驀進王に憧れてトレセン学園に来たダメダメな私が3つの玉座の女主人と称えられるまで 作:八幡悠
チーム……なんだっけ。まあとにかく吉富トレーナーのトレーナー室。
今日はいよいよ再来月に迫ったティアラ初戦、桜花賞に向けたローテーションを話すためにトレーナーさんと向かい合っていた。
机の上には沢山の資料。レーシングカレンダー、阪神レース場の立体図やライバルウマ娘のデータなどが整然とまとめられている。
まさにブリーフィングといった雰囲気。
映画やゲームでもこういうシーンが私は好きだ。
ディスプレイに周辺の立体地図が投影され、目標は
いよいよこれからだと静かに高揚する感覚が好きだった。
「さて、本日は現状把握と今後の方針を決定するために来てもらいました。ローテーションの決定と現時点での作戦立案まで終わらせてしまいましょう」
開口、トレーナーさんが本日の議題を明確にした。
もちろんそれは事前に聞いていたので私は大きく頷く。
「まずこちらを。ティアラ路線ウマ娘の現時点でのファン数ランキングです」
アストンマーチャン、ウオッカ、といった見知った名前が上位に挙がっている。それぞれ収得ファン数は5400人と3400人。3位のニシノチャーミーの2000人に比べて圧倒的な数だった。
私はといえば、4位ピンクカメオ、5位ダイワスカーレット、同率6位クーヴェルチュールとベリーベリーナイスに次ぐ8位で1400人。
桜花賞のフルゲートが18人であることを考えればけっこう余裕があるように見える。
「いえ、かなり危険域ですね。例年なら1400人もあれば安泰なのですが」
ギョッとして吉富トレーナーの顔を伺う。彼女の説明によればこうだ。
どうやら今年は今の時点で1勝クラスに留まっている娘が多い。1勝クラスのファン数は900人。ここにオープン戦で加算される1000人や重賞2着の800人が加わると余裕で1400人を超える。
そしてファン数を積める枠が残りは重賞とオープンが2つづつで6枠、トライアルの優先出走枠が8枠あるので、このうち10人より多くがこの中に入れば私は押し出されてしまう計算になる。
「しかも悪いことに、なぜかウオッカが先週のエルフィンステークスに出走しています。このままトライアルを使わず直行されると枠が1つあいてしまいます」
ここで阪神JFを勝ってファン数的には十分な筈のウオッカが今更オープン戦に出走した。レース間隔を考えるとトライアルには出ないつもりかもしれない。
トライアルに出ればほぼ勝つウオッカが優先枠を埋めなかった場合、その分私が逆転されるチャンスが増えてしまう。
トレーナーの見立てでは、今年の足切りラインは1200人から1500人付近。見事に私は当落線上にいることになる。
「さて、これを踏まえてのローテーション選択ですが。……その様子だともう決めているようですね?」
「はい。ステップレースとしてチューリップ賞を選択します」
資料からレースカレンダーを引き出してくる。
4月8日、G1桜花賞、阪神芝1600m。
3月3日、G2チューリップ賞、阪神芝1600m。
「レース間隔、同レース場、同距離。すべてが本番前の調整として都合が良く、3位以内で優先出走権が得られる以上これがベストだと考えます」
「ふむ、優先出走権が理由ならフィリーズレビューでも構いませんよ。同じく3位以上条件ですし、同じ阪神レース場です。それに短距離なら余裕で勝てるでしょう?」
3月11日、G2フィリーズレビュー、阪神芝1400m。
確かに、今勝つことと桜花賞への出走権を得ることだけを考えるならこれが最適だろう。
だがそれでは意味がない。意味がないのだ。
「私は決めたのです。一生に1度のクラシックのために、これ以上逃げる訳にはいかないと」
そう決意を込めて答えると、トレーナーさんも大きく頷いた。
「その覚悟、しかと受け取りました。目標はチューリップ賞3着以内。桜花賞へ、共に参りましょう」
そうしてローテーションが決定したところで、話は現時点での作戦立案に移る。
レーシングカレンダーに代わって取り出されるのは阪神レース場の立体図やライバルウマ娘のデータだ。
「現時点で警戒すべき相手は……このあたりでしょうか」
そう言ってトレーナーさんは幾人かの顔写真付きデータを並べる。
見知った顔が並ぶそこから私は2枚の紙を手に取った。
「この2人は外してもいいと思います」
「アストンマーチャンとピンクカメオですか。理由はわかりますが、本人がそう言っていましたか?」
「はい。それぞれフィリーズレビュー出走とトライアルを使わず直行だと」
本人の発言だからといって鵜呑みにするのは危険ですが状況的にはそれが自然ですね、と言いながらトレーナーさんは私が渡した紙を受け取る。
「アストンマーチャンはあからさまに純スプリンターですし、ピンクカメオは先日の勝利でファン数が足りましたから」
そう少しだけ苦い顔をしながら言う。吉富トレーナーの抱えているティアラ路線の娘は私だけではない。
年末に未勝利戦を抜けたショウナンタレントさんは菜の花賞でカメオさんとぶつかり、惜しくも2着でファン数を積めなかった。私も何度か並走したことがあるが、典型的なマイラーの逃げウマ娘だった。
正直、先週の春菊賞での敗戦によって桜花賞を目指すならもう負けられない瀬戸際まで追い込まれていた。
いや、他人のことはいい。私だって安泰な立場ではないのだ。
「となると……ウオッカを除けば、最大の脅威は彼女でしょうか」
「ダイワスカーレット。恵まれた体格に確かな先行力、勝負根性も十分。なによりその安定感は素晴らしい」
トレーナーの言にまったく同意だった。
彼女の強さは友人としてよく一緒にいるからわかる。
「姉もまあ強かったですが、妹はもしかすればそれ以上の器かもしれません。ただ、どちらかというと得意距離はマイルより中距離寄りに見えますね」
かつて姉のメジャーさんを担当していた経験からトレーナーさんはそう評した。
この世代ではウオッカに次いで警戒すべき対象である、と。
その他のウマ娘はどうしても現時点では脅威にはなりそうにない。
「今の想定だとあまり対策といった対策はとれませんね。強いて言うなら、ダイワスカーレットには道中競り掛けないように」
姉の方と同じ系統の性格でしょうから、競り合えば潰し合いになります。そうなればスタミナの少ないこちらのほうが不利です。
トレーナーさんはそう続けた。
「さて、それを踏まえての展開予想ですが……」
そう言って彼女は阪神レース場の立体図に目を落とす。
阪神レース場の特徴は長い直線と大回りのカーブ。全体的には後方脚質有利なコースだ。
「全体的にスローになりやすいコースですから、ペースを意識するように。練習した通りにね」
そう、そのためのペース練習だった。そしてそれはほぼものになりつつある。
平常心であれば、周りのペースの高低に惑わされることはないだろう。
「そして有名な
そう、仁川。
最後に立ちはだかる急坂は岸壁のごとく私の前に立ちふさがるだろう。
「たとえ勝算が5000対1であったとしてもやり遂げてみせます」
「そこまで悲観する必要はないですが、できるだけペースを保って坂を登るだけの体力を温存するよう努めなさい。それだけのことはしてきたはずです」
このときのブリーフィングはこんなもので終わった。
それから3週間。様々なことがあった。
同チームのショウナンタレントさんは1勝クラスのきんせんか賞を勝ち上がり、かろうじて首の皮1枚繋がる形でG3フラワーカップを経由して桜花賞を目指すこととなった。
スプマンテのメイクデビューも決まった。奇しくもショウナンタレントさんのフラワーカップと同日だ。
そしてチューリップ賞の登録ウマ娘発表の日。
登録ウマ娘リストの2番目は予想通り出てきたダイワスカーレット。その上に記載されていたのはウオッカの文字。
「かなり使い詰めてきますね。叩き良化型なのでしょうか」
横で発表を聞いていたトレーナーがそうこぼしたことを覚えている。
叩き良化型。何度かレースに参加し、参加ごとに調子が上がっていくタイプのウマ娘をそう評する。
……いけない。集中を欠いている。
初めての重賞、初めての大観客。
確かにメイクデビューのときもG1デーで観客自体は多かったが、これだけの観客が自分たちを目当てに集まってきているというのは初めての体験だった。
『──第11レース出走20分前です。第12レース出走者はパドック前通路に集合してください』
パドックでのパフォーマンスを終えて地下バ道へと入る。
いよいよ、チューリップ賞の発走が迫っていた。
3月3日 阪神レース場 第11レース
G3 チューリップ賞 芝 1600m 良
地下バ道の入口で、トレーナーさんから最後の激励をもらう。
「相手が誰であっても、展開がどうなろうとも、やることは変わりません。目標は3着以内──まずは桜花賞の切符を確保すること。それだけを考えなさい」
そう言って、トレーナーさんは私の体操服の上から肩を撫で降ろして、そっと背中を押してくれた。
ぞろぞろと地下バ道を歩く出走ウマ娘たち。
ここまで上がってくるウマ娘は流石に全員顔を知っている。
なかでも面識のあるウマ娘は何人か居る。
先日の紅梅Sで下した芦毛の留学生、ローブデコルテさん。6番人気。
同じく紅梅S経由のバクシンヒロインさん。この人とは何度か話したことがある。7番人気。
そして──。
「お前と公式戦でやるのは初めてだな」
楽しみにしてたんだぜ、と声をかけてきた鹿毛のウマ娘。1番人気、ウオッカだ。
「メイクデビューの時、ここで会おう、って言ったよな。阪神JFはお前が来なかったから取らせてもらったが、今日も同じように勝たせてもらうぜ」
そうだった。半年前の約束。結果的に破ってしまった、次は阪神レース場で、という約束。
ずいぶん差がついてしまった、もう眼中にないかもしれないと思っていたけど、覚えていてくれたんだ。
そう口を開こうとした、その時。
「何言ってんの! 1番はウオッカじゃなくてアタシの物よ!」
後ろからやってきたスカーレットさんの声が喉まで出かかった言葉をかき消した。
そのまま2人はいつものように言い争いを始める。
私のことなど眼中にないかのように。
ああ、2人にとってもう重賞は何度も経験した日常なんだ。
私なんかと違って。
言い争う1番人気と2番人気の後を追うように、地下を抜けてターフへ踊り出る。
スタンドを埋める大勢の観客。そして向けられたことのない声援。
跳ね上がる心臓を抑えるように、芝を確かめるという名目で私は軽く走り出した。
そのまま16人のウマ娘がゲート前に集合、各々が誘導員の指示に従ってゲートへと入っていく。
私のゼッケンに記された番号は16番。最後に大外のゲートへと入った。
深呼吸。肩の力を抜こうとする。
でも、さっきの2人のやり取りが頭の中から離れない。
いけない、集中しなければ。
スターターが旗を振り上げ、降ろした。
──今だ。
タイミングを合わせて前に踏み出す……が、開かない。
一瞬、心臓が跳ねる。
ガシャンとゲートが開いたのはその直後。
私は──見事に出遅れてしまった。
○史実馬紹介
ニシノチャーミー Nishino Charmy 牝
主な勝鞍 06'函館2歳S(G3)
前話のあとがきでも触れた隻眼の競走馬の1頭。
重賞に勝利し期待されていたが事故で片目を喪失。
この娘もバクシンっ子である。
ピンクカメオ Pink Cameo 牝
主な勝鞍 07'NHKマイルC(G1)
クーヴェルチュール Couverture 牝
主な勝鞍 07'キーンランドC(G3)
実はこの2頭、同じ厩舎。
クーヴェルチュールは甘い名前に反してボス気質で、どれほどかと言えば入厩初日に並み居る古馬を従えて厩舎のボスに上り詰めるほど。誰が呼んだか女学園のスケバン。
現在は故郷の牧場に帰り元気に暮らしており、その様子がXで紹介されている。通称
耳を絞る、とはどういう様子か教えてくれる。
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