驀進王に憧れてトレセン学園に来たダメダメな私が3つの玉座の女主人と称えられるまで 作:八幡悠
府中市、多摩川河川敷。
目の前のヴィクトリー倶楽部が練習で使っているグラウンドにて、スプマンテとシンゲキさんが並んで走っている。
それを私たちはベンチに腰掛けて見学していた。
来月の、みなみ北海道ステークスに向けた大逃げの練習らしい。
もっとも、私が想像していたような最初から飛ばし続けるものではなかった。
先頭を走るシンゲキさんが一定のペースを作り、その少し後ろをスプマンテが追う。
何周かすると、シンゲキさんだけが徐々に速度を落としスプマンテを1人で先へ行かせた。
「大逃げという割には、随分落ち着いて走るのですね」
「飛ばすだけが大逃げではないからな」
隣で遊びの形式を取った基礎練習を監督していたユタカオーさんが答える。
少し離れたところでは、バクシンオーさんが練習生のとねっこに囲まれていた。
「もちろんそういうものもあるが、1人になってから同じペースを刻めるか。後ろが見えなくても焦らないか。そういう練習だ」
そういうことか、とユタカオーさんの説明を聞いて納得する。
やがてペースメーカーを終えたシンゲキさんがこちらへ戻ってきた。
「飛ばすだけなら話は早えんだ。厄介なのは、1人になってからだよ」
そう言って肩を回しながら、彼女はまだ遠くを走るスプマンテを振り返った。
「ああやって1人になってから、自分で決めた刻みを崩さず走り続ける。前に誰もいねえ、後ろも見えねえ。そうなってからが本番ってわけさ」
言いながらも、その視線はスプマンテのフォームと時計を冷静に追っていた。
その様子を眺めつつ、私は膝を占領しているとねっこの黒鹿毛を撫でつける。
そもそも、私がこのヴィクトリー倶楽部にお邪魔するのは1度や2度のことではない。
大逃げという、練習相手に事欠く難儀な脚質のスプマンテほどではないが、私もおよそ月に一度という結構な頻度で遊びに来ている。
顔を覚えている子も多いし、向こうも私を珍しい客扱いはしない。
今日も、倶楽部に顔を出すというバクシンオーさんにくっついてお邪魔しているという格好だ。
……まあ、放っておくと休まないと見て、監視がてら連れ出されたというのが実際だろうが。
「大逃げといってもやり方は1つじゃない」
ユタカオーさんが、遠くを走るスプマンテへ視線を向けた。
「シンゲキみたいに、本当に速いペースで飛ばして自分から差を作るやり方もある。ついてくれば後ろも脚を使うし、ついてこなければそのまま離れる」
「では、スプマンテは?」
「最初だけそう見せる。あれを追ったら保たない、どうせ後で落ちる──そう思わせて、後ろのペースを落とさせるんだ。自分はそこから無理のないところまで戻す」
なるほど。
同じように後続を大きく引き離していても、中身はまるで違う。
自分が速く走ることで強引に差を作る。 あるいは、後ろに追わせないことで相対的に差を作る。
前者がシンゲキさんで、後者がスプマンテ。
つまり重要なのは、どれだけ離しているかではなく、どうやって差を作っているか、ということらしい。
「皆さーん、おやつの時間ですよ~! こらキタちゃんもお姉ちゃんたちのお話の邪魔しない!」
「は~い」
シュガーさんに呼ばれて、膝に乗って甘えていた黒鹿毛のとねっこが素直にぴょんと地面に降りて駆けていく。
最初会った時は無愛想だったシュガーさんとも随分と打ち解けられたように思う。
今思えば、脚の怪我でトレセン学園進学を諦めた直後となれば私たちへのあの態度も納得できるというものだった。
「ま、あたしの場合はあいつみてえな器用な真似じゃなかったけどな」
「ジャパンカップですか?」
「おう。第1回のな」
シンゲキさんはからりと笑う。
「あん時ゃ最初っから行けるだけ行った。後ろがどう思うかなんざ二の次だ。ついて来るなら潰す、来ねえならそのまま逃げる。単純な話さ」
「随分と思い切った走り方ですね」
「あたしも若かったんだよ」
どこか遠くを見るようにシンゲキさんは続けた。
「当時はスプリンターが出られる番組は全然なかったからな。そこでジャパンカップが始まって、せっかくだから日本の快速ウマ娘ここにあり、ってな」
横で聞いていたバクシンオーさんが、大きく頷いた。
「しかし! 得意な速度を活かすという意味では、理にかなっていますッ!」
「……そういえば、バクシンオーさんも毎日王冠を走られていましたね」
「はいッ! 1800メートルですッ!」
そこまでは知っている。
問題は、その内容だった。
「最初の1000メートルを57秒5で通過されていますよね」
「はいッ!」
あまりにも堂々と肯定され、逆にこちらが言葉に詰まる。
「秋天を見据えて、というわけではなかったのですか?」
「いいえッ!」
即答だった。
「では、なぜ毎日王冠へ?」
「1800メートルでも、私の走りがどこまで通じるのか試してみたかったのですッ!」
そして結果は4着。
勝ち切るには至らなかったが、それでも最後まで大きく崩れてはいない。
「距離が延びるのですから、もう少し抑えようとは?」
「なぜですか?」
心底不思議そうに首を傾げられた。
「距離が延びたからといって、自分の長所を捨てる理由はありませんッ!」
その次には1400メートルへ戻り、今度はノースフライトさんを迎え撃って勝っている。
1800でも自分の走りを貫き、それでも本領がどこにあるかは見失わない。
実にバクシンオーさんらしい話だった。
私の中山記念は、前半を中距離の流れに合わせて我慢し、途中から抑え切れずにペースを上げた。それでも最後はぎりぎりだった。
対してバクシンオーさんは、最初から自分の速度で逃げ、最後に失速した。
同じ1800でも入り方は正反対。
どちらにも利はある。だが、どちらかをそのまま2000メートルへ持ち込めるほど単純でもない。
「まあ、距離が延びた時の答えはそれだけでもないがな」
ユタカオーさんが、少し昔を懐かしむように目を細めた。
「私の同期にクシロキングというウマ娘がいた。私と同じく2000ぐらいが得意なウマ娘だ」
「名前は存じていますが……。たしか春の天皇賞を勝った方では?」
「ああ、そのとおりだ。私も同じレースを走っていてな」
春の天皇賞、3200メートル。
ユタカオーさん自身はマイルから2000を主戦場としていたはずだ。
「私は普通に3200を走ろうとした。前半は抑えて長距離なりに脚を保たせようとな。だが、結局は負けた」
「クシロキングさんは違ったのですか?」
「違ったというより、園部トレーナーの考え方が面白かった」
思わず身を乗り出す。
「3200を最初から最後まで長距離として走らせなかったそうだ。前半は徹底して我慢させて勝負どころからはマイル戦のつもりで走らせる」
「……マイル戦?」
「ああ。3200でマイルを2回走ったようなものだ、と」
思わずユタカオーさんの顔を見る。
「そんなことができるのですか?」
「できたから勝ったんだろう。ただし、2度やれと言われても無理だ、とも言っていたそうだがな」
それはそうだろう。
だが、俄然興味が湧いた。
ユタカオーさんも、長距離を本領とするウマ娘ではない。
それでもユタカオーさんは長距離のレースに適応しようとし、クシロキングさんは自分達の得意な距離へレースの方を近づけた。
「園部トレーナーというと……シンボリルドルフの?」
「ああ。皇帝の杖だ」
もう引退しているが、名伯楽と名高いあの人か。トレーナーさんの兄弟子筋にもあたる。
それにしても、距離が延びればその距離に合わせて走る。
それが当然だと思っていた。
だが、必ずしもそうする必要はないらしい。
自分の得意な形に近づくよう、レースそのものの組み立て方を変える。
「……面白いですね」
やがて1人で周回を続けていたスプマンテも、ゆっくりと速度を落としてこちらへ戻ってきた。
「お疲れ様です」
「ありがと。んー、やっぱりこっちの方がしっくり来るかなぁ」
息を整えながら、スプマンテは首筋の汗をタオルで拭う。
「前の3勝クラスでは、随分後ろから運んでいましたね」
「そうそう。たまには控えるレースも覚えた方がいいって言われてたんだけど、ぜーんぜんダメ。やっぱりあたし、前に誰もいない方が走りやすいみたい」
前走は中団に控えて8着。
その前は逃げて9着だったが、それでも本人の感覚としては、後ろで我慢するより先頭へ出た方が合うらしい。
「だから次のみなみ北海道ステークスは、もう思いっきり逃げちゃおうかなって」
「2600メートルですよ?」
「うん。長いよねぇ」
けろりと言って笑う。
彼女の適性は戦績からして1800~2600といったところ。
「でも、どうせ長いなら、苦手な走り方までして苦しくなるより、好きに走って苦しくなった方がいいでしょ?」
理屈としては分からなくもない。
「応援しています。上手くいくといいですね」
「ありがと。勝ったらなんか奢ってね」
「なんでですか」
G1いっぱい勝ってるんだしお金持ってるでしょ、などと言い募るスプマンテにスクイズボトルを投げつけて黙らせる。
先ほど世話役のアンジェリカさんが持ってきてくださったものだ。
「わっ。冗談だってば」
飛んできたスクイズボトルを受け止めたスプマンテが、けらけら笑いながらキャップを開ける。
「そういえば来週、宝塚記念だよね。レヨちも出るんでしょ?」
「ええ」
「応援してるよ。あの子、強いし」
すると、近くで話を聞いていたユタカオーさんが苦笑した。
「こっちはメガワンダーがいるからな。さすがに本命はそっちだ」
「無論ですッ! ですが私はレヨネットさんを応援しますよッ!」
即座にバクシンオーさんが胸を張る。
「お前は分かりやすいな」
「セミラミスさんの妹さんですからッ!」
シンゲキさんも肩をすくめた。
「まあ、どっちが勝ってもいいレースになりゃ文句はねえさ。レヨネットにも頑張れって伝えといてくれ」
「はい。ありがとうございます」
スプマンテがボトルを傾けながら、にやりと笑う。
「で、セミラミスはどっちが勝つと思ってんの?」
「レヨです」
間を置く理由もなかった。
「即答だねぇ」
「ええ。勝てると思っていますから」
メガワンダーさんが強いことくらい知っている。
他にも有力な選手はいくらでもいるし、レヨ自身、ここまで何度もG1であと一歩届いていない。
それでも、朝日杯から海外G1まで相手を選ばず上位に食い込み、香港では既に1つ勝っている。
あの子は一皮むけたはずだ。ならば、宝塚で勝って何がおかしい。
「まあ、姉としては当然レヨを推しますよ」
そう言い切ると、何故か皆さん揃って苦笑した。
トレセン学園、遠征支援委員会室。
「セミラミスさん。そちらの棚の上もお願いいたします」
「はいはい」
裾の長いヴィクトリアンメイド服を揺らしながら、壁際の書棚へハタキを伸ばす。
背伸びをすればちょうど届く。普段なら脚立でも使う高さだろう。
「もう少し奥も」
「……ジャーニーさん」
「はい」
「楽しんでます?」
振り返ると、カメラを片手に椅子へ腰掛けたジャーニーさんが、いつも通りの柔和な笑みを浮かべていた。
「ふふ。さて、どうでしょう」
「否定しないんですね」
「せっかくの機会ですから」
そう言って、今度は隣の棚へ視線を送る。ついでにカメラのシャッターが切られた。
「そちらもお願いします」
「はいはい」
悪びれもしない。
……まあ、賭けに負けたのは私である。
今日ばかりは甘んじて使われるとしよう。
『外からドリームジャーニー! 外からジャーニー!』
『ジュニア王者が蘇る! ジュニア王者が蘇る! ドリームジャーニーやったー! 久しぶりのG1制覇!』
宝塚記念で、レヨはジャーニーさんに1バ身差で差し切られた。
その結末を現地で見届けた数日後、呼び出されるまま『立入禁止』の札が掛かった遠征支援委員会室へ足を踏み入れる。
そこには既に、上等な生地で仕立てられた本格的なヴィクトリアンメイド服が一式揃えられていた。
……用意が良すぎる。
「……これを、私に?」
返ってくるのは笑顔だけ。
着るとおっしゃったのは貴女でしょう、といわんばかりであった。
いざ身に着けてみれば、丈はもちろん、胸や腰回りまで妙なくらいぴたりと合っていた。
腕をいっぱいに伸ばしても突っ張るところひとつなく、こうして高い場所を掃除するにも支障がない。
……どうしてここまで私の身体に合っているのか。
その疑問については考えないことにして、無心でハタキを動かす。
一通りの掃除を終え、最後にコーヒーまで淹れ終えたところで、ようやく一息つけるかと思った。
「お疲れ様でした」
「どういたしまして。これでひとまず──」
「では、次はこちらを」
テーブルの上へ置かれたものを見て、言葉が止まる。
白と黒。
それ自体は先ほどまで着ていたものと変わらない。
だが、どう見ても布の量が少ない。
「……ジャーニーさん」
「はい?」
こてん、とジャーニーさんが小首をかしげる。
動きだけならかわいらしい童女のそれだが、表情には隠す気のない愉悦。
「これは」
「メイド服ですね」
「それは見れば分かります」
手に取ってみる。
先ほどのヴィクトリアンメイド服とは似ても似つかない、ひらひらと装飾ばかりが多いフレンチメイド服だった。
黙って睨む。
ジャーニーさんは笑顔のまま、その服を私の手から受け取った。
「お嫌でしたら、もちろん構いませんよ」
おや、思ったよりあっさり──
「今から外泊届を出して、栗東寮まで来ていただきましょうか?」
「…………」
笑顔は崩れない。
「確か、丸1日でしたね」
今いるのはトレセン学園。ここから栗東寮まで、この格好で移動。
そのうえ、ジャーニーさんと妹のオルフェーヴルの部屋で残り時間どころか、本当に丸1日。
しかもあの傲慢不遜の擬人化に顎で使われるのか。
現在は午後。
放課後までで勘弁してもらえている現状が、急に慈悲深いものに思えてきた。
「……着替えてきます」
「ふふ。賢明ですね」
数分後。
「……小さくありません?」
鏡の前で裾を摘まみながら呟く。
「そうでしょうか」
「さっきの服は完璧に合っていたでしょう」
「ええ。あちらは仕立てましたから」
「では、こちらは?」
「既製品です」
なるほど、だからか。
ところどころ妙に窮屈で、少し大きく動けば裾まで気になる。
掃除着として考えれば先ほどのものより明らかに劣っていた。
……つまり。
「これ、働くための服ではありませんね?」
「ようやくお気づきになりましたか」
ジャーニーさんが、実に楽しそうにカメラを構えた。
「ほら、手でハートを作って『萌え萌えキュン♡』ですよ。笑顔でね」
覚えてろよ豆粒ドチビが。
「……萌え萌えキュン♡」
カシャッ。
「カワイイですよ」
畜生。
そして再びコーヒーを淹れ、今度はジャーニーさんの横についてケーキの給仕までさせられた。
切り分けて皿へ移し、フォークを添えるだけならまだいい。
「では、一口お願いします」
「……自分で食べられますよね?」
「今日は貴女がおもてなしする日でしょう?」
結局、フォークにケーキを載せて口元まで運ぶ。
「……あーん」
「ふふ。ありがとうございます」
実に満足そうである。
こちらは、もう何度目か分からないため息を飲み込んだ。
その次は、ソファに腰掛けた私の膝を当然のように枕代わりにされた。
「……本当にやるんですね」
「ええ。楽しみにしておりましたので」
そう言って横になったジャーニーさんは、満足そうに太ももをねっとりと撫でる。
「これがG1・14勝の脚」
「手つきがいやらしいですよご主人様」
「ふふ、よいではありませんか」
そのままごろんと寝返りを打ち、顔を上にする。
「おお、顔が見えない」
……やっぱり楽しんでいる。
最後は、なぜかジャーニーさんを膝の上に乗せたまま先日の宝塚記念を見返すことになった。
「……普通に隣では駄目なんですか?」
「こちらの方が楽ですので」
当然のように背中を預けられる。
小柄な身体はすっぽりと収まり、私の方が完全に背もたれ扱いだった。
『外からドリームジャーニー!』
画面の中で、悪役めいた配色の勝負服をまとったジャーニーさんがレヨへ襲いかかる。
「ここです」
「分かっています」
わざわざ指まで差される。
「この時点で、もう届くと思っていました」
「解説まで求めてませんよ」
「おや。せっかくですからレヨネットさんの敗因分析もお願いしようかと」
「……性格悪いですね」
「ふふ」
画面では、ちょうど1バ身差の決着が映し出されていた。
……次に同じレースを走ったら覚えてろよ。
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セクハラオヤジと化したドリームジャーニーUC
着せられたメイド服イメージ
アンジェリカ
↓
ユタカオー&シンゲキ
↓
バクシンオー
↓
セミラミス&シュガー&スプマンテ
↓
キタちゃん