驀進王に憧れてトレセン学園に来たダメダメな私が3つの玉座の女主人と称えられるまで 作:八幡悠
合宿最終日、夕刻。合宿所近くの海岸。
まだ空には赤みが残っている。
少し離れたところではヘリオスさんたちが持ち込んだスピーカーから音楽が流れ、何人かが砂浜ではしゃいでいる。
私はそこから少し外れ、波打ち際に近いところでゼファーさん、ヘリオスさん、ニホンピロウィナーさんと並んでいた。
「いやー、マジ激アツだったわ! てか18人とか聞いてないし! ウチら何しに来たんだっけ?」
「噂を聞きつけて勝手に来たのはヘリオスさんでしょう」
「そーだった! ウケる!」
何が面白いのか分からない。
あくまで模擬レース、安田記念前に練習にお付き合いいただいたシャトルさんへのお礼であったはずの併せは、例によってガチレースへと発展していた。
一昨年の短距離と異なったのは、一つには開催中であるはずの新潟レース場を借りてレースが行われたこと。
手回しよくレース場が借りられていたことを最初は訝しんだが、前日に集まってきたメンバーと出走表を見て理由を悟った。
……誰か、口が軽かったやつがいるな?
1番 ダイタクヘリオス
2番 ニホンピロウイナー
3番 キングヘイロー
4番 シーキングザパール
5番 グラスワンダー
6番 ノースフライト
7番 ブラックホーク
8番 サクラバクシンオー
9番 アグネスデジタル
10番 タイキフォーチュン
11番 ヤマニンゼファー
12番 キングカメハメハ
13番 ニシノフラワー
14番 ダイワメジャー
15番 タイキシャトル
16番 イーグルカフェ
17番 デュランダル
18番 ノルデンセミラミス
フォーチュンさんやイーグルさんはまだいい。それぞれトレーナーさんと椿さんのチームつながりだ。
ブラックホークさんやキンカメさんもまだいい。合宿所に居たからな。
ヘリオスさんやマイルの皇帝ニホンピロウイナーは違うだろ。指導ウマ娘すら引退したOGがなんでいるんだよ。
いや犯人が誰かは知っている、というかそこのパリピが、ゼファちがおせーてくれた、とゲロっている。
その犯人の隣ではニホンピロウィナーさんが、小さく笑いながら海を眺めていた。
「でも、楽しかったですよ。久しぶりにあれだけの人数で走りましたから」
「余裕でついてきていた人が言うと嫌味に聞こえますね」
「余裕ではありませんよ。最後は随分苦しかったです」
そうは言うが、もう何年も前に指導ウマ娘まで退いている人である。
OG相手であったことまでを考えると、今日の結果については少し思うところがあった。
「……やはり私はスプリンターですね」
「え、今さら?」
「1600mも勝てますが、1200mほど一方的ではありません」
ヘリオスさんが真っ先に声を上げる。
「セミっち、それ何周目の話!? マイルG1何個持ってんの!?」
「数の問題ではありません」
今日、私は十分に走れた。
タイキ……シャトルさんとも競ったし、現役を退いて久しい先輩方にも先着した者はいる。
だが、だ。
「1200mならもっと離せます」
それが一番しっくりくる説明だった。
短距離であれば、こちらが万全なら相手がどれほどの名手でも、もっと明確に違いを押しつけられる。
それこそ余程の相手でなければ負けるなどということはあり得ない。
今日の1600mでは違った。
仕上げてきたタイキさんやフライトさん、ゼファーさん、バクシンオーさん、メジャーさんだけではない。現役を退いて久しい人たちまで、最後まで私の視界から消えてくれなかった。
「正直に言えば、もう少し離せると思っていました」
「……私、一応かなり昔の人なんですけど」
「ですからです」
「そこを肯定しますか」
ニホンピロウィナーさんが苦笑する。
「相変わらずですね」
「どういう意味です?」
「以前から自分に対する基準が少しおかしいです」
そう言われると返しに困る。
ゼファーさんが海から吹いてきた風に耳を揺らした。
「今日のセミラミスさんは、とてもよい風でしたよ。ただ……そうですね。1200mを駆ける時のようなすべてを後ろへ置き去りにする疾風とは、少し違いました」
「やはり?」
「ええ。マイルでは、風が長く続きますから」
ゼファーさんは目を細める。
「強く吹くだけではなく、息をしながら、流れながら。それでも最後まで勢いを失わない風でなければなりません」
私は今日、それを嫌というほど味わった。
確かに京都ではこれまで勝ち続けているが、京都には淀のウオッカが居なかったからでしかなかったのかもしれない。
ニホンピロウィナーさんが続けた。
「位置取りも、仕掛けも、我慢も。1600mは短いようで意外と色々できますから」
「しかも今日、濃すぎっしょ。あのメンツで楽に勝とうとか欲張りすぎ!」
「ヘリオスさんに言われると妙に腹が立ちますね」
「なして!?」
だが、その通りではある。
今日集まったのはマイルという距離に一家言ある者ばかりだ。
それでも私は、どこかで思っていたのだろう。今の自分ならもっと圧倒できるのではないかと。
海風が、4人の髪と尻尾を揺らしていく。
無事故の願掛けにと腰まで伸ばした髪が風をはらむ。
「ま、でも超楽しかったし! またやろーぜ、セミっち!」
「次はもう少し人数を減らしてください」
「えー、盛れてたじゃん!」
何が盛れていたのだろうか。
ヘリオスさんは立ち上がると、少し離れたところで騒いでいる一団へ向かっていく。
「ウィナーさん、ゼファちんも行こー!」
「私は別に──」
「行きましょうか、ウィナーさん。あちらにも良い風が吹いていますから」
「……ゼファーさんまで」
苦笑しながら、ニホンピロウィナーさんも腰を上げる。
「では、また後で」
「ええ」
3人を見送り、私はそのまま波打ち際に残った。
1600m。
十分に走れる。勝てる。おそらく私は、この距離でも歴代の名手と並べるだけのものを持っている。
それでも、自分が最も強い場所ではない。
ならば──2000mでは、どうなる。私の脚は、どこまで往ける。
「ずいぶん楽しそうなことを考えている顔ですね」
後ろから穏やかな声がした。
振り返ると、そこにはグラスさんとシャトルさんが立っていた。
「マイルでもあれだけ走って、それでも自分はスプリンターだと?」
「事実ですから」
「ふふ。タイキさん、どう思います?」
「セミラミスは欲張りデース!」
そう言いながら、グラスさんが私の隣へ腰を下ろした。
タイキさんも砂浜へ座り込み、よく冷えたにんじんジュースを1本こちらへ差し出してくる。
しばらく3人で夕暮れの海を眺めていると、不意にタイキさんが口を開いた。
「(でも、次は2000mでしょう?)」
英語だった。それも聞き慣れた、柔らかなケンタッキー訛り。
日本語で話す時よりずっと滑らかで、声の調子まで少し大人びて聞こえる。
「(秋の天皇賞でしたね)」
続いたグラスさんの英語に、思わず横を見た。
癖の薄いアメリカ英語。
ただ、日本語で話す時とは随分印象が違う。
「(ええ。その予定です)」
「(いいですね。私たちは走れませんでした)」
随分と簡潔だった。
「(そうね。走ってみたかったわ)」
「(私もです)」
タイキさんは少し懐かしむように笑う。
一方のグラスさんは、海を見たまま淡々としていた。
「(勝てたかもしれないし、負けたかもしれません)」
「(でも、確かめる機会はなかった。そもそもその資格がなかった)」
「(そういうことです)」
当時、2人には秋の天皇賞への出走資格がなかった。
クラシックも同じだ。
能力ではなく、出自によって。
そのURAの政策の是非はここでは問わない。ただ、これは事実だ
「(今は違います)」
グラスさんがこちらを見る。
その規則はお2人のすぐ後の世代で撤廃された。それで勝ったのが戦場を選ばない勇者、アグネスデジタル──。
今は関係ない話か。
「(それに、あなたは出られる。走りたいのでしょう?)」
「(ええ。私が2000mでどこまで往けるのか、確かめたいと思っています)」
言い終えると、グラスさんが少しだけ目を細めた。
「(思っていたより普通ですね)」
「(何がです?)」
「(もっと長くなるかと)」
タイキさんが吹き出す。
「(私もそう思ってました)」
「(失礼ですね)」
「(昨年のインタビュー、見ましたから)」
あれか。アスコットで失礼な記者にやったやつだ。
「(私は質問に正確に答えただけですが)」
「(それが問題なんです)」
グラスさんが即答した。その言葉には日本語の時より容赦がない。
「(グラスさんは英語だと随分と直截ですね)」
「(普通に話しているだけです)」
「(日本語ではもっと柔らかいでしょう)」
「(外国語ですから。丁寧にしているだけです)」
なるほど。あのほわっとした喋りは母語でないがためか、あるいはそう教わったのだろう。
逆にタイキさんは、英語になると日本語の時より随分と落ち着いている。
「(タイキさんは逆ですね)」
「(何がです?)」
「(英語だと大人びて聞こえます)」
タイキさんは少し胸を張った。
「(大人のレディですから)」
「(自分で言いますか)」
グラスさんが間髪入れずに返す。
「(少なくとも、あなたよりは)」
「(それはどういう意味でしょう)」
「(あなたの英語、ニュースキャスターみたいです)」
タイキさんがまた笑った。
「(とってもお上品ですよ!)」
「(英国では普通だったのですが)」
「(たぶん普通ではありません)」
2対1である。
納得はしていないが、反論するとまた長いと言われそうなので黙る。
そんな私を見て、タイキさんはひとしきり笑ったあと、少しだけ柔らかな表情になった。
「(でも、本当に楽しみにしています)」
夕暮れの海へ視線を向ける。
「(私たちは走れませんでした。でも、あなたは走れる)」
グラスさんも静かに頷いた。
「(私たちのためではありません)」
「(ええ)」
「(あなたが走りたいから走る。それでいい)」
少し間を置いて、グラスさんは続けた。
「(どこまで行けるのか、見せてください)」
タイキさんもこちらを見る。
「(スプリンターが2000mまで行ったらどうなるのか。私も見たいです)」
私は少しだけ考えてから答えた。
「(承知しました。では、見ていてください)」
「(ほら、また堅い)」
学者気取りですか、とグラスさんに即座に返される。
「(……行ってきます)」
「(それでいいんです)」
満足そうに頷くグラスさんの横で、タイキさんが楽しそうに笑った。
「楽しみにしていマスよ、ノルデンセミラミス」