こちらを睨みつけるレヨの顔が、今の穏やかなレヨの顔と重なる。
……私は、あの時、何ということを。
──ルドルフは、自分が何を言ったかではなく、どこで誰として言ったかで評価されるというのを失念していましたね。
脳裏に蘇るのはいつかのトレーナーさんの言葉。
ようやく、本当の意味で理解した。
あの言葉は、競走ウマ娘への評価としては間違っていなかった。
けれど、あの時のレヨが欲しかったのはそんなものではなかった。
妹として、私に見てほしかったのだ。
逆の立場になって初めて、自分がどれほど見当違いな言葉を投げつけていたのか思い知る。
そんな私に構わず、レヨは続ける。
「でも、負けたんだよね。3階級制覇も、中距離挑戦も、あたしとのレースも全部切って。それで、負けたんだ」
言葉が途切れる。
レヨはもう何も重ねなかった。
ただ、組んでいた腕をゆっくりと解く。
責めるような目ではない。怒っているようにも見えない。
それでも、その仕草から目を逸らせなかった。
ほんの少しだけ両腕を開いて、レヨは静かにこちらを見る。
「……ね、お姉ちゃん。これでいいの?」
耳はこちらを向いている。尻尾も穏やかに揺れている。
だが私は直感した。これは最後通牒だ。
もしここで間違えれば、次はない。
何か言わなければ。
そう思った。
けれど、言葉を探しかけてやめた。
「……え?」
レヨが一歩退くより先に、縋りつくようにその身体を抱きしめた。
「ちょ、お姉ちゃん……?」
本格化を迎えた、記憶よりはるかに分厚い肩が腕の中で強張る。
「……ごめんなさい」
それだけだった。
何がどう間違っていたのか。
何をどうすべきだったのか。
まだ、全部は分からない。
でも。
「……ごめんなさい、レヨ」
今だけは、それでよかった。
「……許さないよ」
顔の横でそう囁かれた瞬間、息が止まった。
喉がひゅっと鳴る。
足元が消えたような感覚に、身体から力が抜けかける。
けれど、崩れ落ちるより先に。
背中へ、強い力が回った。
レヨの腕だった。
「今までの20年分、お姉ちゃんしてくれるまで許さないんだから」
今度こそ力が抜けて縋りつくようになりながら、なんとか言葉を絞り出す。
「一生でも……構いません」
翌日、美浦寮、自室。
事の顛末を報告すると、メジャーさんはしばらく黙っていた。
勉強机の椅子に浅く腰掛け、腕を組んだまま天井を仰ぐ。
隣ではカフェさんが、膝の上で両手を重ねたまま静かにこちらを見ていた。
やがて、メジャーさんが大きく息を吐く。
「……はぁ~~~……。ったく、やっとかよ」
「……申し訳ありません」
「俺様に謝ってどうすんだよ」
メジャーさんが呆れたように額を押さえ、それからじろりとこちらを見る。
「で、ちゃんと抱きしめて、ごめんなさいって言ったんだな?」
「ええ」
「できんじゃねぇか!」
机を叩きそうな勢いで身を乗り出された。
おもわずビクンとするが、今の私は逃げることができない。
「もっと早くやれよ! 何ヶ月かけてんだお前ら!」
「……返す言葉もありません」
本当にない。
その隣でカフェさんが、ほんの少し口元を緩めた。
「でも……よかった、です」
静かな、囁くような声だった。
「レヨネットさんも……ずっと、待っていたのでしょうから」
胸の奥が少しだけ痛む。
膝の上に確かな重みを感じる幸せをかみしめつつ、私は頷いた。
「……ええ」
あれだけ言葉を尽くして。
あれだけこちらへ手を伸ばして。
それでも最後まで、私が来るための場所を残してくれていた。
「本当に……優しい妹さん、ですね」
「はい」
自然と頬が緩んだ。
それを見ていたメジャーさんが、ふっと肩の力を抜く。
「まあ、レヨもよく待ったよ。俺様なら途中でぶん殴ってる」
「メジャーさんは……先に怒鳴ると思います」
「カフェ、お前どっちの味方だ」
「事実です……」
思わず小さく息が漏れた。
手持ち無沙汰にビロードのような感触のそれを揉みこむ。
するとメジャーさんが、今度は真顔でこちらを指差す。
「いいか。次からはここまで溜める前に話せ。分かんなきゃ聞け。勝手に考えて勝手に距離取んな」
「善処します」
「善処じゃねぇ」
「……約束、の方がいいかと」
満月のような丸い瞳で覗き込むように、カフェさんまで加勢してきた。
お二人から見つめられ、観念して頷く。
「……分かりました。お約束します」
「よし」
メジャーさんが満足そうに頷く。
カフェさんも、ほっとしたように目を細めた。
「……で、だ」
話は終わりだ、というように脚を組み替えたメジャーさんがこちらをねめつける。
なにか失礼をしただろうか。
「なんでお前、俺たちを迎えてんのにずっと妹膝枕してんだよ」
視線を落とす。
私の膝の上では、レヨがこちらへ背を向けるように横たわり、すっかり寛いでいた。獅子というより猫だ。
先ほどから手持ち無沙汰に揉んでいたのは、その耳である。
薄い耳介を傷めないよう、指先ではなく腹で根元を揉む。するとレヨの頭が、ほんの少しこちらの手へ押しつけられた。
「昨日、今までの20年分お姉ちゃんしてくれるって言ったから」
私が答えるより先に、レヨが当然のように言う。
「いや、一晩で取り返そうとすんなよ」
「一生でも構わないって言ったよ」
「……言いましたね」
「ほら」
「そこで認めんじゃねぇ!」
メジャーさんが頭を抱える。
レヨはどこ吹く風で、私の太腿へと頬を擦りつけた。
「お姉ちゃん、もうちょっと後ろ」
「ここですか?」
耳の付け根へ親指を当て、ゆっくり円を描くように揉み込む。
ぴくりと動いた耳が、そのまま気持ちよさそうに横へ倒れた。
「んー……そこ」
「お前らな」
低い声に顔を上げる。
メジャーさんは、なんとも言えない顔をしていた。
「中庸ってもんはないのか」
「お姉ちゃんにんなもんないよ! あったらこんなことなってないよ!」
「お前もだよ!」
「えー」
心外そうにレヨが頬を膨らませる。
その横で、カフェさんだけは私の指先をじっと見ていた。
「……セミラミスさんは」
「はい?」
「髪を……梳かすのも、お上手ですよ……」
膝の上の耳が、ぴん、と立った。
そこからは早かった。
耳のマッサージだけでは飽き足らず、レヨは短い髪も梳かしてほしい、尻尾も整えてほしい、ついでに耳かきも、と次々要求を積み上げていく。
昨日の約束を持ち出されては断ることができるはずもなく、それでなくても可愛い妹の望みである。
私はひとつずつ頷いた。
すると、それまで呆れていたメジャーさんまで、自分も姉妹の仲を取り持つのに随分骨を折ったのだから、膝枕と耳かきくらい要求する権利はあると言い出した。
当然、レヨは私の膝の所有権を主張して抗議する。
収拾がつかなくなりかけたところで、カフェさんが静かに仲裁へ入った。
さすがはカフェさんだ、と安堵したのも束の間。
こちらへ向けた丸い瞳のまま、あとで自分もお願いしたい、と小さく付け加えられた。
どうやら、誰も止めるつもりはないらしい。
世界史の教科書に載っていた風刺画。
その好き勝手に切り分けられるパイの気持ちを、身を持って理解することになるとは思わなかった。
気がつくと、私のベッドにはレヨとメジャーさんが横たわり、左右の膝を分割占領していた。
首を回せば、カフェさんまでベッドへ上がり込み、私の腕を抱えて肩を不法占拠している。
完全に身動きが取れなくなってしまっていた。
決して嫌ではない。嫌ではないのだが、せめてもうちょっと手心を加えてほしいものだ。
そんな思いを込めて絹糸のような黒鹿毛越しに上目遣いの黄色い目を見下ろす。
「……本当に、良かった。……お友達も、心配、していたのですよ……」
……そう言われては返す言葉もなかった。
なんというか、関係者に謝って回ったほうが良いだろうか。
そんな私の胸中など知らず、膝の上のレヨは上機嫌に尻尾を揺らした。
「まあいいや。宝塚記念はお姉ちゃんのかわりにあたしが出て、勝っちゃうもんね!」
「頼もしいですね」
「でしょ?」
得意げに重力に逆らっている豊満な胸を張る妹の頭を撫でる。
その視線に気付いたレヨが、お姉ちゃんもそんな斤量ぶら下げてるからハナ差で負けるんだよ、などと嘯くのを、耳の付け根をぎゅっと掴んで黙らせる。
みきゅう、という奇声を上げたレヨも、それを上げさせた私も、数週間後にあのようなことになるとは思ってもみなかった。
6月28日、阪神レース場、関係者席。
阪神レース場の最終直線を見下ろす私の前を、先頭で駆ける赤地に白襷の私に似た勝負服。
『先頭はノルデンレヨネット! レヨネット先頭! 内でスクリーンヒーロー抵抗する! しかしッ──』
大外から飛び込んでくる小さな影。
『外からドリームジャーニー! 外からジャーニー!』
『ジュニア王者が蘇る! ジュニア王者が蘇る! ドリームジャーニーやったー! 久しぶりのG1制覇!』
「……お姉ちゃん、膝枕」
「はい」
「慰めて」
「はいはい」
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最後の実況どっかで聞いたなと思ったら10年後の姪っ子のやつだった。
今回のルート分岐
①「ねえ、楽しかった?」に対して
1.答えない、言い淀む
→正規ルートから②へ
2.「はい!楽しかったです!!」など素直な肯定
→ノンデリ更生フェーズへ
「でも、負けたんだよね。3階級制覇も、中距離挑戦も、あたしとのレースも全部切って。それで、負けたんだ」「……それでも、楽しかった?」
→②へ
3.「はい、実りの多いレースでした」などとごまかす
→レヨネット失望ゲージアップ
「そういうこと聞いてないよ」 「楽しかったの?」 「お姉ちゃんがどう思ったか聞いてるの」
→上の選択肢へ
4.「いいえ、そんなことは……」などごまかす
→詰められるフェーズへ
「……本当に?」 「お姉ちゃん、ああいうの大好きじゃん」 「最後、笑ってたよね」
→上の選択肢へ
②「……ね、お姉ちゃん。これでいいの?」に対して
1.「……ごめんなさい」と理屈を立てず謝れる
→TRUE ルート
関係修復には成功。しばらくは少しぎこちない姉妹として再構築
2.「切ったわけではありません」「宝塚は来年もあります」「次は勝ちます」「合理的には──」など理屈を立てる
→BAD エンド
「そっか。セミラミスさんはそういう人なんだね。もういいです、おやすみなさい」
別名エーミールエンド
3.腕を広げた寂しかったんだよという含意を読んで、先に抱きしめ、そのまま「……ごめんなさい」
→HAPPY ルート
なおカワイイを履修していないと入れませんでした
レヨネットの器が広かったことに感謝しろよお前。