驀進王に憧れてトレセン学園に来たダメダメな私が3つの玉座の女主人と称えられるまで 作:八幡悠
『第57回安田記念、スタートが切られました!』
ゲートが開くとともに一斉に飛び出す18人のウマ娘たち。
流石にシニア級のベテラン揃いとあって出遅れるものはいない。
『各ウマ娘揃ってきれいなスタート!』
先行争いの混戦から4名のウマ娘がするすると抜け出していく。
『さあ先行争い、5番コンゴウリキシオー、ハナを主張。17番、香港勢エイブルワンと11番マイネルスケルツィ、ジョリーダンスが続く展開』
安田記念に使用される府中1600mのコースは直線が長く、先行争いはそう激しくはならない。
『続く先行集団5から6番手、2番人気2番ダイワメジャーここにいた。その背中にびたりと張り付く4番ノルデンセミラミス』
それを利用してダイワメジャーの直後に付いたウマ娘がいた。
ノルデンセミラミスだ。
ゲートが開いた直後、勢いよく飛び出したダイワメジャーの後を追って前へ出たノルデンセミラミスはするりとメジャーの真後ろを占めた。
レース中のウマ娘が視認可能な範囲は人間と変わらないが、聴覚による知覚範囲を合わせるとおよそ350°まで広がる。
だが真後ろだけは耳の構造上正確に知覚できない。ちょうど潜水艦のソナーの真後ろが死角となるように。
セミラミスはそこへと素早く潜り込んだ。
一方張り付かれたダイワメジャーはといえば、表面上はいつもどおりのレース運びをしていた。
逃げウマ4名を先に行かせると、先行集団を引っ張るように5番手で直線を抜けて3コーナーに入る。
『さあバ群は向正面を抜けて3コーナーへ。2番ダイワメジャー、少々苛立っている様子。しきりに後ろを気にしてます』
『無理もないでしょう、あそこまでべったり張り付かれては。やはり作戦なのでしょうか』
『間違いなくそうですね。あれはぶっつけ本番でできる距離感じゃない。事前に相当な練習をしていなければあそこまで踏み込めないでしょう』
コーナーに入ったダイワメジャーは初めて後方のウマ娘があおり運転の如くベタ付けしていることに気づいた。
ウマ娘にとって真後ろは全く感知できないというよりは距離感が掴みにくく、警戒を想起させる。急に真後ろから近づくと驚いて後ろ蹴りをされる、というのはそのためだ。
普段なら振り向いて確認するところだが、全速で走っているレース中にそんなことをすればフォームが崩れてしまうため原則行わない。
ならどうするかと言えばコーナーの曲線を利用する。隊列がコーナーに合わせて湾曲するタイミングであれば、最小限の首の動きで後方を確認することができる。
そして、ダイワメジャーは赤い勝負服が自らの影を踏んでいることを知覚してしまった。
一度知覚してしまえば、それをまったく気にしないというのは不可能だ。
だがそこはダイワメジャーもシニア級。鋼の意思で後ろを気にする本能を抑え込んだ。
まだセミラミスは何も仕掛けてきていない。第一、あいつはまだクラシック級だ。そんな手札は持っていないだろう。と。
「立て直しましたか。流石です、流石ですよダイワメジャー。それでこそです」
東京レース場、関係者席。
座席に腰掛け足を組んだ吉富トレーナーがターフビジョンに映るダイワメジャーを見上げて呟く。
今のところ、状況は彼女の想定通り進んでいると言えた。
関係者席には陣営ごとに固まってトレーナーやウマ娘が屯している。そんななか、ゼファーとバクシンオーを挟んで反対側に珍しい人物が加わっていた。
チームアルケスの明石椿トレーナーだ。
「これがあの“ヒットマン”のマーク戦法……」
「彼はその呼び名は好みませんがね。教わったのはワインの嗜み方だけではない、ということですよ」
多少の感慨を言葉に乗せて吉富トレーナーは答える。
セミラミスはメジャーの後背に取り憑いたまま、隊列は大欅へと差し掛かる。
「吉富トレーナーはここまで想定しておられたのですか……?」
「いえ、これは希望的観測というものです」
戦法のあらましを聞かされていた椿トレーナーは慄いたようにそう問うが、吉富トレーナーは若干の不満を声に乗せて返す。
確かにセミラミスにはこの1ヶ月徹底してマーク戦法を練習させた。
だがたった1ヶ月でマーク戦法がものになるとは限らない。気性的にどうしても合わない可能性すらあった。
そもそもダイワメジャーが安田記念に出走するとは限らない。ただでさえドバイ帰り、無事之名バとはそうでない者が多いからこそそう言われる。
どちらかが出遅れてしまえば即作戦は破綻する。これはダイワメジャーが中団以降からのレースを選択しても同じだ。
枠順がダイワメジャーに近いとは限らない。また近くても、他ウマ娘の位置取り次第では真後ろにつけない可能性があった。
もしダイワメジャーが不調であれば共倒れになるより他にない。不調の“帝王”ごと沈んだ“刺客”の有馬記念のように。
「ここまで他人と天運任せなものを想定とは呼べません」
五指を折り折り面白くなさそうに数え上げる吉富トレーナー。
「そしてもし勝ったとて、この勝利は次に繋がりません。こんな奇策は二度と通用しない。そんなものに頼ることを覚えてしまったら
椿トレーナーは言葉もなくターフビジョンを見上げた。
レースは佳境、3コーナーから4コーナーへバ群が差し掛かるところ。
ダイワメジャーとノルデンセミラミスは中団の内より、周囲を完全にバ群に囲まれているように見えた。
「囲まれてる……」
「ダイワメジャー、貴女ならこじ開けられるはず……よし、行った」
はたして600mの標識を超えて4コーナー出口、直線に入った直後にダイワメジャーが動いた。
後ろをひとつ振り返り状況を確認する。
前方、香港勢のエイブルワン。右手、自らより2回りは小さい芦毛のジョリーダンス。後方、不気味に沈黙を保ったままのノルデンセミラミス。
いける。そう確信した彼女は裂帛の気合とともに右手へ圧を掛けた。
自分より遥かに大柄なメジャーからの圧にたまらずヨレたジョリーダンス。メジャーはそのまま体ごと寄せていき、更に外へ追い出して強引に進路を作って前へ出る。
哀れ弾き出された芦毛のウマ娘は後続のノルデンセミラミスにも当たり負けて完全に外へと追いやられた。
400mの標識を通過。
直線に入り観客席からも視程が通る位置までバ群が迫る。
「さあッ! 今ですよセミラミスさん!」
バクシンオーの声が聞こえた訳ではあるまいが、ノルデンセミラミスが姿勢を低くして一際深く踏み込んだ瞬間。奇妙なことがおきた。
加速しながらエイブルワンを抜きつつあったダイワメジャーが、エイブルワンとの間にあったレーンを締めるように動いたのだ。
「……何が?」
「行った!?」
気迫をモロに食らってズルズルと後退していくエイブルワンを尻目に、ダイワメジャーは何かを探すように左右を振り向く。まるで思わず動いてしまったとでもいうようにだ。
そして右手から進出してくる赤い勝負服を見出した。
ノルデンセミラミスだ。
もう一度状況を上空から見てみよう。
400mの標識を通過した時点で、単騎で逃げる最内コンゴウリキシオーから3バ身ほど離れた位置の外側にエイブルワン、そこから1人分の間隔をあけてダイワメジャー、その直後にノルデンセミラミスが張り付いている。
ノルデンセミラミスの左右は内側からアドマイヤキッス、グッドババ、ノルデンセミラミス、ジョリーダンスという順番で並んでおり、ノルデンセミラミスの左右には1人分あるか微妙な隙間しかあいていなかった。
(どうする……)
ノルデンセミラミスはこのとき焦りを深めていた。
勝つつもりならそろそろスパートを掛けなくてはならない。すでにダイワメジャーは加速に入りつつあり、タイムリミットは迫っている。
だが、肝心の加速スペースがない。
左手は確かに広めに開いている。だがその先、エイブルワンとダイワメジャーの間はギリギリ1人分しか開いていない。もしどちらかが締めてきたら終わりだ。
右手は逆にあまり開いていない。だがジョリーダンスさえ退かせればその後は誰も邪魔するものはない。
(でもこの人、メジャーさんの同期……)
体当たりなら勝てるが加速中の今それをやれば速度を失う。
そしてシニア級の先輩をクラシック級の気迫で退かせられるとは思えない。
(なら……!)
ノルデンセミラミスは決断した。
退かせられないなら、退いてもらおう。
きっとメジャーさんは、我慢ならないはずだ。
ダイワメジャーの影から外れてレーン1つ分左に寄る。
(そこを──退け!)
さらに加速しながら自らの意思を宣言するように蹄音を高らかに響かせ──
──そのままステップを踏むように右へと切り返した。
ここでダイワメジャーに視点を移す。
ダイワメジャーも後ろで潜伏していたノルデンセミラミスが沈黙を破って存在感を増しているのを感知していた。
自らの加速に合わせて巡航からギアを上げているのがありありと感じられる。レースのはじめから感じていた苛立ちが更に膨れ上がってくるように思えた。
何か、仕掛けてくる。
そしてセミラミスの気配が左に動いた瞬間、まるで退けとでも言うかのように蹄音が響いた。
(小癪な! 百年早いわ!)
思わず頭に血をのぼらせる。
怒りのままに左側へ体を寄せてエイブルワンとの間のレーンを塞ぎにかかり、そして──
──
(──ッ!?)
のぼっていた血がスッと落ちるのをダイワメジャーは感じる。
今、俺は何をした? あんな見え見えの挑発に乗せられて……乗ってしまった。
焦る心を抑え込み、意図して頬を持ち上げて笑みの形を作る。
(面白いじゃないかクソババア、よくよく俺様のことを知ってやがる。なら──その小細工ごとぶっ潰す!)
吉富トレーナーは思いっきり濡れ衣である。
だが彼女の考えもそう的外れなものではない。やはりクラシック級とシニア級では身体の成長度が違う。
あくまでセミラミスは挑戦する権利を得たに過ぎなかった。
残り200m。
『まだ粘っている、まだ粘っているコンゴウリキシオー!』
『そしてダイワが、ダイワメジャーがやってきた!』
『それから飛んできたノルデンセミラミス、外からノルデンセミラミス!』
最内逃げ粘る白い鎧姿の勝負服コンゴウリキシオー。
その外1バ身差で追う青いユニフォームのダイワメジャー。
その更に外並びかける赤い軍服ノルデンセミラミス。
勝負はこの3名に絞られた。
もはや小細工は不可能。
コンゴウリキシオーが逃げ切るか、ダイワメジャーが差し切るか、ノルデンセミラミスの加速がそれを上回るか。
そういう勝負だった。
(ここまで来たか! この俺様が、ダイワメジャーが相手だ!)
(ノルデンセミラミス、推して参る!)
『コンゴウリキシオー粘る! 粘っているがしかし!』
『おっとここでダイワか、ノルデンか、ダイワか、ノルデンか──』
逃げ粘る先頭に後方から追いすがる2人。
その影がほぼ重なったそここそが決勝線であった。
レース描写はどっちのほうが好みですか?
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1人称/主観(チューリップ賞形式)
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3人称/客観(桜花賞形式)