驀進王に憧れてトレセン学園に来たダメダメな私が3つの玉座の女主人と称えられるまで   作:八幡悠

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035 変則二冠と模擬レース

 トレセン学園、練習コース。

 

 ゲートが開く。

 一斉に飛び出す私と3名のウマ娘。

 激しいポジション争いを繰り広げる体操服姿の3名をよそに、私は事前の予定通りテールヘアーのウマ娘の真後ろにつけた。

 

 ポジション争いが落ち着き、まもなく直線が終わる。

 ペースが速い。

 このレースはマイル戦のはずだが、1000mのペースはかつて走った1400m戦ほどにもなる。

 

 つまり、ついていけない程ではない。

 ただ前の背中を追うことだけを考えて脚を回す。

 

 どうしてこんな練習をしているかといえば、それは先日の作戦会議にまで時間はさかのぼる。

 

 

⏰️ ⏰️ ⏰️

 

 

 チーム棟、トレーナー室。

 

 

 安田記念に挑戦したい。

 

 そう宣言した私に対して、それが貴女の望みなら、とトレーナーさんは答えた。

 しかしながら、当然それは可能であるとか容易であるとかそういう意味ではない。

 

「ではまず、セミラミスさんが安田記念に挑むにあたっての懸念点を整理しましょう」

 

 トレーナーさんはそう言って机の上に安田記念に関する資料を広げる。

 その声は淡々としていて、でも冷たいというよりは私の覚悟を確かめようというような響きを感じた。

 

 ……なぜ私がこれを言い出す前から安田記念の資料が準備されていたのか。

 僅かに青ざめた、こちらを睨みつけてくるショウナンタレントさんの表情がまぶたに浮かぶ。

 ……その理由については考えないことにした。

 

「まず前提として、出走可否についてです。これについては、G1を連勝した貴女に一切の不安はありません。出走決定ファン数は約3万人で出走予定者中2位。丸2年寝ててもG1に出られますよ」

 

 出走決定ファン数の計算はシニア級のオープンクラス以上だと途端にややこしさが跳ね上がる、というのを覚えているだろうか。

 計算式は、収得ファン数+概ね過去1年間におけるレースでの収得ファン数+概ね過去2年間におけるGⅠ級レースの収得ファン数。これがそのレースの出走ウマ娘決定ファン数となる。

 私の場合は10450+10450+9050=29950でおよそ3万だ。おおよそ1万人もあれば足切りラインを超える以上、もう私はレースに出られるかを心配する必要がなくなったといえる。

 なんとも自分で言っていて現実感がない話だ。

 

「第一に、成長度の差です。未だ発展途上のクラシック級とシニア級では身体の完成度が違います。この差は東京の長い直線で要求されるパワーと持久力に特に効いてきます。元々スプリンターである貴女にとってはかなり分が悪い部分となります」

 

 あらためて言葉にされると体の芯が冷える思いだ。

 分かっていたつもりだった。だが、胸の奥が冷えていくのを感じる。

 

「第二に、重複する部分もありますが相手の格が違います。安田記念は春のマイル王者決定戦。歴戦のマイラーのみならず、短距離や中距離からも各階級の猛者が集結します。世代戦で活躍した貴女といえど、普通にぶつかれば格の違いを見せつけられることでしょう」

 

 

 “格”──。思わず呼吸が浅くなる

 私はまだクラシック級に過ぎない。

 そのクラシック級ですらつけた着差は数センチと半バ身。

 それが高松宮記念やマイルCS(マイルチャンピオンシップ)や天皇賞・秋を勝ってきたシニア級と渡り合う? 

 あまりに無謀だったのではないだろうか。今更ながらそう思ってしまう。

 

「第三に、展開とバ場です。シニア級の高速展開に巻き込まれれば、かなり厳しいでしょう。逆に雨が降れば重バ場での経験不足が露呈するでしょう。こればかりはどうしようもありません。祈ってください」

 

 ついに祈れ、ときたか。

 

 だが実際その通りだった。

 私の脚質は先行、高速展開に巻き込まれれば最後の脚が残らない。

 重バ場用の走法は未だ未完成、バ場が渋ればどうなるかはさんざん経験したとおりだ。

 

 そして私はそのどちらについても左右する術を持たない。つまり、そうならないよう祈る他無い。

 

「なかでも、もっとも大きな課題は“経験の差”と“直線でのスタミナ”となります」

 

 トレーナーさんは最後にそう結んだ。

 

 経験──。

 私のレース歴は1年足らず、戦績は僅かに5戦。翻って例えばメジャーさんは3年半、G1だけで10戦以上。

 レースの数も、積み上げてきた年季も、シニア級の方々には遠く及ばない。

 自分がどれだけ無謀な挑戦をしようとしているのか改めて突きつけられ、どうしても視線が下がってしまう。

 

「普通に戦えば、勝ち目はほとんどないでしょう」

 

 最後に下された結論は、絶望的な宣告。

 無謀だと分かっていたはずだった。心が揺れる。

 ──それでも。

 

「……それでも」

 

 あいつ(ウオッカ)は、誰も往かない道を往く。なら私も、例え茨の道であろうとも、彼女のライバルで居るために。

 ここで引くわけにはいかない。先の勝利が偶然(フロック)でないと証明するために。

 そして、もしバクシンオーさんなら、私の理想は、クラシック級の中での栄光で満足したりはしない。

 

「それでも、挑みます」

 

 そう目線を上げて、トレーナーさんの目を見て答えた。

 なんとなく、トレーナーさんの目が和らぎ、口角が一瞬上がったような気がした。

 だがすぐに真面目な表情に戻し、彼女1つ頷いて続ける。

 

「結構です。では逆に有利な点を挙げてみましょう」

 

 机上の資料を軽く指先で叩きながら、淡々と説明が始まる。

 

「まず、貴女はスプリンターです。──つまり、速いペースそのものには慣れている。ハロン11秒半はクラシック級のマイラーにとっては速くとも貴女にとってはいつものペースです」

 

 確かに、1000m57秒台は私にとってハイペースでもなんでもない。

 これで2000m走れと言われれば無理だが、1600mならなんとかなるだろう。

 

「次に斤量です。G1レースに本来ハンデはありませんが、クラシック級がシニア混合G1に挑む時だけは違います。4ポイントも差があれば、持久力では及ばずとも瞬発力ならば勝負ができるでしょう」

 

 斤量。それぞれのウマ娘がレースで負担する重量のことである。斤は昔の日本の重量単位のことだ。

 元々は出走ウマ娘に可能な限り均等な勝利の機会を与えるハンデキャップ競争のために各国で別個にあったシステムだったが、歴史的に色々あって今のポイント制に落ち着いている。

 少しでも軽い方が有利だと言って皆下着みたいな勝負服で出走するようになって、勝負服も含めた重量を規定するようになったり。

 かつて国際競争が盛んになり始めた時期に表記を統一しようという流れになって、キログラム(フランス)ポンド(英米)が死ぬほど揉めたせいでまとまらずポイント表記になったり。

 だいたい1ポイントあたり1バ身のハンデだと言われているので、これはこれでわかりやすくていいのだけれど。

 

 とにかく、軽い方がダッシュが効きがいいのはウマ娘でも一緒だ。

 あの重たい鉛の棒4本を勝負服のインナーから抜いていいなら、一瞬の加速だけならシニア級にも伍せるだろう。

 

「さらに、直近の前走で同じ東京レース場のマイルを経験しているというのも小さくない強みです」

 

 東京の長い直線、あの光景が瞼に蘇る。雨に濡れた芝の匂い、観客の大歓声、迫る影……そして最後に掴んだゴール。

 やはり慣れ、という要素は大きい。それがクラシック級の箱庭のなかであったとしても。

 

「そして最後に。前2走、特に桜花賞の着差が僅差であることと、まだクラシック級であること。これは一見弱点でありますが、シニア級の皆さんは貴女を本気で脅威と見ていないということです。貴女はまだ舐められている。そこを突くのです」

 

 ──なるほど。

 私自身の持ち味を、クラシック級であるからこそのハンデを、評価されていないことそのものを。

 全てを活かせとトレーナーさんは言っているのだ。

 胸の奥で、かすかな火が灯るのを感じた。

 

「……つまり、勝機はある、と?」

 

 そう口に出した声は、ほんの少しだけ震えていた。

 トレーナーさんはひとつ頷いてつづけた。

 

「あります。が、きわめて細い筋です。分の悪い賭けです。それを掴みにいく覚悟はおありですか?」

 

 ──それでも、ゼロではないのなら。

 

「……覚悟は、あります」

 

 そう口にした瞬間、震えはまだ残っていたけど、不思議と胸の奥は静かになっていた。

 ウオッカはティアラからのダービーという誰も往かない道を往くのだから。

 どんなに細い可能性であっても、掴みに行くのだ。

 

 そう思いを込めて彼女の目を見つめると、トレーナーさんもまた覚悟を決めたように静かに小さく頷いた。

 

「であれば、私も腹をくくりましょう。正直、私はあまりさせたことのない手です」

 

 そう言ってトレーナーさんは作戦を開示してくれた。

 


 

 それを聞いた私の率直な感想は、少しの拍子抜けと驚きだった。

 え、そんなのでいいの、という拍子抜けと、トレーナーさんもそんな手を使うんだ、という驚きだ。

 

 これまで黙って聞いてくれていた3人の反応も3者3様だった。

 

「これは珍風ですね」

 

 トレーナーさんと一番付き合いの長いゼファーさんも私と同じ気持ちだったらしく、ほんの少し目を見開いていた。

 彼女にとってもあの優しそうなトレーナーさんがそういう手を使うイメージはなかったのだろう。

 

「とってもセミラミスちゃんに合った戦法だと思います。でも、そう何度も使える手ではない。ですよね?」

 

 そうフライトさんはトレーナーさんに上目遣いで、ですよね、の部分を強めに問いかけた。

 トレーナーさんもなぜか少々苦々しげに、勿論です、と頷く。

 

 一方で、ほほう、という表情を見せたのはバクシンオーさんだった。

 

「これはこれは……あのトレーナーさんが得意とした戦法ではありませんか!?」

「おや、ご存じでしたか?」

「ええ勿論ッ! 路線こそ違えど同期で同じ美浦で、なにより一緒に走った友人のトレーナーさんでしたからね!」

 

 バクシンオーさんの同期……誰だろう。

 そもそも路線が違うと同期かどうかわかりにくい。ティアラのニシノフラワーさんは確か栗東だしなぁ。

 

「まあ昔の話はこれくらいにして、本題を進めますよ」

 

 トレーナーさんのその言葉に、私はあらためて居住まいを正した。




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