驀進王に憧れてトレセン学園に来たダメダメな私が3つの玉座の女主人と称えられるまで 作:八幡悠
「おまたせ、入ってきて!」
「こんにちはッ! サクラバクシンオーですッ!」
思わず椅子を蹴って立ち上がる。どうしてバクシンオーさんがこんなところに!?
喉が引きつる。声も出ない。
確かにお2人両方に勝ったことのあるウマ娘などバクシンオーさんしかいないけど! いないけど!
……なるほど。バクシンオーさんはフライトさんともゼファーさんとも仲がいい。
きっとその縁で来てくださったのだろう。でなければ私などのためにバクシンオーさんが時間を割いてくださるなど有り得ない。
そのような予想はトレーナーさんの言葉により打ち砕かれた。
「サクラバクシンオーさんには以降、陣営の一員として指導に加わって頂けることになりました。よろしくお願いいたします」
「はいッ! セミラミスさん、よろしくお願いしますねッ!」
「よ、よろしくお願いします!」
なんで? どうして? 疑問の言葉が脳内をぐるぐる回る。
あまりに、あまりにも畏れ多い。
すがるような思いでトレーナーさんに視線を送る。
「最強のスプリンターを超えるのなら、当代最強に教えを乞うのが王道というものでしょう?」
「ハッハッハッ! その通りですッ! ……ぜひ、私を超えてください」
トレーナーさんとバクシンオーさんがそう答えた。
確かに、それは、そうだ。
私はあの日、バクシンオーさんを超えると誓った。
バクシンオーさんは待っていると、超えてくれと言ってくださった。
なら、私なんかなどと言っている場合か、畏れ多いなどと言っている場合か。
私は手段をえり好みできる立場か。
「よろしく、お願いします」
私はあらためてバクシンオーさんに深々と頭を下げた。
「さて、本来は夏から合流していただこうかと思っていたのですが、NHKマイルカップでの“領域”の話もあって今日は来ていただきました」
「はいッ! ああ、言い忘れておりました! セミラミスさん、NHKマイルカップ優勝おめでとうございますッ! 大変良いバクシンでした!」
トレーナーさんに続いたバクシンオーさんの言葉に、雷が落ちたような衝撃を覚えた。
この人の口から私の名前を呼ばれる日が来るとは。
観てくれていた? バクシンオーさんが? 私のレースを?
まず湧き上がってきたのは歓喜。
憧れのバクシンオーさんが、私なんかのレースを注目してくれていたんだ。
ああ、この感情を表す術を私はもたない。
でもそれと同時に鎌首をもたげたのは疑念。
そんな価値が私などにあるのだろうか。
人を酔わすような末脚も、緋色の勝負根性も私にはない。
ただほんの少しだけ、首の上げ下げの分だけ前にいたに過ぎない。
どうしても、今の評価が分相応だとは思えないのだ。
そんな万感を込めた沈黙の後、引きつった喉から言葉を絞り出した。
「……ありがとう、ございます。でも……私なんかまだ、全然で……」
「おお! 素晴らしい向上心、流石ですね!!」
今度こそ、言葉に詰まる。
そうだ。私の憧れたサクラバクシンオーという人はこういう人だった。
救われたような安堵感と、私もこうありたいという憧れで胸が一杯になるのを感じる。
先日以来迷っていたことにやっと決心がついた。
「……ありがとう、ございます!」
今度は彼女の桜色の瞳を見て返事がができた。
そうして彼女に瞳に見惚れていると、トレーナーさんがコホンと咳払いをした。
「よろしいですか? 本題に戻っても?」
そうだった。すっかり忘れていた。
顔が赤くなるのを感じる。
バクシンオーさんも、これは申し訳ありません、“領域”の話でしたね、と話題を戻した。
「実際のところ、レース中に他の方の“領域”にお邪魔したことはあります! ですが、私は走っていただけで自分の“領域”についてはわかりません!」
彼女はそう言い切った。
マジでゼファーさんやフライトさんの“領域”相手に身一つで渡り合っていたらしい。
ちらりと様子をうかがうと、お2人も驚きの表情が隠せていない。
そういえば、お2人の側からお2人が負けたときの様子は聞いていたが、逆はどうだったのだろうか。
フライトさんの引退レースとなったマイルチャンピオンシップ、あの残り200mの攻防は私も生で見ていた。
お2人とも当時のレコードを更新する走りであった以上、少なくともフライトさんは“領域”に入っていたはずだ。
「そうだね。あの時も最終直線で入ってたかな」
「よく覚えていますとも! 走っていましたらフライトさんのビビッドな空間に居まして、そこで飛行機に跨って飛んでいくフライトさんに追い抜かれました!」
やはりそういう風だったらしい。
あの時はバクシンオーさん、1400mのとこで完全に失速してたもんなぁ。そう懐かしくなった。
「……まさか、領域を伴わない“領域”? いや、これだけでは……」
トレーナーさんは顎に手を当てて何やら難しい顔をして考え込んでいる。
なにか気になることでもあったのだろうか。
とにかく私にわかったことといえば、“領域”があろうとなかろうとどうしようもないときはどうしようもないということ。
つまりは結局地力、スピードこそが真理なのだ。
やっぱりバクシンオーさんはすごい。
「やはりバクシン……、バクシンは全てを解決する……」
「おお! その意気ですッ!」
さらなるスピードの強化を誓った私に、バクシンオーさんも力強く同意してくれた。
そういえば、ふと思ったことを口にする。
“領域”が手札の1つだというならば……他の技術と同じようにはいかないのだろうか。
「“領域”って、鍛えたり他の人のを使ったりはできないんですか?」
そう言った私に、一同はきょとんとした表情で応えた。
「凪に帆を立てるようなことを仰るのですね。他人に教えようなどとは考えたこともありませんでした」
「そもそも、そのような実体のあるものではない気がしますがね」
ゼファーさんとトレーナーは無理なのではという考えのようだ。
以前フライトさんに教えてもらったテクニックのように教えてもらえればもっと早く走れるのにな、と思ったのだが難しいようだ。
「やっぱり“領域”はそれぞれの思いに由来するんだから、その思いを継承できる関係性でないと無理なんじゃないかな」
確かにフライトさんの言う通り、各ウマ娘の思いに由来する以上思いを受け継げるような関係性でないと、というのはもっともだ。
そもそも並走では“領域”には入れない以上、実戦で練度をあげるしかない。
そして実戦で戦う相手などライバルに決まっているのだからわざわざ相手の得になることはしないだろう。
そうして話も出尽くし、そろそろ良い時間ですからお茶にしましょうとトレーナーさんがおっしゃった。
娘が昨日差し入れてくれたのですよ、とトレーナーさんが出してくださったのはベリーの乗ったチーズケーキであった。
備え付けのキッチンでお湯を沸かしてコーヒーを入れる。
いつからかこのメンバーだとコーヒーを入れるのは私の役目であった。カフェさんのように豆にこだわりがあったりはしないが、なんとなく評判がいいのでそうなっている。
おやつを頂きながらなんということもない雑談をしていると、バクシンオーさんが私にこう尋ねた。
「セミラミスさんの次走はどこが目標ですか!? やはり秋のスプリンターズステークスですか!」
そうとはっきり言った訳では無いが、トレーナーさんとの間でもそういう認識にはなっていた。
そもそも私はスプリンター、そしてサクラバクシンオーを超えると啖呵を切った以上は秋の大目標はそこ以外あり得ない。
「ですよねッ! ではその前にいくつか重賞でも取っておきますか!? サマーシリーズでも、ああ、安田記念でもいいですね!」
なんとなく空気が張り詰めたような気がした。
それはそうだ。フライトさんがバクシンオーさんを破っての安田記念制覇、ゼファーさんはその前に連覇している。
なにを言っているんだこいつは、という気持ちももっともだ。
だからこそ、言い出しにくかった。だが、言うなら今だろう。
「その、トレーナーさん。……私は、安田記念に挑戦したいと思っています」
あえて3人の表情を見ないようにして、トレーナーさんの顔のみを視界にいれてそう声に出した。
言ってしまった。もう後戻りはできない。
そう腹をくくっていると、トレーナーさんが口をひらいた。
「理由を、伺っても?」
「ウオッカは、ダービーに挑戦すると聞いています。……ライバルが64年ぶりの偉業に挑戦するというなら、私も挑戦してみたいと思います」
そう口では言いつつも本心はそれだけではない。
桜花賞にNHKマイルカップマイルと私は分不相応にも勝ってしまった。もし私の実力が本物だというなら、例えシニア級でも通じるはずだ。
そして、もしバクシンオーさんなら、こんなクラシック級の中での栄光で満足したりはしないはずだからだ。
しばらくの沈黙。
トレーナーさんは少し考えた後、ほんの少し呆れたような声音でこう言った。
「……勝率は、高くありませんよ?」
「覚悟の上です」
「であれば、それが貴女の望みなら、私は勝つ算段を整えるだけです」
意外にもトレーナーさんの返事は肯定。
てっきり止められるとばかり思っていた私は拍子抜けしてしまった。
「その意気や良しッ!」
「大変だとは思うけど、セミラミスちゃんがそうしたいなら私も手伝うよ!」
バクシンオーさんもフライトさんも応援してくださるようだ。
フライトさんはいつでも練習に付き合うよとまで言ってくださる。春秋マイル覇者の助力が得られるなら百人力だった。
「ありがとうございます。厳しい戦いなのは分かっていますので、どうかお願いします」
そう皆さんに頭を下げる。
繰り返すがまさか応援してくださるとは思いもよらなかった。
正直、クラシックの夏前にシニア挑戦など無茶だと止められてもまったくおかしくないのだ。
それを認めて、背中を押してくださる。まったくもって望外の幸運だった。
「そんなの無茶だと思う私がおかしいんでしょうか」
普段の風語録を忘れた独り言は、彼女の喉から先に出てくることはなかった。
レース描写はどっちのほうが好みですか?
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1人称/主観(チューリップ賞形式)
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3人称/客観(桜花賞形式)