驀進王に憧れてトレセン学園に来たダメダメな私が3つの玉座の女主人と称えられるまで 作:八幡悠
夜、美浦寮。
机にむかって今日の授業の復習と明日の授業の予習を終え、提出予定の課題をチェックして鞄に収めた私は話を切り出す機会を窺っていた。
横目でベッドを見やる。
目線の先にいる同室の先輩ウマ娘は、ベッドの上であぐらをかいて野球ボールでお手玉をしていた。
ダイワメジャーさん。明るい栗毛の短髪に、野球のキャップがトレードマークのウマ娘。
皐月賞を含む重賞3勝に2着3回と雲の上の人なのに、未デビューの私にも気さくに接してくださるすごい人。
入寮すぐでガチガチに緊張していた私を招き寄せると優しく抱きしめて、ここには俺様しかいないんだから、そんなに固くなるなよ、と優しく囁いてくれた。
そのときのことは、私は今でも覚えている。制汗剤の爽やかな香りの奥にあるかすかに甘い匂い。豊かな双丘に顔をうずめて、力強い腕の中に抱かれて、もし自分に姉がいたらこんな人だったのだろうかと痺れた頭の何処かで思った。
そうしてそのまま、張り詰めていたなにかがすべて解けるまで私は温かい腕の中で後頭部を撫でられていた。その後、初対面の先輩の服を汚してしまったと焦る私に、随分マシな顔になったな、と笑いかけてくださったのを忘れることはないだろう。
実際、私がここまでやってこれているのは先輩が同室であったからこそで間違いあるまい。
それでもやはり、話しかけるのには気後れしてしまう。
普段ならこんな人の顔を見つめるなんて不躾な真似はしない。バクシンオーさんならそんな礼を失する真似はしないからだ。
でもこの部屋で、この人の前でだけは、なんにもない、小心者の私でいてしまう。
それにしても顔立ちはダイワスカーレットさんとよく似ている。力のある目元、明るい栗毛、笑うと出てくる八重歯。実の姉妹なのだから当たり前ではあるのだけれど。
その中でも唯一全く違うのは目の色だ。ダイワスカーレットさんが真紅なのに対して、メジャーさんは琥珀色。その透き通った瞳は私を見透かすかのように──
「なんだ? 俺様に惚れたか?」
いつの間にかメジャーさんはお手玉をやめていた。
私が気づいたことにニッと笑顔を見せると、ボールをグラブごと放り投げる。
「ほら、来いよ」
そう言って彼女はあぐらを解いて両手を胸の前で広げた。私の胸に飛び込んで来い、といった意味だろう。
「い、いえ、そういう訳には……」
「なんだ、つれないな。じゃあなんでそんな情熱的に俺様を見つめてたんだよ」
どうしよう、正直に言おうか?
顔が熱くなるのを自覚しながら一瞬思案する。
いや、嘘や誤魔化しは良くない。なにより、この人にそんなことはしたくない。
「その、妹さんのことを考えていまして……」
メジャーさんはふーんといった顔をして、なにかに思い当たったかのようにニヤッと笑う。
「なんだお前、おっぱい星人か。自分もそんなご立派なものぶら下げておいて、妹まで狙うとは隅に置けないな」
「……いっ!? いえっ! そんなことは!」
「いやいや冗談だよ。慌て過ぎだろ」
思わず椅子を蹴って立ち上がった私に、落ち着けというように半笑いで手を上げ下げするメジャーさん。
全くこの人は。椅子に座っていると後ろからつむじに顎を乗せてきたり、寝る間際に布団を持ち上げて同衾を誘ってきたり、スキンシップや際どい冗談が多い。
まあ、嫌では、ないのだけど。
「で、俺様のご尊顔を見てどうして愚妹のことなんか考えてたんだ?」
「愚妹だなんて……その、実は昼にですね──」
私は昼にあったことを話した。
ダイワスカーレットさんのことを今まで誤解していたのではないかと、学業もレースも生活態度も完璧な優等生で、目力の強い人だとしか思っていなかったと。そして、そこで止まって彼女のことを何も知ろうとしていなかったと気づいたのだと。
私が話し終えると、メジャーさんは腕を組んで考え込んでしまった。
「まだそこまでしか剥がれてないのか……」
「え?」
「いや、あいつにしちゃ持ってる方だなと。まあそうだな、小さな一歩だが、偉大な一歩には違いないな」
まだ月どころかフロリダだが、とよくわからないことをおっしゃる。
野球か何かだろうか。よくメジャーリーグの中継を聞いてらっしゃるし。
「まあいいや。そうだな、あいつもまだガキだからな。肩肘張ってる、張らせちまった部分もあるんだよな」
「そう、なんですか」
メジャーさんは迷いを含んだ表情でそういった。
「まあなんだ、できたらもっと話して、仲良くしてやってくれよ。あいつも自然にいられる友達は多いほうがいいだろ。別に俺様の悪口で盛り上がってもいいからさ」
「はい……い、いえ、そういう訳には……」
思わず頷いてから、慌てて否定する。
私の表情が面白かったのかメジャーさんは破顔して、お前がそういうやつじゃないのはわかってるよ、と言いながら手をひらひら振った。
そのままメジャーさんは立ち上がり、先程放りだしたグローブとボールを机の下の物入れに放り込む。そこで彼女の目線が壁の一点で止まった。
その視線の先を追うと、そこにあるのはカレンダー。メジャーさんが大きく赤丸を付けたレースの日と、私が書き込んだ選抜レースの日がその下にマークされている。
「どうされました?」
「そういえばもうこんな時期かと思ってな。なにせ選抜レースなんて走ったのは3年前だから」
なるほどそれはそうだ。メジャーさんがデビューしたのは3年前、もうシニア2年目のベテランだ。未デビューの私たちとは時間感覚が違う。
そもそも先日までマイラーズカップに向けたトレーニングでなかなか落ち着いて顔をあわせてすらいなかったのだ。
「選抜レースにトレーナーなあ。こんな言い方すると真面目なやつは怒るかもしれないが、そんなしゃかりきになっても仕方ないと思うんだがな」
「……そうなんですか?」
レース座学でも選抜レースの結果がレース生命を左右すると教わったし、“本当の出会いなど、一生に何度あるだろう? ”とよく言われるように運命のトレーナーと巡り会えるか否かは必死になってしかるべき重要なことではないのだろうか。
そうメジャーさんに問うと、彼女は、あー、とため息を付いて頭を振った。
「あのな、ウマ娘のレースなんてちょっとしためぐり合わせで結果が変わるのにたった一回のレースでその後がそこまで左右されてたまるかよ。そんなことトレーナーからして百も承知だし、だから年に何回も選抜レースがあるんだろうが」
なるほど? たしかにそれも一理ある。
「つかな、選抜レースどころかメイクデビューすら負けてもG1獲ったやつなんていくらでもいるし、なんなら俺様だって1回未勝利戦行ってるからな」
それは、G1を取るようなすごい人だからであって私みたいな……
そう心中で反駁しそうになったのを察されたのか、メジャーさんは人差し指を立てる仕草で遮り続けた。
「まあ四の五の言わずに目の前の選抜レースに集中しとけ。万一ダメだったら俺様がトレーナーぐらい紹介してやっから」
なにせ俺様は6、7、8回はトレーナー変えてるんだからな。と頼もしいんだかそうでないんだかわからないことを胸を張っていう。部屋着のボタンがかわいそうなのでやめてあげてほしい。
というかそのトレーナーを何回も変えた話のほうが気になるんですが?
「ま、いろいろあんだよ。その話はまた選抜レースが終わったらな」
そういって彼女は話を打ち切った。
たしかに、先輩の言う通り目の前の選抜レースに集中したほうが得策だろう。そう思いなおして私は早めに床につくことにした。