驀進王に憧れてトレセン学園に来たダメダメな私が3つの玉座の女主人と称えられるまで 作:八幡悠
職員室。より正確には教科担任職員室。
一般の中学高校と同じような学科科目に加え、独自のレースに関係する競技科目も教え、さらにトレーナーや教官は体育科教師を兼ねているトレセン学園では教員の数が普通の学校に加えて極端に多い。
なので国語や英語などの教科を教える普通の先生がいる教科担任職員室と、レース座学やウマ娘栄養学などのレースやウマ娘専門の科目を担当する先生が詰める競技担任職員室、さらに教官やトレーナーの席がある指導員室とが別れている。
「失礼します」
ノックの音が控えめすぎたかもしれないと一瞬不安になったが、すぐ返事が帰ってきたことに胸をなでおろしながら引き戸を開ける。
お昼休みの職員室には割合に人が多い。教科担任の授業は午前中が殆どで、お腹をすかせたウマ娘で戦場の様相を呈している昼休みのカフェテリアを避けて昼食の時間をずらす先生が多いのだろう。
パソコンに向かって資料を作っていたり、山積みになった提出物の塔を攻略している先生方のデスクをぬって奥へ向かう。
目当ての先生の机には、先生の他に明るい栗毛をロングツインテールにした生徒が陣取っていた。
ダイワスカーレットさんだ。
何やら先生と話しているようだし出直そうか。一瞬逡巡する。
耳をそばだててみると、テスト内容についての質問のようだ。ならなおさら邪魔すべきではない。
少しだけ距離を取って壁を背に立つ。姿勢正しく、胸を張って。バクシンオーさんならそうする。
「お、ノルデンセミラミスか。課題だな、ありがとう」
待つことしばし、先生がこちらに気づいて声をかけてくれた。
ホッとした心持ちで歩み寄り、指された机の空所に課題の束を積み上げる。
先生が、私とダイワスカーレットさんを見比べて、そういえば、といった調子で気軽に言った。
「そうそう、言い忘れてたが──今回、学年トップはノルデンセミラミス、お前だったぞ」
心臓が跳ねる。
私が? ──私なんかが?
「だけどダイワスカーレットも惜しかったし、何より熱心だからな。今回はこうだっただけでうかうかしてられないぞ」
「おめでとうございます、ノルデンセミラミスさん」
ありがとうございます。掠れそうになる声でそうなんとか返事をした。
一礼して目線を上げると、ダイワスカーレットさんがこちらに大きく一歩踏み込んできていた。
間近で見る彼女の瞳が、捕食者のように縦に割れた瞳孔が恐ろしくてたまらない。
「次は、絶対負けませんから」
普段の優等生な姿からは想像もできないドスの効いた低い声でそう宣言される。
あまりの恐怖にその後どうやって職員室から退散したのか、カフェテリアまでたどり着いたのか全く記憶がない。
お昼時のカフェテリア。トレセン学園ではおおむね戦場と同じ意味になる。
食べ盛りのウマ娘がこれだけ集まれば無理もあるまい。この環境を日々維持している職員さんたちには頭が下がる思いだ。
今日は何にしようか。
栄養バランス、摂取カロリー。諸々考えると日替わりランチA大盛りだろうか。
学園の栄養士さんが考えてくれたバランスの取れたメニュー。これで間違いはあるまい。
運動するのに熱量が足りるように、筋肉になるタンパク質を十分に、ビタミンや繊維もたっぷりと。
かといって午後も授業があるのだから、食べすぎて満腹になってはいけない。バクシンオーさんならだらしなくお腹をポンポコリンにしてロビーを練り歩いたりしない。
列に並んでトレイにランチセットを受け取り、食堂のおばちゃんにお礼を言って混雑する窓口からはける。
さて、時間が時間だけにカフェテリアは混雑しているが、どこか空いている席はあるだろうか。
「あ、セミちゃんこっちこっち!」
クイーンスプマンテの声に顔を向けると、窓際の6人がけテーブルを友人たち2人が占領していた。
混んでいるのにお盆と6人分のコップで席取りをするのはあまり褒められた行為ではないが、その心意気には感謝したほうがいいだろう。
「さっきまでカメちゃんも居たんだけどね、クーちゃんに連れてかれちゃったんだ」
「まったく、おやびんの相手も大変ですね」
対面に座ったアストンマーチャンさんが湯呑みのお茶をすすりながらしみじみと言う。
アストンマーチャンさん。ふわりとした鹿毛を左にワンサイドアップにした愛くるしい雰囲気のウマ娘。
私と同じく短距離を専門としていて、それが縁で仲良くさせてもらっている。
独特の感性を持った目立ちたがり屋さんで写真やカメラを見るとすぐ写りに行く、お近づきの印にと自身をかたどったぬいぐるみを渡してくるなどユニークな人だ。
「そういえばさっきまでカメオとも話していたのですが、さっき出した課題、なんて書いたのです?」
「あたしは調べたらお店とお酒しか出てこなくて大変だったんだよね! マーちゃんはなんだっけ? 似たような名前の車メーカーしか出てこなかったんだよね?」
「仕方がないから007ネタでだいぶん膨らませました。セミラミスはどうだったのかな、と思いまして」
“私の名前、そして私の目標”。自分の名前をフックに、自身についてなにか書いてこいという課題。
理想という鎧で周りを固めて、中身が何も無い私にとってはとてつもない難問だった。
とりあえず
これを合わせると、14世紀デンマークの王女であり、北欧三国(デンマーク・ノルウェー・スウェーデン)をその智謀によって同君連合で束ねた「カルマル同盟」の支配者であるマルグレーテ1世、人呼んで
「すっごーい。やっぱりちゃんと調べてるんだね、えらいなぁ」
「マーちゃんもスプマンテもネットで検索しただけですからね」
私だってこれを一人で調べたわけではない。
どうやって調べたらよいかわからず戸惑っていると、図書室のカウンターで分厚い本を読んでいた図書委員さんが助けてくれたのだ。
分厚い黒縁眼鏡をかけた小柄なその図書委員さんは、私の調べごとを聞くなり端末を駆使してあっという間に図書リストを作成し、蔵書棚の間を歩き回って文献を拾い集めてくれた。
恐縮して、お仕事の邪魔をして申し訳ありません、と謝ると、いえいえこれもレファレンスサービスと言って図書委員の仕事なのですよ、と笑顔で教えてくださったのだ。
「そういうのもあるんですね。マーちゃん勉強になりました」
「んでんで、その後はなんて書いたの?」
「──そうですね。偉大な女王の名に恥じないくらい活躍して、いずれは短距離の王に並ぶウマ娘になりたい、と」
サクラバクシンオーを超える。そのために、バクシンオーさんみたいな完璧なウマ娘でなきゃ──あれ?
思考に沈みそうになる私を、机に手をついてこちらに身を乗り出したクイーンスプマンテの声が現実に引き戻す。
「すっっごーい! 目標があのバクちゃんパイセンなんて、セミちゃんもアツいとこあったんだね! やっぱり目標はスプリンターズステークス連覇、いや三連覇とか!?」
「スプマンテ、お行儀が悪いですよ。でも、そうなると海外遠征なんかもいいかもしれませんね。マーちゃんもアスコットレース場には一度行ってみたいので、機会があったらご一緒しましょう」
「……あはは、ありがとう」
三連覇。海外遠征。
自分でサクラバクシンオー超えを言い出したくせに、こうして言葉にされると、夢ばかり見ている気がして恥ずかしくなる。
それに、否定してしまったらそれこそ嘘になる。
「……できるなら、挑戦したいです。全部」
声は小さくとも、しっかりと口にした。
今の自分はまだそのスタート地点にも立っていない。だからこそ、ここで逃げたくなかった。
でも、ほんとうの始まりは、誰にも触れられたくなかった。
あれだけは、ずっと、私の中だけに。
そこへ、後ろから声がかけられる。
「ここ、座っていい?」
振り返ると、トレイに昼食を山と積んだダイワスカーレットさんとウオッカさんがそこにいた。