驀進王に憧れてトレセン学園に来たダメダメな私が3つの玉座の女主人と称えられるまで 作:八幡悠
トレセン学園、チーム棟。猿田トレーナーの執務室。
『──ウオッカ、ウオッカ! ダイワスカーレット! 内からディープスカイ! 外からカンパニー!』
モニターから流れる実況に思わず身を乗り出した。
画面に映っているのは昨年の天皇賞(秋)。府中の長い直線でウマ娘たちが最後まで競り合い、ほとんど横一線になってゴールへ飛び込んでいく場面だった。
『──ウオッカか! ダイワスカーレットか!』
何度見返してもすごいレースだと思う。
勝ったのはウオッカさんで僅かに遅れてスカーレットさん。その後ろにはディープスカイさんをはじめとした面々が続き、あたしもその中にいた。
5着、ノルデンレヨネット。
着順だけ見れば4人に先着を許した形だけれど、6着までタイム差なしという凄まじい接戦だったこともあって、今でもほんの少し位置が違えば結果は変わっていたかもしれないと思ってしまう。
「……もうちょっとだったんだけどなぁ」
「せやな。ほんま、もうちょっとやった」
隣で腕を組んでいた猿田トレーナーが頷いた。あたし以上にこのレースを見返している人だから、今さら慰めるつもりなどないのだろう。
「ほな、もう1回見よか」
「また?」
「またや。去年のお前と今年のお前、何が違うか考えてみ」
トレーナーさんが映像を巻き戻す。あたしは小さくため息をつきながらも改めて画面へ目を向けた。
去年と今年ではずいぶん色々なことがあった。昨年末には香港カップを勝って初めて海外G1のタイトルを手にしたし、今年もドバイから香港へと遠征したあと宝塚記念に出走している。
ジュベルハッタは2着、ドバイデューティーフリーも2着、チャンピオンズマイルも2着で宝塚記念まで2着。先日の毎日王冠に至っては3着だった。
見事なシルバーコレクター。自分で並べてみてもちょっと嫌になる戦績である。
「ねぇトレーナーさん」
「ん?」
「あたし、今年って何か悪いことしたっけ?」
「は?」
「だってさぁ。これだけ走って今年まだ勝ってないんだよ? そろそろ1つぐらい勝たせてくれてもよくない?」
「神頼みする前に自分で勝てや」
「そういうことじゃないんだけど!」
トレーナーさんは笑いながら机上の資料を指で叩いた。
これでもあの神社にはお参りしたんだけどな。お姉ちゃんと小さい頃よく行った近所の勝ちウマの社。
「せやけど強い相手とばっかり走ってきたんは確かや。負けたからいうて弱なったわけやない」
「それは分かってるよ」
「ほんまか?」
「分かってるってば」
そう答えながらモニターに映った去年の自分を見つめる。今のあたしならあの位置からもう少し早く動けるだろうか。あの直線で最後のひと伸びができるだろうか。
できると思うし、できなければ困る。あれから1年もの間、ただ同じところを走り続けてきたわけじゃないんだから。
「……今年こそ勝ちたいな」
「当たり前やろ。そのために出るんや」
何でもないことのように言われて思わず笑ってしまった。そうだよね。最初からそれしかない。
「じゃあ、今年の相手を見ようか」
「おう。まずはこいつやな」
画面が先日の毎日王冠に切り替わり、先頭を走るウオッカさんの姿が映し出された。
「……やっぱウオッカさんだよね」
「まあな。去年の勝ちウマ娘やし府中での実績は文句なしや。今年もヴィクトリアマイルと安田記念を勝っとる」
「お姉ちゃんに2回勝ったんだよね」
「せや。安田記念はハナ差やったとはいえきっちり先着しとる。あれは大したもんやで」
昨年の秋天でも最後まで脚を使い切って勝ったのはウオッカさんだったし、今年は短距離やマイルで負けたことがなかったお姉ちゃんを2度も破っている。
府中でウオッカさんに勝とうと思えば並大抵の走りでは足りないことくらい、去年の秋天を走ったあたし自身が一番よく分かっていた。
「奈瀬トレーナーも強気やで。昨日の取材、見たか?」
「ううん、まだ」
トレーナーさんが開いたのは各陣営の調整状況をまとめた記事だった。
『毎日王冠は残念でしたが、状態に問題はありません。昨年勝った舞台ですし、ウオッカの力を信じています。ただ、カンパニーさんは当然警戒していますし、ノルデン姉妹も侮れません』
「相変わらず落ち着いてるねぇ」
「まあ前走負けたからいうて慌てる人やないわな。勝負どころもよう分かっとる」
映像の中では直線で先頭を維持していたウオッカさんが、外から伸びてきたカンパニーさんに捕らえられ、そのままゴール板を先に通過されてしまった。
「……やっぱすごいな、この人」
「シニア5年目やからなぁ。普通やったら衰えが気になってもおかしない歳やけど、ここに来てよう走っとる」
「中山記念でも強かったもんね」
「お前の姉ちゃんにアタマ差やったな」
あの中山記念ではお姉ちゃんが勝ち、カンパニーさんが2着。ドリームジャーニーさんも最後まで迫っていた。
1800mともなれば簡単ではないと思っていたけれど、まさかあそこまで苦しくなるとは予想していなかったので、レース後は勝利よりも僅差の決着に驚いたくらいだった。
「カンパニーさん、あのときも最後まで伸びてたよね」
「今回も侮れんで。毎日王冠を勝った勢いもあるし、府中の2000mなら十分勝負になる」
記事にはカンパニーさんの竪川紀洋トレーナーの短いコメントも載っていた。
『ウマ娘はよく頑張っていました。年齢は気にしていません。状態もいいですし、相手が誰でも自分たちの競走をするだけです』
「……短っ」
「ノリさんらしいわ。余計なことは言わん人やからな」
「でも、自信ありそう」
「そらあるやろ。前走でウオッカを負かしとるんや。今回も勝ちに来とるで」
トレーナーさんが映像を止めると、ゴール直前で競り合う2人とその後ろから追いかけるあたし自身が画面に残った。
毎日王冠3着。十分な結果だと言われることもあるけれど、それで満足できるなら今年ここまで悔しい思いをしていない。
「秋天でも、この2人が中心かな」
「少なくとも真っ先に考えなあかん相手やろな。ただ、ほかにもおるで」
出走予定者一覧にはドリームジャーニーさんにスクリーンヒーローさん、オウケンブルースリさんやシンゲンさんといった見慣れた名前が並んでいる。ほかにもG1や重賞を勝っている実力者ばかりで、改めて眺めると随分と豪華な顔ぶれだった。
「ジャーニーさんもいるんだよねぇ……」
「宝塚記念の勝ちウマ娘やからな。お前もよう知っとるやろ」
「うん。知ってる」
嫌というほど。
宝塚記念では最後まで追いかけたのに届かず、あの小さな身体のどこにあれだけの脚が残っているのだろうと不思議になったものだ。
「小関トレーナーは何て?」
そう尋ねるとトレーナーさんが記事をスクロールした。
『宝塚記念を勝ってますからね! 今回も当然狙いますよ! 東京コースがどうとか相手がどうとか言われますけど、ジャーニーの末脚はどこでも通用しますから! あとは展開が向いてくれれば最高ですね!』
「……元気だねぇ」
「担当とえらい違いやろ」
「ほんとにね」
普段から落ち着き払っているジャーニーさんと、やたら賑やかな小関トレーナー。あの2人がどういうふうに作戦会議をしているのか少し気になる。
「スクリーンヒーローさんも府中で強いよね」
「去年のジャパンカップ勝っとるからな。ただ今年はちょっと成績が安定しとらん。シンゲンも近走好調やし、オウケンブルースリも前走勝っとる。誰が来てもおかしないで」
ウオッカさんを警戒すればカンパニーさんがいて、カンパニーさんを意識すればジャーニーさんがいる。ほかにも勝つだけの力を持ったウマ娘が何人もいるのだから、今年も厳しいレースになることだけは間違いなさそうだった。
「……何や、嬉しそうやな」
「えっ?」
「さっきまで今年勝てへん言うてぼやいとったのに」
言われてみれば確かに少し楽しくなってきている。これだけ強い人たちと走れるのだから、勝てればきっと最高に気持ちいいし、そのために準備してきたことを試すのも楽しみだった。
「そりゃ楽しみだもん」
「ええこっちゃ。気負いすぎるよりはな」
トレーナーさんは満足そうに笑い、もう1枚資料を取り出した。
「ほな、最後にこいつや」
そこに記されていた名前を見て思わず苦笑する。
ノルデンセミラミス。
「……お姉ちゃんかぁ」
「そら入っとるわな。お前と違うて今年もよう勝っとるし」
「うわっ、今の一言いらなくない!?」
「事実やろ」
「そうだけどさぁ!」
まったくもう。この人は本当にこういうところがある。デリカシーってもんがない。お姉ちゃんみたい。
もっとも今年のお姉ちゃんは中山記念、高松宮記念、セントウルステークス、スプリンターズステークスを勝っているのだから反論しづらいのも事実だった。
『2000mは初めてですし、簡単な挑戦ではないと思っています。中山記念では課題も見つかりましたから、その後は本人と相談しながら準備を重ねてきました。今はいい状態に仕上がっていますよ。あとはセミラミスさんが納得できる走りをしてくれればと思います』
吉富トレーナーのコメントも実のところ何も言ってはいない。
ヴィクトリアマイルと安田記念ではウオッカさんに負けたものの、それでも2着。特に前走のスプリンターズステークスでは4馬身差のレコード勝利を収めており、相変わらず短距離では手がつけられない。
「しかし、2000mか……」
「前から言ってたけどね」
「それは知っとる。せやけど実際に出てくるとなると、また話は別や」
モニターに映し出された中山記念では、お姉ちゃんが4番手から進出して4コーナーで先頭に立ち、最後はカンパニーさんたちに詰め寄られながらどうにかアタマ差で勝利していた。
「ここが1800mやろ。勝ったんは立派やけど余裕はなかったな」
「うん」
「そこからさらに200m延びる。しかも東京や。相手も強い。普通に考えたらかなりしんどいで」
そこは否定できない。あたし自身も中距離を走ってきたウマ娘だから2000mを走り切る大変さはよく知っているし、単に200m長く走ればいいわけではないことも理解している。
最初から最後まで2000mを走り切るための身体の使い方があり、お姉ちゃんは少なくとも中山記念の時点でそれが苦手だった。
「今年のマイルでもウオッカに2回負けとるしな。スプリンターとしては文句なしやけど、2000mでどこまでやれるかは……」
そこでトレーナーさんは言葉を切ってこちらを見た。
「レヨ、お前はどう思う?」
「んー……」
お姉ちゃんが2000mで勝てるかと聞かれれば、正直に言って難しいと思う。中山記念でも最後はぎりぎりだったのに今回はさらに200m延びるうえ、ウオッカさんをはじめとした中距離の実力者ばかりが相手なのだ。
もちろん、あたし自身だってお姉ちゃんに負けるつもりで出走するわけではない。
それなのに。
「……何かすると思う」
「何か?」
「うん。何かは分かんないけど」
「何やそれ」
「いや、だから分かんないんだってば」
トレーナーさんが呆れたような顔をするけれど、本当に分からないのだから仕方がない。
「お姉ちゃん、結構前から府中のG1の映像を見てたんだよね」
「研究熱心なんはええことやないか」
「そうなんだけどさ。何を見てるのか聞いたら、府中のG1を片っ端から見てるんだって」
「……全部か?」
「全部」
「ようやるわ」
あたしもそう思う。
しかもお姉ちゃんが見ていた映像にはマイルも中距離も混ざっていたので、ウオッカさんの研究をしているのか東京2000mの走り方を勉強しているのか、それとも単に色々なレースを見るのが楽しかっただけなのか、さっぱり見当がつかなかった。
……最後の可能性も割と高い気がする。
「それで、何か分かったんか?」
「全然」
「ほな参考にならんやろ」
「だからそう言ってるじゃん!」
まったく。分かっていたらこんなに悩んでないってば。
けれど、ひとつだけ確信していることがある。
お姉ちゃんは勝つ気がないレースに出てくるような人ではないし、できないことを放置して同じ失敗を繰り返すような人でもない。中山記念から半年以上が経っている以上、その間に何もしていなかったなんて考えられなかった。
それに、勝つためなら普通は思いついても実行しないような手段まで平気で選んでしまうことは、春のファン感謝祭で散々思い知らされた。
もちろん競走とゲームは違うけれど、あのお姉ちゃんの考え方まで変わるわけじゃない。
「……トレーナーさん」
「ん?」
「お姉ちゃん、勝てると思ってるよ」
「そら、出るからには勝つつもりやろ」
「そうじゃなくて」
あたしは首を横に振った。
「勝てる方法を、何か見つけてると思う」
トレーナーさんはしばらく黙って中山記念の映像を見つめていたが、やがて椅子の背もたれに身体を預けて大きく息を吐いた。
「……なるほどなぁ。せやけど、こっちには何するか分からんのやろ?」
「うん」
「ほな、分からんもんを当てにして作戦立ててもしゃあない。まずは分かっとる相手から考えよか」
「それはそうだね」
「ウオッカ、カンパニー、ドリームジャーニー。ほかにも強いんはようけおる。姉ちゃんのことばっかり気にしとったら、ほかに足元すくわれるで」
確かにその通りだった。お姉ちゃんのことを警戒するあまり他の相手を見ないわけにはいかないし、何より今回の秋天はあたし自身のレースでもある。
「……じゃあ、やっぱりウオッカさんかな」
「何がや?」
「一番警戒する相手」
「まあ妥当なとこやな。去年の秋天勝っとるし府中での実績もある。何より強い。あいつをどう捕まえるか考えるんは間違っとらん」
「カンパニーさんもいるしね」
「せや。あっちも前走勝っとるからな。簡単にはいかんで」
画面にもう一度毎日王冠の映像を表示すると、ウオッカさんを捕らえるカンパニーさんとその後ろから追いかけるあたしの姿が映し出された。
去年あたしに先着したウオッカさん、先日の毎日王冠でそのウオッカさんを破ったカンパニーさん、そして宝塚記念であたしを負かしたジャーニーさん。厄介な相手ばかりだけれど、今から弱気になっていても仕方がない。
「……今年は勝つよ」
去年は届かなかった。今年もここまで何度も届かなかった。ほんの少しだけ足りずに何度も勝利を逃してきたけれど、それでも去年から成長しているという自信はある。
「おう。勝とうや。今年こそG1の2着ばっかり並べるんは終わりにせなな」
「だからそういう言い方やめてってば!」
「ははは! ほな、まずは枠順決まってからやな。そっから細かい位置取りも考えよか」
「うん!」
あたしは大きく頷いた。
ウオッカさんにもカンパニーさんにもジャーニーさんにも負けたくないし、もちろんお姉ちゃんにも負けるつもりはない。あたしはあたしの競走をして今度こそ勝つ。そのために秋の天皇賞へ挑むのだから。
……ただ、ひとつだけ気になることがある。
明らかに余裕のなかった1800mよりも長い2000mで、どうやって勝つつもりなのか。
あたしには分からない。
それでも、あのお姉ちゃんに半年以上も考える時間を与えてしまったのだから、どんな答えが出てきてもおかしくない。
……ほんと、何するつもりなんだろうね。
お姉ちゃん。
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トレーナーズ紹介
・堅川 紀洋(たてがわ のりひろ)男
常に笑顔だが目の奥が笑っていない危険な男。クラシック夏合宿で初登場。
じつは、子供もトレーナーを目指しているらしい。
メジロライアンやセイウンスカイなどを担当していた。ローレルやタイキシャトルも担当していたことがある。
・猿田(さるた)男
サル顔の関西弁のおっちゃん。じつは、焼きそばを焼くのが得意らしい。
夏以降のレヨネットの担当。
初登場はクラシック級年度代表表彰。
・小関(おぜき)女
チャラい若い女性。クラシック級夏合宿で登場し、名前が出たのはクラシック年度代表表彰。
じつは、トレーナースクール首席で飛び級はないのかとナメたことを言っていたらしい。
シニア1年目安田記念以降ドリームジャーニーを担当。