驀進王に憧れてトレセン学園に来たダメダメな私が3つの玉座の女主人と称えられるまで 作:八幡悠
休養を命じられてから1週間ほどは、案外きちんと休めていた。
午前の授業を終えれば午後は自由。
普段ならそのままトレーニングへ向かう時間だが、今は調整と基礎練習だけでいい。
空いた時間でアクセサリーを作ったり、復帰してきたスカーレットと街へ買い物に出たり、カフェさんとコーヒーを飲んだりもした。
たまにはこういう生活も悪くない。
問題は、それでも時間が余ることだった。
レヨは宝塚記念前。ウオッカも練習。
カフェさんも教え子の指導があり、午後も座学があるスカーレットやマーチャンなど他の友人たちとも都合が合わない。
寮の自室で時計を見る。
まだ午後2時前だった。
「……暇ですね」
呟いてから、しばし考える。
そういえば、以前から見返しておきたいレース映像がいくつかあった。
別にトレーニングをするわけではない。
映像を見るくらいなら、休養の範疇だろう。
そう結論づけ、私は図書館へ向かった。
図書館へ向かおうと寮を出たところで、玄関脇の木陰に座り込むセイウンスカイさんを見つけた。
足元には古新聞。
分解したリールや釣り糸のボビン、継ぎを外した長いロッドが並んでいる。
釣具の整備だろうか。
日当たりがちょうど良いのか、魚の匂いがしたからか、はたまた大きな同類と思われているのか。
足元には猫が戯れている。
「何をされているのですか?」
「来月の海釣りの準備ー。セミちゃんは?」
「図書館へ行こうかと」
そう答えると、スカイさんはリールのハンドルをくるくる回しながら笑った。
「バクシンオーさんもだけど、スプリンターって待つのが性に合わないのかなぁ」
「……1週間は休みましたよ」
「1週間しか、でしょー。ちょっとは待つこと覚えないと」
の~んびりいきましょうよ、そう言って、今度はロッドのガイドを覗き込む。
のんびり、か。
私も傍らにしゃがみ込み、寄ってきた猫をあしらいながらしばし作業を見守る。
「今年も合宿一緒でしょ。セミちゃんも釣り行かない?」
吉富トレーナーに頼めば喜ぶと思うよ、と彼女は続ける。
「海釣りですか」
「そ。たまにはレースのこと忘れて、ぼーっと待つのもいいよー」
少し考える。
確かに、トレーナーさんは夏合宿の休養日のたびに船を出して釣りに勤しんでいる。
口さがない者には、仕事だか趣味だか分かったものではない、などと言われているほどだ。
実際はトレーナーも趣味なので全部趣味なのだが。
スカイさんも同じように言われている側、といえばその頻度がわかるだろう。
「予定が合えば」
「んじゃ決まりねー」
まだ決まってはいないと思うのだが。
まあ、悪くはないか。
トレセン学園、図書館。
時間帯もあって比較的閑散とした館内。
カウンターに陣取り分厚いハードカバーに没頭する小柄なウマ娘に声をかける。
「ロブロイ先輩、お疲れ様です」
「おやセミラミスさん、お疲れ様です。レファレンスですか?」
レファレンス、すなわち利用者の質問や相談に応じて、司書が適切な資料や情報を見つけて案内する業務のことだ。
そうだと答えると、ロブロイさんの眼鏡越しの瞳がキラリと光ったような気がした。
「秋天の未公開映像を──どうかされましたか?」
「いえっ、秋天ですね。──こちらですっ」
そう言って彼女が傍らの端末を操作し、吐き出されたレシートを渡してくれる。
入学当初はいちいち案内してもらわなければ目当ての本の位置にもたどり着けなかったが、今は違う。
そのまま礼を言ってから地下へ続く階段へと向かった。
「──もしもし、バクシンオーさん? ──ええ、図書館でお見かけしましたよ。──自習室ではない、としか職責上お答えできません。──ええ、それでは」
図書館、地下室、映像資料室。
ここは過去のレース映像やインタビュー、ウイニングライブなどを閲覧できる、いわば映像版の書庫だ。
映像媒体は温湿度管理が必要なため、窓が少なく管理のしやすい地下に収蔵されている。
個別モニターとヘッドホンがある閲覧席があり、ものによってはイントラネットアーカイブから検索することも可能だ。
私がわざわざネット上の映像閲覧ではなく保管庫を訪れたのは、配信されていない古い映像や、権利の都合で学内限定の映像を見るためだった。
「……っと、この棚か」
私が探していたのは、秋天の個人カメラ映像だった。
現在URAが公開しているダイナミックカメラは、勝ちウマ娘や一部の注目選手の個人カメラ映像を最新技術で補正したものだ。
補正にはかなり手間がかかるらしく公開されているのは今のところG1のごく一部だけだが、ここなら編集前の記録も閲覧できる。
個人カメラが付くようになったのは10年ほど前、勝負服安全規則の大改定以降なので、それ以降のものしかない。
だから、それ以前のレースについては中継映像くらいしか残っていない。
その棚を覗き込むと、黒鹿毛の大柄なウマ娘が通路を塞いでいた。
「クリスエス先輩」
「──セミラミスか」
のそっ、と振り返ったのは同じ美浦寮のシンボリクリスエスさん。
傍らには本の運搬用の台車を従えており、なにかお仕事中であることは明白であった。
「──これか? これは──とあるトレーナー、The man in the hat の依頼で──資料を集めている」
帽子の男……? ああ、養成校を出て早々ヤクザを殴って謹慎になったと噂の。
確か身近な人だと、スーパーホーネットさんとこのチームに入っていたはずだ。
「──そちらの用事は、なんだ?」
届かないところがあれば取ろう、と親切に言ってくださった先輩に対してふと考える。
──あんな補正前でブレっブレの映像頑張って見るより、目の前の先輩に話聞いた方が良くないか? クリスエスさん、秋天連覇だぞ?
「すみません、お時間があれば秋天のお話をお聞きしたいのですが──」
快く承諾してくださったクリスエスさんと私は資料室を出て、地下階の片隅にある談話スペースへ移動した。
聞きたかったのは中距離そのものの走り方ではない。
中山記念を経験して、短距離やマイルとは違うペース配分や仕掛けを待つ感覚についてはある程度理解したつもりだ。
ただし、私自身は基本的に前目で運ぶ。
中団で構え、最後に差し込んでくる側が何を見て、何を理由に待っているのかはまだ実感として薄かった。
秋には、ウオッカをはじめとしてそうした相手とぶつかることになる。
「──中団で待つ時、一番見ているものは何ですか?」
クリスエスさんは少し考えてから答えた。
「──前だけではない。周囲と、自分の余力だ」
残り距離、それまでの流れ、前の手応え。
近くにいる有力選手が動くかどうか。
誰かが先に仕掛けたとしても、その動きにすぐ乗るとは限らないらしい。
「短距離だと、誰かが動けば反応しないとそのまま届きません」
「──中距離では、追うこと自体が不利になる場合もある」
「相手が先に脚を使った、と見る?」
「──そうだ」
なるほど。
中山記念でも周囲の動きを待つ場面はあった。
だが私の場合、前で誰かが動けば、反応しないという選択はほとんど取ったことがなかった。
「脚質の違い、ですか」
「──大きい」
前で走る者と、中団で待つ者では、同じペースでも見ているものが違う。
その違いを知っておくことは、無駄ではないだろう。
「──駆け引きなんて必要ない。自らを信じて、ただひたすら自分のレースに徹する。それが彼女の築き上げた、勝利へのセオリー」
ロブロイさんの、どこか物語を朗読するような声に、2人して振り返る。
そこに立っていた彼女の傍らには、なぜかバクシンオーさんも一緒だった。
「勝ったレースも良いですが、負けたレースから学ぶことも大いにある。そうは思いませんか」
「──Rob Roy」
クリスエスさんがロブロイさんの名前を低く呟く。
その一節は確かお2人が負けたジャパンカップの……。
「2400、逃げ切るとはこういう事だ、魅せてくれた内ラチ沿い。広い府中を一人旅、タップダンスシチー」
「正解です。さすがはセミラミスさん。よく勉強していらっしゃいます」
タップダンスシチーさんといえば、ジャパンカップの逃げ切り勝ちが有名な逃げ先行ウマ娘だ。
現役時代から体力オバケで知られ、私生活でも夜通し騒いでは寮長に叱責を食らっている問題児でもある。
「あのレースは、私達が“待つ”という判断をした結果でもあります」
「待った?」
「「はい。前はいずれ落ちてくると思っていました。それに……府中で10バ身も離されれば、中団からは先頭そのものが見えなくなることもあります」
ロブロイさんは少し苦笑した。
「だから、近くにいる相手を見てしまう。誰が先に動くのか、と」
「……なるほど」
「勝った側だけでなく、追えなかった側からも学べることはありますよ」
「……意外ですね」
私なら、前がそこまで離れれば嫌でも意識する。
だが、それは私が短距離やマイル、それも前目で走ることが多いからなのだろう。
中距離では、前が落ちてくる可能性まで含めて待つ。
しかも差が開きすぎれば、その前すら見えなくなる。
「同じレースを走っていても、見えているものが随分違うんですね」
そう口にすると、ロブロイさんは静かに頷いた。
少なくとも、ウオッカが私と同じ景色を見て走っているわけではない。
それが分かっただけでも、聞いた甲斐はあった。
──ところで。
「その、バクシンオーさんはどうしてこちらに?」
「どうしてだと思われますかッ!?」
小声で感嘆符をつけるという器用な真似をしつつ、こちらをにこやかに見つめるバクシンオーさん。
……なんか嫌な予感がする。
「それでは問題ですッ! 吉富トレーナーは先日なんとおっしゃったでしょうかッ!」
「……休養を命じる、と」
そう答えると、ずずいっと私に顔を寄せて続ける。
表情は笑っているが、その桜模様の瞳は笑っていない。
「惜しいですねッ! その次はなんとおっしゃっていましたか? 目を見てお答えください」
「……調整と基礎練習以外は休養とします。肉体的にも精神的にも休みを取ってリフレッシュしなさい、と」
トレーニングはしていません。
午前の授業も普通に受けています。
1週間は休みました。
今日は友人の予定が合わず暇だったので図書館に来ただけです。
たまたまクリスエス先輩がいらっしゃったので話を伺っているだけです。
なのでこれはレース研究ではありません。
色々言い訳はあったが、到底それが許されそうな雰囲気ではなかった。
私は余計な弁明を飲み込み、それだけ答えるとバクシンオーさんは破顔して続けた。
「はなまるですッ! では、きちんとリフレッシュしましょうねッ!」
「……はい」
……そういうことになった。