驀進王に憧れてトレセン学園に来たダメダメな私が3つの玉座の女主人と称えられるまで 作:八幡悠
寒空のもと、竿先から伸びる釣り糸の先に目を落とす。
川の水面には浮きが2つ。
遠くではどこかのチームが走り込みをしているのか、掛け声が風に乗って聞こえてくる。
「……釣れませんね」
「冬ですからねぇ。水温が低いとなかなか」
そう言って吉富トレーナーと並んで釣り糸を垂らす。
どうして2人で釣りなどをしているのかといえば、時間は数日前の練習終わりへと遡る。
この日のメイン練習はラダートレーニングだった。
1600mへの適応を目的としたペース走の傍ら、重バ場に備えたピッチを刻むトレーニングも並行して行うということでなわばしご状のラダーを用いた練習を行っている。
「1、2、1、2、肩がぶれていますよ」
小刻みにラダーを通り抜けながら蹄鉄が地面を蹴り上げる。
今日は吉富トレーナーもフライトさんも不在で、珍しくゼファーさんが私についてくださっていた。
といってもずっとゼファーさんがついてくれる訳ではない。
それも当然で、元々吉富トレーナーが面倒を見ているウマ娘は多い。その中でも日や時間によって強度の高い練習をしている人は分散しており、トレーナーさんやゼファーさんがそれを交代して見ているというのが実情だ。
今日の私はあまり練習強度が高くない日であるため、ゼファーさんはたまに様子を見に来る程度だった。
そう考えると、かなりの頻度でフライトさんがついてくださる私は相当恵まれている。
私が練習コースの傍らでラダートレーニングをしている間、周りでは他のウマ娘がそれぞれの練習メニューをこなしている。
指定のメニューを消化してウマ娘型加湿器のようになりながら休憩していると、目の前の練習コースのラチ沿いを眼帯のウマ娘とゼファーさんが並走していくのが見えた。
いつも思うが、あの視界でよくレースに出られるものだ。シニアのオープンクラスの先輩だが、怖くは、ないのだろうか。
そんなことを思いながらボトルからドリンクをちゅーと吸い上げる。
先輩といえば、マンハッタンカフェさんにはご迷惑をかけてしまった。
よく考えればほとんど初対面にも関わらずあそこまで話を聞いていただいて、さらに背負って帰らせまでしてしまった。
翌日それについてお礼と謝罪に伺ったが、まったく気にしておられないどころか、また何かあったら部屋に来てくれて構わないとまで言ってくださった。
これは他の先輩方も同じで、門限を破ったというのに寮長のヒシアマゾンさんもメジャーさんもなにもおっしゃらない。
唯一フライトさんだけが、トイレに行くと言っていなくなった件について「なにか用事があったなら一言連絡してね」と気遣ってくださっただけであった。
正直なところ、叱責されていたほうが楽だったかもしれない。申し訳無さと心苦しさでいっぱいだった。
そんなこんなで練習後、帰り支度をしていると吉富トレーナーに声をかけられた。
「セミラミスさん。明日の午後、釣りに行こうと思うのですが付き合っていただけますか?」
瞬間、思考が止まる。
一体何を言っているんだこの人は。明日はレース研究の予定だったはずだ。
それを、釣り? 私と?
聞き間違いかと思ったが、彼女のジェスチャーが某釣り漫画でしか見たことのないものだったので聞き間違いではなかった。
だが一方で、彼女の表情は真剣そのものだ。
つまり、釣りというのは建前で、トレーナーさんは私と2人きりで話がしたいのだろう。
あの後誰も私を咎めなかったこと、同時に急遽不在となったトレーナーさんとフライトさん。点と点が線でつながる。
おそらく、何らかの話が先輩方とトレーナーの間でできていたのだろう。
きっと今日その結論が出て、それで私と話がしたいといったところか。
「わかりました、よろしくお願いします。……なにか用意するものはありますか?」
このままではいられないのだろうなというある種の覚悟のもとにそう返答する。
すると、トレーナーさんはわずかに困惑したような表情をしながら、用意はこちらでするので手ぶらで結構です、川沿いは寒いので防寒だけしっかりしてきてください、とのことであった。
そうして場面は冒頭へ戻る。
ここは学園からほど近い多摩川沿いの公園。車で10分少々ぐらいで到着した。
公園の野球コート横の駐車場にトヨハラ製の卵型のミニバンを停めて歩くことしばし、釣り場に到着した。
吉富トレーナーが手早く準備を整える。手伝おうとしてもやることがない。
だいいち、格好からして私は素人丸出しの学園指定のジャージにコート、トレーナーさんはいわゆる釣り人の格好で年季が違う。
そのまま竿と仕掛けの準備まで済ませられ、それを渡された。
釣り竿は伸縮式の3m弱の竿の先に糸がついているシンプルなもので、糸の端にはオモリと針がつけられている。
餌は、と尋ねると、これでも意外と釣れるんですよ、と8枚切りの薄い食パンを差し出された。
言われたとおりちぎって丸めて針につけ、川面に投げ入れる。
私はサシでいきます、というトレーナーさんの手元を覗き込むと、なにかうねうねと蠢く白いものを指で直接ちぎって針に刺していたので慌てて目を背けた。
「……釣れませんね」
「冬ですからねぇ。水温が低いとなかなか」
やはり、釣りそのものが目的ではなかったようだ。
昨日セイウンスカイさんに尋ねてみたところ、冬は水温が低く魚の動きが活発ではないため釣果は期待できないとのことだった。
この時期の多摩川なら、フナかウグイかコイか……いずれにせよ大したものは釣れないらしい。
しばし水面を漂う浮きを眺める時間が続く。
その沈黙を破ったのはトレーナーさんだった。
「……私などは、趣味の合間に人生をやっている、などと言われますが、セミラミスさんはなにか趣味にしていることはありますか?」
一瞬身構えたが、まだただの雑談らしい。
ここは別に正直に答えればいい。
「趣味といえば……小物作りですね。素人仕事ですけど、アクセサリーなんかを少々」
「それは器用なものですね。どなたかの影響ですか?」
「はい、祖父が器用な人でして。幼い頃から祖父の作業場で遊んでいましたので」
「まあ、お祖父様ですか。最近はどんなものを作ったのですか?」
家族について掘り下げられるのかと身を固くしたが、杞憂だったようだ。
最近作ったもの、そう考えると思い出されるのはスプマンテの顔だ。
……わざわざ誤魔化す意味もないだろう。
「親友の、誕生日プレゼントを。最近、あまり、進んでいないんですけど」
声が固くなってはいないだろうか。あまり自信がない。
「お友達ですか、いいですね。思えば私は何かを作って友人にあげるといったことはしたことがありません」
釣って配ったことはありますがね、と笑うトレーナーに、思わず被せるように続けてしまった。
「トレーナーさんは多趣味とうかがいましたが他にはどんな趣味を?」
幸いトレーナーは気を悪くした様子もなく指折り数えだした。
釣り、鷹狩、ワイン、クルージング、ジェットスキー、ゴルフ、車、ドッグブリーダー。
多趣味とは聞いていたがこれほどとは。多忙なはずの中央トレーナーをしながらどうやってそんな時間を捻出しているのだろうか。
「最近忙しくてできてないのも多いんですけどね。それもこれもトレーナー組合の会長職を押し付けられたせいですが」
教え子と一緒にずっと会長やってりゃ良かったのに、と呟きながら彼女は竿を引く。どうやらアタリを察知したようだ。
フナっこですね、食べられなくはないですがリリースしましょう、と慣れた手付きで針を外して川へと放流する。
「まああと1期の約束ですから。年季が明けたら文乃に押しつ……禅譲して引っ込みますよ」
まだ3年ぐらいありますけど、と言いながら手元で餌を針につけて再び竿を振る。
なんというか、愚痴っぽいことを言うその姿が、普段の温厚で飄々とした雰囲気とはまた違う人間味というものを感じさせる。
この人もそういうのに疲れてしまうことがあって、こういう趣味の時間が気分転換になっているのだろうか。
ダービーもリーディングも取りまくってるんですから私なんて飛ばしてくれて良かったのに、などと言っているトレーナーさんに、ふと気になったことを聞いてみる。
「トレーナーさんの一番の趣味ってなんなんですか?」
その問いに対する答えは即かえってきた。
「それはもうトレーナーですね。教え子が走る姿を見るのが一番の楽しみなのですよ」
一瞬面食らう。
楽しみ。
走ることにそれ以外を沢山乗せて、埋もれてしまって久しい感情かもしれない。
「……なんですか、それ」
口ではそっけないことを言ったが、その真意はわかる。
「ウマ娘一人一人に合った走り方を指導します」
「無理を押して怪我をしないことを最優先とします」
「私の指導が合わないと感じれば、いつでも移籍して構いません」
最初に会ったときの言葉が思い出される。
たぶん、それもこれも本心からの言葉なのだろう。
ふと先日の練習中の光景が思い出される。片目が見えなくてレースに出るなんて怖くないのかと思った先輩のことだ。
あるいはそんな吉富トレーナーの元だからこそ、あの先輩も不慮の事故で隻眼となってなお走り続けるという選択ができたのかもしれない。
トレーナーさんはここまで心を開いてくれている。
それでも私は応える踏ん切りがつかないまま、釣り糸に目を落とした。
トレーナーさんはそんな私を咎めることもなく、さらに踏み込んでくることもなくポツポツと色々な話をしてくれた。
たとえばこの辺りのこと。
私たちの後ろの土手沿いの道路を、ちびっこウマ娘を間に挟んで揃いのピンクと白のジャージを着た集団が走っていく。
「あれは地元府中のジュニアチームですね。学園にもチームを組めるぐらい出身者を送り込んでいて、ダービーウマ娘も複数輩出した名門倶楽部ですよ」
あるいはこの先の季節のこと。
辺りの土手に植わった幹と枝だけの並木を見回して。
「そういえばこの辺りは春になると桜並木がきれいでしてね、よく旦那と犬を連れて遊びに来たものです。ウマ娘の脚なら学園から遠くないですし、春になったらロードワークがてら花見などいかがですか」
そしてチームのこと。
気になってはいたが聞く機会がなかった。
「チーム名はないのか、ですか? 一応、書類上は“アダフェラ”で登録してはありますが……人の入れ替わりが激しいのもあって全然使ってませんね。慣例通り誕生星座から適当に選んだのでしし座の星だったはずです」
そうして話すことしばし、冬の短い日は傾き、夕暮れが刻一刻と迫る時間となった。
日が暮れればさすがに切り上げるほかない。
残された時間はもうほとんどないといってよかった。
心の澱を絞り出すように呟く。
「……親友、スプマンテから託されたんです。あたしの分も桜花賞を走ってくれ、って」
一度堰を切ってしまえばあとはあふれ出るばかりであった。
妹の、クラスメイトの応援。分不相応な世間からの注目。バクシンオーさんからのG1級だという期待。
スプマンテの、フライトさんから託された思い。そして私がすり潰した数十人分の夢。
抱えていたすべてを、ここで吐き出した。
しばしの沈黙。
川面の浮きがふよふよと流れに漂う。
「……そうですか。託されたのですね」
その声はあくまで静かだった。
「期待が、思いが、あまりに急にのしかかってきて、潰されそうだったのかもしれませんね」
さぞ辛かったでしょう、と続ける落ち着いた声に、頷くことしかできない。
まさにその通りだった。
熱くなる目頭をハンカチで抑える。
泣いてなんか、いない。
「ですが、その重みには慣れなければなりません」
声のトーンが変わった。
思わず竿を寝かせて、トレーナーさんの方へ向き直る。
こちらを向いた彼女の表情こそ平素のままだったが、眼差しは真剣そのものだった。
「貴女の夢を叶えたならば残りの十数人の夢は潰える。トゥインクルシリーズはそういう世界です」
その通りである。
表面上の華やかさとは裏腹に、勝者の十数倍の敗者が生まれることが運命付けられた世界。
そんなことはわかっていて飛び込んできたはずではなかったか。
「私が助けてあげられることは色々とありますが、2つだけは貴女が決めなくてはなりません」
ここで吉富トレーナーは言葉を切る。
「すなわち、進むか、諦めるかです。──貴女は、何を望みますか?」
試されているのではないか。最初はそう感じた。
だがそれは違う、とすぐに思い直す。
尊重されているのだ。私の意志を、決断を。
貴女こそが決断しなさい、と促されているのだ。
周りの声援によってでも、期待によってでも、思いによってでもなく。
貴女自身の意志によって走りなさい、と言われているのだ。
では、なんと答えようか。
たしかに私はバクシンオーさんに憧れて走り出した。そう答えてもいいかもしれない。
でも、まだ背中も見えないはるかな高みではなく、まず今、私には勝ちたい相手がいる。
「ウオッカに、勝ちたいです」
そう言い切った私に、吉富トレーナーは我が意を得たりと大きく頷くとこう言った。
「それでは貴女が望む限りにおいて、私は貴女と共に歩みましょう。それがいかなる相手であっても、いかなる場所であっても共に征きましょう。たとえ世界が貴女の勝利を望まずとも、私は貴女の隣で真っ先に歓びましょう」
○史実馬紹介
隻眼の競走馬たち
意外かもしれないが隻眼の競走馬はそれなりの数居る。
JRAのルール上失明した馬は競走馬登録が認められていないが、登録後の片目失明であれば平地競走に限り出走が可能である。
例えばウオダス世代である07世代にも桜花賞候補と言われながら事故で片目を失ったニシノチャーミー(父サクラバクシンオー)が居る。ただ復帰はしたものの勝つことはできず引退した。
失明後も活躍した馬でいえば、ここで登場した隻眼のウマ娘の元ネタであるルーベンスメモリー(父ジェニュイン)だろう。重賞にこそ手が届かなかったものの5勝を挙げている。
正直出そうか悩んだが、この馬を語るのに鞍上に触れないわけにはいかないので泣く泣くカットした。興味のある方はぜひ調べていただきたい。
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