驀進王に憧れてトレセン学園に来たダメダメな私が3つの玉座の女主人と称えられるまで   作:八幡悠

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218 東京レース場 天皇賞・秋(G1) 芝 2000m 晴 良 左 (後編)

11月1日 東京レース場 第11レース

天皇賞・秋(G1) 芝 2000m 良

 

 

『ノルデンセミラミス、前半1000m57秒4の大逃げ! しかし、ここに来て明らかにペースが落ちています!』

『……さすがに速すぎたか! ノルデンセミラミス、ここで失速か!?』

 

 

 東京レース場、関係者席。

 

 

 ウオッカの担当である奈瀬文乃は、ターフを凝視したまま動かなかった。

 

 57秒4。

 

 その数字が耳に入った瞬間から、胸の奥に嫌なものが居座っている。

 11月1日。東京の2000m。1枠1番から飛び出した栗毛のウマ娘。後続を大きく引き離した大逃げ。

 

 そして、3コーナーでの減速。

 

 奈瀬は思わず身を乗り出した。

 

 ターフビジョンには、先頭を走るセミラミスの姿が大写しになっている。

 走りに乱れは見えない。少なくとも、今のところは。

 

 それでも、奈瀬の表情は険しいままだった。

 

「……吉富さん」

 

 隣に立つ年嵩の女性が、静かに視線を向けた。

 

「あれは、どういうことですか」

「ご覧のとおりですよ」

「そういうことを聞いているんじゃない!」

 

 奈瀬の声が思わず大きくなる。

 

「なぜ、あんな走りをさせたんですか。2000mですよ? 前半1000mを57秒4なんて……!」

 

 吉富は何も答えなかった。

 ただ、ターフへ視線を戻す。

 

 その態度が、奈瀬の神経を逆撫でした。

 

「まさか、セミラミスが勝手にやったことだとでも? あなたがあの子のトレーナーでしょう!」

「いいえ」

 

 吉富は静かに首を振った。

 奈瀬が息を呑む。

 

「……何ですって?」

「前半の速度も、あの位置で減速することも。全て事前に決めたとおりです」

 

 その声にためらいの色はなかった。

 奈瀬の視線が再びターフビジョンへ向かう。

 

 セミラミスは走っている。速度を落としながらも、確かな足取りで3コーナーを回っていた。

 

 それが予定どおりだという。

 

 あの数字も。あの大逃げも。そして、今の減速さえも。

 

「……あなた、自分が何をさせているのか分かっているんですか」

「当然、承知していますとも」

 

 吉富は、今度こそ奈瀬へ向き直った。

 

「ですから、私が全て指示しました」

「貴様ァ!」

 

 冷静な、端正な顔をかなぐり捨てて吉富の胸倉をつかむ奈瀬。

 傍らにいたゼファーが慌てて奈瀬の腕に手をかける。ディープインパクトも反対側から加勢したが、奈瀬は吉富の胸倉を放そうとしない。

 

 

 そのときだった。

 

「カンパニー!」

 

 鋭い声が割って入った。

 少し離れた席で立ち上がったのは竪川紀洋トレーナー。

 その視線が向かうのは先頭のセミラミスでも、本命ウオッカでもない。彼の教え子、カンパニー。

 

 

 ──ああ、やはり気付きますか。

 

 吉富は切れ長の瞳に激昂の色を乗せた奈瀬の顔を見ながら思う。

 シニア5年目のベテラン、長く走ってきたものだけが持つ直観は侮れない。彼女もそうだった。

 流石は紀洋だ。よく教育している。

 先頭で何が起こっているか、真っ先に気付くとしたら、カンパニーであるはずだった。

 

 若干酸欠で霞む視界で、吉富は思う。とにかく無事で、帰ってきてください、と。

 

 

 後続集団の一角。

 カンパニーが、動こうとしていた。

 

 

U U U

 

 

 少し前、東京レース場、3コーナー。

 

 カンパニーは内側を走るウオッカの様子を窺っていた。

 前半1000mは決して速くない。自分たちの集団だけを見れば、むしろ落ち着いた流れだ。

 

 それなのにペースがさらに落ちた。先頭が減速したという。

 

 ……妙だ。

 

 

 周囲へ視線を走らせる。

 内にウオッカ。外の後ろには赤と白の勝負服。前にはエイシンデピュティたち。

 

 何かがおかしい。

 

 ……人数が足りない。

 

 赤と白のノルデンセミラミスは後ろにいる。いや、違う。あれは妹のレヨネットだ。

 では、姉はどこにいる? 

 

 ……そうだ。

 

 今日のセミラミスは、白と緑の勝負服だった。

 最内から飛び出し、猛烈な勢いで先頭を奪った姿を思い出す。

 

 あれから、落ちてきただろうか。

 いや、落ちてきていない。

 

 ならば。

 

 自分たちが先頭だと思って追いかけていた、この集団。

 そのさらに前に、まだ1人いる。

 そこまで考えて、カンパニーは悟った。

 

 ……やられた。

 

 先頭が減速したから何だというのだ。後続との差が縮まっているからといって、追いつけるとは限らない。

 まして、あのセミラミスがこのまま大人しく沈んでくる保証など、どこにもない。

 

 残りは600mほど。

 もしもう一度加速されたら、この位置から届くのか。

 

 わずかな逡巡。

 

 ……間に合わない。

 

 ウオッカを見た。

 このまま彼女をマークして、最後の直線で勝負する。それが当初の考えだった。

 

 だが、それでは前に届かない。

 

 彼女は決断した。

 ウオッカの外から、ひと足先に加速を始める。

 一か八か、早仕掛けだ。

 

 

U U U

 

 

 その少し後ろ。

 

 ノルデンレヨネットは、前を行くカンパニーの動きに気づいた。

 青と白のオフィススーツを思わせる勝負服が、内側のウオッカを置いて前へ出ようとしている。

 

 ……あれ? 

 まだ仕掛けるには早いはずだ。

 

 けれど、考えるより先に身体が動いていた。

 レヨネットも脚を速め、カンパニーの後ろを追従する。

 

 彼女はシニア5年目の大ベテラン。数々の重賞を制し、前走ではあのウオッカに勝っている。

 そんな人が、理由もなくこの位置から動くだろうか。

 

 いや、何かに気づいたのだ。

 

 では、何に? 

 

 先頭はペースを落としたらしい。後続はそれを追いかけている。少なくとも、ここまでは普通の展開に思える。

 けれど、そもそも今日のレースが普通に進むはずなどなかった。

 お姉ちゃんがいるのだから。

 

 半年以上もかけて準備してきた、初めての2000m。

 あのお姉ちゃんが、ただ負けるだけの走りをするだろうか。

 

 ……しない。

 絶対に、そんなはずがない。

 何かが起きている。

 

 誰かが何かを仕掛けたのだとしたら、それはきっとお姉ちゃんだ。

 カンパニーさんが何に気づいたのかは分からない。

 けれど、この人についていったほうがいい。

 

 レヨネットは前を見据え、さらに脚に力を込めた。

 

 

U U U

 

 

 その内側、ウオッカはカンパニーの動きを捉えていた。

 

 青と白の勝負服が位置を上げる。さらに、その後ろから赤地に白襷の軍服風勝負服、ノルデンレヨネットまでが追従した。

 

 ……もう仕掛けるのか? 

 

 まだ4コーナーだ。ここから動けば最後の直線で脚が鈍る。

 カンパニーは前走毎日王冠で自分を負かした相手だ。警戒すべきなのは間違いない。

 

 だが、だからといって付き合う必要はない。

 東京の長い直線。大外へ持ち出し、そこで末脚を爆発させる。

 それが自分の勝ち方だ。

 

 ウオッカは2人を先に行かせ、仕掛けを待った。

 

 やがて4コーナーを抜ける。

 視界が開けた。

 

 そして、見えた。

 

 遥か前方。栗色の長い髪をなびかせ、白と深緑のドレスを翻して走るウマ娘。

 

 ノルデンセミラミス。

 

 ……まだあんなところに!? 

 失速したはずではなかったのか。

 

 いや、違う。

 あいつはまだ走っている。しかも、もう一度加速している! 

 

 ウオッカの背筋に冷たいものが走った。

 カンパニーたちは、これに気づいていたのか。

 

 ……やられた! 

 

 だが、まだ終わっていない。

 ウオッカは大外へ持ち出し、渾身の力でターフを蹴った。

 

 絶対に差す。

 

 今度も、あいつを差し切ってやる! 

 

 


 

 

 東京レース場、最終直線。

 

 東京レース場、3コーナーから4コーナー。

 

『さあ、大欅を越えて4コーナーへ! 先頭は……ノルデンセミラミス! まだ先頭です!』

 

 白と深緑のドレスが、栗色の長い髪をなびかせてカーブを駆け抜けていく。

 

 前半1000m57秒4。そして3コーナーでの急減速。

 しかし、先頭の走りに乱れはない。

 

『ノルデンセミラミス、しっかり走っています! 4コーナーを回って最後の直線!』

 

 白と深緑の勝負服が、真っ先に直線へ飛び込んできた。

 

『しかし後続も来る! カンパニーが上がってきた! ノルデンレヨネットも追っている! さらに内寄りからスクリーンヒーロー!』

 

 その背後で、色とりどりの勝負服が大きく広がっていく。

 

『大外からはウオッカ! ウオッカも追撃開始! 東京の長い直線! 大逃げを打ったノルデンセミラミスに、後続17人が一斉に襲いかかる!』

 

 中団から進出したカンパニーが先頭との差を詰める。レヨネットもその後ろから迫っていた。

 

『残り400m! カンパニーが来た! レヨネットも来た! ノルデンセミラミス、これは苦しいか!』

 

 だが、その瞬間。

 

『おおっと、セミラミス……伸びる! 伸びています!』

 

 前半1000m57秒4で飛ばし、3コーナーで速度を落としたウマ娘が、再び加速している。

 

『ノルデンセミラミス、もう一度加速した! まだ走れる! まだ走れるぞ!』

 

 縮まりかけた差が、再び動かなくなった。

 

 上り坂の途中。追撃勢がさらに脚を伸ばし、白と深緑の背中へ迫っていく。

 

『カンパニー! ノルデンレヨネット! 内からスクリーンヒーロー! セミラミスとの差が詰まる! 詰まってきた!』

 

 坂を登るセミラミス。後続がその背中へ、さらに迫っていく。

 

『しかし粘る! ノルデンセミラミス、また粘る! 坂を越えても先頭を譲らない!』

 

 そして大外。

 

 水色と黄色の勝負服が、猛烈な勢いで伸びてきた。

 

『ウオッカだ! 大外からウオッカ! 昨年の覇者が来た!』

 

 残り200m。

 

『先頭はいまだノルデンセミラミス! カンパニーが追う! レヨネットも伸びる! そしてウオッカ! ウオッカの末脚が炸裂する!』

 

 後続の脚色は衰えない。

 カンパニーが迫る。その内寄りからレヨネットが抜け出し、さらに外からウオッカが追い込んでくる。

 

『残り100m! ノルデンセミラミス先頭! しかしウオッカが来た! ノルデンレヨネットも来た!』

 

 先頭との差が、目に見えてなくなっていく。

 

『捕まるか! 捕まるか! ノルデンセミラミス!』

 

 だが、白と深緑の勝負服が、また前へ出た。

 

『セミラミス粘る! まだ粘る! なんという粘りだ! なんという根性だ!』

 

 大外からウオッカ。内寄りからノルデンレヨネット。

 2人が挟み込むように先頭へ迫る。

 

『ウオッカ! レヨネット! セミラミス! 3人の争い!』

 

 残り50m。

 

 3人の脚が、ほとんど同時に前へ伸びる。

 

『ウオッカが並ぶ! レヨネットも並んだ! なんということだセミラミス、譲らない! 譲らない!』

 

 スタンドを揺るがす大歓声。

 

 赤と白、白と深緑、水色と黄色。

 

 3つの勝負服が、ほとんど横一線となった。

 

『ウオッカか! レヨネットか! それともセミラミスか!』

 

 そして。

 

『──ゴールイン!!』

 

 3人が、ほとんど同時にゴール板を駆け抜けた。

 

『これは際どい! 際どい決着になりました! ノルデンセミラミス、前半1000m57秒4から最後まで走り切りました!』

 

 ターフビジョンにはゴールの映像が何度も繰り返される。

 外のウオッカが届いたようにも見える。内のレヨネットが差し切ったようにも見える。

 

 しかし、その間にいたセミラミスも、最後まで前へ出ようとしていた。

 

『さあ、勝ったのは誰だ! 第140回天皇賞(秋)、大接戦のゴール!』

 

 実況の声が、わずかに落ち着きを取り戻す。

 

『ただいま写真判定が行われています! 確定までしばらくお待ちください!』

 

 18人が駆け抜けたターフ。

 その向こうにそびえるターフビジョンには、まだ勝者の名前が映し出されていなかった。




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秋天はベリベリホースが勝ったか。
引退セレモニーに最敬礼再びとイベントも多かった秋天でしたが、私的には09年にベテランだった騎手がなんで26年まで現役なのかと問いたくなってくる。
柴田善臣騎手お疲れ様でした。
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