驀進王に憧れてトレセン学園に来たダメダメな私が3つの玉座の女主人と称えられるまで   作:八幡悠

200 / 200
198 2つの距離の女主人と夏合宿(前編)

 今年も夏合宿の季節がやってきた。

 

 トレセン学園を出たバスに揺られること数時間。街並みはいつしか田畑と山に変わり、やがて見覚えのある景色が増えてくる。

 

 目的地は新潟。

 昨年も、その前も世話になった、すっかり馴染みの合宿地だ。

 

「今年もここですね」

「ええ。今年も、慣れ親しんだ好風に迎えていただけました」

 

 ゼファーさんも気に入っているらしい。

 そんな言葉を交わすうち、バスはゆっくり速度を落とした。

 

 駐車場には、既に何台か別のバスが停まっている。

 降りてみれば、そこにいたのも見慣れた顔ばかりだった。

 

 メジャーさんとスカーレットを連れた北浦トレーナー。少し離れたところではセイウンスカイさんが大きく伸び、その横でタイキシャトルさんがこちらに気づいて手を振っている。引率は竪川トレーナーだ。

 

 今年もまた、いつもの面々で夏が始まる。

 

 

⏰️ ⏰️ ⏰️

 

 

 合宿初日。

 夏空の下では、いくつものチームがそれぞれのメニューに散っていた。

 

 短距離を全力で往復する者、タイヤを引いて進む者、数人でまとまって周回する者。

 その向こうでは坂路へ向かう一団もいる。

 

 そんな中で、私に与えられた指示は拍子抜けするほど単純だった。

 

「200mを12秒8目安。こちらが止めるまで、そのまま走ってください」

 

 トレーナーさんがストップウォッチを確認し、その隣ではゼファーさんがこちらを見ている。

 普段なら200mを11秒前後で刻む短距離ウマ娘にとっては、かなり余裕のある速度だ。

 

「ゼファーさんも?」

「ええ。今日はセミラミスさんの風を、少し近くで感じてみようかと」

 

 要するにフォームや呼吸、力みの監視役なのだろう。

 特に疑問もなく、そのまま走り出した。

 

 最初の200mは12秒8。次もほぼ同じ。脚を溜める程度の速度で、呼吸にも余裕がある。これならしばらく続けても大した負荷にはならない。

 そう考えていた3周目、外から短距離組が一気に抜けていった。

 

 視界の端を鋭い影が横切り、つられるように脚へ力が入りかける。すぐに抜いたつもりだったが、横を走るゼファーさんがわずかに目を細めた。

 

「今、追い風を欲しがりましたね」

 

 否定しかけてやめる。

 タイムは崩れていない。それでも、抜かれた瞬間に接地が強くなった自覚はあった。

 

 次の周では、前方をタイヤ曳きのウマ娘が走っていた。邪魔にならないよう外へ膨らみ、そのまま追い抜く。

 

「今度は少し、烈しくなりました」

 

 追い抜く瞬間にも速度を上げていたらしい。

 そこから先も同じだった。

 

 前の集団がインターバルに入れば距離が縮まり、後ろから全力走の足音が迫れば意識がそちらへ向く。隣を走る相手が急に落とせば、自分まで引かれそうになる。

 

 それでも時計だけなら大きくは崩れない。12秒7、12秒8、12秒9。誤差の範囲だ。

 

 だが、ゼファーさんはそのたびに何かを拾った。

 

「少し波立ちましたね」

 

 後方の足音に意識が引かれた。

 

「今は、向こうの風に帆を預けかけました」

 

 前方の相手を目標にしかけた。

 

 言われれば分かる。だから、いちいち聞き返す必要もなかった。

 問題は、それが延々と続くことだった。

 

 速く走れと言われれば速く走ればいい。追い込めと言われれば限界まで追い込めばいい。だが、周囲だけが絶えず変わる中で、自分だけ何も変えるなと言われると妙に神経を使う。

 抜かれても追わない。前に誰かいても目標にしない。横から加速されても、自分の呼吸と歩幅を守る。

 一定で走るために周囲を警戒するほど、かえって周囲へ意識を奪われる。

 

「……今の風は、少し濁りました」

 

 何が濁ったのかと考えかけ、すぐに気づく。

 後ろから近づいてきた足音に、意識を取られていた。

 速度もフォームも変わっていない。

 それでも、次に抜かれるかもしれないと考えた時点で、もう自分の走りだけを見てはいなかった。

 

 そこで、ようやく力の入れ方が変わった。

 

 周囲を見ない必要はない。聞こえるものまで遮る必要もない。

 ただ、それを理由に自分の走りを変えない。

 

 後ろが速いからといって、こちらまで予定を変える理由にはならない。前を走る相手が遅くても、追いかける理由にはならない。

 

 次の周、また誰かに抜かれた。

 さらに先で別のウマ娘を追い越した。

 

 それでも脚は変えない。

 

 視界の中では相変わらず、皆が好き勝手に走っている。

 その中を、自分だけ同じ速度で抜けていく。

 

 やがてトレーナーさんの笛が鳴った。

 

 速度を落として戻ると、思っていた以上に頭が疲れていた。脚にはまだ余裕があるのに、妙な倦怠感だけが残っている。

 

「どうでした?」

 

 少し考えて答える。

 

「思ったより、面倒な練習でした」

 

 するとゼファーさんが、ふっと微笑んだ。

 

「最後の風は、とても澄んでいましたよ」

 

 今度は、その意味を考える必要もなかった。

 中山記念のように1000mもいらない。たった数百mでいい。この感覚をものにできさえすれば。

 

 

⏰️ ⏰️ ⏰️

 

 

 それから数日後。

 

 夜明け前に朝食を終えた私は、セイウンスカイさんと並んで港にいた。

 

「おー、今年もありますねぇ」

 

 スカイさんが嬉しそうに見る先には、白いクルーザーが浮かんでいる。

 

 トレーナーさんが夏合宿の休養日に出している船で、毎年何人かを連れて沖へ釣りに出るらしい。

 スカイさんにとっては恒例行事で、手慣れた様子で荷物を積み込んでいく。

 参加者は私たちの他に、全員分の弁当をこしらえてきてくださったフラワーさん、風に吹かれてやってきたゼファーさん、今日も元気に高笑いしているキングヘイローさんである。

 初参加は私だけだった。

 

「話には聞いていましたが、立派なフネですね」

「でしょー。吉富トレーナー、こういうところだけ妙に本格的だから」

「聞こえていますよ、スカイさん」

「あ、まずい」

 

 船上から声が飛び、スカイさんがそそくさと逃げる。

 

 トレーナーさんは呆れたようにこちらを見て、私の手元へ視線を落とした。

 

「酔い止めは?」

「乗り物酔いはしませんので」

「帽子と飲み物は?」

「こちらに」

「よろしい。今日は休養ですから、船の上で筋力トレーニングなど始めないように」

「しませんよ」

 

 メジロライアンさんじゃないんだから。私はそっち系ではない。

 

 やがて船は港を離れた。

 

 海風は陸より涼しく、強い日差しも幾分和らいで感じられる。遠ざかる陸を眺めているだけでも、普段とは随分違った気分だった。

 

 だいたい20knぐらいかな、対気速度で。

 

「お、セミちゃん計算速いね~。さっすが優等生」

「いえ……そんなことは」

 

 趣味でノットとインチとポンドに親しんでただけです。などとは言えず曖昧にごまかす。

 

 

 そしてポイントに着いて、スカイさんに教わりながら仕掛けを落とす。

 スカイさんはともかく、ゼファーさんがササッと仕掛けを作っていたのには驚いた。曰く、もう慣れたとか。

 なんとなくフラワーさんが器用なのと、キングヘイローさんがトレーナーさんにやってもらっていたのは想像通りだったが。

 

 まあそこは良かった。

 午前中のうちに、撒き餌と疑似餌でアジを釣って、その後それを泳がせて大物を狙うのだという。

 アジ釣りは竿を上げるたびに、場合によっては何匹も一度に釣れて楽しかった。

 問題はそれを餌に、ハタやヒラメのような大物を狙いだしてからだった。

 

「…………」

「…………」

 

 何も起こらない。

 

 波に揺られて竿先が上下するだけで、魚の気配はない。

 横を見ると、スカイさんはクーラーボックスに腰掛け、満足そうに海を眺めていた。

 

「……これでよいのですか?」

「いいんじゃない?」

「餌の付け方に問題があるとか」

「ないない」

「棚が違う可能性は?」

「まあ、あるかもねー」

「なら調整した方が」

「セミちゃん」

 

 スカイさんがこちらを見る。

 

「まだ5分くらいしか経ってないよ?」

 

 時計を見る。

 確かにその程度だった。

 

 先月、寮の前で釣具を整備していた彼女から、少しは待つことを覚えろと言われたのを思い出す。

 

 仕掛けを触るのをやめ、海へ向き直った。

 しかし、待つのは存外難しい。

 

 潮が変われば場所を動かした方がよいのではと思うし、スカイさんの竿先が揺れれば自分との差が気になる。少し離れたところでトレーナーさんが魚を上げれば、今度はそちらの仕掛けに目が向く。

 

 そのたび、手を動かしかけてやめた。

 

 やがてスカイさんが海を見たまま言った。

 

「そういやセミちゃん、この前からずーっと同じペースで走らされてたんだって?」

「よくご存じですね」

「ゼファーさんから聞いた。大変だった?」

「肉体的にはそれほど。精神的には思ったより疲れました」

 

 周囲では皆が違う練習をしている。その中で、自分だけ同じ速度を維持し続ける。

 狙いは理解していた。息を入れる区間で後続が詰めても、それにつられて余計な脚を使わないための練習だ。

 

 そう話すと、スカイさんはくすくす笑った。

 

「セミちゃん、そういうの苦手そうだもんねー」

「否定はしません」

 

 少なくとも以前なら、もっと苦手だった。

 

 一昨年の有記念の前、メジャーさんの練習相手として逃げ役を務めたことがある。

 前に誰もいない。

 比較する相手も追いかける相手もいない。

 ペースが速いか遅いか、その判断を自分だけで下さなければならない。

 

 あの時は、それを自由ではなく孤独だと思った。

 

「私、逃げはあまり好きではないんですよ」

「へえ」

「前に誰もいないと、基準がありませんから。以前に逃げ役をやった時も、後ろから来られるとつい反応したくなりました」

「あー。それじゃ楽しくないわ」

「そうですか?」

「だってセミちゃん、逃げてるのに後ろに走らされてるじゃん」

 

 一瞬、意味を取り損ねた。

 

「……後ろに?」

「そ。誰かが近づいたら速くなって、離れたら安心して。前にいるのに、決めてるのは後ろの子でしょ?」

 

 海面へ目を戻す。

 そう、だから逃げは、特に大逃げは弱いと思っていた。

 相手のミスに依存する、後ろが愚かでなければ成功は望めない戦法だ、と。

 

 先日の恒速走でも、速度自体は守れていても、後ろから足音が迫れば意識はそちらへ向いた。前に誰かいれば追いつきたくなった。

 予定を崩さない練習だとは分かっていたが、言われてみれば判断のきっかけを相手に与えていた。

 

「でも、後ろを気にしないわけではないでしょう?」

 

 そう訊くと、スカイさんは少し楽しそうに笑った。

 

「そりゃ見るよ。見ないと困るし」

「では、先ほどの話と矛盾しませんか?」

「しないしない。見るのと、動かされるのは別だから」

 

 竿先を眺めたまま、スカイさんは続ける。

 

「後ろが来たから速くなる、離れたから緩める。それじゃ向こうに決めてもらってるでしょ?」

「ええ」

「でも、後ろが来そうだから少しだけ離しておこうとか、逆に近づかせてから動こうとか。そういうのは、こっちが決めてる」

 

 なるほど。

 

「相手を見るな、ではなく」

「相手に合わせるな、かなぁ」

 

 ずいぶん意味が違う。

 

「逃げてるとね、後ろのみんながこっちを見るんだよ」

 

 スカイさんがくすくす笑う。

 

「速いのか遅いのか。追った方がいいのか、まだ待った方がいいのか。みんな勝手に考えてくれる」

「それを利用する、と」

「せっかく先頭にいるんだからねー」

 

 飄々としたその様子は実に彼女らしい。

 

 以前の私は、前に誰もいない場所を、頼れる基準を失った孤独な場所だと思っていた。

 

 けれどスカイさんにとっては違う。

 前に誰もいないからこそ、自分で基準を作れる。

 そして、その基準を後ろに押しつけることさえできる。

 

「……自由というより、支配に近くありませんか?」

「人聞き悪いなぁ」

 

 まるで否定する気のない顔で言う。

 

「でもまあ、後ろに振り回されるよりは楽しいでしょ?」

 

 確かに。

 少なくとも、以前よりはずっと腑に落ちる。

 

「……なるほど」

 

 呟いた瞬間、竿先が大きく沈んだ。

 

 反射的に合わせようとする。

 

「まだまだ」

「えっ」

「待って待って。今上げたら早いよー」

 

 数秒後、もう一度強く竿が引かれた。

 

「今!」

 

 言われるまま竿を立てる。

 ずしりと、今までになかった重みが返ってきた。

 

「かかりました」

「おー、初ヒット。焦んない焦んない」

 

 魚の動きに合わせてリールを巻き、しばらく格闘して、ようやく平たい銀色の魚体が海面に現れた。

 

 スカイさんが網ですくい上げる。

 

「おめでとー。ちゃんと待てたねぇ」

「子供扱いしないでください」

 

 そう返しながら小さいクッションほどあるヒラメをクーラーボックスへ収め、再び仕掛けを海へ。

 

「お刺身とか、煮付けにしてもおいしいですね!」

「いいねぇ。フラワーの料理は絶品だからね」

 

 なにやら騒がしい船の反対側とは違い、こちらにはゆったりとした時間が流れていた。

 

 

「ぎにゃー!! サメさん! サメさん!!」

「おお、魚雷さんに小判さんのおまけつきですか」

「アブラツノザメですね。キングさん、落ち着きなさい。キングヘイロー」

「サメさん!!! どうぞ!?!?!」

 

 ……一体なにをやっているのだろうか。




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JRA最年長騎手の柴田善臣ジョッキーが引退されると発表がありました。
めっちゃ強い割にお手馬いないんで、ウイポではお世話になったものです。
引退後はJRAのアドバイザーを務められるとのことで、ヨシトミヨウジョウシロ-。

だからって訳じゃないけど有名騎乗馬でウマ娘になってるキングヘイロー登場。
ぱかちゅーぶのギャングビースト回は傑作だから見ろよ見ろよ。

・サメさん
本名:アブラツノザメ
体長1.4mぐらい。お刺身でもおいしくいただける。

・ときめきスクランブル
落下用キャラソン
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