驀進王に憧れてトレセン学園に来たダメダメな私が3つの玉座の女主人と称えられるまで 作:八幡悠
阪神レース場、重賞用控室。
レース発走まであと1時間と少し。すでに勝負服に身を包んだ私は控室の椅子に腰掛けていた。
両親やクラスメイトは控室入り前に顔をあわせたきりで、今はパドックの方で私の出番を今か今かと待っていてくれていることだろう。
というのもここは関係者以外立入禁止の区画なので、入れるのは出走者とそのトレーナー、そして補助員登録のあるウマ娘だけ。
このメインレース出走者用の広い控室には先程まで先輩方が最後の応援に駆けつけてくれていた。
まずは前々から私の指導についてくださっていたノースフライトさん。
「いよいよこの日が来たね。前はああ言っちゃったけど、セミラミスちゃんはセミラミスちゃん自身のために、悔いのないよう走ってね」
「はい、私は逃げないと決めましたので。フライトさんの無念をも晴らしてみせます!」
私は決めたのだ。もう逃げないと、背負う重荷にも慣れてみせると。
そう決意を込めて返事をすると、フライトさんは、ちょっとの間に成長したね、と呟いてちらりと吉富トレーナーに目配せするとパチンと指を鳴らした。
何事かと思っていると、控室の扉がスコココンと高速でノックされ意外な人物が入室してきた。
「……!? バ、バクシンオーさん! どうして……!?」
椅子から弾かれたように立ち上がる。
心臓が口から出てきやしないかと首元を抑えたが、どうやら無事だったようだ。
「はい、サクラバクシンオーです! 噂はかねがねフライトさんから伺っておりますよ!」
思わずフライトさんの方を振り向く。何を言ったんですか!?
フライトさんは微笑みしか返してくれない。
「なんでも同期のウオッカさんに絶対勝ちたいとか! 麗しいライバル関係、これはぜひ応援せねばとお邪魔しました!」
1にも2にもバクシンあるのみ、頑張ってください! と言い残してバクシンオーさんは嵐のように去っていった。
あまりのことにあっけにとられる。
私のことを見てくれていたんだ。少し前だったら重圧にしか感じなかったかもしれない。
でも、今は違う。私は、やってみせるんだ。そう決意を新たにした。
それに比べれば、何故かトレーナーさんとフライトさんが揃ってため息を付いていることも、ウオッカのことはトレーナーさんにしか話していない気がするのも些細なことだった。
旋風のように……いけない、ゼファーさんとよく居るせいで彼女の語録がうつってしまったかもしれない。
とにかくバクシンオーさんが退出した後、入れ替わるようにゼファーさんが戻ってきた。
「相も変わらず豪風のような方ですね。……いよいよ雄風が吹かんとしています。凱風が吹くよう祈っておりますよ」
「そうですね……。はい、ありがとうございます。頑張ってきます」
「相変わらずよく分かるね……」
今回はゼファー検定5級ぐらいだと思うんですが……。
それはさておき、ゼファーさんが凱風と言ったのは気を使われたな、という気がする。
凱風というのは字面に反して勝利を呼ぶとか言う意味はなく、暖かく穏やかな風を指す。
すなわち、無事走り切ることを祈っております、というニュアンスだ。
私だけを応援するわけにはいかない事情が彼女にはあった。
「さて、そろそろ良い時間ですし直前ミーティングをいたしましょう」
トレーナーさんの言葉とともに、フライトさんもゼファーさんも席を立って観客席へと向かう。
最後に、あんなに練習したんだからきっと大丈夫、とフライトさんから最後の激励をもらって扉が閉じられた。
「まずもう一度枠番から確認しましょう」
いよいよか、緊張が高まる。
今回の私の枠番は3枠5番。最内ではなかったものの許容範囲だった。
ウオッカが14番、ダイワスカーレットが大外18番であることを考えれば悪くない。
「今回の作戦はわかっていますね?」
「はい。ウオッカのスパートに被せて早仕掛けをすることで瞬発力勝負に持ち込ませないようにします」
そう口にしながらいつもより声が低くなっているのを感じる。前回の敗北を無為にしてはならない。
ウオッカより早いタイミングで、ウオッカより前の位置で加速を始められれば十分勝機があるというのがトレーナーさんの見立てだった。
もちろん懸念もある。
あの日の光景が脳裏によぎる。あと100m、遠ざかっていく2人の背中。
いや、2度とあの光景を繰り返さないために、今日までやってきたんだ。
早めに仕掛けるということはその分スタミナを消費する。そうなると前回のように最後の上り坂で失速してしまう。
それを解決するための方法はいくつかある。最初のポジション争いでスタミナを使いすぎないこと、可能な限り内側の経済コースをとること、道中可能な限りスリップストリームを用い体力を温存すること。
そのためには逃げウマ娘の動向把握が最も重要になってくる。
「今回逃げを打つ可能性のあるウマ娘はこの4名です」
1番ショウナンタレント
9番アマノチェリーラン
15番アストンマーチャン
18番ダイワスカーレット
トレーナーさんが列挙するたびに顔が浮かぶ。
元チームメイトもいる、顔しか知らないウマ娘もいる、友人も、いる。
彼女らは仲間であっても友達であっても、今はライバルだ。
「おそらくショウナンタレントかアマノチェリーランがハナを主張するでしょうが、それには付き合う必要はありません。逃げウマを風よけに使って体力を温存してください」
道中はそうして体力消費を抑えつつ、可能な限り内側を通るのが肝要だった。
「問題はダイワスカーレットです。彼女の陣営も前回の反省を活かして動いてくるでしょう」
当然、チューリップ賞では惜しい敗戦を喫したのだ。何らかの対策を打ってくるに違いない。
もし今回は逃げで来るならそれはそれで風よけにすれば良かったが、大外を引いてしまった以上それは考えづらいというのがトレーナーさんの見立てだった。
トレーナーさんが最もあり得ると考えたのは、スカーレット陣営も同じことを考えているパターンである。
「ダイワスカーレットがウオッカの直前を占めるようなら確実です。その場合はダイワスカーレットの前に出てウオッカごと潰すか、前に軽量級のウマ娘が居るなら圧を掛けてダイワスカーレット進路上に押し出してしまいましょう」
状況によると思うのでどちらで行くかは任せますが、あのド根性娘の妹と競り合うのは可能な限り避けてください、とトレーナーさんは結んだ。
それはそうだろう。まだ本番で競り合ったことはないが、その勝負強さは嫌と言うほど見てきている。
あの瞳で射抜かれることを考えると総毛立つ思いだが、私は逃げないと決めたのだ。
トレーナーさんは圧を掛けてとおっしゃったが、これはもちろん物理的に押せというものではない。
確かに出走者の中では私はカノヤザクラさんに次いで体格が良い部類だが、レース中にタックルなどしては危険だし制裁対象にもなりうる。まあ体格差は威圧感の差でもあるので無関係ではないのだが。
比較的高度なテクニックの1つに、足音を使った威嚇というものがある。音に敏感なウマ娘の性質を利用し、抜きざまにわざと大きな蹄音を立てて相手を逆側によろめかせるというものだ。
ここ1ヶ月、フライトさんからこれを付け焼き刃ながら教えてもらって練習していた。
彼女も本職ではないと謙遜していたが、実際に逃げの位置で受けてみると焦ってヨレてしまう。
シニア級になるとこんなものが飛び交っていると考えると今から恐ろしかった。
「さて、なにか質問はありますか?」
「……あの、作戦には関係ないんですけど1つよろしいですか」
「ええ、どうぞ」
ミーティングの終わりにトレーナーさんが質問はあるかと言うのに合わせ、問いかける。
今更と言われればそのとおりだが、今しか聞くときは無いように思えた。
「どうして、私を選んでくださったのですか。ショウナンタレントさんではなく」
ショウナンタレントさん。私と同じチームに所属している鹿毛の小柄な逃げマイラーウマ娘。
メイクデビューは同時期だったが勝ち上がりが遅れ、私がチューリップ賞を勝って桜花賞出走が確定した2週間後、フラワーCを勝ったことで滑り込みで桜花賞出走を決めた。
なぜそれが問題なのかといえば、レースには同じトレーナーの担当ウマ娘は1人づつしか出走できないという不文律がある。
もし重複した場合は一時的に移籍するか、チームのサブトレーナーが担当となるか、とにかく少なくとも名義上は別のトレーナーの担当となるのが慣例だった。
今回、吉富トレーナーは桜花賞のパートナーとして私を選び、ショウナンタレントさんは彼女の後輩にあたる高尾トレーナーのもとで桜花賞へ出走することになった。
高尾トレーナーはゼファーさんの1回目の安田記念のときのトレーナーで、あの吉富トレーナーがかっちーとあだ名で呼ぶ数少ない相手だった。
ゼファーさんが私だけを応援するわけにいかなかったのはこの辺の事情がある。
「ああ、それは私が先約主義を取っているからです」
トレーナーさんは事も無げにそう言った。
先に決まっていたのだから当然でしょう、とでも言うように。
まず胸中によぎったのは安心感。特別な何かではなく、ただ約束だから、というシンプルな理由。
そして次に湧き上がったのは不安と渇望。それが思わず口を突いて出た。
「じゃあ、引退まで全レースを予約しますね」
それを聞いたトレーナーさんは片眉をあげてこう答えた。
「ええ。貴女が望む限り」
そのやり取りを最後に、私達は控室を出た。
それ以上のやり取りはもう必要なかったからだ。
パドックでのパフォーマンスを終え、私達は薄暗い地下バ道を進む。
誰も口を開かないなか、蹄音だけが響いていた。
外の明かりが近づき、歓声がだんだんと強くなっていく。
「アンタなんかに絶対負けないから!」
右下から声がしたので振り返る。
出口のところでそう宣言してきたのは、赤のドレスに白いベルトと袖飾りの勝負服。ショウナンタレントさんだ。
正直なところ、トレーナーさんを奪う形になったという負い目はある。
私がいたがために、大一番直前でトレーナーを変えなくてはならなくなったという事実が重くのしかかる。
でも、私のものなのだ。この重さも、トレーナーさんも、勝利も。
私のものなのだ。
「私も負けるつもりはありません」
「ふんっ!」
そう言い残して彼女は走り出していってしまった。
『さあ1枠1番ショウナンタレント、4番人気です。連勝による滑り込みで桜花賞への切符を掴みました。三連勝はなるか』
さて、とあたりを見回す。
前を見ると、またしてもなにか言い合っている青の礼服風の勝負服と黒のジャケットに黄色のチューブトップの勝負服のウマ娘。ダイワスカーレットとウオッカだ。
まったくあの2人は相変わらずだな、と思っていると、またしても声を掛けられる。
「む、なんとなくキャラが被っているのです」
そう言ったのはアストンマーチャン。
見れば確かにクリーム色のドレスに赤色のタスキと、私の赤地に白タスキの勝負服と色合いが同じで配色も近い。
「まあいいのです。皆の思い出に残るウルトラスーパーマスコットはマーちゃんなのです」
そうマーチャンと話していたのに気付いたのか、ウオッカがこちらを振り返った。
あらためて私の勝負服を上から下まで見回す。
「お、セミラミスか。……へぇ、意外とカッコいい系なんだな。いいじゃねぇか」
「……ウオッカこそ、“カッケェ”ですよ」
へへ、とウオッカは可愛らしく笑う。
だがすぐにそれを引っ込めた。
「ありがとよ……。でも、勝つのは俺だ。今度は楽しませてくれよ」
「2度同じ過ちは繰り返しません。今日勝つのは私です」
お互いに宣言し、今度は同時に拳を合わせる。
そして私は、スカーレットさんの一番はアタシよ、という声を背に地下バ道を飛び出した。
『続きまして3枠5番ノルデンセミラミス、8番人気です。距離に不安のあるなかどこまで実力を発揮できるか』
桜舞い散る仁川の地で、桜花賞の幕が開ける。