驀進王に憧れてトレセン学園に来たダメダメな私が3つの玉座の女主人と称えられるまで 作:八幡悠
トレセン学園、メディアルーム。
スプリンターズステークスを数日後に控え、恒例となったG1出走者合同記者会見が行われていた。
壇上には私を含む出走予定者が勝負服姿で並び、正面には記者とカメラマンが詰めかけている。
私はもちろんいつもの赤い勝負服で登壇していた。
先ほど発表された枠順で私は1枠2番。
内枠は歓迎すべきだろう。スタートさえ問題なければ位置取りの自由は利く。
もっとも、今日の記者諸氏の関心は枠順とは別のところにあるようだった。
「それではノルデンセミラミスさん。スプリンターズステークス3連覇が懸かります。意気込みをお願いします」
「はい。3年続けてこのレースへ出走できることを嬉しく思います。今年も勝てるよう努めます」
何度もフラッシュが瞬く。
それからローレルゲレイロさん、ビービーガルダンさん、アルティマトゥーレさんらへ順にマイクが渡っていった。
皆、当然ながら勝つつもりだ。
その顔ぶれを目で追う。
……本当に、まだ走れていることそのものが幸いである。
見慣れた顔も、櫛の歯が欠けるように次々と減っていってしまった。
一通りの抱負が終わると、個別の質問へ移った。
いくつかの質問が続いたところで、再び私が指名される。
「セミラミスさん。先日のセントウルステークス後のインタビューについてお伺いします」
来た。レヨによると、SNSやネット掲示板ではそれなりに炎上していたらしい。
隣でゲレイロさんの耳がこちらへ向いた。
「『次は余力を残すことを考えず、最後まで走る』と発言されました。これは、これまでの短距離戦では全力を出していなかったという意味でしょうか?」
「いいえ」
そこは明確に否定する。
「最後まで出し切らなければ勝てなかったレースもあります。ただ、勝負が決まったあとまで差を広げようとは、あまり考えてこなかったという意味です」
記者が頷きながらメモを取る。だが、質問は終わらなかった。
「では少し表現を変えます。近年の短距離戦について、対戦相手に物足りなさを感じていた、ということはありますか?」
率直に言えばそうなる。
近年どころかこれまでのレースを振り返っても、最後まで私を追い詰めてくれた相手は数少ない。
ならば、答えは決まっている。
「……そうですね」
途端、会場がざわめいた。
なぜだろう。
「セミラミス」
小声で呼ばれ、横を見る。
ゲレイロさんが額に手を当てていた。
「なんでしょう?」
「いや、いい。続けて」
促されたので前を向く。
「誤解のないよう申し上げますが、皆さんが弱いという意味ではありません」
「と、言いますと?」
「最後まで勝敗が分からず、持っているものをすべて使わなければ勝てない。そういうレースを、もっと走りたいとは思っていました」
再びシャッター音が激しくなる。先ほどより増えていないだろうか。
「具体的に、これまでの短距離戦でそう感じた相手はいらっしゃいますか?」
「国内でしたらマーチャン──アストンマーチャンですね。2年前のスプリンターズステークスは最後まで捕まえられるか分かりませんでした」
「海外では?」
「ジュライカップのマルシャンドールさんでしょうか」
答えたところで、少し離れた席から溜息が聞こえた。
アルティマさんだった。
「……私、3週間前に負けたばかりなんですけど。そこで『物足りなかった』って言われると、さすがにちょっと複雑かな」
「まあ、こっちも春から色々やってきたからね。それで足りないって言われたら面白くはないかな」
ビービーガルダンさんもマイクを持ち上げる。
言いたいことは分かる。だがそうは言っても、結局ここまで届かせてはこなかったのも事実ではある。
「アタシは驚かないけどね」
ゲレイロさんが肩を竦める。
「セミラミスがそういう奴なの、今さらだし」
「ありがとうございます」
「褒めてないから」
そうなのか。
会場から小さな笑いが起きた。
空気が緩んだところで、別の記者が手を挙げる。
「では、今回のメンバーにはそれを期待していますか?」
「はい。もちろんです」
是非ともそうしていただきたい。
「もう一点。今回、最後まで余力を残さず走るというのは、次走に予定されている天皇賞・秋を見据えた試みでもあるのでしょうか?」
「はい」
会場から笑いが消えた。
「2000メートルでも最後まで出力を落とさず走り切る必要があります。そのためにも、1200メートルで最後まで踏み切る経験には意味があると考えています」
「では、今回のスプリンターズステークスには、天皇賞へ向けた実戦練習という意味も?」
「それは違います」
今度も即答した。
流石にスプリントが中距離への踏み台であるかのような言い方はまずいし、本意ではない。
……最後まで踏み切るという点でその側面は否定しきれないが、そのために走るのではない。断じて。
「スプリンターズステークスはスプリンターズステークスです。私はこのレースに勝つために走ります」
それとこれとは別の話だ。
「ただ、ここで得た経験が2000メートルでも役立つとは考えています」
「……やっぱり使うんじゃん」
ガルダンさんが呟いた。
「はい?」
「なんでもない」
ふい、とあちらを向く。
するとゲレイロさんがマイクを手に取った。
「要するにさ」
こちらを見る。
「アンタが最後まで余裕持って走れるようなレースにしなきゃいいんでしょ?」
「そうですね」
それなら話は単純だ。
自然と頬が緩む。
「期待しています、ゲレイロさん」
「……そういうとこだよ、アンタ」
なぜか呆れられた。
最後に、記者から当日の展開について質問が飛んだ。
「展開は当日次第です。ただ──速い方が前にいてくだされば、私は走りやすいと思います」
ふと横を見る。ゲレイロさんと目が合った。
「……なんでアタシ見た?」
「いえ、特には」
「嘘つけ」
会見場に笑い声が広がった。
トレセン学園、カフェテリア。
「セミラミスさん。また炎上してますよ♪」
席に着くなり、カレンさんからそう告げられた。
「またですか」
今度は何だろう。
向かいにはカレンさんとマーチャン。その隣にはスリープレスナイトさんが座っている。
ナイトさんの傍らには杖が立てかけられ、右脚にはまだ痛々しくサポーターが巻かれていた。
つい3週間前のセントウルステークスでは、同じレースを走ったばかりだというのに。
右脚屈腱炎。競走ウマ娘にとっての死病。
また一人、同期がその鎌によって望まずして競走生命を刈り取られたのだ。
そんな考えを頭の隅に追いやり、ウマホをスワイプするカレンさんに目を向ける。
「『近年の短距離戦では対戦相手に物足りなさを感じていた』だそうです♪」
「それは記者の方の質問ですね。私の発言ではありません」
「『そうですね』って答えましたよね?」
「はい」
「じゃあダメです♪」
なぜだろう。
「マーちゃんとしては、今回の発言に異議はないのです」
マーチャンが胸を張った。
「セミラミスが最後まで捕まえられるか分からなかった強敵。それがマーちゃんなのです。これはマーちゃん史に刻まれるべき証言なのです」
「実際、あの時のマーチャンは強かったですよ」
「ふふん」
「もう、マーちゃんってば~♪」
カレンさんが苦笑する。
その横で、ナイトさんがゆっくりと瞬きをした。
「……私は?」
「はい?」
「去年。スプリンターズステークス」
「もちろん、ナイトさんも強かったですよ」
「……でも、物足りない?」
「最後まで勝てるか分からなかったか、と聞かれれば……そこまでではありませんでした」
「……そっか」
ナイトさんは小さく頷いた。
カレンさんが額に手を当てる。
「セミラミスさん。カレン、この前ちゃんと教えましたよね?」
「何をでしょう」
「相手がどう受け取るかも考えましょうね、って♪」
「考えましたよ。ですから会見でも、皆さんが弱いという意味ではないと説明しました」
カレンさんがしばらく私の顔を見つめる。
「……うん。そこじゃないんですよね~」
「む」
難しい。
「しかし、マーちゃんは嬉しかったので問題なしなのです」
「マーちゃんだけの問題じゃないの♪」
「では、マーちゃんにとっては問題なしなのです」
「限定してもダメですよ~」
そんな2人のやり取りを眺めていると、小さな笑い声が聞こえた。
「……ふふ」
「ナイトさん?」
「変わってないね」
「私がですか?」
「……うん」
「そう言われるほどお話しした記憶はありませんが」
「レースで……見てたから」
「なるほど」
それなら納得である。
「でも……いいな」
「何がですか?」
ナイトさんがぽつりと呟いた。
視線がゆっくりと下がる。
サポーターに包まれた、自分の右脚へ。
「まだ、走れるの」
返事に詰まった。
会見の壇上で、私も似たようなことを考えていた。
まだ走れている。それだけでも幸いなのだと。
ほんの3週間前まで、ナイトさんは私たちと同じ場所にいた。
「……変なんだよね」
右脚を見たまま、ナイトさんが続ける。
「朝、起きると……今日のメニュー、なんだっけって考えるの」
「…………」
「それで……ああ、ないんだったって」
杖に添えられた指が、わずかに動いた。
「レース見てても……ここで上がろうとか、外が空いてるとか。考えちゃう」
「ナイトさん……」
カレンさんが小さく呼ぶ。
「……大丈夫。分かってるから」
いつもの眠たげな声だった。
「もう、走らないって。……ただ、まだ慣れてないだけ」
3週間。
たったそれしか経っていない。
「次がないの……変な感じ。ずっと、次があったから」
ナイトさんは小さく笑った。
勝てば次へ。
負けても次へ。
次はどう走るか。次はどうすれば勝てるか。
私にも、ずっと次があった。
マーチャンにも、スカーレットにも、そしてナイトさんにも。それはあったはずだったのだ。
「……そんな顔しなくていいよ」
「顔に出ていましたか?」
「ちょっと」
「そうですか」
気をつけよう。
ナイトさんがようやく顔を上げる。
「だから……走ればいいと思う」
「最後まで?」
「……うん」
眠たげな瞳が、わずかに細められた。
「走れるなら……走りたいように」
「…………」
「見たいし」
「何をですか?」
「セミラミスが……最後まで走ったら、どうなるのか」
考えてみれば、私にも分からない。
勝つために必要なだけではなく。
差がついたところで緩めることもなく。
ゴールまで、出せるものをすべて出したなら。
私は、どこまで走れるのだろう。
「奇遇ですね」
自然と頬が緩んだ。
「私も見てみたいです」
ナイトさんも小さく笑った。
「……いいなあ」
その言葉が、妙に耳に残った。
まだ走れる。
そして私には、次がある。
スプリンターズステークスを終えれば、天皇賞・秋へ。
その次はマイルチャンピオンシップ。
年内はそこまで。その先はまだ白紙だった。
蹄鉄を外すのか。もう1年走るのか。
そろそろ考えておくように、とトレーナーさんにも言われている。
けれど、それとは別に。
来年、再びこの季節に1200メートルを走っている自分の姿を想像してみる。
不思議なほど何も浮かばなかった。
3年間、何度も走ってきた距離。
勝つために必要なだけ走り、何度も先頭でゴールした距離。
引退するからではない。もう走れないからでもない。
続けようと思えば、来年も走っているのかもしれない。
それでも。
――4度目は、おそらくない。
なぜか、それだけは分かった。
私が1200メートルを走るのは、次が最後になるのだろう。
ならば。
最後まで走ってみようではないか。
香港で無意識にそうしたように。
今度こそ、本当に。