驀進王に憧れてトレセン学園に来たダメダメな私が3つの玉座の女主人と称えられるまで   作:八幡悠

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042 変則二冠と安田記念へ

 安田記念。

 

 東京レース場1600mで行われる春の府中マイル王決定戦。

 欧州や香港、オセアニアからもウマ娘が遠征してくる国際招待競走。

 秋のマイルCSと並ぶ日本マイルの最高峰。

 幾多の名マイラーウマ娘がしのぎを削った歴史的名勝負の舞台。

 

 そして今年はもう一つの文脈が乗せられている。

 

クラシック三強の一角、未知なる舞台へ──ノルデンセミラミス、安田記念挑戦! 

 

 3年ぶりのクラシックウマ娘による安田記念挑戦。

 これまで4人が挑戦し、もっとも成績の良かったのは天才と名高い潮来トレーナーのもとで挑んだ留学生スピードワールドの3着。

 直近に出走したメイショウボーラーはメジャーさんの世代で、それまで皐月賞をメジャーさんの3着、NHKマイルを3着と好走していたにも関わらず11着に沈んだ。

 

 メディアの論調は真っ二つと言っていい。

 月刊トゥインクルの論調は好意的だった。木曜の枠順発表と同時に掲載された記事で吉富トレーナーのインタビューを取っている時点で、乙名史記者には完全にバレていたと見るべきだろうが。

 他はまあマスメディアといった感じだ。『準備不足』『無謀』『暴挙』。そんなもの外野に言われるまでもない。誰より私が知っている。

 

 安田記念出走を知らせたとき、両親の反応は対照的だった。

 

「そうか。…………頑張りなさい」

 

 言葉少なに、だが確かに応援してくれた父。

 

「ッ……そう。覚悟はしているのね。なら言うことはないわ。右耳飾り(クラシック組)に負けるんじゃないわよ」

 

 驚き、そして激励。

 母は現役時代マイルで鳴らしたウマ娘、クラシックで安田記念に挑む意味がわからないはずもない。

 それでも、クラシック組には1度しか負けたことがないのが自慢の母らしい言葉で背中を押してくれた。

 

 友人たちの反応はといえば概ね好意的だった。なんで黙ってたの、と聞かれることもあったが、騒がれたくなかったと言えば納得してくれた。

 

「変則二冠にシニア挑戦、セミラミスの話題で持ちきりなのです」

 

 マーちゃんのように目立っていることを羨ましがる者。

 ……そんな、羨ましがられるようなもんじゃないのに。

 

「がんばってねセミちゃん。もしかしてホントに勝っちゃったり?」

 

 スプマンテのように半信半疑ながら応援してくれる者。

 私にとってはこれぐらいのほうが正直助かる。

 

「つっても相手はシニア級だろ。いくらなんでも無茶じゃねぇの?」

 

 疑問寄りの評価の者。

 これは先日一緒に走ったローレルゲレイロさん。

 そして──。

 

「……あによ。応援して欲しい訳?」

 

 そして胸中複雑、というか明らかに苛立っているのがスカーレットだ。

 それもそうだろう。

 ハナ差だった桜花賞のリベンジを、と思っていたら私にはNHKマイルに、ウオッカにはダービーに逃げられてのこれだ。ダービーに逃げたって何だと思うが実際一部で言われていた。

 その私が今度はシニア級に殴りこみ、しかも本命は自らの実姉。

 愉快であろうはずがない。

 

「いい、あのバカ姉は必ず正面から叩き潰しに来る。……怯むんじゃないわよ」

 

 その真紅の瞳が私を覗き込む。……本当に、瞳の色以外は姉とそっくりだ。

 気が強いことも、自分こそが一番だという気性も、意外と面倒見がいいことも。

 

 

 閉じていた目を開く。

 目前の鏡に映るは勝負服に身を包んだ自らの姿。

 

 両手で頬をひとつ叩く。

 安田記念発走まであと2時間。時間はまだあるが、感傷に浸っていられるほどではない。

 

 最後にサッシュを手に取り、たすき掛けにして結ぶ。

 譽高き赤い軍服、必勝を誓う白襷。

 この勝負服に誓って、無様な走りは見せられない。

 

 体が軽い。

 これは比喩でもなんでもなく、インナーのプロテクターに収められた鉛の重りがいつもより4本も少ないからだ。

 このクラシック級に与えられたハンデだけが、今日の勝ち筋を作っている。

 

 更衣スペースを仕切っていたカーテンを開け、控室に出る。

 室内には吉富トレーナーとゼファーさんが待機していた。私も2人が掛けている机に腰掛ける。

 

 沈黙がその場を支配する。といっても気まずいものではない。

 3人共もともと多弁な方ではないし、なにより言うべきことはもうないからだ。

 バ場や天候などもう何度も確認したし、作戦など1つしかあり得ない。

 そんな心地よい静寂は、ゼファーさんがドアを振り向く衣擦れの音で破られた。

 

「……雄風が迫っていますね」

 

 そのまま立ち上がり、外へと続く扉へ近づく。

 果たしてその瞬間ドアが律儀に4回ノックされた。

 

 尋ねてきたのはウオッカだった。

 気を利かせてくれたゼファーさんは外へ、トレーナーさんも化粧台の方へはけてくださった。

 勝負服姿の私と制服姿のウオッカ。私達は部屋の中央で相対する。

 

「なんだ、緊張してんのか」

 

 私の顔を見るなり投げかけられた言葉に、黙ってひとつ頷く。

 ウオッカは呆れたように笑ってこちらへ一歩踏み出した。

 

「へっ、俺のライバルがそんなんでどうすんだ。ほら」

 

 ずい、と拳を差し出される。

 戸惑いながらも、自分の拳を重ねると、小さく音が鳴った。

 

「相手がシニア級の先輩だなんて関係ねぇ。お前の走りで、ぶっ飛ばしてやれ!」

 

 前髪から覗く左目が私を射抜いた。

 熱を帯びた眼差しに胸を押されるようで、張り詰めた緊張がすっと溶けていく。

 

「……うん!」

 

 そうだ。彼女のライバルであるために。あの勝利が偶然でないと証明するために。

 拳を離した瞬間、心の奥底に灯がともった気がした。

 

 じゃあな、ウィナーズサークルで待ってるぞ、と手を振ってウオッカは足早に去っていった。

 

 

 入れ替わるようにゼファーさんとバクシンオーさんが部屋に戻ってきた。

 フライトさんは彼女のトレーナーの教え子とともに中京に行っていて不在だ。

 

 壁際の椅子に足を組んで腰掛けていたトレーナーさんが立ち上がり、私の眼の前に立った。

 

「さて、もうあまり時間もありませんので一言だけ」

 

 私も思わず手を気をつけの位置にして姿勢を正す。

 

「貴女はやれるだけの事を積み重ねました。枠順もいい。あとは練習通りに張り付きなさい」

 

 私のゲートは2枠4番、張り付くべきメジャーさん……ダイワメジャーは1枠2番。

 隣の隣を引けるとは運が良かった。

 そう、私はやれるだけのことはやったのだ。あとは走るだけ。

 

「時つ風の吹かんことを祈っております」

「バクシンあるのみですよッ!!」

 

 お2人からも激励を受け、ありがとうございます、と頭を下げた。

 折よく頭上のスピーカーが雑音を吐き出した。

 

『──第10レース出走20分前です。第11レース出走者はパドック前通路に集合してください。Race 11, the Yasuda Kinen, participants please gather in the walkway in front of the paddock. 第11场比赛,安田纪念,请参赛者在围场──』

 

 今日は海外招待選手も出走するからか、多言語版の放送が流れる。

 

「それでは行ってまいります」

 

 最後にもう一度会釈をして、私はパドックへと向かった。

 

 


 

「……1つ、お尋ねしたいのですが」

「何でしょうゼファーさんッ!!」

 

 主役のいなくなった控室、ヤマニンゼファーがそういえばといった風でバクシンオーに話しかける。

 

「フライトさんもおっしゃっていたのですが、バクシンオーさんは彼女と走っているときに惑い風に吹かれたようには感じられませんでしたか?」

「いえ、特に練習中に走りにくいとは思いませんでした!」

 

 何度かマーク練習相手になった彼女らが言うには、セミラミスに後ろに付かれているとどうにも走りにくい、ペースが乱されるようで気持ち悪いのだという。

 だがセミラミスのマーク練習相手をほとんど引き受けていたバクシンオーは何も感じなかったというのだ。

 

「……ふむ。慣れの問題か……いえ、今はいいでしょう。さあ2人共、観客席に向かいますよ」




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